錯視世界の幻想人(ファンタズム)〜世界から追放されたので異世界を救います〜

火炎焔

一つ目の世界

プロローグ 視認性錯視

「俺は、自分で見たことしか信じないよ」


 ――誰かが、そんなことを言っていた。

 しかし、それが本当に真であり正になるのだろうか?

 人が目にしたものなんて、とても信じるにあたいしない。それは嘘と欺瞞ぎまんで塗り固められた、じ曲がりきった幻でしかないというのに。


 だけど、こんなことをいきなり言われたとしても、人はそれこそを嘘だと感じ、誰も信じてはくれないだろう。

 だからここで、根拠こんきょとなる一例を提示ていじしよう。


 人間が物事を視認するときのメカニズムは、眼球というレンズが世界を上下にひっくり返し、それを脳がと認識、現在の風景を見せている、というものだ。

 実は人が本当に見ている景色というものは、上下が反転した世界なのだ。

 自分で「見た」とものは、脳が勝手に作り上げた虚像にすぎない。


 嘘だと思うなら、上下が反転する眼鏡をつけて生活してみればいい。

 最初は視界のおかしさに戸惑うかもしれないが、いつの間にか脳が上下を認識し、へと戻されていくだろう。


 ――人の意識なんてものはその程度のものだ。

 ――人のなんてものはその程度のものだ。


 自分で見たものというのは、光が反射し、それを眼球がとらえ、そして脳が都合よく解釈した産物に過ぎない。


 もう一つ、例を挙げよう。


 虹というものは、大多数の人が知っているだろう。

 しかし、虹のというものは国や文化によって異なる。

 八色だったり七色だったり六色だったり、極端になってくると二色、見る人次第では百色にも千色にもなりえるだろう。


 なぜそのようなことが起こるのか。

 それは、虹を見た人間がその種類の色であると認識しているからだ。

 国で定められた色の数、知っている色の名前、そしてなにより――をその世界の虹の色数と認識するからだ。


 ――人は、自分で見たものを真実の景色だと認識する。

 ――人は、自分で見たものをだと誤認する。


『真の』真実の世界とは、一体果たしてどこにある。

 そもそもそんな自体、一つでは無かった。

 虚構きょこうの視界はやがて世界へ繋がっていき、異世界へと流されていく。


 その異世界達は、一人の人間の認識が景色へと反映される。

 一人の人間の視界がへと反映される。

 見える景色のすべてが、一つにべられ、一人にべられた、偽りの世界。


 しかし、これは人間個々の景色が、それらの人間の数ほどあるととらえられる。

 数多くの人間の視界の中には、誤ったもの、正しいもの、様々が存在する。

 あらゆる価値観、あらゆる知識、あらゆる可能性。


 それらを全て観察するすべを得ることができたあかつきには、すべからく、が見つかるべきである。

 そう、これは、景色を追い求め続けた青年の、そんな視界を通して繋がった、数々の異世界の冒険録だ。


「俺は、自分で見たことなんか一切信じたくもない」

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