第30話


 本来、決勝をやる日が雨で流れ、その翌日。

 互いに十分な休息を経ての決勝戦。常磐二高対SK学園の試合には球場が埋まるくらい観客と応援が集まっていた。

 試合開始前の整列。そこで豊は博一を睨みつけている。


 「ずっと一緒に居た癖に……シロ姉を甲子園に連れていくのはオレだ」

 

 豊も白那から連絡を貰い、事情の説明と謝罪を受けている。

 行き場のない怒りを試合相手の博一に真っ向からぶつけるが、当の本人は豊と目を合わせるだけで何も言わない。

 そもそも豊を見ていない。

 博一は今日の試合に勝つ未来以外見ていなかった。

 試合前、決勝の舞台に色めき立っている面々の中でも博一だけは異質な雰囲気を纏っている。

 それをスタンドで見ていた謙一の眉が八の字を描いていた。


 「博一……大丈夫かな」

 「さぁな。ただ、負けるつもりは毛頭ないみたいだぞ」

 

 博一が抱える闘志と覚悟は成貴にも伝わっている。

 

 「手術の成功を信じながら応援するとしようぜ」

 「そうだよな、そうしよう! 瑠璃っちゃんに疑われてもあれだし……」


 瑠璃は謙一たちより前の席で育美と一緒に応援している。

 谷村と感動の再会直後だったのもあり、事情は説明していない。準決勝の途中に体調を悪くしたことになっている。

 生死を分ける手術だと思っていない瑠璃は無邪気に谷村たち常磐二高を応援する。

 常磐二高からの攻撃で始まる初回の表。

 SK学園の先発は本格派左腕のエースナンバー大堤オオツツミ。最速百四十七キロの直球とキレの鋭いスライダーを武器に戦うドラフト候補の三年。

 一番荒木を三振、続く二番古田は初回から粘るも凡退、谷村も見逃し三振。

 最高の立ち上がりだが、SK学園にとっては当然の結果。世界一の名選手が居ようとも無名の県立に負けられない。負けてはいけないのだ。

 

 「投球フォームは研究し尽くした。打てるな?」

 「「「はい!」」」


 準決勝の時点で博一の投球は見ている。練習試合の時に対戦してる選手も多数。

 イメージは完璧だ。投球練習が終わり、打率が最も高い先頭打者が打席に入る。

 練習試合では摺り足投法に惑わされた。

 再戦なら絶対に打つ自信があった——が、博一は足を上げ、小さなテイクバックから百五十キロ越えの直球を投げ込んだ。

 これまでの槍投げのようなフォームとは違い、完全にタイミングが狂う。

 呆気なく三振を取られ、悔しそうに顔を顰める。


 「ヒロシの奴……この展開狙ってやがったな」

 

 博一のそのフォームは成貴にとって懐かしいものだった。

 過去に練習試合で先発を任された際と同じフォーム。本人曰く、抑えの投げ方で先発なんか出来ないとのことだ。

 博一はその先発用のフォームをずっと隠してきた。

 全てはこの日の為に。

 使う変化球は変わらない。カーブ、カットボール、ツーシーム、チェンジアップを直球と使い分け、表と同様三者三振。

 二回表の先頭で坂本が打ち取られ、博一との勝負が始まる。

 

 「おー! やってるやってる!」

 

 そこでやって来たのは隆行と武史。どっしりとした体格と小柄なコンビの登場に謙一の目が煌めく。


 「タカちゃんとタケちゃん! 応援来てくれたんだ!」

 「おうよ! ケン坊も元気してたか? 元気そうだな!」

 「イチ君の打席……あの構えを見るのが遠い昔みたいに懐かしい」

 「あのエースも中々やるな。流石はSK学園ってとこか」


 博一は打席でバットを引きはするのだが、スイングまで行かない。

 最終的に一打席目は一度もバットを振ることなく見逃し三振で終わってしまった。

 最も恐ろしい打者を手も足も出させずに打ち取った大堤は声を張る。


 「しゃあっ!」


 そんな一連の流れを見ていた元チームメイトたちは涼しい顔をしていた。

 

 「イチ……相当ガチだな。と言うか、あれを本ちゃんでやるの初めてじゃね?」

 「一打席捨てることになるからな。普通に打ちに行った方が点数に繋がる可能性は高い。ただし、それは常陸リトルメンバーならの話だ」

 「徹底的に自分でなんとかするって感じだね。イチ君らしくない」


 打ち取られたこととは別の話で深刻になっている。

 そうして始まる博一と豊の初対決。

 一年で四番を張る期待の大型新人と世界を制した投手の勝負に観客はこれでもかと気持ちを昂らせている。

 初球。低めのインコースに差し込まれた直球を豊は振り抜く。

 快音と共に打ち上がった打球は伸びて伸びて——ライトスタンド一直線。

 豊は喜ぶことなくダイヤモンドを回る。


 「「「うぉおおおおおおお!」」」


 割れんばかりの大歓声。

 まさかの初球ホームランに謙一は空いた口が塞がらなくなってしまうが。


 「良し良し」


 隣の成貴は頷いてる。隆行と武史も同じく悪くないと言った様子。

 

 「何が良しなの!? ホームランだよホームラン!」

 「ただのまぐれだ。見てみろよ」

 

 後続の三人を三振で落とした博一は何食わぬ顔でベンチに戻る。

 

 「イチの調子は絶好調。それが分かってるから近藤って奴もシケたツラしてベース踏んでたんだろ」

 「一点くらいイチ君なら直ぐ取り返す」

 「と言ってもあの体格でSKの四番任されてんだから凄いわな。まぐれとは言え、技術が詰まったホームラン。ナルと似たようなタイプだ」


 二人の言葉通りに試合は進んでいく。

 三回表で金本がフェンス直撃の二塁打を放つが、得点には繋がらない。その裏は博一がまたもや三者三振に打ち取り、互いに打者が一巡。

 四回表に坂本の安打。二死、一塁で打席には博一。

 記録だけを見れば敬遠するのも作戦。だが、一打席目を鑑みて、監督は勝負を挑ませる。警戒を含め、初球から得意のスライダー。

 切れ味抜群の変化球に対して博一は——軽々とスタンドへ放り込んでしまった。

 一打席目で球筋を把握し、決め球狙いで放った逆転ツーランホームラン。これで次からまともな勝負を避けられることは博一が一番分かっている。

 だからベンチに戻った博一は谷村と古田に声を掛ける。


 「次の回からキャッチャーは古田で行くから準備してくれ」

 「えっ!?」

 「おいおい待て待て! 捕手経験のある古田はともかくオレは長らく野手なんかやってないぞ!」

 「金本を古田の居た外野に回して谷村先輩はファーストです。基本は内野手が投げる球を取れば良いんですからキャッチャーと大差ないですよ」

 

 これから博一が敬遠されることを考えれば長打を望める谷村は外せない。

 突然のシート変更だが、何かあるのだろうと一塁手をやる覚悟を決めた谷村は予備のファーストミットを嵌めながら博一に理由を聞く。

 答えは至極単純だった。


 「多分、二巡目からはこのままだとそう易々と三振は取れなくなります」

 「古田に変わればどうにかなるのか?」

 「変化球を増やします。俺のウィニングショットを」

 「そう言えばリトルの時、練習してたね……タカ君じゃなくてボクで」

 「そんなのがあるなら予め練習させてくれよ!?」


 至極真っ当な意見に博一は首を横に振った。


 「何時どこでSK学園の奴に見られてるか分からない。万が一に備えて本番まで隠しておきたかったんです」

 「ほんとにお前って奴は……規格外な作戦ばっかだよ!」


 勝ちを本気で狙った作戦に嬉しくなり、谷村から笑みが溢れる。


 「古田、行くぞ」

 「う、うん!」


 一点リードでこのまま九回まで抑えれば終わり。

 博一は四回で先発モードを辞めることにした。後は体力と気合いとの戦いだ。

 全国トップクラスのSK学園の打線は二巡目で既に博一の球に喰らい付いてくる。

 先頭の二番打者を打ち取り、三番打者に安打を許せば豊と二度目の対決。

 

 「ふー……良し。流石古田は良く分かってる」


 前もチームメイトだった古田は博一の投球を知っている。だから配球も文句なし。

 ツーストライクから決め球のサインを見て、投げる。

 スゥーッと流れる直球のようにミットに向かっていく白球。

 甘く入ってきたその球に完璧に合わせてスイングする豊。そのバットの手前でストンと真下に落ちた。


 「なっ!?」

 「ストライク! バッターアウト!」


 これこそ博一の決め球——フォークボール。

 それを解禁した博一は直球とフォークだけでガンガン打ち取っていく。

 右打者の外側に、左打者の外側に逃げるように変化を調整したフォークボールに全く手が出ないSK学園打線。

 直球を狙いに行っても無理をすれば詰まる。球が重く、飛距離が出ない。

 二遊間は強固で運良く安打を拾えても打点まで繋げなかった。

 SK学園ベンチに見える焦り。

 常磐二高の希望の光がマウンドの上で輝いている。

 五回。

 六回。

 破竹の勢いで最強と言われる打線を打ち取っていく。

 博一を突き動かすのは約束への執念。

 山路たちと甲子園に行く。

 甲子園に白那を連れて行く。

 抑えの勢いで回跨ぎを連続で駆け抜け——七回も無失点。


 「っ——しゃあ!」


 炎は今も尚、激しく燃えている。

 しかし、体力と言う薪は無限ではない。荒い息遣いでベンチに座る博一。

 

 「ヒロ君、このままなら行ける!」

 「足本! 良いぞ良いぞ! 残り二回だ!」

 

 体力を心配するスタメンは居ない。

 全員が全員、目の前に見えてきた勝利のゴールラインに夢中だった。 

 規格外過ぎる活躍に後ろ向きな声を掛けにくい雰囲気も漂う中、川相大和カワイヤマトが麦茶を差し出す。

 

 「持つのか?」

 「持たせる。それだけだ」

 

 水分補給を終えた博一は再びマウンドへ。

 満塁のピンチを招くも気合いのフォークで二者連続三振で八回裏を乗り越えた。

 残念ながら援護は望めず、一点差のままで迎える最終回。表情が緩み始めている野手陣とは裏腹に、博一は口元を歪めながらダイヤモンドの中央に立つ。

 孤独なお山の上で帽子を外し、見上げる空は澄み切っている。

 博一は歪んだ口元を引き締め、帽子を被り直す。成貴たちと戦いたい気持ちよりも今は白那の笑顔が見たい気持ちで一杯だった。

 

 「今日はシロの為だけに投げさせてくれ」

 

 しかし、体力はもうほぼ底を突いている。

 カウント稼ぎの変化球からキレが失われ始め、直球の速度も落ちた。


 「これなら打てる!」


 質がガクリと落ちた球では打ち取れず、無死、一、二塁。

 古田がタイムを掛け、内野陣がマウンドに集まる。だが、集まっただけだ。

 どう声を掛けて良いのか分からなかった。

 そもそもこのタイムが良かったのかも不安な古田は声が出ない。


 「大丈夫だ。絶対に抑える。お前らも守備に気合い入れとけ」

 「はっはぁ! そう来なくっちゃな!」


 博一の虚勢を虚勢だとも気付かない坂本が声を張り上げ、周りの雰囲気が和む。

 

 「絶対逸らさないから思いっきり投げて!」


 古田がそれだけ言って定位置に戻るも——SK学園が選んだのは送りバント。


 一死、二、三塁。


 打席にはクリーンナップの三番。

 肩で息をする博一。その耳にベンチから聞こえてくる声が一つ。


 「足本ぉ! 食いしばれ! 持たせるんだろ!」

 

 川相の声援。流石に聞き分けられないが、きっと謙一たちも叫んでいるはずだ。

 

 「打てるもんなら打ってみろ……!」


 ここへ来て百五十キロオーバーの直球。そこにフォークを混ぜ込んで気迫の三振。

 張り裂けそうな心臓に大歓声と大絶叫が響く。

 サヨナラのピンチに相対するのは四番——豊。

 一塁は空いているが、敬遠したところで大して変わらない。


 「だったら……勝負だ」


 持ち得る球種全てを駆使して投げる——投げる。

 豊はボールを見極め、死に物狂いで粘って粘って粘って粘ってフルカウント。

 こうなったらサインは決まっている。


 「……」

 「……」


 それが分かっている豊も最大限の集中力でバットを掲げる。

 変化量は頭に叩き込んだ。後は振るだけの意識でフルスイング。

 

 「……落ちねぇ!?」


 想像よりも変化しなかったフォークに豊は詰まってしまう。

 打球はそれなりの速度で三遊間に飛んでいくが、そこは坂本の守備範囲。

 全力疾走する豊の視界には打球の正面に入る坂本の完璧な動きが映っている。

 それでもまだ諦めず、豊は声を上げながら一塁へと向かった。

 

 

 そして次の瞬間——球場内の感情が一気に爆発した。

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