第8話


 静かな寝息の音。張り詰めた教室の空気。

 そんな鼻提灯も張り詰めていた糸もチャイムが鳴れば忽ち弾け飛ぶ。


 「終わったああああああああああああ!」


 中間テスト期間の最終日。最後の科目が終わり、クラス内は大はしゃぎ。

 最後が数学だったのもあり、博一は余裕だった。とは言え、四日連続でのテスト期間はそれなりに疲れが溜まる。

 

 「ふぅ……」


 小さく息を吐く博一のスマホに通知。

 白那から「どうだった?」とメッセージが来ていた。

 博一がおかげ様で、と返信すると白那は顔を見てきて、ニコッと笑う。隠す気があるのかないのか分からなくなる行動だ。 


 「博一! ここの問題の答えどうなった?」


 呆れている博一の机へと問題用紙を持った謙一が慌ただしくやってきた。

 正解してるかどうかはともかく、博一は自信があった解法と答えを説明する。

 それを聞いた謙一は焦りの表情を一瞬で崩した。


 「ふー! 良かったぁ! 勉強会での成果が出て嬉しいなぁ!」

 「まだ正解と決まった訳じゃないぞ」

 「それでも解くことも出来ずに白紙じゃないだけ成長したんだよ! いやはや俺ってば天才! 打ち上げしようぜ打ち上げ!」

 「マスターのところなら……シロも呼ぶか」


 勉強会組で打ち上げをするなら白那を誘うのは当然の摂理だ。

 あの日は夕飯までご馳走になっているので博一と謙一で何かを奢ろうと考えていた。打ち上げの代金を持つくらいが丁度良いだろう。

 

 「そりゃそうだぜ! 白——」

 「馬鹿! 声がデカいんだよ!」


 博一は白那の名前を大声で言おうとした謙一の口を塞ぐ。

 教室の隅っこでも声がデカければそれなりに注目も浴びる。謙一ではなく、博一の声が大きくなった所為で小佐向たちの視線が集まった。

 小佐向の顔に大きく描かれた「五月蝿い」の文字。

 博一は謙一と顔を見合わせる。


 「少しは落ち着けないのか?」

 「善処します……」

 「おうい! 足本居るかぁ! 勧誘に来たぞぉおおおお!」


 冷たい視線が消えたと思いきや、まさかの来客にまたもや博一に集まる視線。


 「少しは落ち着けないのか?」

 「俺に言われましても」


 巨漢の野球部部長とガッチリ体型の捕手の登場に教室中がざわめきだす。

 百八十は越してるであろう部長がずかずか教室に入ってくるのだ。誰だって驚く。

 そして博一の前に立ち、机に手を置いた。


 「さぁ! 足本! テストも終わったし、入ってくれるよな!」

 「そんな約束はした覚えがないんですけど?」

 「悪いな足本。何度も教室突貫は辞めろって言ったんだが……」

 

 一緒に来た捕手は博一に申し訳なさそうな目を向ける。


 「この部長の女房役は大変そうですね、キャッチャー先輩」

 「全くだ。試合でもこっちのリードに馬鹿みたいに首振って、投げては打たれの繰り返し……坂本と荒木が居なかったらどれだけ安打と失点が増えてることか」

 「何言ってるんだ! オレはいつだってドラマとロマンに生きる男! 苦しい場面とカウント……直球で打ち取るあの爽快感は何物にも変え難い魅力があるんだ!」

 

 ピンチの時はストレート。

 ツーストライクやフルカウントでもストレート。

 何故か胸を張る部長に捕手はやれやれ、とお手上げの様子。打たれる訳である。


 「そう言えば自己紹介もせずに悪かったな。ほら! お前ちゃんと挨拶しろ! 部長だろ! キャプテンだろ!」

 「おっと! そうだそうだ! オレは山路政人ヤマミチマサト! キャプテンだ!」

 「オレは谷村幹夫タニムラミキオ

 「山路先輩と谷村先輩……覚えました」

 「とまあ、こいつの暴走には申し訳ないと思っているんだが、正直入ってくれるのなら嬉しい。野球をやるのは好きだし、楽しい。でもやっぱり勝ちたい」


 三年生にとっては最後の夏。常磐二高は三回戦より先に進んだことがない。

 外シードか内シードに当たれば毎回負けていた。

 常磐二高は何の変哲もない普通の県立高校。陸上が少し強いくらいでどの部活もそれなり。だが、だから負けても仕方ない、とは思いたくないのが谷村たちだ。

 博一は馬鹿にすることもなく、真剣に耳を傾ける。


 「無理強いはしない。だけど、足本が入ってくれるなら百人力だ」

 「無理強いはする。何が何でも入ってくれ!」

 「良し!」

 「「おお!」」


 勢い良く立ち上がった博一に三年バッテリーが盛り上がるが。


 「ちょっとトイレ行ってきます」

 「「おお……」」


 トイレと称して教室から抜け出す博一を見送る二人。

 博一の言葉を正面から受け取った二人は大人しくその場に居座り、それを見た謙一が声を掛ける。


 「あの……先輩方」

 「なんだ?」

 「博一……多分逃げましたよ」

 「なっ!? 幹夫! 追い掛けるぞ! 絶対に逃すな!」

 「おいおい! 無理強いすんなって! おい待てよ!」


 慌ただしい来客は同じく慌ただしく教室から去っていく。

 一連の流れを鬱陶しそうに眺めていた小佐向はうんざりが通り過ぎ、鼻で笑う。

 

 「ほんとあの人たちの周りは騒がしい人ばっかり。嫌になっちゃうわね、妃ノ宮さん……妃ノ宮さん?」


 話を振ったはずの白那からの返事がない。首を回すが、姿も見えない。

 妃ノ宮白那は逃げ出しました。

 



 トイレを済ませた博一が逃亡先に選んだのは屋上。

 立ち入り禁止になっていないはずの屋上は何故か博一や謙一以外の利用者が居ない。毎回毎回貸切。ゆっくりするには最適な避難場所だ。

 柵に体を預けて青と白で彩られた空を見上げる。


 「勝ちたい……か」


 元々野球をやっていた博一だ。気持ちは理解出来る。

 夏の甲子園は高校球児たちの夢の舞台。

 それは博一も夢見ている最高の場所だ。

 先日の飛び入り参加した練習試合を思い返す。全国レベルのSK学園相手に三振の山を積み上げ、最後の最後でホームランを打った。実に二年振りの試合はあまりにも出来過ぎていた。自身の実力は分かっていても驚くくらいに。

 加えて博一が活躍すればするほど盛り上がる白那と謙一が見える景色。

 

 「博一君っ!」

 「シロ?」

 「先輩たちが目立ってる隙に逃げ出してきちゃった」

 「なんで此処が……あ、ケンに聞いたのか」

 「そう言うこと。ねぇ、博一君」

 「ん?」

 「野球、やらないの?」


 博一を追ってきた白那は優しく問い掛ける。


 「……迷い中」

 「野球は嫌い?」

 「いや、好き」


 博一の即答に白那が笑った。


 「だよね。常陸リトル最強の三塁手兼守護神で、この前の練習試合も楽しそうだったもんね」

 「楽しかったな……って、それもケンから聞いたのか?」

 「ううん、ずっと知ってた。私が野球好きなのは知ってるでしょ? 代表になった時からずっとファンだよ」

 「いや……野球好きでも十二歳以下の日本代表把握してんのは聞いたことないぞ」

 「にひひ」


 凄いでしょ、と白那が笑顔でピース。

 十二歳以下で代表入りしてたのも常陸リトル時代、主に三塁手と抑えをやっていたのも事実。この学校内で知っているのは謙一以外だと古田と谷村だろう。

 野球知識に乏しい謙一は抑えのことを守護神とは言わない。

 となると、やはり白那の言葉は正しいらしい。


 「中学二年生の時に突然チームから居なくなっちゃって驚いたんだよ? 私、また野球やってる博一君が見たいな」

 

 似たような台詞を最近聞いた。

 博一は自分の右手を見る。投手として投げ込み、アウトを重ねた感覚と初球ホームランを決めた感覚はしっかりと残っている。それを楽しみ、喜んでくれた謙一と白那も記憶に残している。

 その記憶に残った笑顔がずっと二の足を踏んでいた博一の背中を押す。


 「それともこう言う時の台詞は……甲子園に連れてって、かな?」

 「言葉の重みが増してるぞ」

 「博一君ならきっと大丈夫」

 「取り巻きたちと違って俺への向き合い方が真っ直ぐ過ぎやしないか?」

 

 姫扱いのクラスメイトたちはそれで良いと言っていた白那。なのにこれではまるで野球をやらない選択肢はない、と博一に告げているように聞こえる。


 「博一君や謙一君相手だったら姫じゃなくて良いからねっ! それに追い込まれた時の直球にはロマンがある、でしょ?」

 「か?」

 「ロマンチックな女子高生なんて珍しくないよ。それとも敬遠がお好み?」


 悪戯っぽく首を傾げて見せる白那のストレート。

 真っ直ぐな意見に博一は。


 「は嫌いだろうな」

 「え?」

 「因みに言うと俺も敬遠は好きじゃない」


 見事、打ち取られた。

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