第2話


 白那と一緒だった休日明けの月曜日。

 眠気を完全に飛ばしてきた博一が自分の教室に入る。形成された仲良しグループが集まり、あちこちで談笑を交わす。その中でも一際目立つのは白那だ。


 「姫、昨日男と一緒に居たって本当ですか!?」

 「男ってのは危険なんすよ! 気を付けないと!」

 「あはは……見間違いだと思うよ……」

 

 昨日の話が既に広がり、いつもより多くの男子たちが囲っている。

 

 「妃ノ宮さんが言ってるんだから違うのよ。変な噂が立つから騒がしくしないでくれる? ね?」

 「う、うん」

 「でも気を付けないと駄目。いつ何が起きるか分からないんだから」


 騒がしさを嗜めるのは白那の親友を自称する小佐向コサムキ

 私は白那を守る騎士と言わんばかりの態度に博一は呆れる。その様子を横目で見ながら自分の席に座った。勿論、白那との挨拶は特にない。

 ただ、学校に来て真っ先に飛んでくる挨拶がある。


 「おっはよー! 博一! 金曜振りだなぁ寂しくなかったか!? 平気だったかあああああああああ?」

 「あー、おはよーさん。今日も騒がしいな」

 「なんだよそれ反応薄くない? ちょっとちょっと、俺寂しくなっちゃう」

 「お前が兎じゃなくて良かったよ」


 朝から喧しいほどに元気な金髪は中野謙一ナカノケンイチ。小学校から関係が続いている博一の幼馴染で、いつも元気で声だけじゃなく顔までうるさい。

 口を開けば一瞬だけ教室中の注目を集め、一瞬で目を逸らされる。

 また中野か、と。


 「それにしても博一が土日どっちも俺を誘わないなんて珍しいな。昨日は何かしてたのか?」

 「昨日はマスターのところで野球見てた」

 「はー!? だったら俺も誘ってくれよー!」

 「悪い悪い。次はちゃんと誘うよ」

 「絶対だぞ。絶対だからな!」


 その会話が聞こえていた白那がチラリと博一を見る。

 怪しげなアイコンタクトもしたくないが、釣られて博一も目を合わせてしまう。

 

 「どうした? あー、相変わらず凄いよな白那ちゃん」

 「二年に上がってからひと月しか経ってないのにずっとあんな感じだもんな」

 「一年の時から有名だったなぁ。容姿端麗! 成績優秀! 人柄もめちゃくちゃ良くて好かれる要素しかない!」


 更に親は超有名大企業の社長だ。

 謙一の言う通り入学当初から有名で、現状もこれである。男子の割合が多めではあるが、それなりに女子も居る。それらが揃って姫と讃える姿は最早同級生ではない。


 「信者に近いぞありゃ」

 「俺もちょっとはお近付きになりたいけどさ」

 

 謙一がボソリとそう呟くと小佐向がギロリと二人を睨んでくる。

 慌てて目を逸らす謙一とどこ吹く風の博一。

 イロモノとして見られている二人の接触は気高い女騎士が許してくれないらしい。


 「どんだけ人が一杯集まっててもあれじゃ寂しいよ」

 「そう思えてるならそのうち仲良くなれるんじゃないか?」

 「いやいやいや、俺にあの包囲網と監視を突破することなんて無理無理無理」


 謙一が右手を顔の前で左右に振る。

 博一はそろそろ何かのタイミングで関係を伝えようか考えていた。ただし学校で話したら大騒ぎするのは目に見えている。話すとしたらやはり喫茶店が最適だ。

 出来れば白那同伴が良いとなると考えられるのは休日。

 

 「……休日」


 傍に居る謙一にも聞こえない声量で呟く。

 何か忘れているような感覚。そんな博一への答え合わせは直ぐだった。


 「そうだ! 今週の土曜楽しみだよなー! 映画! ずっと待ってたあの映画を博一と見られるなんて最高だ、ぜ!」

 「そうだなー……って、映画?」

 

 博一が土曜に映画を見る相手は白那だ。謙一は知らないはずだ。

 そこでやっと博一は思い出した。かれこれ一ヶ月くらい前に公開日に行こうと誘われていたことを。

 定期的に謙一はアニメや映画などのイベントに博一を誘う。

 今回のは約束したのが大分前だった影響ですっかり忘れていた。丁度、白那と約束した日時が被ってしまった。


 「あ、その顔は忘れてただけって反応じゃないな!? まさか他に予定を入れたんだな!?」

 「まじですまん! 俺の方の用事は別日に——」

 「良かった!」

 「は?」


 両肩をがっちりと掴まれ、今にも泣き出しそうな顔で謙一が感激している。


 「俺は一人でも楽しめる! だから博一は思う存分そっちの予定を楽しんで来てくれ!」

 「お、おう?」

 「いやぁー良かった良かった! 良かった! 嬉しいなぁー!」

 「何がだよ」

 「何でも!」


 謙一の馬鹿騒ぎは流石に注目を集めてしまう。

 先生が入ってきたことでやっと止まった。




 その日は何事も起きず、白那と話すタイミングもなく帰路に就く博一。

 通学にも使ってるバイクの後ろに謙一を乗せ、のんびりと走らせる。約束を反故にしてから何故かご機嫌である。

 博一は家の近くにあるグラウンドに人が居ないのを確認し、駐車場に停める。

 

 「持ってきてるよな?」

 「もっちのろん!」

 

 グローブとボールを取り出す博一に謙一もグローブを手に、笑う。

 最初は近く、緩く。少しずつ距離を離し、投げるボールの勢いも増していく。平日はほぼ日課になっている夕暮れ時のキャッチボール。

 博一の鋭い球を涼しい顔で取っては投げ返す謙一。

 気持ちの良い音が閑散としたグラウンドに響く。


 「もう慣れたもんだ」

 「ずっと博一とキャッチボールしてれば嫌でも慣れるわい!」

 「最初は笑えるくらい腰引けてたよな。怖がる方が危ないって何回も言ったのに」

 「いきなり百四十キロ投げられて怖がらない初心者が居るか!?」

 「最初から俺の速度に慣れとけばその後が楽だった、ろ!」


 博一は中学三年の時にキャッチボールをしようと言ってきた謙一に全速力をミットのある位置にだけ投げ込みまくった過去がある。そのおかげで普通のキャッチボール程度では誰が相手でも怖がるようなことはなかった。

 キレのあるストレートを受け取った謙一はそこそこの球で投げ返す。


 「スパルタ過ぎだろ! 幾ら何でも!」

 「野球を教えてくれって言ったのはケンの方だろ。中学生の俺にどんな指導を期待してたんだよ。指導方法なんか知るか」

 「だからって慣れろ! の一点張りは怖ぇって!」

 「ほんと良く逃げなかったよ。思い返すと凄ぇな」

 「俺は凄いんだよ!」

 「そうかそうか。じゃあそろそろしゃがめ」


 肩が温まってきた博一がグローブにお辞儀をさせる。

 それを見た謙一は腰を落とし、胸の前にグローブを構える。


 「良し! どんと来い!」

 

 博一は深呼吸を挟んでから足を上げ、小さなテイクバックから腕を振り抜く。

 次の瞬間、目が覚めるような快音が響き渡った。

 謙一のミットはこれっぽっちも動いていない。


 「くぅー! さいっこうだぜ博一!」

 「絶好調!」

 「次はここ!」

 「余裕」


 謙一の構えた位置ドンピシャにストレートを投げ込み続ける博一。


 「映画、行けなくなったのになんで喜んでたんだ?」

 

 ピッチングを続けながら問い掛ける。


 「だって、今まで博一が別の予定を入れてることなんてなかったじゃんか」

 「まぁ、な!」


 今回は謙一のミットがボールを迎えに行く。


 「しかもあの慌て方だと誰かとの用事だったんだろー?」

 「そんなとこ。次、カットボール」

 

 変化球を取った謙一は話を続ける。


 「高校入ってからさ、俺に誘われる以外で自分から他の予定入れるなんて初めてじゃん? なんかそれがすっごく嬉しかったんだよ!」

 「……ありがとな」

 「良いってことよ! 俺はいつまでも博一の大親友だ、ぜ!」

 「ははは、知ってるよ。次はカーブな」

 「はっ!? ちょっと待て!」

 「やなこった!」


 すっぽ抜けたような位置に放られたボールはまるで何かに引き寄せられるかのようにグイッと曲がって落ちる。ギリギリまで我慢していた謙一だったが、その変化量に耐えかねて必死にショートバウンド直撃を回避。

 捕逸になったボールはコロコロとバックネットまで転がっていった。


 「どうした大親友」

 「どうしたもこうしたもあるかい! 博一のカーブなんか捕れないに決まってるだろ!? 俺の大事な玉が球で潰されちゃったらどうすんだい!」

 「偶々球が玉に当たらないように捕れるようになれば良いんじゃねーの?」

 「タマタマタマタマうっさいわ!」

 「言い出したのはそっちだろ。暗くなってきたし、そろそろ行くぞ」


 博一は騒ぐ大親友を遇らい、汚れたボールを拾い上げる。

 キャッチボールをするには暗過ぎる。軟球とは言えボールが見えないのは危険だ。

 バイクに戻り、ゆったりと走らせていると謙一が口を開く。


 「もう野球やらないのか?」

 「今から? 転校したとして出られるのは来年で最後の夏だぞ」

 「今の高校でやろうぜー! そんで甲子園でナルちゃんと勝負するのを俺は見てみたい!」

 「SK学園が居る。予選を抜ける為の相手がほぼ全国決勝と変わらねぇのに無名の県立校で挑めと?」

 

 博一たちが住む県内にはSK学園と言う私立高校がある。

 高校野球の知識がある人なら誰でも知っている超が付くほどの名門。全国常連だけに留まらず、高校野球の全国王者を何度も何度も経験している。

 絶対王者と名高い最強の野球部。

 最近は他の高校も強くなってきているが、それでもまだ最強と言われ続けている。

 しかし、謙一は曇りのない声色で言う。


 「俺にとって最強の野球選手が居るんだ。きっと勝てる!」

 「野球は一人じゃ出来ねーぞ」

 「でも、やってみないと分からない。だろ?」

 

 運転しながらだと顔は見えない。それでも謙一が笑っているのが分かる。

 謙一を家に送り届け、自分も家に帰ってきた博一は立て掛けてあったバットを手に取り、空へと高く掲げる。

 そこから身体へ引き付け、振り抜く。

 そうして振られた選手モデルの木製バットは風を切り裂いた。

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