第6話 婿入りしたら異世界だった件

……ろっ

 ……きろっ

 起きろっ!!


 世界が反転する瞬間、タローの意識は光の底へ沈んだ。


 会社を作った頃。

 兄貴と喧嘩した理由。

 初恋。

 森の祠。

 あの赤毛の狐……。


 過去の断片が、まるで関係のないパズルのピースのように浮かび上がり、はじけてゆく。


 そこに──

 本来あるはずのない“空白”が混ざった。


 穴のような沈黙。

 ぽっかりと抜け落ちている“何か”。


 その穴に向けて、誰かの笑い声が触れた気がした。


 沙織。

 幸恵。

 ノア。

 小太郎(犬)。


 名前が、思考より先に心へ流れこんだ。


 思い出したのではない。

 “存在ごと戻ってきた”。


(……え……誰……だ?)


 知らないはずなのに、胸の中心だけが強く反応する。


《起きろ! 婿殿!!》


 叫びが脳に直撃した。


「うわっ!?」


 ゴンッ!!


 タローは跳ね起き、車の天井に頭をぶつけた。


「いってぇっ!」


 プァァァーーーーン!


 手がハンドルに当たり、クラクションが夜へ響く。


 混乱の中で、肩に何か重みを感じる。

 見ると、炎のような毛並みの赤い狐がこちらを覗き込んでいた。


《シャキッとするのだ、婿殿!》


「……喋って……ねぇよな。頭に直接……?」


 狐はすい、と視線で合図する。


 タローの胸を再び、電流のような感覚が走った。


(……沙織……幸恵……ノア……小太郎……)


 “ある”と世界が告げている。

 つい先ほどまで“無”だったのに。


「……カリン!!」


 タローはがばっと後ろを振り向き、

 後部座席に倒れ込んでいたカリンを揺さぶった。


「カリン!! 起きろ!! この世界に……妹たちが……!」


「ん……何よ、もう……」

 カリンの瞳がゆっくり開く。

 眠気にじんだ表情が、一瞬で変わった。


「……え……?」


 カリンの胸にも、同じ波が押し寄せたのだ。


 見たこともない“はず”の子供たちの名前が、

 心の奥にぽっ、と灯る。


(沙織……?

 幸恵……ノア……小太郎……?)


 知らない。

 でも、泣きそうなほど懐かしい。


「……どうし……て……?」

 カリンの声が震える。


 タローは慌てて段ボールをあさり、写真を取り出す。


「ほら……これ! 俺の……妹たちだ!」


 写真に映る四人。

 その瞬間、カリンの瞳が大きく揺れた。


「……あ……この子たち……

 さっきまで知らなかったのに……

 なんで……胸が……痛いの……?」


 それは“記憶”ではない。

 記憶が封じられた世界線では、彼女たちは存在しないままだ。


 だが、

 いま立っている場所は異界。


 異界は“魂の縁”を優先する。


 だから──

 タローもカリンも、同時に 存在の線が復活した のだ。


 狐が尾を揺らす。


《ようやく、世界が“正しく”見えてきたようじゃの》


狐の声が消えたあと、タローは息を呑む。


「……正しくって……」


喉がひりつく。


「じゃあ……妹たちは──

 今、どこにいるんだ?」


言った瞬間、胸の奥で何かが疼いた。


カリンも眉をひそめ、胸に手を当てる。


「……そうよ……。存在は“ある”のに……

 位置が……わからない……。

 どうして……?」


 狐は静かに、長い尾を揺らした。


《その答えは……

 そなたらが“こちら側”を歩むうちに見えてこよう》


「どういう意味だよ!」


 タローは思わず一歩踏み出した。


《魂はつながっておる。

 生きておる。

 だが……“場所”は、まだ語れぬ》


狐はふっと視線をそらした。


《妹たちは──

 “この世界のどこか”にいる。

 そして、そなたらが動くほどに、

 その距離は縮まる》



パパタローが神妙な表情をしていると頭にふわりと前足が乗せられた。



 狐は嬉しそうにピョンピョンと跳ねながら言った。


《名をよこせ。名は力、名はしるし。名を知らねば尾が定まらぬ。早く、早く名を呼べ。名で縛れ、名で満たせ。我をこの世に繋げよ》


「翠狐が言ってたやつか……。よし、任せろ」


「えーっと……不死狐!」


《……》


「火の狐!」


《……》


「じゃあ、うどん!」


《……》


 赤い狐がムッとしたようにパパタローの頭を前足で突いた。痛い。毛をむしられた。


「うわぁ、ちょ、待て! 今、考えてるからぁ~!」


 悩んだ末に、パパタローは叫んだ。


「お前は──ノリシオだ!!」


《ノリシオ……》


 狐はその名前が気に入ったのかパパタローのむしった髪を飲み込む。

 その瞬間、尻尾がぼわっと広がり、魔法陣の刻印が浮かび上がる。

 くるくると回転し、光を放ち、そして……契約の証として消えた。


 狐の体が炎を纏う。

 狭い車内を跳ね回るその姿は、まるで一筋の流星のよう。

 けれど熱くない。ただ、柔らかく、心地よく温かい。


「遠赤外線ノリシオ……あったけぇ……」


 ノリシオは喜んでいる。パパタローの肩に乗り、頬をすり寄せてきた。

 一方、パパタローは呆然。


「何だこれ……? どういう理屈? いやもう『焼き狐』でよくね?」


その一言にノリシオがパパタローの頬を甘噛みした。


「痛ぇっ! 冗談だよぉ!」


ノリシオがひょいとパパタローの肩から飛び降り、

今度はカリンの方へととことこ近づく。


カリンはもう完全に目が覚めていた。

そしてその狐を見た瞬間、ぱちりと目を見開いた。


「……ちょっと待って。

 この狐……どう見ても普通じゃないわよね?」


ノリシオが胸を張るように尻尾をふわりと広げた。


「炎、出てない? ねぇタロー、燃えてない?

 いや、まさか……妖怪とかじゃ……」


《妖怪とは失礼な!》


 ノリシオがカリンの頭を勢いよく前足でツッコミ。


「痛っ!? あ、喋った……いや喋ってない!?

 何これ、頭に声が……!」


カリンは驚きつつも、どこか楽しそうに、

ノリシオをじっと見つめた。


「……迷い込んだにしては、完成度が高すぎるわね。

 あんた、タローの“ペット”じゃないでしょ?」


ノリシオが誇らしげに尻尾を揺らす。


《妾の名はノリシオ。

 そちも覚えておくがよいぞ、娘殿》


「なんか偉そうー!? ちょっと可愛いけど!」


ノリシオは満足したらしく、

カリンの手にそっと鼻先をすり寄せた。


 そのとき、カリンが「あっ!」と声を上げた。

 ノリシオが車の窓からするりと抜け出し、夜空へ飛び立つ。

 狐とは思えぬほどの咆哮をあげ、空中を駆けていく。


「空、走ってる……」

「ファンタジーだね……」


 二人が目を奪われていたその時だった。


「……夜? え? ここ、どこ?」


 青空だったはずが、月光に照らされた深い森の中。

 いつの間に? どうして?


「赤い狐に気を取られて……全然気づかなかった……」


 森の奥からちらつく光。不気味な影。不安と緊迫が空気を支配していく。


 カリンの声が震えた。


「パパタロー……ここ、本当にどこなの……?」


 パパタローは車のドアを開ける。


「待って、カリンも行く!」


 その瞬間だった。地面が蠢き、巨大な昆虫のような影が月明かりを浴びて姿を現す。


「虫だぁああああ!!」


 だが叫ぶ暇もなく、空気に含まれる何かが肺を蝕むような不快感をもたらす。


「気分が……悪い……」


「戻ろう、車に……!」


「はぁ……はぁ……」


 口を抑え、二人は慌てて車内へ。


 ──苦しい。


 気づけば意識が遠のいていた。


 俯いたまま、パパタローはふと右目に残像を感じる。

 目を閉じると、浮かぶのは狐の紋様。


「これは……?」


 気持ち悪さの中、彼はゆっくりと顔を上げた。


「気持ち悪ぃ……」


ぐぇえええええええ!

苦しい!パパタローとカリンはがもだえ、のたうち回る。


何と言えぬ変化が二人を襲った。


‥‥


「パパタロー? 髪が……」


カリンが先に声をかけた。


「……え?」


 窓に映る自分を見て、息を飲む。

 髪が――真っ白に、銀色に染まっていく。目の色も変わって行く…。


「はぁ、はぁ……」


 髪が完全に白くなった瞬間、不思議と呼吸が楽になった。


「何が……起きてるんだ……?」


 助手席のカリンを見れば、彼女は右手の甲を見つめていた。


「カリン? その手……?」


 そこには文字のような集合体が、肉球?の紋様となって浮かび上がっていた。


「何、これ……?」


 こすっても消えないその紋様。

 そしてカリンが言った。


「パパタローの右目にも……肉球?みたいな模様があるよ……。

うわー。角膜の存在、無視してない?見えてるの?かわいいー。」


目をまるくする彼女の顔が、急に崩れた。


「ぷっ……ぷはっ!目も黄色いし、コスプレみたい!」

 こらえきれずに笑い出す。

「パパタロー、銀髪すっごく似合ってんじゃん!!」

 にっこりとこちらを振り返って、

「ねぇねぇ、私は!?私は!? 似合ってる!?似合ってる? どう!?」


 ……そんなカリンの底抜けの明るさに、パパタローは思わず吹き出してしまった。


「似合ってるよ、めちゃくちゃ似合ってる」


 空気が和んだ、ほんの一瞬——。


 キョエ~~~~~~!


 突如、頭上で鳴き声が轟いた。ノリシオだ。空を鳥のような駆けていた従魔が、警戒音を上げたその瞬間——


 ズコッ!


 鋭く何かが車体に突き刺さった。矢だ!

「ひぃっ、今度は何!?」


 四方を囲む影。

 人間に似ているが、どこか異形——緑や茶色の皮膚、獣のような耳と鋭い歯。

 小柄な体に短剣や斧、弓矢を構えた彼らが、ぞろぞろと車へ迫っていた。どうやら先ほどの矢は、彼らの先制攻撃だったらしい。


 ノリシオが天高くから駆け、鋭くほのおを放った。

 風の刃が敵を切り裂き、ついで火がその身体を包む。


「ギャァ~~~~!」


 焼け焦げる声が辺りに響く。転がるその肉体に、今度は巨大な昆虫が群がった。

 傷の匂いに敏感なのか、どこからともなく集まってきたらしい。


 呆然としていると——

 バンッ! カリン側のドアが開いた!


 緑の異形が、ナイフのような武器を振り上げていた。


「きゃあああっ!」


 カリンの悲鳴に、パパタローは咄嗟に手元のペットボトルを投げつけた。

 それが命中し、敵が一瞬だけひるむ。


 ——その刹那。


 ノリシオがくるりと急旋回し、開いた助手席の窓からするりと車内へ。

 反対側、ドアの間から突入してきた緑の異形に向かって飛びかかる!


 鋭い爪が顔面を掴み、そのまま勢いよく引きずり出し、地面に叩きつけると——

 またもや、焔を浴びせた。


「ギャアアアアアアアッ!」


 悲鳴とともに燃え尽き、動かなくなった。


 パパタローはすかさずカリン側のドアを閉め、ロックをかける。

 自分側の窓も急いで閉じた。


 ノリシオが外で威嚇の咆哮を見せると、敵の動きが止まった。


「ノリシオ、すごいよ!」

「烈爪斬り、でございますわ」

「……え、それ技名? ノリシオの?」

「い、いやその、今決めた……」

「……余裕あるじゃん」

「……さーせん」


 キイイイイイイ……!


不吉な合図が森中に響き、ゴブリンたちがじわりと間合いを詰めてくる。


そのとき唐突に、カリンが叫んだ。


「ねぇパパタロー!!

 さっきまで普通にドライブしてたよね!?

 昼間だったよね!? 

 おばあちゃんち行く途中だったよね!?

 ねぇ!! どうして森!? なんで夜!? なんでゴブリン!?

 ……ていうか……これって!!」


パパタローは、嫌な予感がした。


「……カリン、やめろ……言うな、それ以上は……」


「パパタローが!!

 道!! 間違えたんじゃないのッ!!!???」


「今それ言うかああああああああ!!!?」


森に響く二人の絶叫。

外ではゴブリンが武器を構え、

車の上ではノリシオが炎を纏って咆哮している。


――にもかかわらず、

なぜかその瞬間だけ、現実感がふっと緩んだ。

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