第3章 悪魔はただ静かに見守る ー 6

 

 兆羽市には病院がない。

 街なのにそれはおかしいと思うかもしれないけど、一考すると建たない理由が明確にある。

 一個ずつ上げていく前にまず知っておかないといけないのはビルの捨てる周期だ。兆羽市の周りにある廃ビルには捨てるまでに段階があって、廃ビルの回収と配置を行う回収期、その廃ビルの捜査を行う捜査期、積みあがった廃ビルの撤去を行う撤去期の三段階がある。今の時期は捜査期であり、比較的静かな時期と言える。

 話を戻そう。回収期には毎回廃棄ビルが配置されていくのでその音で静かな環境と巻き上がる砂埃で衛生面もあまりいいとは言えない。加えて廃ビルの設置に伴う砂埃の中はすべてが砂というわけでもなく、ガラスの残骸や何かの薬品の粉末が混じっている可能性もあるので、清潔を保ちたい病院からしたら憤慨ものだろう。さらに捜査期は消毒液の消費量が外注してギリギリ足りているぐらいなので、病院があったりしたら中にある消毒液が無くなって経営困難になるリスクがある。

 つまり病院の設置が出来ない。これによって市内の人は病気になったら市外に出ないといけない。普通なら。

 「着いた・・・」

 ふらつく身体を引きずってある廃ビルの前にやってきた。


               ここは?


 「この街唯一の――――」

 と言いかけて、

 「おとうとー!!!」

 「ぐほぉあ!!??」

 後ろからタックルを食らった。もちろん不意打ち、受け身なんて取れない。グギリと嫌な音がして、そのまま廃ビルの扉に突っ込んだ。なんか最近酷い目にしか合ってない気がする。

 どかーんと扉を開けて現れたのは一人のナース服を着た少女だった。見た目は小五の体格で濡羽色のボブカット、赤と青のオッドアイをしている。

 彼女はルカ。そう呼ばれてはいるものの、彼女の保護者(?)はこれを偽名としているので本名は分からない。あと今はこんな子供っぽい行動をしているけれど、実年齢は僕よりも上だそうだ。

 「おとうと、今日はいっぱいケガしたのかー?」

 「いや・・・その・・・・ぐえ」

 呼吸がままならず、全身から力が抜ける。完全に鳩尾に入った、多分あとちょっと意識が飛ぶな・・・。

 「どしたーおとうと?おまえの実力はそのテイドかー?」

 「やめな、ルカ。誰がどう見たってお前の反則負けだよ」

 僕の上でガッツポーズでマウントを取るルカの後ろから声がかかる。廃ビルの奥から出てきたのは眼鏡をかけて白衣を纏った長身の女性だ。ぼさぼさで呂色の髪をゴムで纏めていて、瓶底メガネで顔を隠してはいるものの、その奥の顔は決して悪いものではない。服は初夏が近いこともあってかタンクトップにダメージジーンズ、その上に長袖の白衣を着ている。

 彼女はリカ。一応本名とは言っていたが、ルカとリカじゃどうにも胡散臭く感じてしまう。名字も言ってくれないし。けれど腕は確かなので大抵ケガはここに来れば治してもらえる。その分しこたま取られるが。

 「えー!?でもセンジョーだとこれこそヒッスのセメカタだって言ってたじゃん!」

 「ゲリラ戦は、な。いやその前にここでドンパチやてないだろ」

 「あっ!それもそうか!」

 「お前なぁ・・・」

 そこでリカは転がる僕の存在に気が付いた。

 「おーおーおー、これまた面倒そうな手合いがいるじゃないか。これはルカが勘違いをしても仕方がないかな」

 「そーそー。おとうとはドクトクながするから来たらすぐ分かるんだー」

 「そういえばそうだったな。そう言えば前からそんなこと言ってたな・・・ん?」

 「どうしたの?」

 「あールカ?そろそろ降りてやれ。お前の弟がノビてる」

 「えっ、あっ!ホントだ!起きてよ!おとうとー!ここで寝たら風邪ひくぞー!!」

 (お前が寝かしたのに何を言ってるんだか)

 「とりあえず中に入れるぞ。コイツがここに来るってことは何かしら用があるってことだからな」

 「はーい」




 寝かされて3時間後、僕は意識を取り戻した。

 汚い天井を見て比較的明るい蛍光灯が輝いている。窓の外はすっかり暗くなっていて、時間がしっかりと流れていることを感じる。起きると壁にある時計が8時を回っており、保健室のように色々置かれた室内の乱雑に積みあがった机の近くでコーヒーを飲む女医リカがいて、それに自分の起きた場所がベットであることを認識する。そしてベットの傍らにいる少女ルカが僕と目を合わせると、変なものを見た時の子供のようなリアクションをして、わーっとリカの元まで行く。

 「リカ!おとうと、起きたー!」

 「おお、やっとか。だがまあ寝不足の症状が出ていたから仕方ないだろう」

 そう言いながら持っているカルテを捲っている。この感じだと寝ている間にいくつか調べられたのだろうか。

 「リカ先生、何か悪いところでもありましたか?」

 試しに聞いてみるとリカは大きくため息をして、カルテを捲る手を止めた。

 「先生はやめろ、以前そう言わなかったか?私は鹿網や川口と違って君の担当医でも無ければ主治医でも無いんだ。だからリカさんにしろ。それとも、今回の治療費や鹿網に回している分のツケを今から全額返済してもらうのもアリなんだぞ?」

 ジロリと鋭い視線が飛んできて思わず目を逸らすしかなかった。そう、僕はこの人に治療を受けたおかげでとんでもない額の借金を背負っている。それこそ兆羽市の外周でバイトを何週間もしなければいけない程度にはツケているのだ。

 「・・・まあ君の場合はそれでもまだ安い方ではあるんだが」

 「あー!またリカがおとうとを売ること考えてる!メだよ!おとうとはルカのおとうとなんだから」

 「そんなこと全然考えてないよ」

 膨れるルカに二の腕を掴まれながら、イタイイタイと小さく言いつつリカは再びカルテを捲る。なんというか、これが彼女たちの日常なのだろう。

 それにしても寝不足か。心当たりはあるにはあるのだが・・・。


           何?もしかして私のこと?


 (お前以外誰がいるってーの)

 諸悪の根源たる予言書はどうやら勘が鈍いようだ。というか予言書なのに勘が鈍いって表現は正しいのだろうか。

 「ところで」

 そんなことよりも、だ。まずはリカに聞かなければいけないことがある。

 「話を戻しますけど今回の検査結果、どうでした?」

 リカは再び手を止めて、ああそうだったな、とこちらに向き直る。

 「栄養失調、睡眠不足、それにビタミンとタンパク質が不足している。ロクにまともなモノを食べずに夜更かししている。川口は何をやっているんだ、まったく・・・」

 川口はなーんにもしてくれませんけどね、生活方面だけ。あっちもあっちで僕のように不規則な生活をしている(憶測)はずなので教えようにも教えられないのかもしれない。

 「とりあえず市販のエネルギーチャージ類を多めに買って摂取していくところからだ。特に君みたいな貧乏人に点滴は高いからね。あとはちゃんと肉、魚、ヨーグルトとかのタンパク質に牛乳、チーズなどのカルシウム、野菜もそうだが果物なども付けて食生活を充実させなさい。兆羽市の支給品はそこらへんが意識されてないから矢徒夜市内の八百屋と雑貨店をいくつか紹介しておく。私からの紹介であれば、嫌な顔はされずに済むだろう。ついでに症状のことでも話置くのが吉だな、あそこの爺さんばあさんなら絶対にいらない野菜をくれるだろう。あとは、睡眠の質を上げるために耳栓を買っておけ。寝ている時でも耳の穴は開いているからな、それをカットするだけでどれほど心地よく寝られるかは馬鹿でも分かるだろう。あとは―――」

 「リカさん、先生と呼んでいいですか」

 自然とこの言葉が出ていた。もうなんというかこんな言ってくれる人がいると涙が出てくる。明らかに闇医者な人がどうしてここまで丁寧に日常生活の基本を教えているのだろう。これ完全に学校で教えてもらうレベルの大事なことだよね、特に中学校とかで。

 「・・・人の話聞いてたか?」

 「もう!またリカは人を泣かせてる!ダメだよー?カンジャさんを見る度に泣かせちゃ!」

 「極々当たり前のことを言っているだけなんだがな・・・」

 リカは手元にあるコーヒーカップに手を伸ばして、それが空だということに気が付く。

 「すまないルカ。コーヒーを入れてきてくれ」

 「えー。今日コーヒー何回のんでるのー?」

 「これで3回目かな」

 「じゃあダメです!これはルカストップです!リカ、ほっとくとオカワリずっとするし!」

 「なら暖かいミルクで。これならいいだろ」

 「はーい、それなら大丈夫でーす!ついでにルカもココアつーくろ♪」

 ルカはリカのコーヒーカップを持って部屋を出ていく。この廃ビルの中に冷蔵庫だとか給湯室があるというのだろうか。

 「さて、本題に入るか」

 ルカの行った後をしばし目で追った後、リカはゆっくりと口を開いた。

 「さっきの症状もそうだが、今の君は何か別のものに侵されている。そうだろう?」

 「・・・・知ってましたか」

 流石にこの人がそこまで調べられなければここまで頼りはしない。何せ闇医者ではあるものの、この小さな街で心臓の移植手術や未知の病原菌の特効薬製作などを成功させている。なんでこの人ここにいるの?としか思わないレベルでハイレベルな人がこのリカなのだ。

 「知っている、としてもまだ憶測の段階を出ないがね。とりあえずこれを見てくれ」

 リカが立ち上がって二つのカルテを僕のところまで持ってきた。片方は僕の名前があるカルテであり、もう一つが別の人のカルテだった。

 「君の身体は見た限りがさっきの症状だった。だが問題はここからだ」

 そう言って胸のところから赤ペンを取り出し、僕のカルテの、一部分を丸する。そこには140という数字が書かれていた。

 「一応聞くが、おなかは空いているかい?」

 これまでのことを踏まえると、胃袋の中には何も無い上に3時間の睡眠をとれたので空いたと言えば空いている。

 「ええ、まあ」

 「やはりこれで空腹血糖値か・・・」

 「どこに問題があるんです?」

 聞いてみるとリカは驚いた顔をして僕を見てくる。けれど何かに納得したようにカルテに視線を戻した。

 「まだ高校生の君に簡単に説明すると、今の君は糖尿病が発症している血糖値なんだ。しかも重度のね」

 「えぇ!?」

 「だが、問題はこれからだ。君は、トイレが近い、喉が渇く、疲れやすいのどれかが当てはまるかい?」

 ・・・何故その三つなのだろうか。最近トイレが近いなんてことは無い。確かに今日はそこまで水分を取った記憶は無いものの、トイレに行ったのは朝と昼と事務所の三回。これが近いというならお終いだが、正直そこまで行っていない。次に喉もそこまで渇かない。ようやく暑くなった感じ始めたけれど、喉が渇くかと言われるとそうでもない。最後の疲れやすいもそこまでない。今日は色々やって疲れたと思うけれど、朝一は予言書のことはあれど疲れは感じなかったし、朝、昼ともにそんな疲れるなんてことは無い。

 僕は横に首を振った。するとリカは、どういうことだ、と真剣な表情になり机の方に戻っていく。そして乱雑に積みあがった本から何冊かを適当に引っ張り出して机の上に広げた。

 「リカせ・・・さん。何か変なことでもあったんですか」

 恐る恐る聞いてみるとリカは僕に見向きもせず、苛立ちを隠そうともしない声色で応えた。

 「マズイ、これはマズイぞ。1型糖尿病と何らかの病気との合併を考えていたが、症状が無いのは前例がない。それにヘモグロビンもアドレナリンの数値も正常だから常時興奮しているわけでもない・・・」

 「つまり・・・どういうことです・・・?」

 リカは剣呑な雰囲気を漂わせて僕に詰め寄る。その目には明らかにいつもの彼女のからは感じられない焦りの色が見える。

 「私の説はこうだ。君は何らかの毒、そうあくまでも仮定で毒としよう、を体外から注入された。そしてそのせいで糖尿病に近い症状が発生している。しかもヘモグロビンが破壊されず、常時興奮しているわけでもない。しかも君は空腹とまで言った、食べて血糖値上がるならいざ知らず、何も食べずに且つ怒ったりせずにそこまで血糖値が上がるのは極めて異常だ。こんな症状は見たことが無い――――」

 そこでリカはハッとなって、僕の顔、正確には顎の下を両手で掴む。そしてチラリと視線を下に向けた後、何かに気が付いたようでパッと手を離した。

 「なんということだ・・・これは、なんて恐ろしい・・・・」

 「リカ、さん・・・・?」

 リカは一度大きく息を吐いて顔を上げる。そこに先程まで余裕のあった顔は無く、真剣で凛々しい表情をした女医の顔があった。



 「いいかい?君の症状や名前に心当たりが浮かばないが、君にこれから起こることを、私の仮説で話そう。君は多分動脈硬化による脳梗塞で倒れる可能性がある。そしてそれは少なくてもあと数日以内。最悪明日には倒れるかもしれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タランテラ 那降李相 @gasin2800

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ