実義試験:一日目②

「勝者は、サクヤ・ウァリウスです」


 静まり返った空気の中で一人立つ少女、四海よつみ小夜さよはそう審判に告げた。周囲はざわめき、怪訝そうに見る者が多い。そしてそれは審判役の女教師も同様だった。


「…一応、弁明は聞いておきましょうか」

「動きを封じられたあの時、私は死んでいたんです」


 彼女は慎重に言葉を選びながら話す。その様子は、少しおびえているようにみえた。


「彼の武器の先端には、天使の術符が貼ってあるのが見えました……多分、火と風だったと思います」


 悠苑にはなんとなく彼女が言いたいことが分かったような気がした。同時に、審判が口を開く。


「…つまり、その時に天使を発動されていたら死んでいたと」

「はい。これが試験じゃなくて本当の戦闘だったら、彼は私をすぐ無力化してきたはずです」


 彼女の天使をその身に降ろす力は強いが、必ず掌印を結ぶ必要がある。彼女自身の努力によって片手でも掌印できるようにしていたが、それでも手を潰されれば何もできなくなるのは変わらない。教師は少し考えたうえで、


「……ですが、彼は天使を使わず、貴女に負けたことは事実です。そしてこの決定はかがり家の決定と同義です」


 その一言は再び周りを静寂に落とし込み、ひりつかせた。篝家の決定とは、文字通り世界の決定と言っても過言ではない。

 そして彼女の行動はそれに反抗することを指していた。いくら訓練を常日頃から受けている者であろうと、『仲間が味方によって死より重い処罰を受ける』時の訓練なんてした事は無いだろう。ゆえに、誰もが話をやめ、視線を審判に向け行く末を見守ることしかできなかった。審判は一息ついた後、高らかと宣言した。


「勝者、四海小夜!!」


 一拍おいて歓声が沸く。しかし誰しもがそれが戸惑いまじりに聞こえたことだろう。


◇◇◇


「さて、俺の番か」


 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、食堂から再び校庭へと生徒が次々と流れていく。両側から応援の声が聞こえる。


「悠苑サマならいけまスよ!」

「貴方様ほどの実力があれば並大抵の者は勝負にもならないでしょう。しかし、相手の実力は未知数です」


 サクヤと天藍てんらんだ。サクヤは変わらず楽観的な意見だが、天藍は少し違うようだ。そのことを不思議に思ったらしいサクヤは彼女に尋ねる。


「相手の実力が未知数って…そんなヒトいるんスか?」


 サクヤの疑問に天藍が答えるより先に答え合わせが上機嫌な声でやってきた。


「次の相手は僕だよ~、もちろん、出してくれるよね?」


 腰かけている椅子から動かず振り返ると、そこには今朝も見た緑髪の男がいた。言うまでもない、篝家の養子の一人であるかがり緑兎りょくとだ。彼は君の本気楽しみにしてるからね、とすぐ校庭へと消えていった。なるほど未知数ってそういうことなんスねぇ、と去っていく背中を目で追いながらサクヤが呟いた。


「悠苑様、これは絶好の機会です。ここで実力を発揮して他の奴らに一泡吹かせましょう」

「ん、別に勝たなくてもいいかなぁ」

「へ?それって小手調べだけして棄権するってことスか?」


 もちろんそれもあるが、あまり問題を起こしたくない、というのが本音だ。文字通り篝家が中心であるこの学園や世界において、不本意な行動は処刑台行きを意味する。特に血縁関係ではないとはいえ自らの子供を傷つけられればただでは済まさないだろう。試合が始まろうものなら、何かいちゃもんでもつけて即審議送りということもありうる。まぁそうだなと思考を押し流して答えると天藍が口を開く。


「先ほどはああ申し上げましたが、第一に自らのことをお考えください。私共とて一鬼家の名誉回復を願っていますが、死ねば元の木阿弥もくあみということをどうか念頭に…」

「大丈夫、わかってる。死なないように立ち回るさ」


 ようやく重い腰を上げ椅子から立ち上がり少し伸びをする。じゃあ行くか、と多くの猛者が待つ校庭へと足を運んだ。


 いざ校庭に出てみれば、すでに緑兎がいるであろう場所は人だかりになっていた。近くまで寄ると悠苑の姿に気が付いた観衆がはけていき、好奇と侮蔑の視線のトンネルを悠苑は抜けていく。抜けた先には不敵な笑みを浮かべる緑髪の男。間も空けず開始が宣言される。


「言わせないよ」


 刹那、前方からわずかな空気の揺らぎが声ととも顔に感じられた。今朝と同じ、無詠唱と術符を使った風の天使。おそらく悠苑が即棄権することを警戒したのだろう。実際それでも良かったが、今はよけることに専念する。

 彼から見て反時計周りに数歩走る。先刻まで足をつけていた地面にも風の天使が着弾し、顔に向けられた天使がブラフであることを知る。次々と着弾し地面が抉れ、こちらに近づいてくるのを見てさらに数歩走る。数歩、また数歩と緑兎を中心に円を作図するように観客を後退させていく。

 この状況下で、悠苑は安堵に似た確信を持った。なんとなく分かってきた。おそらく体術はそれなり、天使の扱いにのみ長けていると見た。外周を周っていたとき緑兎の近くまで行ったが、悠苑を避けて中心へと後退しただけだった。体術が使えるなら後退せず組み倒して確実に天使を当てるなりそのまま落とすことだってできたはずだ。

 体術が使えないなら後は適当なタイミングで突っ込めばいい。きっと天使を全方位に展開して防御壁を作るだろう。それに吹き飛ばされたふりでもすれば、間違いなく審判は緑兎に旗を振るだろう。

 と、絶えず素早く、大量に繰り出される天使に追いつかれそうになり速度を上げようとした悠苑の足に何かが引っ掛かった。誰かの足だった。転んだときにはその顔が見えた。見覚えのない顔。苛立ち、嘲笑、軽蔑、安堵。カクテルのような混ざり具合の視線。最後に感じたのは、まじか、と本気で焦ったような対戦相手の声と足元から這い上がる天使の衝撃だけだった。


◇◇◇


 目を覚ますと最初に淡く橙色に染まった白い天井が見えた。次に、全身の痛みが襲ってくる。多分医務室だろう、独特の鼻を刺すような消毒液のにおいがする。痛みを無視して起き上がり、柱の時計を目だけで確認すると四時を過ぎようとしていた。きっとあの後すぐに運ばれたのだろう。結果は知らなくてもわかる。一日目は終了したのだ。

 もう試験試合はすべて終わって教室に戻っている頃だろうか。にしてみても、少々長く寝ていたようだ。開始が一時半だから、実に二時間半近くもこのままだったようだ。疲れが抜けきっていないか、それとも


「修行不足、かな」

「普通の人は、それで修行不足とは思わないんだよ?」


 見ると、医務室の扉は空いており、そこには少女が佇んでいた。紫がかった白髪に、こちらを貫くような透き通った瞳。小ぶりで薄桃色に染まった唇。あの頃の面影もをわずかに感じる顔つき。篝家の紅一点、かがり純白ましろ。落ち着いた声色で彼女は続ける。


「ひさしぶり……悠苑。元気にしてた?」


 昔なら、なんて答えただろうか。分からない。今すべきことも分からない。ただ何となく、絵画は絵画であるべきだと思ってしまった。


「………お久しぶりでございます、純白様」


 そう答えると彼女の目の光が途端に暗くなった。悠苑は染み出た感情を外に漏らさないようにしながら続ける。


「…………随分とお綺麗になられましたね」

「昔はそんなお世辞も言えなかったくせに」

「あの頃のような子供ではありませんので」


 そう、とだけ呟いて床に落とした視線をこちらに戻す。その端麗な顔つきは先ほどとは違い人形のような無機質さを纏っていた。


「怪我がないようなら何よりです。今は療養に専念してください」


 あちらも事務的な言葉と踵を返してそのまま去ろうとする、その背中に。


許婚いいなずけの話、お聞きしました。……私も心からお喜び申し上げます」


 ぴくりと華奢な背中が震えた。しかしそれも一瞬のことですぐその背中は廊下へ消えていった。やがて響く靴の音が聞こえなくなり、医務室を見渡して一人、


「…俺、ほんっとに嫌な奴だな」


 結局その日の午後は、何もなく学校を後にした。

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アウトサイダー 推炭修 @051T4N

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