第9話 もう一つの社会問題
私はそれから大崎を市役所まで届けた。
妖怪衆…。
中国山地の奥にそんな不思議な存在が潜んでいたとは。
そんなこと、この広島県に20年以上住んでいて全く知らなかった。私が無知だったのか、それとも、このことは一般的にほとんど知られていないのか。
はたまた、昨今、私のように差別是正意識の高まりは顕著であり、それに抵触しかねないこの問題は、必要以上に発信されないのか。
いずれにせよ、彼らを野放しにしておくのは危険以外の何ものでもないと思った。事情を理解している現地人はともかく、外部から来た者が襲われる可能性だってあるのだから。
頭の中に、彼らから殺意を込めて放たれた投石の形が鮮明に浮かんできた。
本日、偶然大崎と同行することになったから良かったものの、あのまま一人で彼らと遭遇してしまった場合にはどうなってしまったのか。考えただけでも恐ろしい。
さて、市役所からは片側二車線のちゃんと舗装された道がのびており、ここを通れば帰れるという市長の言葉を信じて車を走らせること数分、無事にタイヤ公園のそばをはしる道へ辿り着くことができた。
ここまで来れば、すでに見覚えのある道を戻るだけである。魔界から逃げ延びて現世の境界にでも辿り着いたかのように、私は胸を撫で下ろし、さっきまでの恐怖心から解放されてアクセルを軽快に踏み込んだ。
私「よし、とりあえず帰れそうだ。」
しかし、心に落ち着きが取り戻されたと同時に、タイヤ公園で見た白パーカーをかぶったあの子のことを思い出した。
確か、名前は瀧宮といったか。
たった一瞬で私の全てを奪ってしまった、嘘みたいに可愛い顔の美少女。彼女は、まだ公園にいるのだろうか。そして今頃、あの時目が合った私のことを思い出して、同じように物思いに
私は、この出会いを、すれ違いのまま終わらせたくなかった。
彼女はきっと、私に何かを感じたはずである。恋心か、それに似た何かを。
最後に見せたあの表情は、それを物語っていた。そうに違いなかった。
すると、このまま素直に帰路について良いのか、もう一度タイヤ公園に戻って彼女に会うべきではないかと、まさに後ろ髪を引かれる思いだった。
しかし、公園へ続く小道を通過した時、前方に白いパーカーを着た子が一人で歩いているのが見えた。
私「あ…あれは。」
なんと、それは瀧宮だった。
夢に描いていたものが現実にそのまま具現化したような光景に、思わず目を疑う。しかし、何度目を凝らしても、それはあの子に間違いなかった。
彼女はカゴに大量の衣類を詰め込んで、それをどこかに運んでいた。
タイヤ公園に住むメンバー全員分の服を洗濯するつもりだろうか。
そういえば、この先にコインランドリーがあるのを、先ほど公園へ向かう道中に見た。きっと、あそこを訪ねるつもりだろう。
そんな彼女と偶然にも、こんな場所で遭遇したのだ。しかも、今、彼女はたった一人で周囲には誰もいない。会話するには絶好のチャンスである。
気がつけば、私はブレーキを踏み、車のスピードを徐々に落としていた。
彼女は私のことが気になっているはずだ。
そんな私が、今からその眼前に颯爽と現れたらどうなるだろう。驚きと嬉しさで、あたふたしてしまうに違いない。
…私だってそうだ。
絵に描いたように美しい彼女を前に、ろくに喋れる気がしない。きっと、
でも、こんなチャンス、逃す手は無かった。
しかしながら、問題が一つあった。
彼女と接触するには、この車を止めて外に出なくてはならない。しかし、このあたりにはコンビニすらなく、車を降りる理由が見当たらなかった。
かといって、何もないところで急に車を止めて、彼女の前に立ち塞がるのも不自然だと思う。
色々考えを巡らせた結果、私がとったのは、電話がかかってきたフリをするというものだった。運転中に電話が掛かってきたから、一度車を止めて外で通話に応じるというのは特段不自然なことではないだろう。
そうなれば、直ちに行動へ移すのみだった。
私「ああ!お疲れ様です!!はい、今、丁度ここでの仕事が終わったところです!ごめんなさい、車を運転中だったもので…。」
私は、実際には電話などかかってきていないスマートフォンを耳に押し当て、会話をする演技をしながら車を飛び出した。
いきなり目の前に停車した車を見て瀧宮はビクッとしていたが、私が電話対応のために出ただけだと知って安心したようだった。
そして、すぐに私は電話を終えたフリをして、ゆっくりと彼女の方を見た。
目が合った。
間違いなく合った。
彼女は再びあの綺麗な目でこちらを見、この顔に心当たりがあるような顔をして、いかにも「あ。」と一言漏らすように、口をちょっとだけ開いた。
しかし、やはりと言うべきか、それを見た私の頭は真っ白になり、何と話しかけるべきか全く分からなくなってしまった。
そんな奥手の私は、瀧宮から声をかけられるのを待つことにした。スマートフォンをポケットにしまいこみ、わざとフゥと息を吐く。
しかし、瀧宮はスッと私を避け、そのまま立ち去ってしまった。本当にあっけなかった。彼女は話しかけてくるどころか、一度ぶつかった視線を逸らし、何事も無かったかのように通り過ぎてしまったのである。
私「あ……。」
私は声を出すが、彼女は振り返らない。山盛りの洗濯物に顔を半分埋めながら、スタスタと歩き続けた。
私「…。」
そんな後ろ姿を、私は無表情でずっと見ていた。
なんで声をかけてもらえなかったのか、全く理解できなかった。
瀧宮は私のことを気になっていたわけじゃないのか。それとも、気になっているが故に、あえて声をかけずに素通りしたのか。
私は後者を信じたかった。きっと、これは恋愛の高度なテクニックを仕掛けられているに違いない。彼女は私になんて全然好意を抱いていないというフリをしているだけだ。それで私の気を引くつもりなのだろう。
自分にそう言い聞かせるが、心の奥底ではすっかり自信がなくなっていた。
ふと、車のボディに映る自分の顔に目をやる。すると、風に吹かれたせいで髪の毛が束になり、おでこの右端が露出していたのだ。そのせいで、実際よりも髪の毛が少なく見える。こんなにも私の
ここで完全に私の自己愛は音を立てて崩れた、代わりに恥ずかしさが押し寄せてきたのである。
こんなにも醜い顔の私が、瀧宮からの声掛けを期待していたなんて。
考え出したら止まらない。
それに、自慢のルックスである目元が、今は何だかすごくのっぺりしている。私はここまでブサイクだっただろうか…。
慌てて眉間に力をグッと押し込めると、いつも鏡で見ている凛とした姿に戻った。何でこんな時に限って、顔のコンディションが悪いのか…。こんな顔で、自信満々に彼女の前に現れたことがすごく恥ずかしくなった。
そこからは、小さくなってゆく瀧宮の背中が完全に見えなくなるまで、ただずっと、ずっと見つめ続けることしかできなかった。
私「ああ…くそ…。」
彼女の姿が見なくなると、私は勢いよくドアを開けて車に乗り込み、顔を真っ赤にしながら帰り道を走った。
バックミラーに映るのは、自分のことをイケメンだと勘違いをしていた、草履みたいに平たい顔の男である。
私「くそっ!くそっ!!」
上司は亜広川市を観光してこいなどと悠長なことを言ってたが、傷ついた私にそんな余裕などない。脇目も振らず職場に直行し、予定よりもかなり早く到着した。
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