子供用のジョークリップ

産坂愛/Ai_Sanzaka

1.笑うスケープキッド

「お前らは、どうしてそんな簡単に死ぬとか、殺すとか、言っちゃうんだ!本当に死んだらどうすんだ!」

 教壇からは教室全体が見渡せる。級友達が首だけをこちらに向けて固まっている。

「何やってんねん、アイツ!」

 その中の一人──山田の大きな笑い声によって、空気の凍った教室が元に戻った。


 ■


 放課後の図書室の窓際の席で、日が暮れるのを待つ為だけに優斗は読書をする。それが彼の日課だった。

 昼休み、学校にいる時間を無駄にしまいと勉学に励む受験生達で埋まる図書室も、放課後ならば閑古鳥が鳴く一歩手前。窓際のこたつ席も、簡単に独り占め出来るのだ。

 窓からは運動場の北半分が見渡せて、サッカー部がトレーニングを行っていた。

「おっ、タッチ。いんじゃん。何の本?」

 わざとらしく優斗の名を呼ぶ男子生徒がテーブルの対面に座った。彼は優斗のことをタッチと呼ぶのだ。一人で占領していたこたつの一辺が、山田に奪われた。

 どっしりと座った親友を睨む。

 軽薄そうに笑う男、痩身で、足の長い長身。切れ長の大きな目に高い鼻、ニキビ一つ無い小麦肌には高校二年生らしからぬ色気が漂っている。

「いやあ、それにしても、やらかしたな。本当に死んだらどうすんだ!台詞だけは格好良かったかもしれないが。ありゃ、駄目だ。やらかしてる」

 一人でつらつらと喋る山田の言葉で、優斗の頭の中に今日の昼休みの記憶が蘇った。優斗だって「やらかした」自覚はあった。

「自分でも、分かってるよ。でも我慢出来なかったんだ」

 優斗が口を尖らせると、山田は両手を大仰に広げ”驚愕”のジェスチャーをとった。

「分かってたんだ?本当に?」

「本当だ。ああいうのは、冗談のつもりなんでしょ。皆が、死ぬとか、殺すとか、言い合うのは」

「そうかもな。コミュニケーションだ」

「でも、冗談でも言って良いことと悪いことがある」

 大真面目に言った優斗だったが、それを聞いた山田は破顔する。

「そうだな!そうだよ!そうだけど!━━多分、タッチの中での”言っちゃ悪いこと”の判定が絶妙なんだろうな!」

「僕もそれは分かってる」

「分かっているなら、周りに強要しちゃ駄目だろ?」

「だから、我慢出来なかった、と言ってる」

「そうだな。言ってた。俺も、お前はもうあんな《馬鹿》なことはしないと思う。━━ちなみに馬鹿は言っていいのか?」

 筆箱から鉛筆を取り出した山田は、器用に指先でそれを回しながら訊いてきた。彼は、シャーペンを使わないのだ。

 指先を跳び回る緑の鉛筆を眺めながら、優斗は笑った。

「どっちだと思う?」

「良いってことか。めんどくせえな」

「山田なら、どんなのでも大丈夫だよ。長年の付き合いだ、ちゃんと冗談だと分かるさ」

「そりゃそうだ」

 白い歯を見せ、ニッと笑って山田は、イヤホンを耳にはめて参考書に集中し始めた。優斗も読書から勉強に乗り換えることにした。


 ■


 残念ながら。

 先日の優斗の演説は矢張り彼らの心には届かなかったらしく。次の日の昼休みの教室にも、優斗にとってのみ笑えない冗談が溢れていた。

「今日のテスト返し、終わった!馬鹿すぎて死んだ!」

 ──そんなので死ぬな。

「わろった、俺が殺してやるよ」

 ──そんなので殺すな。

「はあ?その前に俺が殺すぞ」

 ──殺すな。

「推しのライブ当たった!嬉しくて死んじゃいそう!」

 ──死ぬな。

「さっきのテストでまじうつ症状、死ねる」

 ──。

「任せろ!葬式行ったるわ」

 ──。

「俺は棺桶、一緒に入ったるわ」

 ──。

「火葬場まで心中しようぜ」

 笑えない。笑えない。本当に笑えない。本当に死んだらどうするんだ。

 ”優斗にとっては笑えない”冗談を吐くクラスメイトの中には当然、山田もいた。

 教室のムードメイカーである彼は、

 空気にあった冗談も言える。時にはコミュニケーションの中で冗談を言う。

 頬の裏を奥歯で噛みながら優斗は、本の世界への入り込むのに努めた。読んでいたのはミステリ小説だった。

 丁度、殺人鬼と警察が死んだ。殺人鬼は子供を標的にする猟奇殺人鬼。橋の上を歩く少女が殺人鬼に狙われ。それを察知した警察が、少女を守る為に殺人鬼もろとも川に飛び降りたのだ。

 恰好の良い死に様だった。

 ハッとして優斗は文庫本を閉じて、机に放った。

 殺人鬼が死んだのは当然の摂理に思えた。勇敢な警察が死んだのにも違和感はなかった。

 人が死んだというのに、特に抵抗感無く読み進めていた自分に戦慄したのである。

 級友達の冗談と、小説フィクションの一場面、どこか共通点があるような気がした。

 どころか、世紀の大発見をしたような気がした。

 これまでは気付けなかった新事実だった。

 どうして、これまで気付かなかったのか。

 独特の高揚感に酔いしれながら優斗は机に転がった本を拾った。早く続きが読みたかった。

 咄嗟に放り投げてしまった本から、続きのページを探しているうちに、甲高い笑い声が背後から聞こえた。

「鐘八木くんも言ってたじゃん!死んだらどうすんのー!って!」

 優斗は反射的に振り向く。教室の後ろ。一人の女子生徒──玉井と視線がかち合った。

 彼女の周りには、数人の女子生徒がいて、くっ付けられた机の上に弁当が並んでいた。玉井達は仲の良い人間で教室の空きスペースに机を並べて占領するのだ。

 優斗の座る━━教室のど真ん中の席から玉井とはずいぶん距離があったが、自分の名前は耳慣れしているからはっきり聞こえたのだ。

 おそらくランチのガールズトークの中で優斗の名前が上がった。とすれば後に続いたのは自分の物真似だったのかもしれない。

 玉井が「見てきてんだけどー?」と優斗のことを指で示してきた。

 女子グループ全員がこちらを向いた。

 中学時代の記憶がフラッシュバックして、喉が閉まる。脳内で海鼠から内臓が飛び出す映像が頭に浮かんだ。

 ──。

 心の中で毒づいたが、口に出す前に喉で留まった。

 先刻の玉井の下手な物真似を頭の中で反芻しつつ、活字の世界に戻ろうと、玉井達から視線を外し、本を開いた。

 よくよく考えれば、昨日の自分が悪いのだ。後先考えずに狂った行動に出た━━自分が悪いのだ。


 優斗が小説の文字を睨み、逃避に努める中、背後で女子達が耳障りな言い合いを始めた。

「あいつも見てきてるんだけど?」

「ほんま阿呆なん?玉井さん。そういう阿呆なことしか出来ないから、テストの点数悪いんじゃないの?」

「は?どういう意味?」

「分からんなら、死んだほうがええんちゃう?」

 ──。

 再度、振り返れば。玉井達は優斗は見ていない。彼女らは全員、窓の方を見ていた。


 窓の落下防止のポールに両肩でもたれかかるポニーテールの女子生徒。スラっとした細身で長身、下半身が長ズボンなのも手伝って、中性的な印象を受けた。

 ━━樫矢来夏だ。優斗は彼女の名前を思い出した。

 一対七で対峙し合う女子達。その構図を見た際、優斗は、数の少ない方を応援する性質があるから、玉井に指を指された自分をその少女に重ねた。そして便宜的に玉井達を敵とした。

 敵軍の総大将である玉井が立ち上がっては叫ぶ。

「駄菓子ッ!」一人の少女に人差し指を向けられる。

 教室全体が静まり返った。教室中の注意が彼女らに向かったのを優斗は理解した。昨日の昼時の教壇からの光景を優斗はなんとなく思い出した。

「なによ?玉井さん。そんな大きな。声を出して」駄菓子と呼ばれた樫矢が怖気づくことなく、天狗のように笑い返した。あるいは呂布奉先のように堂々と。

 駄菓子というのは、渾名なのだろうか。

 優斗がくだらないことを考えている間も、玉井は、子供のように叫び続けていた。

「ブス!ブサイク!キモい!気持ち悪い!死ね!死ね!死ね!」

 優斗は思わず立ち上がった。玉井が樫矢に口にした言葉は、冗談には見えなかった。

「やめろ!」山田の声が響く。「。ちょっと、落ち着いて、ね?」山田が仲裁しようと、彼女らの間に割って入って行く。

 今度は山田に指を指す玉井。

「なんで?なんで私が先なの?」

 山田の言い方にどこか問題があったらしい。山田が口ごもってしまっているところに、樫矢が口を挟んだ。

「そりゃ、そうやん。玉井さんから、喧嘩売ってきたんやから」

「駄菓子ッ!殺すぞ!」玉井が手元にあった箸の先を樫矢に向ける。しかし、投げはしなかった。そのプラスチック製の箸━━その先端は鋭く、天井の照明を反射して光っていた。

「出来ないくせに」樫矢がふん、と鼻を鳴らす。

「マジで死ね!」

 玉井はそう言うや否や、赤い箸を樫矢に投げた。それは真っ直ぐ山田の鼻先を掠めて、樫矢の体にあたる。

 筈だった。

 樫矢は跳ねるようにして後ろに飛ぶ。彼女は落下防止のポールを飛び越え、教室から窓の外に出ていく。

 頭から、足の先まで。

 樫矢の体が弧のかたちにしならせて。

 するり教室から落ちていく。

 的を失った赤色の箸は、彼女の後を無常に追った。

 一拍挟んで殻、誰かの叫び声が教室内に響く。


 三階の教室から、生徒が落ちたのだ。


 優斗は気が付けば、窓の前まで来ていた。

 間に合う筈もない。

 理解しながらも、ポールを両手で掴んで、窓から身を乗り出す。


 樫矢が空中に浮いていた。

 外壁の縁に足をかけて、左手で壁を掴んで。

 眉を顰めて細い目でこちらを見ている少女は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。壁を掴んでいない方の手が、こちらに伸びている。

 彼女が助けを求めているように見えた。

 彼女を引き上げようとして、手首を掴んだ。

「あ」

 樫矢が縁から、足を離した。彼女の全体重が優斗の腕にかかる。引っ張られて落ちる優斗の胸を辛うじて山田が捕まえる。

「ナイス、タッチ!」

 山田が優斗を助けたのを見て、級友達が集まってくる。

「とりあえず、樫矢来なさい」

「玉井と鐘八木君にも原因はあります」

「じゃあ、二人も後で呼びに来るから、勝手に帰るなよ」






































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る