50.本当のアリスさま



 ――……なにから話せばよいかしら。まずはそう、学内新聞の記事にある誤りに触れるのが分かりやすいかもしれないわね。


 正直なところ、聖澤悠芭さんの調査と推測は見事なものだったわ。まだ一年生で、しかもこのわずかな期間であれだけのことを調べられる情熱は大したもの……でもあえて苦言を呈すなら、少しロマンチストが過ぎたのね。元の伝承のおとぎ話めいた美しさがちらついて、ネガティブな可能性を初めから排除してしまっていた。


 伝承の中に登場する二人が、吉野礼さんと染井美代さんという女学生であることは間違いないわ。そこまでは正解。


 でも、あの新聞記事にある情死という言葉から、二人が恋愛関係――当時の言葉で言う『S』の関係性だったと論じるのはナンセンスね。


 そもそも『S』は多くの場合、上級生と下級生における親密な間柄を言う言葉だったんだもの。上級生が下級生を見初めて『S』を作っていたの。純桜のスリーズ制度もそこに起源を持っている。同級生同士の関係を言うものではないのよ。


 もちろん『S』ではないにしても、同級生同士で恋愛めいた関係を築いていた女学生はいたらしいわ。自殺や情死が社会問題化していたのも嘘じゃない……でもそういう話題が注目されることに味を占めた新聞が、女学生の死をすぐにそういう社会問題に当てはめていたことも考えられそうなこと。中には記事の早さを優先して、ろくに調べもせずにね。メディアとはいつの時代もそういうものよ。貴船の家もそんな憶測でどれだけ迷惑してきたことか、お祖母さまもよく嘆いていらっしゃった……。


 話が逸れたわね。とにかく、聖澤さんが調べ出したあの新聞記事の言葉も、額面通り受け取っていいものじゃないのよ。そもそも文面に『多分』なんて書かれている記事を真に受ける方がどうかしているわ。あの時代では別段珍しい書き方でもなかったようだけど。


 情死でないとすれば、あの事件はなんだったのか。


 答えはシンプル。染井美代さんが吉野礼さんを誘い出して、殺鼠剤入りの飲みものを飲ませて殺した――そういう。たったそれだけのこと。


 私はお祖母さまから事の顛末と共にそう聞かされていたけど、記事の中でも情死とは言いつつ、その片鱗が窺えたでしょう?


 礼さんは死亡したと書かれているのに、美代さんの生死は判然としていない。重態とは書かれているけど、亡くなったわけではない。


 これは美代さんが死に切れなかったわけではなく、最初から礼さんだけ死ぬように毒物を調整していたと考えるのが妥当よ。相手を信じ込ませるために、自らも少量は口にする――ね、常套手段のように思えるでしょう?


 なぜ礼さんを殺す必要があったのか――記事の中では二人の仲のよさが取り上げられているけれど、表面的にはこれは間違いではないでしょう。少なくとも礼さんの方は、美代さんをだと思っていたらしいの。


 でも美代さんの腹心には、まったく別の感情が渦巻いていた。その感情に名前を付けるとすれば――妬み、嫉妬。そういう類いのもの。


 今ではまったく語られていないけれど、実は二人の身の上には大きな差があったわ。


 礼さんは元々身寄りがなく孤児院の出身で、給費生として純桜に通っていた。

 片や美代さんは名家の出身だけど、本人がのせいで疎んじられ、家から追いやられるように山奥の純桜に入学させられた。


 本来であれば交わることのない二人が、学院で互いに傷を癒やし合うように仲を深めていった……なんて語れば美しい話に思える?


 あるいはそうだったのかもしれないわ。でも決定的な亀裂が入った。卒業間際、礼さんが美代さんを裏切ったから――。


 今でこそ卒業するのが当たり前だけど、かつての女学院はそうではなかったの。当時のご令嬢にとって格式高い女学院へ通うのは、名家へ嫁ぐために推奨とされたステータス。つまり卒業よりも結婚の方が重要であり、婚約が決まれば早々に退学していく女学生も珍しくなかった……むしろ卒業まで学院にいることは、売れ残りのように思われていたらしいわ。容姿が原因であれば『卒業顔』なんて揶揄されることもあったそうよ。


 礼さんと美代さんは卒業を控えていた。つまりどちらも在学中に見初められることがなかったの――少なくとも、美代さんの方はそうだった。


 でも、礼さんは違った。卒業後に結婚を誓い合っている相手がいた。そのことをずっと黙っていて、卒業間際になって美代さんに打ち明けたのよ。


 礼さんからすれば、それも友愛の証しだったのかもしれない。だけど美代さんは裏切られたように感じた。名家の令嬢としてのプライドも大いに傷つけられたことでしょう。


 これが、礼さんを殺そうとした動機。卒業を控えた春の日の夜、美代さんは礼さんを殺鼠剤入りの飲みもので毒殺した――二人にとっての思い出の場所である、に呼び出してね。


 アリサさん? どうしたの、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして。


 ええ、そうよ。事件はで起きたこと。伝承の中で語られている山奥の桜の木の下なんて嘘っぱち――同級生が篝火を焚いて夜通し捜し回ったというのも作り話よ。美代さんと礼さんは、篝乃庭で倒れているところを発見されたの。


 夜中にご令嬢ばかりの女学生だけで、山の中を捜して回るわけないでしょう? あれはアリスさまの伝承という寓話をそれらしくするための創作。『花篝の礼』もその一つ――なにもかも、当時の篝乃会がでっち上げた作り話でしかないのよ。


 ……ええ、アリサさんの疑問は尤もだと思うわ。『花篝の礼』にまつわる話は、篝乃会という名称が生まれた理由だとされている。でもそれが作り話なら、篝乃会という名前はどうして生まれたのか。そもそもなぜバージン・ガーデンは篝乃庭と呼ばれているのか。由来や順序が分からなくなってしまうのも無理ないわね。


 ところで、アリサさんは聖澤さんが調べ上げたことの中で、学内新聞に掲載されていないことまで聞いているのかしら。だとすれば、きっと知っているわよね……篝乃庭に元々咲いていた花。シクラメンの前に咲いていた花のこと。


 そう、彼岸花――あの花こそ篝乃庭の由来であり、初代アリスさまのなのよ。


 彼岸花にはたくさんの異名、別の名前があるわ。一番有名なのは仏教絡みの曼珠沙華だけど、古くから全国的に分布しているせいか地方によって呼び名は様々。千通り以上あるとも言われているわ……その中の一つ、彼岸花の独特な花弁の形状を喩えて『篝』と呼ぶ地方もあったの――美代さんの方が、そこの出身だったそうよ。


 当時のバージン・ガーデンは害獣に荒らされることも間々あった。それを憂慮した美代さんと礼さんの二人が、庭園に彼岸花を――『篝』を植え始めたの。その取り組みは次第にほかの女学生も巻き込んでいき、のちに『篝乃会』と呼ばれるようになった――これこそが本当の由来。それを後続の篝乃会にだけは伝えるため、アリスさまの真実を記した書物も秘密裏に残されていた。お祖母さまの代までは、間違いなくね。


 でも、すべて燃えてしまった。お祖母さまはアリスさまの伝承を心の底から信じ、崇拝されていたの。心から素晴らしい友愛の話だと受け止めていた……それがよくある嫉妬によって起きた殺人を闇に葬り、美談にするための創作だと知って、堪えられなくなった。


 だから庭園にあった彼岸花と共に燃やそうとした――結局はほかの生徒に見つかって、小火程度で済んだらしいけれど。それでも書物はすべて燃えて、跡形も残されなかった。彼岸花も、のちに行われた庭園の改装によって姿を消した……。


 もう一度言うけれど、聖澤さんの記事は中々大したものだったわ。でも致命的な誤りがいくつかあり、それが真実にたどり着けなくさせている。


 ここまででもいくつかの誤謬を指摘したけど、もう一つだけ大きな間違いが残されているわ。これまでの私の話を聞いたアリサさんなら、もう気づいているんじゃないかしら。


 吉野礼さんと、染井美代さん。


 どちらが、……――。


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