電車の椅子取りゲーム

　横須賀線は上り・下り共に満員電車という程ではないが、出遅れは勿論、中途半端な配慮や躊躇がある限り席を取れないと思っていた方が良い。

少なくとも、僕の経験上そう言っても過言ではない。

だが、唯一の例外もあって、それが今【横浜】に着いたタイミングだ。

交通の要所という事もあって、横浜に着くとそれまで席に尻をへばり付けていた眠そうな大人たちが次々と去って行く。

約七割ほど席が空き、若干ボケーっとしていてもほぼ確実に座れるチャンスが来るのだ。

また、このとき僕はなるべく一番端の席を取ろうとする。

端の席なら左右から人に挟まれて狭い思いをする事も無く、横の壁にもたれ掛かって存分に休む事ができるからだ。

　部活帰りに疲れているにもかかわらず、学校からずっと立ちっぱなしを余儀なくされていた僕は、早速空いていた端の席へ足を運んだ。

ところが、その近くに座っていた女子中学生――ＪＣが僕の目指していた席に座り直してしまったのだ。

よくある事なので、極端に落胆せず、他をあたろうとしたが、生憎 この号車における端の席には全て先客が居た。

普段から電車を利用する者からすれば、端のメリットは常識であり、まるでオセロの上級者が角を狙うようにキッチリ抑えている。

早く座らないと普通の席も埋まってしまうだろうし、号車を変えてまで探すのも面倒なので、僕はとりあえずそのＪＣから一つ開けた席で妥協した。

数年前に大流行した新型感染症の影響は未だ世間に残っているので、ソーシャルディスタンスとやらを取ったのだ――まぁ、これは半分建前。

もう半分の本音は、男子校に通ううちに出来てしまった異性への抵抗……とてもではないが、迂闊に近寄れない。

　二分ほどの停車をするうちに、また満席に近い状態となっていた電車。

ドアが閉まる直前、老夫婦が急いで乗って来た。

老夫婦も席を探すのだが、殆ど空きは無い。

その二人が仕方なくあり付いたのは、僕とJCの間の席だった。

年を取ってもレディファースト……お爺さんの方がお婆さんに席を譲り、お婆さんはお爺さんに申し訳なさそうに座った。

また、ＪＣと僕のソーシャルディスタンスを勝手に潰してしまった事も察しているのだろう、こちらにも何処か申し訳なさそうにしていた。

もしこれが配慮ゼロの臭いオッサンだったら、流石にイラっと来るが、

元々労わるべきご老人が謙虚にしているというのだから、責める理由も無い。

僕は黙って座っていた。

　【横浜】と【新川崎】の間は、横須賀線の中でも長い。

実際、半分も過ぎないうちに僕もウトウトし出した。

そう、ここで「あのお爺さんに席を譲ろう」という考えは一切湧いていなかったのである。

決して悪気は無かったのだが、単純に頭が回っていなかった。

そのため、吊革に掴まったお爺さんが溜め息を吐いて、ようやく気が付いた。

（あっ、これ譲った方が良いよな？　でも、何て声掛けよう。今更感エグいし……）

無駄な脳内シミュレーションでモタモタしていると、あのＪＣが先に声を掛けていた。

「どうぞ」

「ああ、ありがとう！」

お爺さんはたいそう嬉しそうに感謝し、席を貰うのだった。

（あ……先越された）

僕のちょっとした後悔をくすぐるように、トンネルの雑音の中、老夫婦は小声で話し始める。

「良い子だなぁ」

「ああいう子が増えてくれるとありがたいわねぇ」

僕は確かに席を譲ろうとした。

だが、外面（そとづら）は「年下女子に気を遣わせる不出来な男子高校生」に変わりない。

あのＪＣにも何だか申し訳無いし、自分もこのままで居るのは嫌だった。

まだ下りる駅は先だったが、トンネルを出て車内が明るくなると同時に、僕は黙って席を立つ。

せめてもの罪滅ぼしがＪＣとお爺さんに伝わるかは分からない。

それでも僕は吊革を握り締めて、ただ窓の外を見つめ続けた。

すると、あの後、ドアの側に立っていたＪＣが戻って来て、開けた席に座ってくれた！

僕はなるべく気にしていない素振りをしながらも、変な目で見られていないかとか、席が汗臭いと思われていないかとか、また余計な心配をした。

彼女は、再び老夫婦の隣に座る事を照れ臭そうにしていたが、

ありがとう

という視線を確かに送って来た。

勘違いなどではなく、確かにこちらを見て微笑んでいたのだ。

　結局、彼女は次の【新川崎】ですぐに下りてしまったので、僕は複雑な気持ちでまた元の席に座る。

すると、まだ隣に居たお婆さんが耳を貸すように合図して来た。

何を言われるかと身構えながらそれに応えたが、思っていたよりもずっと温かい言葉がやって来た。

「良い男になれるよ、きっと」

　今日の僕は電車椅子取りゲームの勝ち組とは言えないが、それよりもずっと良いものを知った気がする。