ははのひ 3

 歩いている間は大人しくエンリに抱かれていたが、訓練場が近付くとエルーナが身を捩りだした。

「ん!」

 エルーナが一声発したので、降ろしてやろうとすると、するするとエンリの身体をずり落ちて着地した。青空にはしゃいでいる。エルーナは晴れていると必ず外に出たがる。そのくせ、ただ移動するときは抱かれたがるのだ。

 ちょこちょこと走り出すエルーナを追って訓練場に着くと、アルファレが馬繋ぎの杭に寄りかかっていた。

「待たせたか」

 ぼんやりと虚空を睨んでいたアルファレが、はっとしてエンリを見た。

「兄上。いえ、考え事をしていただけです」

「何を?」

 エンリがそばに寄ると、別に、とだけ呟き、エンリから離れて構えを取った。

 エンリ、アルファレ、エルーナには魔法の適性があった。

 魔法使いになるものは、普通、身体感覚の中から五体のいずれとも違う”何か”の肌合いを掴むところから始める。その何かに対して呼吸に近い感覚を掴み、微細な魔力を力の流れとして練り上げる方法を身体に馴染ませない限り、放出や変換といった力の顕現には至らない。だが、兄妹は物心つく前から”炎”を放つことができた。そして、なぜかエンリだけが竜に変身できた。

 アルファレが顔の前で右手を構えた。右腕を握っている左手に、力が込められていく。

 アルファレの掌の上に炎が顕れた。それは、金色に近いエンリのものよりも、実物の火に似ており、紅い月に似た澄んだ光を放っていた。

徐々に、炎は大きさと密度を増していく。エンリがアルファレに課した訓練は、炎を出したまま維持することだった。その後は、エンリの結界に向けて放たせることもあれば、静かにただ消させることもあった。強い力を持つことよりも、力を持ったまま無害でいられるように、制御すること。それを身に付けさせたかった。

 アルファレはまだまだ炎を大きくする。十歳を過ぎてから、格段に上達している。エンリの訓練では物足りないのだろう。だが力を望んでいるとしても、アルファレに自分と同じ苦行など負わせたくはなかった。ゆっくりと、自分が見ていてやればいい。アルファレもエルーナも、炎の力だけを持って産まれてきた。自分のような異形ではないのだ。

「もうお会いになりましたか?」

 炎を保ちながら、アルファレがエンリを見た。瞳にアルファレの赤い炎が写り、眼だけ別人のような光を発していた。

「昨日、中庭で会った。お祖父様との訓練が終わった後にな」

 アルファレが眉を顰めた。

「マリアナと言いましたか。父親と城に来ていましたが、馴れ馴れしく僕やエルーナにも話しかけてきましたよ。もう王族のつもりなんでしょうか」

 さも迷惑そうな顔をしているが、エンリの前だからだろう。きちんと応対したはずだ。アルファレはそういう子だった。

「父上はデルリーヴォ卿に用があっただけだったらしいが、父親にくっついてきたそうだ。いずれ、場を改めて引き合せると、父上が言っていたそうだ」

 祖父との訓練の後、エンリはララからそう聞いていた。余計なことを言ってしまいそうで、父とは直接マリアナのことを話していない。恐らく、ララはエンリの微妙な心の動きも察している。

エンリと話しているときのララも、納得しているとは言えない表情を、隠し切れていなかった。孤児だったララは母エルミナに拾われ、幼くして仕えていた。ヴィサリアに嫁ぐときにも、ランナフルからついてきたのだ。母に対するララの敬慕を想えば、新しい王妃に仕えることなど考えられないのかもしれない。

「それでも、遠慮というものがないのでしょうか」

「早く王室に馴染みたいのだろうさ」

 アルファレの炎が揺れた。口を閉ざして、炎に集中し始めた。炎はさらに大きくなったが、密度が薄れていた。

「アルファレ、撃て」

 エンリは三方向を囲むように結界を展開し、一面だけ開けた。

 アルファレが放った炎が結界に衝突し、凄まじい音を立てて爆散した。その上空へ、一瞬で火柱が舞い上がった。

 即座に三人の前面に結界を張り直した。火球を衝突させた結界から離れてはいるが、爆風もまた凄まじいものだった。烈風が赤い炎を纏い、結界の表面を舐めていく。

 エンリの靴紐をおもちゃにしていたエルーナが、爆音に驚いて声を上げている。

 風と粉塵が収まったとき、結界はまだ形を維持していたが、何カ所かに赤い火が燃え移っていた。ただの火や、火の魔法であれば、火力によって結界魔法を破ることはできても、燃え移ることなどありえない。アルファレの紅い火だけが、対象を問わず燃え移り、破壊というより蚕食するような燃え方をする。

「雑だな。口よりも火に集中しろ」

 唇を噛んだまま、アルファレがうなだれた。

 アルファレの方を見ず、靴紐を直すと、エルーナが両手を差し上げてきた。

「抱っこいて」

 抱き上げると、にこにこしながら手をエンリの顔の前に差し出した。小さな掌に砂や砂利がびっしり付いていた。

「ねえ、すなすな!」

「あんまり触るなよ」

 笑っているが、エンリの肩には掴まらないように、一応両手を差し上げたままにしていた。

「ごめんなさい。大きくしてから消そうとしたんですが」

「なぜできなかったのか解るか?」

「意識が乱れて、炎の流れが半分しか認識できなくなりました。それで、大きくしようとしたまま、戻せなくなりました」

「わかっていればいい。」

 密度が薄れたのも、意識が薄れたからだ。途中で制御が効かなくなっていた。

「俺かお祖父様が居ない場所では、決して使うな」

 はい、と、俯いたままアルファレが応えた。

「エルーナは、よく平気でいますね。最初からですが」

「女の方が、肝が据わっているのかな。それとも、物心付く前から見せているから、当たり前のことだと思っているのかもな」

「本当に産まれたときから炎を出せたのは、エルーナだけですもんね」

 じっとアルファレがエルーナを覗き込んだ。エルーナはそれを拒むように、エンリの肩に頭を載せた。エンリが睨むと、アルファレは視線を逸らせた。

 母の死に、アルファレは拘り続けている。だが、その想いをエルーナに向けることは許さないと、これまでエンリは態度で教えてきたつもりだった。それでも、エンリの前では、未だにエルーナに対して棘を含む時があった。いや、エンリの前だからなのかもしれない。

 お前だけが悲しいわけではない。一度でいいから、そう言ってやりたかった。

 言う代わりに、顎をちょっと動かして、もう一度やれとアルファレに促した。

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