第2話

暗闇に身を沈めたまま、俺は自分がどこにいるのか分からず呟いた。


「ここは?」


見回すと、闇の裂け目から柔らかな光が差し込む空間があった。光は遠くの一点を優しく照らしそこへと歩を進めると、瞬間周囲の景色が変容した。暗がりは溶け去り見慣れた町並みが眼前に広がる。


「ねぇ、聞いてるの?」


隣で少女と思しき声を掛けられ、そちらへ視線を向けるが、そこにあるのは輪郭のぼやけた風景だけだった。人の気配は感じるのに、姿はぼやけている。


「・・・」


口を開けるが、声は喉に詰まって出てこない。吐き出すはずの言葉は空気に溶けてしまっていた。


「はぁ、いつも言ってるでしょ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだからちゃんとしてよね。」


ぼやけた風景の向こうで、誰かが短く呟いた。声は擦れ、掠れている。その声は、怒りとも懇願ともつかぬ曖昧な調子を帯びていた。


意思とは無関係に体が動いた。自分の意志を越えて一歩また一歩と踏み出すたびに景色は断続的に入れ替わる。見覚えのない風景が次々と投影されそのうち世界は血のように赤く染まった。


瓦礫の山が点在し、荒れ果てた地面にはまるで散らばった血痕のような斑点が無秩序に広がっている。空気は重く、血の臭と誰かの嘆きの残響が混じり合っているように感じられた。


「おねがい。いかないで。私にはあなたが・・・」


どこからかわからない声が聞こえた。言葉は短くしかし何故か胸を刺すような懐かしさを伴って耳に残った。やがてその声は薄れていき、最後には完全に消え失せそして世界は再び暗闇に沈んだ。



白い天井が視界に戻ったとき、俺は目を開けていた。


「ここは・・・」


体を起こし、周囲を見渡す。寝台が並び、病室を思わせるが、点滴やモニターの類は見当たらない。枕元にも呼び出しスイッチはない。


「どこだここ?病院じゃないよな?」


記憶を手繰る。朝に起きて会社へ行き、夕方には上司と居酒屋に寄ったことまでは思い出せる。だがその先は断片的で、糸が切れたように飛んでいる。


「昨日・・・なにがあったけ」


公園で少女と狼もどきに遭遇したことまでは思い出すが、その後の記憶は霧に包まれたままだ。


その時ガラガラと扉が開く音がして音のする方へ視線を向けた。


「気が付きましたか。具合はどうですか?」


鈴を転がしたような澄んだ声が耳に届く。扉の向こうには、肩のあたりで切りそろえられた髪をハーフアップにし、ビジネススーツを纏った、目を引く美しさの女性が立っていた。整った顔立ちは人を安心させるような笑みとどこか鋭さを兼ね備えている。


「特に体調は問題ないです。」


「それはよかったです。」


彼女は微笑み、柔らかく頷いた。


「あの、ここは何処ですか?」


「ここは私の職場のようなものです。昨日のことはどこまで覚えていますか?」


ベッドが幾つも並ぶ室内は、職場というには広すぎる印象があった。だが今は彼女が職場と呼ぶこの場所の説明を受けるより自分の状態を把握する方が先だ。


「夜に公園に行ってそこで・・・そうだ、俺の他に女の子がいませんでしたか?」


「安心してください。八束は私どもの職員ですので。あなたの見た妖魔についても報告は受けています。」


「妖魔?」


「はい、妖魔です。襲われた後の記憶はありますか?」


彼女は微笑んだまま問いかけてくる。


「昨日の?」


彼女に言われ記憶を探る。


公園で少女と会いそして俺は彼女を庇ってあの狼もどきの口の中にそして、そこまで思い出した瞬間思わず自分の体を触り探る。


しかしそこには傷などなく瘡蓋もない肌があるだけだった。


「なんで俺はあの時噛まれて死んだんじゃ」


「やはり、そうですか」


彼女は椅子に腰掛け、口元に微かな笑みを浮かべる。その笑みに、説明の先触れを読むことができた。


「やはりとは?」


「そうですね。そこを説明するには、私たちの組織について説明をしてからの方がいいでしょう。」


「組織ですか?」


「はい、勅使時久てしときひささん。組織です。」


思わず気の抜けた溜息が漏れる。唐突に異世界の扉を開かれたような心持ちだ。


彼女はくすくすと笑いながら続けた。


「私たちの組織とは魔法使いが集まり人を守るために戦う組織です。」


「魔法使い」


非現実的な言葉に、俺はつい反射的に繰り返すしかなかった。


「ええ、魔法使いです。」


「ええとそれは・・・隠語的な話ですか?」


「いいえ。言葉通りの意味ですよ。」


彼女は微笑を崩さず、軽く肩をすくめた。


「この世界には昔から魔法というものが存在していますよ。まあこれは近代に入ってからの呼ばれ方ですが、日本では古来から陰陽道と呼ばれています」


「陰陽道ですか」


「はい。あとは、神隠しなんていうのも魔法によるものだったりします」


疑いの表情が浮かんでいるのを感じてか、彼女は懐から短い杖のような物を取り出した。その先端に小さな火を灯すと、火の溜められた熱と眩しさが実体としてそこに現れた。


「これで少しは信じてもらえましたか?」


「う・・・」


言葉が詰まる。昨日の出来事と目の前で不可思議な現象が示されたことで、信じるためのハードルは確かに下がった。


「最初のうちは皆さんそうですよ。特に魔法使いのいない血筋の家なんかは特に」


「そうなんですか」


「ええ。組織には魔法使い以外の人間も協力者としていますので。」


「なるほど」


「さて、魔法使いがいるとわかってもらえたところで昨日の話なんですが。」


「はい」


「時久さん。なぜ、公園に近づいたんですか?」


「なぜって。音が聞こえてきてそれで」


「音ですか」


「はい。何かおかしいんですか?」


「昨日のあの時間ですが公園には結界が張ってあったんですよ。」


「結界?」


「外から中が見えないようにと人避けの為にですね。魔物の存在が一般の方たちに知られてしまうと大騒ぎになってしまいますので。」


「ああ、あの幕みたいなの結界だったのか。」


「もう一度聞きますがご家族に魔法使いがいたりは?」


「聞いたことないですね。」


「となると。やはり、後天的なものということになりますかね。」


「後天的ですか?」


「ええ。普通魔法使いが扱う力は知覚できないものなんですよ。同じような力を扱うものには感じられますが。そうですね、ファンタジー小説とかはお読みになりますか?」


「学生の頃はよんでましたが。」


「それなら魔力と言った方が分かりやすいですかね。魔法使いにしか魔力は認識できないため結界が張られていると魔法使い以外の人間は張られた場所に対して意識できなくなるはずなんです。けれど時久さんは音というわずかな異変だけで結界が張られている公園まで行き結界の内側に入った。ということは結界の内側の魔力を無意識的に感じたということですね。」


「じゃあ、俺は魔法使いの才能があったと?」


戸惑いが言葉に滲む。


「才能という意味ではないと言った方がいいですね。」


「はぁ」


「魔法使いは主に二通りのなり方があります。」


彼女は指を二本立て、静かに説明を続ける。


「先天的な場合は主に両親のどちらかが魔法使いの家で生まれた人間です。才能という意味ではこちらの方になりますね。血に流れる力によって力を得た人間ですね。後天的な物では魔法使いの魔力を受け続けて力に目覚めることが多いですね。」


「魔力を受け続けて?」


「はい。多くの魔法使いは身に宿る魔力を完全には消すことができないので、無意識で漏れた魔力が周囲に影響を与える場合があります。」


なるほどと頷く。だから家族に魔法使いがいるかを慎重に訊いていたのだろう。


「まあ周囲が影響を受けるほどの魔力持ちがいたら私達が気が付かないことは無いのでそれはないとは思いますが。」


「どっちなんですか一体。」


「正直に言うと原因は不明と言った所ですね。」


「原因不明ですか。」


「ええ。まあ今の時久さんは魔力持ちではあるのは間違いないんですが。」


「じゃあ俺は魔法使いになったと?」


「魔法使いというかなんというか・・・。えーと先に説明しても良いんですがやはり当事者が居た方が良いと思うんで少しお待ちください。いま呼んでますので。」


「当事者ですか?」


「はい。あなたが魔力持ちになったこと、一部記憶がないことも含めて公園であったことを確認した方がいいと思うので。」


「公園で・・・」


彼女の言葉を信じる材料は乏しい。だが、瞳の奥に宿る複雑な光──喜びと悲しみが混じり合ったその色合いが、どこか懐かしく感じられる。待っている間、妙に居心地が悪くて、ふと自分の欠けた過去について話すべきだと気づいた。


「あの?」


「はい。どうされました?」


「あなたの名前をおしえてもらっても?」


訊ねると、彼女は一瞬だけ寂しげに微笑んだ。


「すいません。私も気が動転していたんでしょうね。名前でしたね。私は一杜智里いちもりちさとです。」


名刺を差し出され、受け取る。改めて見るその顔は先ほどの感情の翳りを消し、職務的な笑顔だけが残っていた。


「あのどこかで俺達会ったことあります?」


思わず漏れた問いに、彼女は僅かに眉を寄せる。


「え?」


「その会ったことあったら悪いんですけど俺昔のこと所々覚えてなくて。」


「あの、それは。」


「ああいや、全然気にしてないんで。何年か前に医者から記憶障害って言われてまして、今でも昔のこと思い出せてないんでその時にあった人なら申し訳ないなって。」


「記憶障害・・・」


「昔のことって言っても一応両親とかからは話聞いたりしたんだけど全然思い出せなくて。」


「そうなんですか。」


「もしかしたらその期間でその一杜さんが言ってた魔法使いってのに関わっていたのかなって。」


冗談めかして言うが、彼女はなぜか悲しげな困惑の表情を浮かべていた。会話の隙間に沈黙が落ち、気まずさが部屋に広がる。


そのとき、扉が開く音がして別の人間が入ってきた。


ガチャリ。その小さな音に、部屋の空気が変わる。入ってきたのは勝ち気そうな瞳をした、磁器のように白い肌と長い髪を持つ、まるで人形のような昨日見た少女だった。


「一杜さんお呼びでしょうか?」


「八束さんちょうどいいタイミングね。時久さんこちらはうちに所属している八束さやかです。公園で時久さんがあった子です。」


紹介を受け、目の前の少女を見る。記憶の中の暗がりに立っていた姿とは違い、実際の彼女は小柄だった。だが、その瞳には揺るがぬ意志の光が宿り、見る者に強く語りかけてくるようだった。


「どうも、八束といいます。」


「ああ、勅使だ。」


「さて、挨拶も済んだことですし公園の件の詳しい話をしましょう。八束さんお願いします。」


「はい。勅使さんはどこまで覚えていますか?」


「ええと公園に行って結界とやらの中に入って八束さんと会ってそれから」


俺はそのまま言葉を濁す。


「ではその後の話ですね。あの大きな妖魔はあなたが倒しました」


「俺が?」


「はい、あなたがです。けどその際、負傷をしたためここに搬送しました。」


一杜さんが促すと、八束と名乗った少女は目を逸らし、視線を下に落とす。どこか叱られた子供のように背中を丸めていた。


「勅使さん、あなたが妖魔を倒したのはですね契約をしたからです。」


「契約?」


いきなり出てきた専門的な言葉に、面倒くささと好奇心が同時に湧く。


「そんなものした覚えがないんですが誰となんの契約ですか?」


「こちらにいる八束さんと主従契約です。勅使さん、あなたは八束さんの使い魔となりました。」

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職業:会社員から使い魔へ新たな人生は魔法と共に @yuu1993

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