第26話

「ねえ、お母さん。急な話しなんだけど、明日から訓練で泊まりになるんだ。」

 「えらく急だね。」

 「うん、船の都合でだって。」

 そう言ったのは事前に皆で打ち合わせた内容だ。魚人の拠点だろう場所に向かうのをそのまま言う訳にもいかないだろうって事で考えた内容だった。

 「え?それなら海に行くのかい?」

 「そうだね。船に乗る機会も増えるだろうし、早目に船上での生活を経験した方が良いだろうって。」

 「ふーん。なるほどね。けど海ねえ、大丈夫なのかい?」

 「大丈夫だと思うよ。海上自衛隊の船で大きな船らしいし。」

 「そりゃ小さな船って事は無いだろうけどね。乗るのは護衛艦かい?それとも掃海艦?」

 「何それ?」

 「そんな違いも分からないのかい。これじゃあわじ型とかたかなみ型とか聞いても分からないだろうね。どうせ船の名前も聞いてないんだろう?」

 「う、そうだけど。」

 「どうせ案内してもらうからとか言って聞いてないんだろう?」

 「まったくもってその通りです。」

 「まあいいよ。せめて写真位は撮っておいで。」

 「うん、分かった。ってかお母さん妙に詳しい?」

 「そりゃそうさ。私は船が好きだからね。船酔いが無ければ船の関係の仕事をしたいと思ってたくらいさ。」

 「そうなんだ。知らなかった。」

 母の意外な1面に驚いた。

 「まあ分かったわよ。ちなみにいつ戻るの?」

 「1週間の予定。船での訓練で天気とかで前後するのもありえるんだって。」

 「そうなのね。分かったわ。あの馬場って人も行くのかい?」

 「ん?そうだね。一緒に行くよ。」

 「そうかい。なら一応これを渡しておくよ。」

 「何?」

 母が引き出しの奥を探し

 「あったあった。はいこれ。」

 紙袋に入った箱だ。中身を見てみる。

 「⁉️」

 「足りない事は無いとは思うけどあんたも若いからね。どうだろうね。」

 「ちょ、こんなのいらないよ!」

 「駄目だよ。ちゃんとしないと。まだお父さんにも会ってないんだから。」

 「違うから!そんな仲じゃないから!」

 「じゃあ、どういう仲なのよ?」

 「仕事!仕事仲間だから。」

 「けど泊まりだろ?そういう関係になる事もあるんじゃない?」

 「無いから。絶対無い!」

 「そうなのかい?全然無いとは言い切れないと思うけどね。まあいいや、今後必要になる事もあるでしょうし、あんたが持っておきな。」

 「え……。」

 「今後必要になる事も絶対あるんだしね。」

 無いとは言えない。私だって彼氏が欲しいと考えたりもする。否定できない事を肯定ととったのか母はそのままそれを押し付けて言った。

 「まあ、まだ若いから色々遊びたいとかもあるだろうし、私は特に何も言わない。けど、後悔だけはしないようにしなさいね。」

 「……分かった。」

 渡された物が物だけにその言葉が重いような恥ずかしいような複雑な気分だ。

 「と言うかあんたその歳でまだって事はないよね?」

 「え?」

 母の言った言葉を理解したくない。

 「はあ~、やれやれ。まったく孫の顔を拝めるのはいつになるやら。」

 その言葉には何も言えない。私だって彼氏が欲しいし、色々してみたいとは思う。

 「あの馬場って人とはどうなの?」

 「どうなのって何よ。」

 「その調子じゃ何もないね。けど悪くは思ってないんだろ?」

 その言葉に先日の濡れた姿を思い出して顔が赤くなる。

 「はあー、進展も無いのに顔を赤らめるなんて先が思いやられるよ。」

 「別にいいでしょ。明日の用意もしなくちゃいけないから部屋に行くね!」

 「逃げたな。」

 母が変な事を言うので変に意識してしまう。果たして眠る事ができるだろうか?

 「まったくあんたはお気楽でいいね。」

 部屋ではシロがすでにヘソ天姿で幸せそうに眠っていた。




 翌朝、シロと共に

 「それじゃあ行って来ます。」

 「ああ、行ってらっしゃい。」

 母に見送られ家を出ようとする。

 「ってちょっと待ちなさい。」

 「え?何?」

 「何でシロも普通に行こうとしているのかな?」

 「ワフン?」

 何で止めるの?みたいな感じで首を傾げる。

 「朱音は仕事なの。だから、シロは私とお留守番。」

 そうだった。シロも行くとは言ってなかった。

 「あー、ごめん。言ってなかった。シロも行く事になってるの。」

 「ええ?どういう事?」

 「ええと……。」

 シロといるのが当たり前過ぎてシロの事は全然考えていなかった。

 「ワウゥワンワフン。」

 「そう!あのマスコット的な感じ?向こうの人からえらく気に入られて、アニマルセラピー的な感じなのよ。」

 「本当に?何か怪しいな。朱音。分かってる?働くっていう事は遊びじゃないんだよ?」

 「そんな事は分かってるよ。」

 「職場に犬を連れて行くなんて聞いたことないよ。」

 「でもね、それが向こうの希望なんだよ。」

 「ワウン。」

 「ちょっと待ってなさい。馬場さんに電話で聞いてみるから。」

 どうやらいつの間にか母は馬場さんの連絡先を聞いていたようだ。

 「あ、もしもし。朱音の母です。先日はどうも。……いえね、ちょっと確認なんですけど朱音がシロ、犬を連れて行くって言ってましてね。……え?そう、そうなんですね。分かりました。いえいえ、すいません。ありがとうございます。」

 どうやら上手く話してくれたようだ。

 「確認したけど連れて来て欲しいってさ。変な職場だねえ。」

 「ね。シロにも来て欲しいって言ってたでしょう。」

 「そうだねえ。まあ、向こうが良いって言ってるから構わないんだけど、シロ。皆に迷惑かけないようにね。」

 「ワン!」

 「それじゃ気をつけてね。」

 母が手を振る。その面影はどこか寂しそうに見える。

 「私とシロが居なくて寂しいだろうけど、母さんも気をつけて。」

 「何言ってるの。せいぜいあなた達の居ない時間を満喫させてもらうわ。」

 「うん、それじゃ行って来ます。」

 シロと朱音は歩き出した。

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