1話 学園のお嬢様と冴えない男子

 麗らかかな春の季節。咲き誇る桜並木。一人の新入生が市内の進学校である常盤ヶ原高校の門をくぐる。

 濡れ羽色の黒髪。栗色の瞳を持った少年・昼神ユウマだ。


 ユウマは何の変哲もない高校生一年生だ。これと言った特技や才能があるわけでもなく平凡な日常を送っている。ただその中でも唯一の趣味がある。

 それはアニメ鑑賞や読書などをすることだ。つまり単なるオタクというわけだ。

 そして、今日も放課後に近くの書店で新作の漫画本や小説を買うと心に決めていると。

 一台の黒塗りの高級車が校門前に停まり中から見知った人物が降りてくる。艶やかな黒髪を靡かせた薄い瑠璃色の瞳を持つ少女・西園寺九音だ。


「あの子、どこかで見たような気が」


 運転手が甲斐甲斐しくドアを開け、綺麗な一礼をしながら「行ってらっしゃいませ、お嬢様」と見送っていた。

 その横を優雅な足取りで通り抜ける九音を見たユウマはふとそんな独り言を漏らす。

 それに「ええ、行ってくるわ」と淡白な挨拶だけをして優雅な足取りで校門の中に入っていく。


―――見て西園寺さんよ、今日も綺麗だな、あんなイケメンな運転手付きなんて羨ましすぎ、さすがは西園寺グループのお嬢様だわ――――。

九音をチラチラと見ながらがやがやと様々な声が広がっていた。本人はそれを歯牙にもかけずにそそくさと校内に向かっていく。


 その光景を遠巻きに見ながら自分のクラスの下駄箱に歩いていく。外靴から上履きに履き替えて教室に向かう途中で九音を見つける。

 軽くおはようと挨拶をして追い抜かしていくときにほんの一瞬にちらりと視線を向けられたような気がする。


―――いやいや、なに考えてんだ、相手は大企業のお嬢様だぞ。俺なんかが相手にされるわけないだろうが――――。

 自分のくだらない妄想をかき消して教室へと向かう。

 自分の席に荷物を置いたところで、腕を肩に回しながら掴んで「っよ!ユウマ」と背後から声をかけられる。


「相変わらず、奇抜な挨拶だな。もっと普通出来ないのか」

 後ろに立っている人物にそう苦言を呈するが、「細かいことは気にするなって、俺とお前の仲だろ」

 首に回していた手を解いて今度は肩をバシバシと叩き始める。

――――これってもはやDVだよな、友人同士のじゃれ合いのじゃなくてただのドメスティックだろと―――――。

 心の中でそう思っていると、表情でバレバレだったようで目の前のDV男がお得意の人懐こい笑みを浮かべながら「気にするな。ただのスッキンシップだ」と言ってくる。

 そのやりとりを他のクラスメイトからはお馴染みの光景だと思われているらしく‘’お前らってホント仲いいよな‘’といじってくる始末だ。

―――お前の目は節穴なのかと言ってやりたいが、既に何度も言って無駄だと分かっているので諦めている。

「あんたたちってホント仲良いよねぇ―――思わずあたしもやきもちしそうなくらい」

 と不機嫌な様子で不満を口にする女子生徒が一人俺たちの目の前にやってくる。深紅の髪に琥珀色の瞳をした少女・赤沢胡桃だ。

 透也の彼女であり自称俺の親友らしい。彼女曰く彼氏の親友ならあたしの親友も同然でしょとのことらしい。


「おいおい胡桃までそんなこと言いだすのか」

 胡桃にまでそんなことを言わる日が来ようとは――――。

 そんなバカげた話をしている間に朝のホームルームの時間になり担任が入っている。入室早々に盛大にため息をつきながら手に持っているバインダーを教壇の上に置く。


「これよりホームルームを始める。まず初めに今日は――――」

 朝から担任の気だるい説教を聞かされて少し気分が落ち込みながらなんとかお昼休みまで乗り切る。


 放課後になり、楽しみにしていた新作の漫画本を買うために教室を出て歩いているところでまたしても九音とばったりと会う。

「あ、ゆ、―――昼神くん」

 俺の顔を見た西園寺がしどろもどろになりながら声をかけてくる。

「お疲れ、西園寺」

 と、声をかけるが――――。


 声をかけた瞬間に耳まで真っ赤にしてどこかに走り去ってしまう。

 嫌わることでもしたか、と首を傾げながら考えるが、思い当たることが全くと言っていいほどなかった。そのため余計に不思議に思いながら下駄箱に向かって廊下を歩いていく。


「どうしよう………またユウマくんに声をかけてもらえちゃった!? 喜びが強すぎてまだ興奮が抑えきれないよ」

 ユウマに声をかけてもらい恥ずかしさと興奮から脱兎の如く勢いでその場から立ち去ってしまった私は今、女子トイレの個室に籠っている。


 なぜ、そんなところにいるかというと、別に催したいからではなく走り去った勢いから目に入ったここに逃げてきただけである。なるべき入口から遠い一番奥の個室で私は今、状況を整理しているところだ。


「はぁ―――ユウマくん怒っていないかな」

 せっかく声をかけてもらえたのに突然逃げ出だすという奇行に走ったのだから軽蔑されていてもおかしくない。それ以上にやばい女判定をされていないか、今更ながら心配になってきた。

 しばらく葛藤した後、いつまでもここにいてもしょうがないため一旦出ることにする。

 また廊下に戻ってもう一度ユウマを探すがどこにも姿が見当たらず下駄箱を確認すると既に帰ってしまっていた。


「逃げてしまってごめんなさいって言おうと思ったのに―――」

 立ち尽くしていると、「そんなところでなにしてるの?」と声をかける。

 振り返ると見知った人物が小首を傾げながらこちらを見ていた。

 赤毛の髪が特徴的な少女・赤沢胡桃だった。


 彼女とは高校に入ってから仲良くなった。最初はまったく関わりがなかったのだが、ユウマのことを相談しているうちに仲良くなっていた。今では学校以外でもたまに休みの日に一緒に出掛ける仲になっている。

「実は―――」

 恥を忍んで胡桃に今までの経緯を説明する。

「はあ――――それで恥ずかしくなって逃げてきたの!?」

 私の話を訊き終わった胡桃は驚きとともに呆れた声を出していた。

 私はうんと小さく頷き胡桃の言葉を肯定する。


「ちょっとなにやってんのよ、あんたは―――」

「だって、だって恥ずかしくてでも嬉しくて―――」

 気が付けば私は胡桃の前でポロポロと涙を零していた。

「ちょっと!泣かないでよ」

 おろおろと困ったように狼狽える胡桃。

 ふとなにかを閃いたように「………あ」と声をあげる。


「どうしたの?胡桃」

 私は泣き腫らした顔を上げて赤くなった目を擦りながら胡桃に訊く。

「良いこと思いついたちゃった」

 と、悪戯を思いついた子供のような顔をする。

「っえ………?それってどういう」

 胡桃の言っている意味が分からずそう訊き返すと。


「それはね―――九音にとってはとってもプラスなことだよ」

 ニコニコとした悪い笑みを浮かべながらそんなことを言う。

「あたしの考えっていうのはね、ユウマを脅して無理やり付き合えばいいんだよ」

 とんでもないことを口にする。


「そんなのダメだよ、ユウマくんを脅すなんて――――」

「だって正面から告白できなんだから、それしか方法はないでしょ!ま、無理にとは言わないけれどね」

 どこか試すようなことを言う。

 その言葉にムッとした私は胡桃の提案を実行することを密かに決意する。


 翌朝、いつものように通学路を歩いているとユウマが待ちぼうけをしている場面に遭遇する。昨日の謝罪もしようと近づこうとすると――――。

 どうやら誰かと待ち合わせていたようで、相手が来たらすぐに二人で歩き出してしまった。なにやら楽しそうに話しており時折笑い声が聞こえてくる。


「なによ、私だってあんな風にユウマくんと話したいのに」

 おそらくユウマのクラスメイトであろう茶髪の男子生徒が親し気にユウマの肩に手を回してバシバシと叩いている。

「あれ?確かあの子って、胡桃の彼氏だよね。どうしてユウマくんと一緒に居るんだろう」

 不思議に思っていると、「で、昨日はお目当てのブツは買えたのか」

 銀煤竹色の髪に栗色の瞳を持った藤堂透哉がユウマに意味深なことを尋ねる。


 するとユウマは顔を綻ばせながら「ああ、ばっちりゲットできたぜ!」と嬉しそうに答える。

「ユウマくんって、あんな風に笑うんだ………」

 初めて見た想い人の笑顔にドキッと胸が高鳴る。

 そして歩き去っていくユウマの背中を見ながら自分がユウマのことに好意を抱いていることを実感する。


 悶々とした気持ちを抱えながら学校に行き授業を受ける。

 憂鬱な授業を乗り越えてお昼休みになりクラスメイトとお昼を食べていると。

 ピロンと音が鳴ってスマホの画面を見ると一件のメッセージが表示されていた。

 差出人は胡桃で「今日、一緒に帰ろうよ」と可愛らしい絵文字付きでお誘いを受ける。


 が、「ごめん、今日は予定があるんだ」

 そう言って、胡桃の誘いを断る。

 自分でもよく分からないけれどやるなら今日しかない!と思い立ち決心をして放課後までじっくりとチャンスを窺う。

 みんなが下校していき、誰もいないことを確認してからユウマのクラスに向かう。静かにドアを開けて中の様子を見るとユウマが一人でうたた寝をしていた、と思ったのだが違ったようだ。よくよく見ると前かがみになって何かを真剣な表情をして眺めている。


「そんなに真面目な顔をして一体何を読んでいるのかしら」

 気になった私は気づかれないように顔をドアの隙間に入れてじっとユウマを見る。

 そしてほんの一瞬だが、教科書のようなものが目に入る。ただ、居残りして勉強していただけのか、とせっかくチャンスだと思ったのに――――。

 諦めて帰ろうとしたその時。

「うぉぉぉぉぉ―――――――――――――――――!!」

 教室からすさまじい雄叫びが聞えてくる。


 驚いて転びそうになるのを何とか堪えて中の状況を確認すると「そこでそうなるのか!?」とユウマが興奮した様子で手に持っているものを高らかに掲げながら食い入るように見ている。

「………ッ!」

 手にしているものを見て驚愕の声を上げる。

 私がさっきまで教科書だと思っていたものが、実はそうではなく漫画本だったのだ。


 その光景を目にしたとき昨日の胡桃の言葉がフラッシュバックする。

―――脅して無理やり付き合えば?

 確かに私たちの通う常盤学園では勉学に必要なもの以外は持ち込み禁止とされており、教師に見つかった場合はいかなる理由があろうと没収される。最悪の場合は謹慎また停学と学校の規則で定められている。


「いくら校則違反をしたからってそれをネタにして付き合えっていうのはさすがにまずいよね」

 確かにユウマのことは好きだが、その好きな人の弱みを握って付き合うというのは常識的にいかがなものなのかと私の中の良心が語り掛けてくる。その一方で、細かいことはきにしなくてもいいじゃんか、付き合ってしまえばこちらのものだと悪魔が囁く。


 悪魔と天使が両側からせめぎ合って互いの主張を言い合う中で私は葛藤に揺れていた。

「ああ―――、私って最低だな―――」

 気が付けば、自嘲したように言っていた。今の私はこれまでの人生のおいて一番卑劣で最低な行為をしようとしている。

 好きな人と付き合うために―――振り向いてもらうために悪魔に魂を売るのだから。


 大きく深呼吸をしてから教室の中に入る。

「昼神くん? そこで何をしているの?」

 そっとユウマの右隣りに立って声をかける。

「っげ! って、誰かと思ったら西園寺じゃないか、俺のクラスに何か用事か」

 と、呑気にそんなことを訊いてくるユウマ。

「昼神くん、それって校則違反だよね!?」

 私はユウマが手にしている物を指さしながらそう言う。


「っ! こ、これはその、えっと――――」

 私の言葉にしどろもどろになるユウマを見てチャンスだと思う。人の弱みに付け込むなんて真似は西園寺グループの娘としては恥ずべき行為であり、人として最低な行為だと自覚しつつも、目の前にあるチャンスを無駄にすることができなかった。


 だってあの瞬間からずっと彼のことが好きだったのだから。

 震える拳を握りしめて精一杯の勇気と声を振り絞って「…………ねえ、このことをバラされたくなったら私と付き合ってよ」

 目の前にいるユウマに言い放つ。


 俺は絶賛ピンチに陥っていた。その理由は目の前の少女にある。

 艶やかな黒髪に薄い瑠璃色の瞳を持つ少女・西園寺九音に脅されているからだ。

―――西園寺九音、国内でも有名な大企業の社長令嬢であり我が学園の高嶺の花である。


 そんな学園一有名と言っても過言でもない彼女が何の取り柄もない平凡な俺に付き合うように迫ってきいる。

 どうしてこうなった? 逆に混乱しない方がおかしい。そんなことを心の中で考えていると。

「キミだって困るでしょ?――――校則違反の漫画を持ち込んであまつさえ読み耽っていたなんて知られたら……」

 畳みかけるようにそう言ってくる九音に返す言葉も出なかった。


「…………」

 事実であり正論であるため黙りこくるしかない。

 一方、九音はそんなこちらの反応を見てニヤニヤと意地悪な笑みを口元に浮かべている。

 さて、この状況をどう打開するかと考えていると。

「ねえ、昼神ユウマくん」

 フルネームで呼ばれ視線を彼女の方へ向ける。

「そろそろ返事を聞かせてもらえるかな?」

 先ほどの返事を急かす様に言ってくる九音。


「一つ訊いていいか? どうしてなんだ。西園寺のような美人なら俺のような何の取り柄もない平凡な男子よりも釣り合う相手はいくらでもいるだろう、それともこれは単なる罰ゲームなのか?」

 気がつけばずっと疑問に思っていたことを口にしていた。

 すると俺の言葉を訊いた九音が烈火の如く顔を赤くして怒り出す。


「…………っ!! 良い? そもそもこれは罰ゲームでもないし、私があなたに告白したのもあなたのことが大好きだから。それ以外の理由なんてないわ」

 力説する九音に少し気圧されつつも何とか曖昧だが反応する。


 ここまで言ってくれる彼女に対してこのまま何も言わずに立ち去ることもできる。だが、それは勇気を出して俺に気持ちを伝えてくれた彼女の想いを裏切ることになる。

 九音には申し訳ないが、正直に自分の気持ちを伝えるべく口を開こうとしたその時…………。


 俺の言葉を先読みした九音が、「あ、ちなみに返事はYES以外受け付けないけれど、私も鬼じゃないから選択肢を三つあげるわ。第一に私と付き合う、第二にはい、わかりました。第三にYESから選んでいいわよ」


 と、太陽のように燦燦と輝く笑顔でそう言ってくる。その表情からは断固とした姿勢が見え隠れしている。

 この瞬間、俺は抗うことを諦めた。


「…………」

「沈黙は肯定ってことでいいの?」


 こうして、俺は学園の高嶺の花こと西園寺九音と付き合うことになった。

 そしてこの出会いが今後の人生を大きく変えることになるとは、この時はまだ知る由もなかった。






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