第2話

 学校から帰って部屋に戻った私は、初めてそれの名前を知ったけど、思わず触れた唇を、また荒らしてしまった。右手人差し指の爪を、皮膚が剥がれかけたところにひっかける。そして親指と人差し指で皮膚を挟み込み、左に引っ張った。

 私の皮膚は剥ける。

 地肌が露出して、唇の動きを遮るものはもうない。そっと舌で剥いたところを舐めると、血の味がした。痛い。でも、これが気持ちいい。

 やめられない。

 何回やめようたしたんだっけ。



「お姉ちゃん、ご飯よ!」

「はーい。」

 階下まで聞こえるように、大声で返事をする。キリが悪いから、まだご飯はいらない。今日はほとんど読んでないな。


 もう諦めることにして、音を立てずに移動した。リビングの扉を開ける。

「うおっ! 姉ちゃんもっと気配出してよ。」

 直希だ。

「なあ、今日調子悪いの?」

「あら、そうなの? お姉ちゃん。」

 母も直希の発言に乗っかる。

「別に。」

 会話は途切れた。

 両親は、私を「お姉ちゃん」と呼ぶ。違う、あんたの姉なんかじゃない。私はあんたの娘だよ。瑞希だよ。

「お姉ちゃん、また唇荒れてるわね。薬塗っときなさいよ。」

「わかってるよ」

 母も弟も、私の唇に気付いているくせに、何もわからない。

 私の気持ちなんてわからない。だから私も、家族なんて信じない。

 信じる価値なんてないの。

 家族なんかに、価値なんてないの!

「あ、お母さん、お父さんの分取り分けといた方がいいよね?」

「そうね。今日も遅いでしょ。」

 当たり前のように、私が用意をする。母のパソコンのタイプ音と、食器の音、それから直希のゲームの音。どれもバラバラだ。

 ああ、イライラする。

 こんなやつの子供に生まれたから、唇がボロボロになった。

 全部、全部、家族のせいだ。

「ねえ、皮膚むしり症って知ってる?」

 今しかない。私がこんなにも家での居場所に困ってて、小さいころから蔑ろにされてきて、それで今、こんなに唇が汚くなって、目も汚くなって……すべての不満をぶつけてやる。投げつけてやる。

 直希が生まれたからだ。

 直希が生まれて以来、私は邪魔者だから。

 除け者にされ続けてきたんだから。

「ワセリンを塗ったところで、私の唇は良くならないよ。だって自分で自分の皮膚剥いてるんだもん。お母さんは知らないだろうけど、知ってると思ってないけど、ワセリン塗れ塗れ言われて、もうほんと、ウザい。どうしてこんなことに……。」

「皮膚、むしり症……。」

 母は小さく呟く。

「私は直希が生まれたから、いらなくなったんでしょ。そんなことわかってる。

 ずっと、誰も、私に興味もってくれない。小学校の授業参観だってお母さんは直希のほうばっかりだったし、子供のころ、一緒に折り紙やりたくても直希が優先だった。私より直希が大事なんでしょ。私なんてどうせいらないのよ!」

 私は何もかもぶちまける。

 弟は不審者を見つけたような目で、姉を見つめている。

「あなた、変よ。どうしたのよ。」

 はあ⁉

 お前の口が何を言うか。

 お前のせいで、私はボロボロになったのに。

 お前たちのせいで‼

「誰があんたなんかに悩み相談するのよ。お父さんは飲み会ばっかりで全然帰ってこないじゃない。私をずっと、除け者にし続けてるじゃない‼」

 お母さんは、弟の顔を見つめた。

 突然壊れた娘が怖いのか、それとも本気で心配してくれているのか。火を見るよりも明らかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る