憂鬱な月曜日
数日後、悠斗は珍しく学校へ向かっていた。卒業式に出席するためだ。とは言え、気が進まないのは変わらない。長い引きこもり生活で、人付き合いが苦手になっていた。
教室に入ると、久しぶりの学校とは思えないほど騒がしかった。クラスメイトたちが談笑し、笑い声が響いている。
「おー、珍しいな、白石」
「うわ、ゲーム廃人が学校来たぞ」
「卒業式だからしょうがなく来たんだろ。証書もらわないと卒業できないからな」
そんな声が聞こえてくる。悪意のない軽口なのだろうが、正直居心地は良くない。悠斗は無言で自分の席に座った。
隣の席には理沙がいた。彼女は悠斗の顔を見ると、ニコリと微笑んだ。
「よかったじゃん、来れて」
その表情に、悠斗も少しだけ緊張がほぐれるのを感じた。理沙は変わらない。いつも通りの笑顔で、いつも通りの言葉をかけてくれる。それが、少しだけ救いだった。
やがて式が始まった。校長の式辞、来賓の祝辞、生徒代表の挨拶と粛々と進んでいく。悠斗は、ただ黙って座っていた。周囲の視線が気になって仕方ない。
「卒業証書の授与を行います」
司会の教師の声が響き、名前を呼ばれた生徒が次々と壇上へ上がっていく。拍手が響くたびに、悠斗の緊張は高まっていった。
「白石悠斗」
やがて、自分の名前が呼ばれた。悠斗は立ち上がり、ゆっくりと壇上へと向かった。冷や汗が背中を流れるのを感じながらも、足を前に進める。視線が自分に集中しているのがわかる。
壇上に上がり、校長から卒業証書を受け取った。重みのある紙の感触が、妙に現実的だった。一礼すると、教室内から大きな拍手が響いた。
その拍手が、自分への励ましや祝福のように感じられた。心が少しだけ軽くなった気がする。悠斗は壇上から降りると、席に戻った。
「ふぅ……」
席に座るなり、大きくため息をついた。緊張の糸が切れたのか、全身から力が抜けていく。
隣の理沙が、ニヤリと笑った。
「良かったじゃん、ちゃんと卒業できて」
「……うるさいな」
そう言いつつ、悠斗の口元にも笑みが浮かんでいた。確かに、来て良かったのかもしれない。少なくとも、卒業証書は手に入れた。
式が終わり、教室は解散となった。久しぶりに会う友人たちと言葉を交わし、記念撮影をする者もいる。悠斗は、そんな輪に加わることなく、あっさりと教室を後にした。
大勢の中にいるのは、やはり苦手だった。一刻も早く家に帰りたい。そんな思いを抱きながら校門へ向かっていると、後ろから声をかけられた。
「悠斗!」
振り返ると、そこには理沙の姿があった。
「……なんだよ」
「悠斗。ゲームはいいけどさ、進路とか考えてるの?」
理沙の言葉は、いつもより真剣だった。悠斗は何も言えずに立ち尽くす。
「ほら、世界は広いんだから。ゲームだけじゃなくて、外の世界にも目を向けようよ」
理沙は優しく微笑んだ。その笑顔に、悠斗はさらに何も言えなくなった。返す言葉が見つからない。
「……俺なりに考えてるよ」
精一杯の返事を絞り出し、悠斗はトボトボと歩き出した。理沙は手を振って見送ってくれたが、悠斗は振り返ることができなかった。
だが、本当は自分でもよくわかっていた。ゲームの中だけが、悠斗の居場所だということを。現実の辛さから逃げるために、ゲームに没頭してきたのだ。
複雑な思いを胸に、悠斗は家路についた。
放課後の帰り道、悠斗は家の鍵を落としたことに気づいた。
ポケットを探っても、カバンの中を探しても見つからない。学校に忘れたのかもしれない。
「最悪だ……」
仕方なく、悠斗は学校へと引き返した。夕暮れ時の校舎は静まり返っており、生徒の姿はほとんど見えない。靴箱を確認したが、鍵は落ちていなかった。
「教室か……」
悠斗は校舎に入り、自分のクラスがあった教室へと向かった。廊下を歩く自分の足音だけが、妙に大きく響く。この静けさが、どこか落ち着かなかった。
教室の前まで来ると、ドアが少しだけ開いていた。中から、何か声が聞こえてくる。
「……これで、全てが始まる」
聞き覚えのある声だった。悠斗は、そっとドアの隙間から中を覗き込んだ。
教室の隅で、一人の少女が鏡に向かって話しかけていた。
それは、理沙だった。
理沙の声は、いつになく真剣だった。まるで、誰かに報告をしているかのようだ。悠斗は、その言葉の意味を理解できずにいた。
そのとき、悠斗の足元で床が軋んだ。
理沙がこちらを振り返った。いつもの優しい笑顔ではなく、見たこともないような険しい表情だった。
「悠斗……? なんでここに……」
動揺した様子の理沙。悠斗は、嫌な予感がした。何か、まずいものを見てしまったような気がする。
「あ、いや、鍵を忘れてきたから取りに……。それより、今の話ってなんなんだ?」
悠斗は、できるだけ自然に尋ねた。だが、理沙の表情は変わらない。
「……忘れて。早く帰りなさい」
そう言い残し、理沙は足早に教室を後にした。悠斗は、呆然と立ち尽くすしかなかった。理沙の背中が、廊下の向こうへと消えていく。
「なんだったんだ、今の……」
しばらくして、悠斗は我に返った。鍵を探すため、自分の席へと向かう。机の上を見ると、そこに鍵が置かれていた。
「あった……」
悠斗は安堵のため息をつきながら、鍵を手に取った。これで家に帰れる。だが、さっきの理沙の様子が気になって仕方ない。
ふと、視線が鏡に向けられた。さっき理沙が話しかけていた鏡だ。教室の隅に置かれた、大きな姿見。特に変わったところはないように見える。
「……何なんだろう、あれ」
気になって仕方ない。悠斗は鏡に近づき、覗き込んだ。自分の姿が映っているだけだ。しかし、鏡の裏側に何かが貼り付けられているのが見えた。
「これは……」
悠斗は鏡を動かし、裏側を確認した。そこには、磁石のような小さな装置が貼り付けられていた。スイッチのようなものも見える。
「スイッチ……?」
興味を引かれ、悠斗はその装置に手を伸ばした。押してみようか。いや、でも——
その瞬間、鏡が青白く光り始めた。
「な、なんだこれは……」
突然の出来事に、悠斗は驚きを隠せない。鏡全体が発光し、眩しいほどの光が部屋を照らす。
光が収まると、鏡には見たこともない景色が映し出されていた。自分の姿ではない。渦巻く、青白い光の渦だった。
「これは……渦?」
悠斗の目の前には、巨大な渦が広がっている。まるで、自分を引き込もうとしているかのようだ。風が吹き出し、悠斗の髪や服を揺らす。
「……触れてみよう」
悠斗は恐る恐る、鏡に指を近づけた。理性では止めるべきだとわかっていたが、好奇心が勝った。
指先が鏡の表面に触れる——するとその指先は、するりとガラスの向こう側へと吸い込まれていった。
「え……?」
信じられない光景に、悠斗は言葉を失った。鏡は固体ではなかった。まるで水のように、指を受け入れている。
だが、その驚きもつかの間だった。次の瞬間、渦の引力が急激に強まり、悠斗の体全てが渦の中へと引きずり込まれていった。
「う、うわあああっ!?」
叫び声を上げる間もなく、意識は遠のいていく。体が浮遊し、何かに引っ張られるような感覚。上下左右の感覚が失われ、ただ暗闇の中を落ちていくような感覚だけが残った。
気が付くと、悠斗はもう教室にはいなかった。
鏡は、悠斗を飲み込むと、徐々にその光を失っていった。やがて、元の姿に戻ってしまう。そこには、ただの姿見があるだけだった。
教室に、再び静寂が訪れた。誰もいない教室に、夕日が差し込んでいる。まるで、何事もなかったかのように。
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