第二十九話「焦燥」

「ただいまー」


 バイトを終え、家に着くとドアを開けながら自然と口から出た言葉に少しだけ口角が緩む。

 アリスが来てからもう何ヶ月だろうか。

 ただいまが自然と出るのはアリスが家にいるのが当たり前になったんだろうな。

 そんな事を考えながら靴を脱ぐ。


「……?」


 シーンと静かなままな事に違和感を覚える。

 いつもなら帰って来てすぐに出迎えてくるアリスが現れない。


「アリス?」


 トイレだろうか。

 静まりかえった家の中を一周してもどこにもアリスの姿はない。


「あいつどこ行ったんだ?」


 玄関を確認すると、アリスの靴がない。


「嬉野さんのところか」


 すっかり嬉野さんのところに出入るようになったな。

 羨ましい……というよりも、こうも頻繁にお邪魔していると迷惑になってないかが心配だ。


「迎えに行きますかね」


 なんて口実があれば嬉野さんと会えるからね。

 早速、外に出て隣の部屋のインターホンを押す。


「はーい」


 ひょっこり開いたドアから嬉野さんが顔を出す。

 いつも通り美人だ。


「いつもお邪魔しちゃってすみません。アリスを迎えに来ました」

「え? 来てないよ。アリスちゃん」

「あれ」


 嬉野さんのところじゃないのか。

 じゃあどこに行ったんだ?


「……」


「午前中は来ていたんだけど、もしかしてアリスちゃんいないの?」

「あー。いえ。多分買い物にでも行ってるんだと思います」


 最近ではアリスに一人で買い物をお願いすることも多い。

 たがら、今買い物中でも不思議ではない。多分、夕飯の食材かなにかに足りないものがあったのだろう。だから不思議じゃないんだけど……。


 あいつ、勝手に一人で出かけるなって言ったのに。



÷−÷−



 三十分経った。

 だんだん冷や汗が背中を流れ始める。


 すでに外は薄暗くなって来ている。

 買い物に使うスーパーは決して遠くない。買い物なんて遅くても三十分もあれば十分だ。


 どこに行ったんだ?

 あいつが今までに勝手に外に出たことなんて今までに一度も……いや。嬉野さんが襲われた時にあったか。

 でもその一度だけ。それも緊急事態の特例の時だ。

 じゃあ何か緊急事態みたいなのがあったのか?


 考えれば考えるほど嫌なことが過ってしまう。


「大丈夫、だよな?」


 その言葉は半分自分に言い聞かせているようだった。

 それでも、不安は拭いきれない。

 今この状況が異常であると、時間が経過するにつれて証明されていくようだった。


 もし、もしも変な奴がこの家に入って、無理矢理アリスを連れ去ったのしたら。

 ついこの前、近い話が隣で起こっている。

 可能性はゼロではない。


 その考えが浮かぶと、俺は家を飛び出していた。


 再び嬉野さんの部屋のインターホンを押す。


「はーい」


 さっきと変わらない様子で嬉野さんが顔を出して、俺のである事を確認すると、嬉野さんの顔が強張る。

 俺はどんな顔をしているんだろう。


「もしかしてアリスちゃん帰ってないの?」

「はい。すみませんが、入れ違いになるかもなのでアリスが帰ってるのに気づいたら連絡もらえますか?」

「それは全然大丈夫だけど、アリスちゃんどこに行っているか分かってるの?」


 わからない。

 ただ、ジッとはしてられなかった。


「ちょっと待って。シノくんが帰って来た時に鍵はかかってた?」

「かかってましたね」

「じゃあアリスちゃんの意思で外に出て鍵を閉めたってことだよね」


 そうか。その通り。

 なら、家を飛び出す前に考えていたことは限りなくないはず。ないよな?

 じゃあアリスは一人でどこに行った?


「あ!」


 嬉野さんが何かを思い出したかのように言う。


「もしかしてアリスちゃん、シノくんのプレゼントを買いに行ったんじゃ……」

「プレゼント?」

「うん。今日アリスちゃんに初給料を渡したの。その時に、お給料でシノくんにプレゼントを買うんだって……あぁ……ごめんなさい。私のせいだ」

「ど、どういうことですか?」

「その時に言っちゃったの。サプライズでプレゼントを渡したらシノくん喜ぶって。だから一人で買いに行っちゃったのかも」


 サプライズ……なるほど。だから言いつけを破って一人で出て行ったのか。

 でもアリスのことだ。きっと俺が帰ってくる前に戻る算段だったはず。ってことは行った先でやっぱりなにかあったのかもしれない。


「ありがとうございます! 多分行き先わかりました」


 少し冷静に考えてみれば、アリスの行ける場所は限られている。

 それに俺にプレゼントを買いに行ったとなれば、行き先はあそこしかない。


 あいつ、一人で電車に乗ったのか。


 行き先に目星がつくと、俺は走り出していた。

 もう、夜になる。

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