第二十三話「バイト小戦士2」
私は急いで更衣室に向かいます。
事務室ではまだかもめさんが電話をしていました。
「はい、はい……。ええ。あの叔母さん、そろそろ仕事に戻らないと……。まぁ、そうなんですけど、今日は新しいバイト? の子が来ていて……。あの、これ今話さないとですかね?」
どうやままだまだ電話は長引きそうです。
私はポーチから手鏡を取り出して戻ります。これでお客さんも一安心です。
÷−÷−
「アリスちゃんごめーん! 待ったよね。お客さん大丈夫だっ……え?」
「さぁ後藤さん、練習した通りです」
「あ、ああ。この前は怖がらせてしまって申し訳なかった」
「え」
お喋り好きな叔母さんの長い対応を終えて事務室を出ると、そこにはアリスに連れらるようにして、例の苦手なお客さんが立っていた。
そして、かもめがその状況を理解する前に、お客さんが頭を下げたのだ。
「あ、いえ、え? どういう事ですか?」
「この子から話を聞いてね。前に間違いを伝えた時に怖がらせてしまったようだ。クレームなんてそんなつもりはなかったのだが、この無愛想な顔のせいだろう。怖がらせてしまって申し訳なかった」
「い、いえ。注文を間違えたの私なので……」
「後藤さん、笑顔です! 笑顔は怖くなりません」
「笑顔はまだ勘弁してもらえないか……」
「そうですか……。かもめさん。後藤さんはまだ練習中なので、笑顔はまた今度でお願いします」
「う、うん」
呆気に取られているうちに、「さぁ、戻って練習の続きをしましょう」と、アリスは後藤さんと呼ばれるお客さんを連れて行く。
いったい電話をしている間に店内で何が起きていたのだろうか。
÷−÷−
「ただいま戻りました!」
「おーおかえり。あ、嬉野さん。アリスがお世話になりました。なにかご迷惑かけませんでした?」
「アリスちゃん大活躍だったんだよ。ね!」
それにアリスは満更でもないように、「えへへ」と照れ笑いをする。
「あー……でも。シノくん、ちょっといい?」
「あ、はい。アリス、お前は手洗いうがいしとけ」
「かしこまりです!」
アリスが洗面所に入って行くのを見届けて、
「すみません。やっぱりなんかやらかしました?」
「ううん。大活躍だったのは間違いないんだけど、ちょっと斜め上だったというか……」
斜め上……。まぁアリスはいつも斜め上を行く不思議の国の住人だからな。
きっと俺でも想像つかない方向で色々やったんだろう。
「すみません。迷惑かけちゃったみたいで」
「ううん! 迷惑なんてことはないんだけど、そのー……シノくんはウチの店に来るの控えた方がいいかもなんて……」
え!?
出禁!?
店長さんにやらかしたのか!?
だって店長さんの推薦でお手伝いに行ったのに、もうその信頼を砕いてきたの!?
「あ、勘違いしないでね。いい意味でだから! いい意味というか、良すぎちゃったというか」
いい意味で出禁ってなに?
お前らいい意味で出禁になったことあるか?
俺はあるぞ。
「その、アリスはいったいなにを?」
「シノさま手を洗ってきました!」
「よし。じゃあもう三回洗ってこい」
「え、わかりました!」
「嬉野さん、話の続きを」
「あはは、やっぱりシノくんとアリスちゃんは一緒にいると面白いね。アリスちゃんの活躍はアリスちゃんから聞いてみて。話すと長くなるし」
「わかりました。そうします。それで……マジで出禁ですか?」
「出禁? あー、そうじゃないの。そんな事はないんだけど……ね? まずはアリスちゃんの活躍を聞いてみてからかな」
÷−÷−
「さてアリスさん。嬉野さんから今日は大活躍だと聞いている」
「はい。頑張りました!」
「そうか。じゃあその仕事っぷりを事細かく教えてくれ。俺の知らないところでどうな事をしでかしてしまったのかを」
「はい! 分かりました。まず、更衣室でお着替えしました。その時に見たのですが、かもめさんの下着は大人で憧れました」
「アリス。ちゃんと事細かくと言っただろう。何色だったかちゃんと言いなさい」
おいおい。なかなかいい仕事してきたじゃねぇか。ふむふむ、なるほど。水色ね。
こんな感じで、アリスの仕事っぷりを聞かせてもらった。
「つまり、その後藤さんってお客さんと笑顔の練習をしたと」
「はい。怒ってないのに怒ってるみたいに見えちゃうのが悩みと聞いたので、笑顔なら大丈夫だと思いました。
それで、昨日シノさまと手鏡で笑顔の練習した事を思い出して、同じようにしました」
笑顔は接客の基本だ。
そんな事を言って、昨夜に鏡を使って営業スマイルの練習をさせたのだ。
もしかしたらスマイル下さい。なんて注文があるかもしれないからな。
って、普通に話を聞いちゃってたけど、とんでもねぇ事してるな。
それで嬉野さんに謝らせたとか。たまたまいいお客さんだったみたいだから良かったものの、本当に危ないお客さんだったらどうにかなっていたかもしれない。
そこは後できっちり言い聞かせるとして、問題は……。
「で、どうしてそんな約束したんだ」
「シノさまであれば上手に教えられると思ったので」
なにも悪びれなく言う。
そう。アリスは接客した客という客に、俺のことを話して回ったらしい。
そして、俺の過大評価をしているアリスは話の中で様々な口約束をして来たとか。
今度俺がお店に行った時に、その怖いお客さんに笑顔を教えることになっているらしい。
それだけではない。
どこぞのマダムには、「好きな男の子はいるのー?」なんて会話から、どこぞの雑誌を広げて「誰に似てる? 何系?」と聞かれ、それにアリスは「シノさまはこの雑誌に載ってる誰よりもイケメンです!」と答えて、今度俺がお店に行った時に紹介する約束をしたらしい。
つまり、俺が次にお店に行った時には笑顔が素敵な雑誌に載ってるモデルよりイケメンと、常連に思われているわけだ。
そんな期待を背負って中卒で家出した童貞野郎の俺が登場したらどうなってしまうのか。
きっと店内は氷河期を迎えるに違いない。
俺は当分あの喫茶店を控えることを心に誓った。
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