第4話 父親と垣沼氏

 容子やすこの非番の日の出来事があってから約十日後のことである。だんだん日が延びて来たがまだ辺りは朝夕とも暗い。春先は畑や田植えの準備で忙しい鈴木家だ。

 父親が農作業を終えて家に入って来るなり、

 「容子ぉ、お土産を頂いたぞー」

 と、菓子折をテーブルの上に置いた。

 「やだ、お父さん先に洗面所かお風呂場で洗って来てくださいよ」

 母親がいつも用意してある着替えを渡そうとする。

 「洗ったよ、外の水道で。それからスタンドにちょっくら行って来たんだ。そしたら会長と若い衆と話し込んじゃってさ、ほら、そんでこれを頂いたんだよ」

 容子はすっかり忘れていたが、若い衆とは垣沼氏のことだろう、と思い出した。

 「ふうん。良かったね」

 小箱にはたい焼きの絵が描いてある。父親は甘い物が好物なのだ。

 いつもよりもニヤつきながら容子を見る。

 「容子さ、この前若い衆、垣沼くんだっけか、と一緒にお祖母ちゃんちに行ったんだってなあ」

 ギクリ、としたが容子はポーカーフェイスを駆使して「うん。そうだね」と軽くあしらった。が、母親は聞き逃さなかった。

 「え、お母さんは聞いてないですよ。大学いもを沢山貰って来た日よね?」

 「あー、そうだね」

 「どうしてその人も一緒に行ったの?もしかしたら、お祖母ちゃんが話し相手になってってお願いしたの?」

 自分の母親の寂しさや人恋しさを理解している母は、その若者に迷惑をかけたのでは、と考えた。

 「灯油を運んで頂いたの。荷台に他の物があったから、運びますよ、って。うちの車で行ったら配達料金にはならないから、って一緒に行っただけ。そしたらばあちゃんがお茶を淹れてくれただけ」

 立ち話をしていた所へ「ただいまあ〜」と姉の祥子さちこが帰って来た。

 う、まずい。煩いヤツが来た、と容子は菓子折を放置して、居間から出ようとする。

 両親と一緒に「おかえり」を忘れずに。

 「なぁに、なんでみんなつっ立ってるのぉ?座ったらぁ」

 居間へバッグと上着を置いて鼻歌を歌いながら洗面所へ向かう姉を横目に、容子は台所へと移動する。家族全員が揃ったので夕食の仕上げをしなければ。そして早く食べて自室に行きたい。

 母親も容子に続くが、何かを聞きたそうに見えた。容子は気づかぬふりをする。

 「あっ、今日は私お夕食は要らないのぉ。ごめんなさい連絡入れられなくってぇ」

 「ええ、またなの?早めに電話しなさいって言ったでしょう」

 「ごめぇん。だって急におごってくれるって言うんだもの」

 またか。姉は良く、知人や友人、はたまた他人に食べ物をおごって貰う機会が多い。もしやたかっているのでは?と怪しむ妹である。

 「じゃあ、お父さんは着替えて来るかな。お母さん、後でたい焼きを頂くとしよう」

 菓子折はたい焼きであった。

 「え、たい焼きがあるの?私それ今食べたいなぁ」

 祥子は台所へ入るなりラップを掴むと、軽くちぎって「あれ、ないじゃない」とたい焼きを探した。

 「居間にあるよ」

 「うふ。おやつ頂きぃ」

 再び鼻歌を歌いつつ、部屋へ向かう姉を背後に感じ、容子はホッとため息をついた。良かった。「ねぇ、これどうしたのぉ?誰が買って来たのぉ」などと詮索されなかったことに安堵したのだ。

 

 三人で囲む夕食は、姉がいない為か静かだった。

 母親の何か言いたそうな表情は消えてはいない。父親は好物のせいかは不明だが、ニンマリしながら食している。気味悪さを覚えながら容子は早く食べ、早く片付け早く休む、と警察学校時代の日々を思い出しつつ夕食を済ませた。

 たい焼きは父親に譲ってもいい。甘い物は大して好みではない。どちらかと言えば、風呂上がりにビールが飲みたい。喉越しスッキリタイプではない方が好ましい。口腔内に余韻が残り、鼻腔から香りが抜ける際の濃い風味が好みである。

 とりあえずビール、などとはビールに失礼であろう。ビールにはそんな役割など無い。

 皆、味わいを感じずに喉越し重視で呑んでいるのだろうか。ああ、ビールのつまみに揚げだし豆腐が食べたいな、と冷蔵庫の中を思い出そうとする。

 「容子、垣沼くんとはこの前会ったばかりなんだよな」

 考えごとをしながら食器を洗っていると、いきなり父親がたい焼きを頬張りつつ訊いて来た。

 う、今来たか。

 「うん、そうだね」

 だからそんなことは別にいいではないか、と容子は思う。

 お茶を運んでいた母親は、その垣沼くんてどんな子?と父親に聞いている。 

 容子は食器を拭こうと思ったが、台所にいては会話を続けなければならないと読み、放置してさっさと自室へ戻る。

 たい焼きは自分の分として残して置いてくれるだろう。それとも父が我慢出来ずに食べてしまうか。まあ、どちらでもいい。容子は甘党ではないのだから。


 後日、母親が祖母宅へ出かけた。車の免許を持たない彼女は、長女の有給休暇をあてにして、二人で遊びに行ったのである。

 祖母は容子よりも自分に似ている祥子の方を気に入っている。それを知っているので、祖母の寂しさを知りつつも自然と足が遠のいてしまうのだ。また、様々なことに対して根掘り葉掘り訊ねて来る祖母へ、

 「ばあちゃん、職務上守秘義務って物があってね云々」

 と、毎回応え辛い。残念な、がっかりした祖母の顔は物悲しさを通り越して憐れさを覚えてしまう。

 ばあちゃん、もっと外に出たらいいのに……。

 容子は知らなかった。父親と垣沼が両者の嗜好品が似ていて話が合う為か、仕事上、私的なことにも話題が及び仲が良く、その上祖母が彼を気に入り、父親経由ではなく灯油は垣沼経由で配達購入になった為か……鈴木家の話が垣沼に筒抜けになっていると言うことを。

 祖母と姉が、容子の預かり知らぬ所で垣沼と接点があったことも。

 



 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る