第3話 悪意

  真っ暗だ。何も見えない。微かに、誰かが自分の名前を呼んでいる声が聞こえる。声のする方に歩く。

 すると光が見えてきて、だんだんその光は大きくなった。そして光に包まれた時、ウルメスは目を覚ました。

 初めは意識が揺らぎ朦朧としていたけれど、時間が経過していくにつれ次第に状況を理解し始めた。

 ベッドで寝ていた。すごく穏やかな昼下がりで、気を緩めるとそのまま寝てしまいそうだった。

 けれど唐突に思い出した。

「お母さん・・・っ!!!」

 ウルメスは素早く起き上がった。家の中には誰もいない。外へ、と思い足を踏み出そうとしたら、そのまま盛大に転んでしまった。

「(足に力が入らない……)」

 どうしたものか。早く母の安否を確認しなければ。この世で一番大切な人物である母の、命の無事を確かめたい。

 匍匐前進で、芋虫のように玄関のドアへと這う。あともう少し。あと少しで届く。

 すると勝手にドアが開いた。必死になっていたので、向こうから誰かが歩いてくる音が聞こえていなかった。

 すこし呆然として、誰が開けたのか上を向いて確認した。



「よかった……ウルメス……」

 そこにはレネイがいた。



「お母さんっ!」

 レネイが勢いよくウルメスを抱きしめる。ギュッと、強く抱きしめる。レネイの中で沢山の気持ちが込み上げる。涙が流れてきた。

「よかった、生きてくれていた。本当によかった……。あなたは本当に強い子ね。偉い、偉いよ。ありがとう……ありがとう……」

 不安で張り詰めていた緊張がほぐれて一気に感情が溢れ出した。ウルメスは大声を出して、おいおい泣いた。涙がレネイの服の裾を濡らした。

 砂漠化する世界の隅で、酷い困難に立たされていた二人の絆はさらに強固になった。二人は、不思議な優しさに包まれる感覚を覚えた。互いの体の温かさに、安堵と感謝を覚えた二人。

 レネイは一日で目を覚ましたが、ウルメスは7日も目を覚まさなかった。レネイにとってはとても長い6日間だった。


 その後ウルメスの体調も全快へと向い、二人は無事に生き残る事に成功した。マーズが父のゲルシュと同じ仕事をしていたので、レネイにも仕事ができ、自力で稼いで食べていく事もできた。そうして三人は3ヶ月ほど落ち着いた生活を続けた。

 

 マーズの家は街の外れにあり、レネイは加工した鉱石を街まで売りに行った。

 この日も、レネイはいつものように街まで出かけた。洗濯物が風に揺れ、子供が遊んでいるのが見える。けれどいつもと違うことと言えば、今、荷馬車に乗っているこの宝石たちが、この地区の統治者に献上するものであるということだ。

 砂漠気候のエーリモスは六つの区域に分けられ統治されている。レネイの住む区域の最高権力者に、レネイの鉱石の加工技術の高さが認められ、レネイの宝石はこの地域の統治者に献上されることになった。このことによりレネイの宝石の需要が高まり、もっと裕福な暮らしが見込めた。

 いつも宝石を作る時、レネイは手に取る人が笑顔になるようにと、想いを込めて研削をする。絶対に偽の鉱石は扱わないし、一級品を作るようにしていた。だからレネイは不良品を出した事は一度もなかった。

 国の遣いに、丹精込めて磨き上げた宝石を献上し、その日は無事に終わった。

 しかし、一週間程経った時分で、事件が発覚した。献上した宝石の一つが偽物とすり替えられていたのだ。

 家に兵隊が押し寄せた。

「レネイ・ラナンキュラスは居るか!」

 剣を抜いて五人の兵隊が家に土足で踏み入る。

 家に居たレネイ、ウルメス、マーズの三人は状況が把握できずたじろぐ。

 マーズとウルメスはレネイの前に立った、レネイを守るように。

 マーズが言った。

「軍が私たちになんの用だ」

「とぼけるな、貴様らはこの国の権力者に立てついた」「なんの話をしているのかさっぱりわからない。説明してくれ、きっと誤解しているだけだ」

「レネイ・ラナンキュラスの献上した宝石の中に偽造物が混入していたのだ!」

「なんだと!?そんなはずはない!第一、そんなことをしても我々に取り得はない。きっと何かの間違いだ。だから手荒なまねは……」

「黙れ!今からレネイ・ラナンキュラスを烙印の刑に処す」

「待て!こちらにも抗議する権利があるはずだ!」

「そんなものは無い。この紙を見てみろ、もう決まった事だ」

 兵士は手配状をマーズに見せて言った。この地区の権力者の名が書かれている。この地区の政治は集権的で、権力者は好きなようにその権力をふるった。そして強引にマーズを取り押さえようとした。しかしマーズは払いのけ、心臓を燃焼させる。

「こんな事が許されて良いはずがない!ウルメス!レネイ!逃げろ!烙印を押されてしまってはもう終わりだ!絶対に逃げ切るんだ!」

 烙印は額に押される。国家反逆罪の烙印。この烙印を押された者に売買は許されず、どんな権利も認められない。つまり生きていけなくなる。

「兄さん!でも!」

「いいから行け!この地区を抜けろ!必ず俺も追いつく!」

「……分かった、ごめんなさい、兄さん」

 レネイとウルメスは裏口から逃げる。

 兵士が叫ぶ。

「絶対に逃すな!追え!」

 裏口のドアの前に立ち、兵隊たちを睨みつけるマーズ。

「行かせない……!」

「おいお前、国に歯向かうと言うのか?」

「俺の家族の命は奪わせない」

「そうか、お前にも烙印が必要なようだ」

 五人の兵隊が燃焼した。その衝撃で家の家具や天井は焼けて吹き飛ばされてしまった。

 戦いが始まった。

 二人は今いる第六地区から北の第五地区へと走っていた。

「母さん!マーズ叔父さん、あのままだと殺されちゃうよ……!」

「分かってる!分かってるよ、そんなこと!でもこうするしかないの!」

「叔父さん………」

 マーズ一人に対し相手は五人。兵士は戦闘のプロだ。勝ち目はなかった。勝負はすぐに着いた。そしてマーズの額に烙印が押された。

 だが、この少しの時間稼ぎのおかげでレネイとウルメスは逃げ切る事に成功する。

 ウルメスとレネイは夜の砂漠を走っていた。二人のすぐ後ろに兵隊が迫っている。

 第五地区は商業が盛んに行われている地区で、全ての地区の中で一番発展している地区であった。

 第五地区に入ったところでウルメスとレネイは狭い路地に入ることによって何とか兵隊から逃げ切る事が出来た。

「もう安全よ、ウルメス」

「マーズ叔父さん・・・僕たちのために・・・何か他の方法はなかったのかな」

「ウルメス・・・マーズ叔父さんがくれた命、精一杯生きていこう」

 と涙が溢れそうな目でレネイは言った。

「うん」

 下を向き俯いた表情でウルメスは答える。

「行こう」

「……」

 追っ手から逃げ切り、ひとまずの安全は確保された。

 しかし、これからの身のこなしをどうするか、これが問題だった。

 お金も無ければ家もない。何も残されていない状態でこの先どう生きていくか。

 レネイは、ウルメスだけは確実に生き延びる事ができる策を一つだけ持っていた。それは、ウルメスを孤児院に預けるというものであった。この策が功を奏すれば、ウルメスは生き延びる事ができる。しかし、レネイの状況は全くの逆であった。

 砂漠化の影響で仕事がなく都会に出稼ぎにきても、飢え死にするケースがほとんどであった。砂漠化によって人間が住める領地は極端に狭くなったため、仕事に対する人口が飽和してしまっていたからだ。仕事がないとなったら、レネイにできることは身を売ることしか残っていなかった。身を売る仕事についても、長期間生き延びることは難しい。病気が蔓延しているからだ。

 つまりレネイがこの先生き延びる事ができる可能性は極めて低い。

 その事をレネイは悟っていた。

 レネイは孤児院を探し始めた。と同時にレネイの口調がいつもより穏やかで優しくなっていった。孤児院が見つかった時、それがウルメスとの今生の別れになるに違いなかったからだ。

「ウルメス、手繋いで、歩こうか」

「お母さん、いきなりどうしたの」

「いいでしょ、ウルメス早く手出して」

「分かったよ、でもちょっと恥ずかしいよ」

「そう?お母さんはぜーんぜん恥ずかしくないけどなー。ウルメスの手は大きいね。すごく立派な手をしてる」

「えへへ、そうかなぁ。僕もお母さんの手、大好きだよ」

「ありがとう、ウルメス。着いたよ。」

「着いたって……、この建物何?お母さん」

「ここはね、お父さんやお母さんがいない子供たちを育ててくれる施設でね、ウルメ……」

 「嫌だ!」

「ウルメス……」

「僕こんなところ絶対に入らないよ!僕はお母さんと一緒にいる!」

 声が震えてしまうレネイ。

「ウルメス……聞いて」

「嫌だ嫌だ嫌だ!絶対一緒にいるんだ!僕がお母さんを守るんだ!」

 泣き始めるウルメス。悲しくて仕方がない。

「ウルメス、また会えるから、大丈夫だから」

「嘘だ!僕知ってるよ、仕事がないんでしょ?だからお母さんはあの砂漠の家にいたんだもん!ここには仕事がないんだ!だから、だから僕は……お母さんと一緒にいるんだ!絶対お母さんを一人にさせない!」

 涙が溢れるレネイ。

「ごめんね、ウルメス。仕方がないの。あなたまで死ぬ事はないの。分かって、ウルメス」

「嫌だ嫌だ嫌だ!」

 レネイはウルメスを抱きしめた。ギュッと強く。

「ごめんね、ウルメス……ごめんね……」

「お母さん……お母さん……」

「お母さんは心からウルメスの事を愛してるよ。ウルメスは私の宝物。だからね、私はウルメスに生きて欲しいの」

「お母さん……」

「愛してるよ、ウルメス……さあ、行って。中にいる人に、何かお手伝いをする代わりにここに住まわせてくださいって言えばいいよ」

「分かったよ……お母さん……。お母さん、生きて、必ず。僕がお母さんを迎えに行くから。絶対に迎えに行くから」

「ありがとう……ウルメス。またね」

「またね」

 歩き出すウルメス。流れる涙を拭いながら歩く。何度も何度も振り返りながら。

 レネイも何度も何度も手を振って送り出した。

 

 


 

 


 

 



 

 

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