第九章 舞い踊る光の巫女
風の渦が止むとその中から黄金色の光を纏った美しい巫女が姿を現す。
それは『式勠』という憑依術により、紅冥が神様の姿に戻り、朱音と一体化した姿だった。
朱音は抜け落ちていた記憶の全てを取り戻し、一体化することで紅冥の過去を見た。
紅冥の背負った罪とやるせない思いが全身に伝わってくる。
朱音はその思いを優しく溶かすように、自身を抱き締めて温かい光で包み込んだ。
目の前では、弾き飛ばされてバラバラになったはずの赤黒い液体が、再び一つになって巨大な蛇の姿へ戻っている。
ついには神社を囲む結界をも破る邪気を放ち、地獄ノ門から這い出てくる異貌鬼の群れを呑み込み吸収して、力を増大させていた。
「騰蛇……。もうやめにしよう」
光の巫女は、邪悪な姿になってしまった騰蛇に問いかける。
しかし巨大な蛇はその言葉に耳を貸すことなく、大きな口を開いて襲いかかってくる。
地面に落ちていた大薙刀を拾い上げた光の巫女は、黄金色の光を大薙刀の切っ先に集めて、それを大蛇の頭部に突き立てた。
黄金色の光が赤黒い大蛇の全身に迸っていく――。
大蛇は呻き声を上げて暴れ、頭部を振り回している。
光の巫女は大薙刀から手を離し、空中へ高く飛び上がって大蛇の力が弱まっているのを確認した。
大蛇は光の巫女を目で追って大きな口を広げ、身体を空へと伸ばして光の巫女に食らい付いた。
「騰蛇……。今見つけ出してやる!」
大蛇の口の中に入り、赤黒い液体に呑まれた光の巫女は、その中にある『核』を探った。
赤黒い冷たい液体の中で弱々しく紅蓮に燃えている何かを見つける。
「騰蛇!」
それは小さな鱗の欠片だった。
光の巫女は弱々しく燃えている鱗にそっと触れる。
触れた途端に鱗は拒絶するように紅蓮の炎を揺らして抵抗した。
「すまない。騰蛇。……私はお前の気持ちに気づいてやれなかった。私にとって大切な存在だったのに」
光の巫女は掌で鱗を包み込んだ。
すると紅蓮の炎の力が増して一気に燃え上がる。
「謝らなければいけないのは俺なんだ。俺が願ってしまったんだ……信頼以上の関係を……朱音に求めてしまった」
すると鱗から怯えているような騰蛇の声が微かに聴こえる。
鈴鳴神社から古くから受け継がれてきた騰蛇という神様。選ばし者しか扱えない気性の荒い神様だが、幼い頃の朱音はそれにも一切恐がることなく騰蛇と契約を結び、強く信頼して絆を深めていた。
朱音はずっと純粋な気持ちで騰蛇に接していたが……。
紅蓮の炎は光の巫女の身体を包み込んで燃やすが、光の巫女は動じず、それでも大事そうに掌で鱗を包んで、優しい笑顔を見せている。
「朱音……俺は……」
騰蛇の悲痛な思いが全身に流れ込んで、光の巫女の脳内に語りかけた。
いつしか俺は朱音に惹かれ、それ以上の感情を持ってしまった。
愛おしい気持ちと、醜い嫉妬や支配欲。
誰よりも大切な朱音の存在。
朱音が妖怪に左目を奪われたあの日――。
本当は朱音をすぐにでも救ってやりたかった……。
しかし、朱音は俺を呼び出して「私のことは気にせずに、すぐにあの妖怪をお追ってくれ」と指示をした。
契約で縛られ自由に動けない身体、自身を包み込む紅蓮の炎が憎くてたまらなかった。
全てを焦がす炎は愛しい人にさえ触れられない、そして救うこともできない。
憎くて苦しくて悔しくて……。ずっと俺はあの日を後悔していた。
次は絶対に、この身が消えようとも朱音を守ると心に誓ったんだ――。
流れ込んだ騰蛇の想い数々に、光の巫女の中に眠る朱音の記憶も呼び起こされる。
一年前の異貌鬼との戦闘時。
想定を越える異貌鬼の出現に、式勠巫覡の隊員たちが悪戦苦闘していた。朱音も出動して異貌鬼を次々に倒していったが、途中で騰蛇が命令を無視して暴走し、消滅してしまった。朱音は、そう思い込んでいたが……。
しかし、流れ込んだ騰蛇の記憶の映像では違っていた。
目の前で隊員に襲いかかる異貌鬼。それを救うために朱音が騰蛇に指示を送ったが、その後ろでは無数の異貌鬼が朱音に襲いかかろうとしていた。
騰蛇はそれをいち早く察知し、命令を無視して朱音を助けることを優先させた。
しかし、朱音を守るために力を解放させたものの、主の命令を破ったことにより解放した力が暴走して、そのまま地獄に引き摺り込まれ、禁忌の感情を持ってしまった騰蛇は闇に呑まれてしまった。
「そうか。騰蛇……。お前はずっと私を守ってくれていたんだな。救ってくれてありがとう」
光の巫女の瞳から涙が溢れ落ちる――。
雫が鱗の上に落ちると紅蓮の炎は光に包まれて、すぅっと消えていった。
「……騰蛇。もう大丈夫だから。もう苦しまなくていい。還ってこい」
騰蛇の姿が幻影となって、紅蓮色の鱗の破片と重なる。
「力を失ってしまった今の俺はもう……。だが、この姿でもいい……。ずっと朱音の傍に」
そう言い残し、騰蛇はただの鱗の欠片となってしまった。
鱗の欠片を光の巫女は掌にそっと閉じ込めて胸に当てる。……微かに揺れる熱い鼓動が聞こえる気がした。
赤黒い大蛇は浄化され、塵となって天に昇っていく――。
*
「今年の桜も綺麗ですね」
紅冥は空を仰ぐ。
あれから一年が経ち、鈴鳴神社の鎮守の森には再び満開の桜が鮮やかに咲き誇っていた。
紅冥は鈴鳴神社の鳥居を躊躇うことなくくぐり抜け、境内にいる昇威の姿を見つける。
紅冥はあの日に『式勠』をして以来、神様の姿に戻ることはなくなってしまった。
今はいつも通りの黒服に身を包んだ、人間の姿に化けている、ただの妖怪だ。
しかし、朱音の母親の形見のリボンを身につけていれば、不思議と鳥居の結界内にも入れることができるようになっていた。
鳥居をくぐる際に右目も温かさを帯びていることもあって、それもひとつの要因なのかもしれないと紅冥は思っている。
朱音にとって大切な母親の形見のリボンともあって、紅冥は朱音に返そうとしたのだが「これは紅冥に持っていてほしい」と断られてしまった。
紅冥の右目にある、埋め込まれた朱音の左目も同様で「今さら返されても困る」と苦笑いされた。
烏丸に奪われた朱音の左目の件に対しても、あれから朱音は一度も紅冥に問い質すとこなく、今に至っている。
あれから騰蛇の消息は不明で、朱音曰く今は眠っている状態だと言う。朱音は鱗の欠片を肌身離さずに、いつも大切に持ち歩いていた。
「おい、そろそろ巫女舞がはじまるぞ」
神楽殿の最前列を陣取っていた昇威が声をかけると、紅冥は急いだ様子で合流する。側には雛乃と柳二、四葩と籠目の姿もあり、軽く挨拶を交わした。
神楽殿には春の暖かな陽射しが差し込んで、風にさらわれた桜の花びらが緩やかに舞っている。
結わえた髪に鈴の髪飾りをつけ、鶴や松の木の柄が施された白を基調とした千早を巫女装束の上に纏った朱音が、榊を手に持って神楽殿に登場する。
神楽歌にあわせて笛や太鼓の音が境内に鳴り響く――。
舞衣も纏った朱音は、その囃子にあわせて豊栄の舞を披露する。
一つ一つが繊細な動きで、その美しさに目を奪われる。
「朱音様……。本当に素敵です」
うっとりとした表情を見せている紅冥と同様に、巫女舞を見学しに集まった多くの人々も、優美で洗練された朱音の巫女舞に心が洗われ、感嘆のため息を溢していた。
朱音は鈴鳴神社の存続や取り壊された他の神社の復興を目指し、日々模索していた中で、巫女舞に着目し、新しく芸能面での継承の重要性を政府に訴えた。
以前は神がかりの儀式、つまりは憑依の能力を行うための儀式と思われていた巫女舞だったが、新たに舞楽を取り入れて、優雅さと華やかさを人々に観せるという大衆的な要素を強くして人々に広めた。
朱音の努力が実ったのか、創作した巫女舞は観衆の人気が高まって、巫女禁断令は廃止が決定された。
先人たちが継承してきた伝統を守りながらも、新しい文化や風習を受け入れ、時代を繋いでいけたら――。
以前、紅冥が言っていた言葉を胸に、朱音は神様に感謝し、人々の平和を願って美しく可憐に舞い踊った。
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