第六章 紅蓮の蛇

 朱音は巫女装束に着替えて気合いを入れた。

 腰まである長い髪を頭の天辺に掻き集めると、慣れた手つきで赤い大きなリボンで結ぶ。

 部屋の壁に掛けてあった薙刀の柄に、昇威から返してもらった水琴鈴を紐で括りつけると『よしっ!』と頷いた後、薙刀を力強く握りしめる。

「行ってくる!」

 朱音は父に声をかけた後、急いだ様子で家を飛び出した。

 いつものように石燈篭の並ぶ参道を駆け抜け、石鳥居をくぐり抜ける。

 立ち止まった朱音は身体ごと振り返って神社を囲む満開の桜の鎮守の森に一礼した。

 踵を返し、再び歩き出した朱音はその先にある階段を駆け下りる。

「あ、朱音様!」

 途中、視線の先の階段に座って朱音を見上げている紅冥と目が合った。

「紅冥、そこで何をしている?」

 溜め息を溢し、眉根に濃い縦皺を刻む朱音だったが、紅冥は勢い良く立ち上がって駆け寄って朱音の手を握った。

「巫女装束姿の朱音様!? とっても素敵です!」

 紅冥は朱音の姿を見て目をキラキラと輝かせている。

「どうして今日は巫女装束なんですか? もう二度と着ないとおっしゃっていたのに」

「今日は三ヶ月に一度の定例会の日だ。上層部の幹部の方々も集まる。巫女禁断令に異議を唱え、直談判するには絶好の機会だと思ってな」

 朱音はいつになく意気込んだ様子を見せている。

「それに……」

 朱音は言い淀んで紅冥から視線を逸らすと、ほんのり頬を染めた。

「お前と契約したからには、新たに気持ちを引き締めていかなければな。これは私の決意でもある」

 照れくさそうに頬を掻いた朱音の姿に、紅冥の思考が停止する。

「どうした? 私は何か変な事を言ったか?」

 朱音は上目遣いをして困ったような顔で紅冥に尋ねた。すると紅冥は顔を自身の手で覆い、身悶えしている。

「いえ、朱音様があまりにも可愛くて……」

「は? 何を言っているんだ!」

 紅冥の言葉に動揺した朱音は、声を荒げて紅冥の胸を突き飛ばした。その力強い一撃に紅冥は咳き込む。

「お前も、元の服装に戻したんだな」

「やはり、僕にはこの服装が一番しっくりきます」

 紅冥は黒い手袋をはめている手で、つば広の中折れ帽を深く沈め、その場でぐるりと一回転してポーズを決める。丈の長い黒色の二廻しトンビコートを纏った姿は紅冥にとっての定番服だ。

「そうだな。でも、あの時の着流し姿も良く似合っていたぞ」

 何気なしに発言した朱音だったが、紅冥は雷が落ちたような衝撃を受ける。

「朱音様は着流し姿の男性がお好きなんですか? では、今から着替えてきますね」

 紅冥は急いだ様子で階段を駆け下りようとするも、マントを朱音に掴まれて身体のバランスを崩した。

「面倒だ。その服装でいい」

 まるで興味がなさそうな朱音の無表情が、紅冥の胸に突き刺さる。

「ところで、お前はどうしてここにいる?」

 朱音は紅冥のマントを放し、腕組みをする。

「勿論、朱音様を待っていたのですよ。一緒に定例会に行きましょう」

「いくら契約したとはいえ、行動を共にするとは言っていない」

「でも、せっかく朱音様の式神になれたというのに、この一週間、異貌鬼の気配もなくて朱音様に会うことが出来なかったんですよ? 異貌鬼さえ出没すれば朱音様が僕を呼び出してくださるのに……」

 紅冥は口を尖らせて不満げな顔をしている。

「何を馬鹿なことを言っている。平和なのはいいことだろう」

 朱音は呆れたように深い溜め息を溢した。

「朱音様、ずっと気になっていたのですが、その薙刀は?」

「この薙刀か? これは柳二さんが用意してくれた新しい薙刀だ。新しいと言っても鍛冶屋にずっと置いてあった品物で、以前趣味で作ったものの、扱える人間がいなくて放置していたらしい」

 朱音が握りしめているのは、以前持っていた大薙刀よりもさらに重量のある大きな薙刀だった。柄も刀身もしっかりした質の良いもので、身長の低い朱音には少し扱いづらいが十分に気に入っている。

「柳二さんにお会いしたんですか? 様子はどうでしたか?」

「昨日会ってきた。まだ本調子じゃなかったが、一人で立てるようにもなって元気そうにしていたよ。雛乃も柳二さんにくっついて、笑って嬉しそうだった」

 朱音は目を伏せて幸せそうな二人の笑顔を思い出している。

「朱音様が以前使っていた大薙刀はもう使われないのですか?」

「いや、柳二さんが『最後の大仕事だ』と言って随分張り切っていてな、身体が回復次第、直してくれるそうだ。苦楽を共にしてきた大薙刀だ。私も愛着があってしばらくは手離せそうにないからな」

 静かに微笑んだ朱音を見て、紅冥の表情も柔らかくなる。

「そう言えば、今日は昇威の姿が見当たらないな。定例会のある日はいつも私を迎えに来るんだが」

 朱音と紅冥は再び長い階段を駆け下りる。階段には桜の花びらが雪のように積もり、風が吹く度に降り注ぐ花びらと共に空中を舞っている。

「朱音様と昇威さんはいつも一緒なんですね」

「……そうだな。幼馴染みで気がつくといつも隣にいるな」

「幼馴染みなのは昇威さんから聞いているので知っています。虐められていた昇威さんを朱音様が助けたことも」

 朱音は目を屡叩く。

「虐められていたこともお前に話しているんだな。お前たち、実はかなり仲が深まっていないか?」

 紅冥は朱音の言葉に苦々しく笑った。

「気にくわないのはお互い今でも変わっていないと思いますけど、昇威さんは西洋人の血が混ざっていて、僕も妖怪の血が混ざっていますから……苦労してきた者同士なので、きっと昇威さんは僕に理解を示してくださって協力してくれたのかもしれませんね」

 朱音は納得がいったように、なるほどと頷いた。

「昇威の父親は腕の良い義眼技師で、家を行き来しているうちに昇威とも自然と仲良くなったんだ。虐めを助けてやってからは、私にとても懐いてな」

「懐いた、って犬みたいな言い方ですね」

 紅冥は吹き出すように笑った。

「いつも私の後ろをついてくるし、犬のようなものだ。虐められそうになると、すぐに私の後ろで泣きながら隠れていたからな」

 朱音はため息を溢すと、さらに話を続ける。

「そうやって、虐めっ子から昇威を守ってやるのが当時の私の役目だった。私も呪われた子と蔑まれ、虐めの対象になったときもあったが、そこは非弱な昇威とは違って、私は向かってくる相手を薙ぎ倒してやった」

 朱音は大薙刀を振り翳し、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「なんだか、その光景がすぐに浮かんできますね」

 紅冥は朱音の生き生きとした顔を見て、クスッと笑った。

「でもある日、昇威が格闘技を習いだしてな。そこからみるみるうちに強くなっていったんだ。私が理由を聞くと『いつまでも女の後ろには隠れていられねぇ』と言って、昇威は昇威なりに今の現状を打破しようと頑張っていたみたいだ。だが、私の後ろをついて歩くのは相変わらずで、私の後を追いかけるようにして式勠巫覡に入隊した。いつの間にか式神も使えるようになっていたし。元々の素質はあったのかもしれないが、昇威は大した努力家だよ」

 朱音は過去の記憶を巡らし、誇らしげに静かに笑った。そんな話をしているうちに朱音と紅冥は長い階段を下り終え、その足を帝都へ向かわせた。


 ようやく帝都の官庁街に辿り着いた朱音と紅冥は、途中で昇威の後ろ姿を見つけた。

 昇威の足も式勠巫覡の本部に向かっているようだ。

「昇威さーん!」

 紅冥は先を行く昇威の背中に声を掛けるも反応はない。聞こえていないのだろうかと昇威との距離を詰めようと走りながら、さらに大きな声で呼び掛ける。しかし、それでも昇威は無反応だった。

「昇威さんて、こんなにも耳が悪いんですか?」

 紅冥の後を追っている朱音にも尋ねるが、そんなはずはないと言う様に首を振っている。

「おい、昇威!」

 今度は朱音が声を張り上げて呼び掛ける。すると先を歩く昇威は、朱音と紅冥の顔を一瞥しただけで、再び歩き出してしまった。

「……どうしたんだ?」

 首を傾げた朱音と紅冥は互いの目を見合わせた。



「昇威さん、なんであんなところに座っているんでしょう?」

 紅冥は机に突っ伏して嘆いている。

 白い大きな部屋には幾つかの長い机と椅子が設置され、正面には美しい彫刻が施された白い教壇がある。ここは式勠巫覡の本部にある部屋の一角だ。

 紅冥と昇威がシャンデリアを壊してしまった大広間は、現在使用禁止となっており、これからはこの教壇がある部屋が招集場所となっている。

「私が知るわけないだろう」

 朱音は机に頬杖をついて、視線を昇威に向けている。朱音の隣には紅冥が座っているが、昇威が座っているのは、そこから随分と離れた前のほうの席だった。

「今日の昇威さん、変だと思いませんか? なんか僕のこと避けてるような……」

 この部屋に入り、先に席に着いた昇威だったが、その後を追っていた紅冥が昇威の隣の席に着いて挨拶をしたのだが、昇威は無言で席を立ち、前のほうの席へと移動してしまった。

「確かに変だな。お前、昇威に何かしたか?」

「いえ、僕は何もしてないですよ~」

 紅冥は両掌を見せて胸の上まで上げると、首を何度も振っている。

 三ヶ月に一度の長い定例会が終わった後、紅冥は一人上官に呼ばれていた。式勠巫覡に入ったばかりということもあり、指導を受けることも多いようだ。

 朱音と紅冥が式神契約したことは、すでに上層部へ報告済みで、解雇を免れた朱音は上官に『これからは式勠巫覡を引っ張って行けるよう気を引き締めていけ』と言葉をもらった。しかし、巫女禁断令に関しては式勠巫覡とは無関係なこともあってか、話し合いもままならず、巫女装束を身に纏っている朱音は厳重注意をされてしまった。

「そんな簡単にはいかないか……」

 この世界に異貌鬼が存在し、政府の命令により式勠巫覡が組織されたというのに、何故巫女禁断令なんてものがあるのだろうか。

 近代国家建設を目指す政府にとって、古くさいしきたりや神の憑依による神託を行う巫女の存在が疎まれ、文明開化の妨げになってしまうという理由で巫女禁断令が発令されたらしいが、朱音はそんな今の現状の矛盾に疑問を抱いている。

「裏では私たちの力を頼りにしているくせに……。でも諦めるにはまだ早いな。私も鈴鳴神社の為に頑張らなくては」

 朱音は落ち込んで肩を落としていたが、切り替えるように自分の頬を叩いて叱咤する。

「久しぶりだな、朱音」

 定例会が行われていた部屋を出ると、そこには腕を組んで待っていた昇威の姿があった。

「久しぶりって……一週間前に会ったばかりだろう?」

 昇威の言葉に朱音は首を傾げた。昇威はそんな朱音の言葉に少しだけ悲しい表情を滲ませている。

「あの男は?」

「あの男? ……紅冥のことか? それなら今、上官から指導を受けている」

 昇威の問いかけに、朱音は怪訝そうな顔を見せた。

「朱音、少しいいか? 話したいことがある」

 昇威は声を潜めて耳打ちをすると、すぐに朱音の腕を強引に引っ張り、人気のない場所へと連れていく。

「どうした昇威? 今日は何だか変だぞ」

 昇威の行動に、朱音は困惑な表情を浮かべている。

「朱音、あの男に近づくな」

 昇威はいつになく真剣な眼差しで朱音を見つめている。

「今更、何を言っている」

 呆れ返ったような口調の朱音は、踵を返して帰ろうとするが、またも昇威がその手を強引に引っ張った。

「何をするんだ!?」

 朱音は昇威の元へと引き寄せられると、そのまま、背中を壁へ押し付けられ、がっしりと両手を押さえつけられてしまう。

 朱音は昇威に怒気を飛ばした。睨み付ける朱音と昇威との距離はお互いの鼻と鼻が触れ合いそうなほどに近い。

「あの男は朱音にとって危険な存在だ」

 切羽詰まったような余裕のない声音の昇威は、さらに力を込めて朱音を押さえつける。

「紅冥を私の式神にさせたがっていたのはお前じゃないか! それなのにどうして? それに式神契約をした今なら分かる。私は紅冥がそこまで危険なやつだとは思えない」

 はじめは紅冥のことを避けていた朱音だが、その正体を知り、契約を結んだ今、紅冥とは惹かれ合う何かが存在している。契約をした直後から左目の痛みも消え、朱音はようやく心新たに式神使いとしてやっていこうと決意を固めたばかりだ。

「朱音、お前は騙されている。あの男の正体は恐ろしい」

 昇威の目付きが豹変する。

「まさか、あの男を好きになってしまったのか?」

 その蒼色の眼光は鋭く朱音を射抜く。

「なっ、なにを言っているんだお前は?」

 朱音は動揺して頬を紅潮させている。その反応に昇威の視線の鋭さが増す。

「俺は、お前のことがずっと好きだったんだ」

 昇威の突然の告白に、朱音は目を見開いた。

 どう答えたらいいのか分からず黙っていると、昇威の顔がだんだんと迫ってくる。

 朱音は自分の心臓の鼓動が加速していくのを感じ、さらに顔を真っ赤にした。このままではいけないと朱音は昇威の腕を振り解こうと力を入れるが、その腕はびくともしない。

 普段の昇威の力ならば、腕力に自信がある朱音には振り解くことができるが、今日の昇威はいつもとは違い、朱音を上回るような腕の力で押さえつけてくる。

「お前、本当に昇威なのか?」

 朱音は不信感を覚え、問い掛ける。

『朱音、俺のことが分からないのか?』

 すると、昇威の瞳が赤黒く染まる。昇威の声と重なって聞こえた、どこか艶のある声に朱音は聞き覚えがあった。

「まさか、お前……」

 朱音の唇が震える。

「騰蛇……なのか?」

 その名を口にした途端、朱音は押さえ込まれていた手を解かれ、強引に腰を引き寄せられると、そのまま口づけをされてしまった。

 驚いて引き離そうと昇威の背中を力強く叩き抵抗するも、その身体はピクリとも動いてはくれない。

 顎を掴まれ、お互いの唇が重なって温かい感触が広がる。息ができなくなるほどの強引な口づけに、朱音の脳内がくらくらとする。

 暫く身を委ねる状態が続いたが、ようやく唇を離した昇威は、艶のある優しい笑みで朱音を包み込むように抱き締めた。

「本当に、本当に、騰蛇なのか……?」

 肩を揺らして息を上がらせている朱音は、もう一度目の前にいる人物の顔を見る。

 頷いた昇威から一瞬だけ重なって見えたのは、朱音の知っている騰蛇の姿だった。顔に蛇の鱗があり、髪は紅蓮色だ。

「お前は、戦闘中に消滅したはずだ。どうして昇威の身体に?」

 昇威の着物の裾を掴んだ朱音は、困惑の表情で昇威の顔を見上げている。

『昇威の身体を使わせてもらった。今の私には実体はない。昇威には悪いが朱音にどうしても伝えたいことがある』

 昇威の身体に入り込んでいる騰蛇は、真剣な眼差しで朱音を見つめている。

「先ほど言っていた紅冥のことか?」

 騰蛇は頷く。

『ここで詳しくは話せない。今日の暁、鈴鳴神社の前で待っていてくれないか?』

「分かった。私も騰蛇に伝えたい言葉があるんだ」

 朱音は覚悟したように拳を握りしめた。



「……なんとか朱音様の式神になることには成功しましたが、勘の鋭い朱音様や式勠巫覡の方々に、僕の嘘がばれてしまうのも時間の問題かもしれませんね」

 上層部の幹部たちが勢揃いしている会議室の教壇の前に立った紅冥は、真紅の瞳を妖しく光らせた。

「とりあえず、あなた方には、まだまだ利用価値があります。引き続き僕の指示に従ってもらいましょう。それと巫女禁断令についても廃止の方向で進めてもらいます」

 暗示をかけられた幹部たちは、紅冥の指の動きの合図で一斉に席を立つ。

「あと、昇威さんの動きが気になりますね。見張る必要がありそうです。少しでも妙な動きをしたら……僕はまた友人を殺めてしまうかもしれません」

 紅冥は自身の右目を押さえて、小さく笑った。

「朱音様はきっと怒るでしょうけど、全ては朱音様のために――」

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