第6話

【椿】が死んだ。


異変に気づいた使用人、当主であるチガネの母が寝間に駆けつけたときには、男は血達磨と成り果てたチガネの上に股がったまま、それでも尚、一心不乱に小刀を振り下ろしていたそうだ。


小刀で斬られた喉は既に黒く変色し、背中からの刺し傷は至る臓器を損傷させ、肺にまで達していた。

男の刃が、心の臓を貫いたことにより、チガネは絶命したと考えられた。

しかし、その傷すべては依り代である【椿】が肩代わりすることにより、チガネは何事もなく、生きている。


齢十六だった彼女は、あてがわれた薄暗い部屋の奥で、一人孤独に襲ってくる死の恐怖に怯える暇もなく、命を散らした。



「うぉぇ……っ!」

「チガネ様、吐いてはいけません。

さぁ、飲み込むのですよ……!

次の依り代との契約が出来ていない現状、チガネ様が衰弱されてしまえば、梢が当主様に叱られてしまいます!!」


チガネは嫌だ嫌だと首を横に振るうが、梢は閉ざしているチガネの口を手でこじ開けると、無理やり食べモノを入れる。


あれから、チガネは飯も水も喉を通らなくなってしまった。

一切身体に何も受け入れない日が続けば、元々身体が弱いチガネはすぐに死んでしまうだろう。

チガネの依り代としての人物が肩代わり出来ない今、それは非常に危険な状況だった。


障子が開く音がすると、数人の従者を引き連れた当主チガネの母が、顔を覗かせた。


「梢。

チガネはやはり受け入れぬか。

前よりも顔色が土気色だと窺えるな」


梢は慌てたように正座をすると、当主の方にこうべを垂れる。


「当主様…!

もう一度、もう一度だけ梢に機会をお与え下さい。

必ず、必ず…梢がチガネ様をー…」

「もう良い。

本日付で目付け役をこの少女に換える」


梢の発言を遮るように当主はそう言った。


「そんな…私は今までずっとチガネ様の為に尽くしてきました。

当主様、一族の為にこの身を削って毎日毎日。

それなのに、こんな子供に横から持っていかれるなんて……!

納得いきませんわ……!」


梢は殺気立った表情を浮かべ、当主の一歩後ろに控えていた少女を睨む。

少女は能面のような表情は変えず、チガネの方に視線だけを向けていた。

当主は溜息をつくと、両脇にいる従者に手で合図をする。


「お主にはチガネの目付け役を外れても、次の役目がある。

チガネの婿として迎えたあの男がな、村を出るときに村の者に必ず許嫁を連れて共に帰るとほざいていたようだ。

だが、その許嫁は私の既にこの世におらぬのだ。

村の者が此処に押し寄せて来られては困るのでな。

男と同様に女一人分の焼死体が必要なのだ。

お主は背丈も申し分ないからな。

心配するな、お主の家にはお主は変わらず健康に過ごしていると伝えるさ。

少しばかり金銭を多めに包めば、お主の家は何も言ってこないのは承知しておるしな」


抵抗し、居続けようとする梢を数人の従者はその場から強引に引きはがす。

梢はチガネに向かって何かを叫んでいたが、チガネの耳に届くことは叶わなかった。


「……童子わっぱ

厄介な役目が一つ増えたが、お主の天命は変わらぬ。

チガネが本来の状態に戻ったら、【依り代の儀】を執り行う。

恨むのなら、お主の天命を恨め」


当主は少女にそう言い残し、障子を閉めた。


「……」


騒然としていた空気から暫く経ち、少女はチガネに近づいていく。

少女はチガネの前に屈むと、床に落ちている白米を拾い、自身の口に運んだ。

咀嚼し、ごくりと喉の奥へと飲み込んだ。

続いて高野豆腐やお盆に置かれたまま、冷たくなっている吸い物に口をつけた。

その間もチガネは虚ろな目をし、畳を見つめていた。


少女は指に付いていた米粒も残すことなく、飲み込み終え、その場に立ち上がる。そして、チガネの方に視線を落とした。


「……何不自由なく、こんな綺麗なお召し物を着て食いぶちにもありつけるのに、自ら死に急ぎますか。


あの人も貴女がこれじゃあ、犬死にですねぇ」

「は……?」


チガネは目を見開くと、ゆっくりと顔を上げる。

自身の思考が纏まっていない今の状態で、少女の発した言葉を聞き間違えたのだろうと一瞬考えが過ぎったが、頭上の少女の表情を見て、と理解した。

唖然をした顔で見つめるチガネに対して、少女は目を細め、笑みを浮かべた。


「無益な死。

文字通り、何の価値もない死だったってことですよ」


少女の胸倉を掴むチガネの拳は怒りで震える。

眉間に皺を寄せ、前歯は血が滲む程、唇を噛みしめる。


「掴みかかる元気はあるんですね、良かったです。

先程の従者同様にチガネ様がその調子でしたら、無駄に骨が折れる思いをするところでしたから」


胸倉を掴んでいた腕は力が入りきれていなかったのか、すんなりと少女に解かれる。

チガネは腕を解かれた反動ではないが、立つ気力も失せ、畳に尻もちをついた。


「はじめましてと言うべきか迷いますが、目覚められたときに一度互いにお顔は拝見しているので。

は此処に来る前からありません」


少女はそう言いながら、チガネに掴まれ、乱れてしまっていた着物の襟元を正す。


「此処では、私は№十三と呼ばれています。

当主様直々にチガネ様の目付け役に任命しましたので、よろしくお願いします。

……といっても、教養が乏しいと自負してますので、過度にかしこまるつもりは毛頭ありません。

今後とも貴女に対して砕けた物言いをすることが多々あると思いますが、悪しからず」

「……」


チガネは沸々と込みあげる怒りを何とか鎮めようと、深呼吸を繰り返す。

最初に会ったときも感じたが、少女はやはり少しばかり【椿】の面影を感じる。

自身を見つめるチガネに少女は「そんなに顔をまじまじ見ないでくださいよ」と呆れ返った表情を浮かべ、わざとらしく肩を竦める。


(性格は椿と正反対で乱暴そうだけど…)


チガネはむっと、口をへの字にする。

少女は頬をかくと、チガネの前で胡坐をかいて腰を落とした。


「何か言いたげな表情ですね。

隠し事や誤魔化されるのは貴女だって気分が悪いでしょう?

私は正直者なのですよ。

嘘偽りなく、貴女がって思ってること、答えてあげますよ」


少女は胡坐をかいた足に肘をつけ、頬杖し、チガネの心の内を見透かしたような発言をすると、微笑む。


「椿との関係は……?

その……貴女、似ているから」

「知りません。

しかし、貴女が見間違える程その【椿】に似ているのなら、姉妹の類だったのでしょう。

元々、両親に握り飯一つと引き換えに売られた身です。

私よりも早く売られた姉だったのなら、察しがつきます」

「歳はいくつなの?」


そんなことを聞いてもどうしようもないとチガネ自身も思っているが、少女は嫌な顔せずにチガネの問いに答える。


「貴方と同じくらいではないでしょうか。

名もないのと同様に正確な歳がわからないもので」

「貴方の知りえていることだけでいいわ。

私に教えて。

依り代って何なの…?

貴女が№十三と呼ばれているのなら、他にも居るの?

椿は…椿も本当はそう呼ばれていたの…?」


少女は少し驚いた顔をすると、チガネから一瞬視線を逸らす。

そして、静かに口を開く。


「良いのですか?

私の口からを貴女に言っても。

……後悔はしませんか?」


少女がチガネに念を押すようにそう呟いた。


「後悔しない」


チガネは膝に置いた拳を強く握りしめると、少女の目を真っすぐに見つめる。


人里から離れた山間にポツリと建つこの屋敷には、【火車の一族】が住んでいた。

とは生前、悪事を犯した罪人を乗せて地獄に運ぶ火車の妖怪とも言われているが、単に死体を奪う妖怪とも囁かれている。

チガネの一族である【火車の一族】は死者の弔いを習わしにしている呪術師一族であり、国の機関である陰陽寮から直々に死者の祈祷活動を認可されていた。

 

「当主だけが唯一死者を弔うことが許されているそうです。

というもので弔うとか」

「知らなかった。

母上から何も聞かされてないから……でも、今になって分かったわ。

私が家督を引き継いだ暁に全て開示しようってことだったのね。

それにしても、貴女は詳しいんだね」

「私は此処に来た時に、現当主であるチガネ様の母君に弔いの呪具を見せていただきました。

となる天命に処される童への唯一の情けでしょう。

私としては知らない方が不幸せでしたから」


売られた事情はそれぞれ違いがあるにしても、依り代として屋敷に連れてこられた子供はその事実を知りえても、帰る場所なぞ等にない。

チガネは少女の話を聞きながら、唇を噛みしめ、眉間に深く皺を寄せていった。


「私と同時期に此処に連れて来られた子は、知らぬまま死にたかったとぬかしやがりましたけれどね、むしろ私は逆です。

知らぬまま犬死になんて、耐えられやしませんよ」


少女は皮肉交じりに言葉を濁す。


【火車の一族】は次の世代に代替わりする度に、死者を弔うその力も衰退していった。

歯車の形も模した呪具を一族の中で迅速に繰り返し扱える者が年老いてきたことで危機的状況だとやっと一族内で判断し、原因を探し出したそうだ。

原因はすぐに明らかになった。


「死者を送る際に呪いを残す者がいて、弔った当主本人ではなく、

後世に引き継がれていく厄介な呪いをつけていたそうです。

よく言うでしょう?

死者の呪い程、恐ろしいものはないと」


その呪いは次の世代を産むまで、解呪されない。

このままでは一族が衰退してしまう危険を伴う為、一族は考えた末に呪いを肩代わりする役目を別の人間に受けさせることにした。


それが現在も続くという身勝手な理となった。


「チガネ様が先程言った通り、その真実は家督をチガネ様が継いだ時に現当主が明かす予定だったのでしょう。

女児を産めば、その女児に呪いが移り、依り代のことも隠すこともないですからね。

屋敷の従者は全員知ってると思いますよ」


一族の秘密を知ったとして、互いに漏洩しないか監視し合わなくてはいけないという状況を感じ取り、隠ぺいしなくては自らの身に何をされるかわからない。

最悪、先程連れてかれてしまった梢のように、処理される羽目になる。


少女は着物の襟を少し緩めると、チガネに背を向ける。

着物がはだけ、少女の僧帽筋辺りに歯車のような焼き印がされていた。


「これが依り代の契です。

今はまだ未完成状態です。

この焼き印にチガネ様の名を血で刻めば、【依り代の儀】は完遂されます」


少女の話をチガネは最後まで聞き終えると、立ち上がり障子に近づく。

引手に手をかけ、障子ゆっくりと開ける。


「……もう【椿】はこの世にいないって言うのに、何もかも変わらず時間は流れていってしまうのね。

最初から存在していなかったみたいに」


チガネはぽつりと呟くと、踵を返し、少女の方に覚悟を決めた顔を向ける。


「……私がこれから当主になり、この一族を惨殺する」



 

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