第23話 魔の川を渡る仲間

「……これらの調査結果から、本技術は特許性があり、また複数の企業が関心を示していることから、特許出願の承認をいただきたく考えております。説明は以上です」


 P大学の知財戦略会議で、奏多は西崎陽のエチレン生成の技術の説明を終えた。

 すでに、事前ミーティングで真方や河内の内諾を得ているので、会議でも問題はないはずだが……それでも初めて上梓する案件のこと、かなり緊張した。


 会議のメンバーには、サンレン室長の河内や知財チームリーダーの真方のほか、関連部署の部長や、工学部や医学部の担当教授なども入っている。そこに座っているだけでも、貫禄のあるメンバーばかりで、奏多はこっそりと手のひらの汗をズボンで拭いた。


「スライドの3ページ目ですが……」


 参加者から質問が出て、奏多はときどき言葉に詰まりながらも、おおむね滞りなく回答をした。

 議長を務めるサンレン室長の河内は、すでに内容を把握しているからだろう、奏多の説明をときどき笑みを浮かべながら聞いていた。


 質問が出尽くしたところで、河内が問いかけた。


「それでは、本件は出願を認めるということで、よろしいですね」

「異論ありません。興味深い技術だと思いますね」


 工学部の担当教授が、奏多の顔を見てひとつうなずいた。


「彼は、サンレンの新しいコーディネーターですか」

「ええ。期待の新人ですわ」


 河内がいつもの通り、おどけた口調で言った。「期待の新人」なんて、お世辞だとはわかっていても、照れくさくて奏多は視線を泳がせる。

 教授は「なるほど」と笑みを浮かべた。


「今は大学も、研究と教育だけをしていればよい時代ではありません。研究成果の社会実装まで、考えなければならない。そのために、特許は非常に重要なツールです。われわれも、産学連携室の仕事は、今後一層重要な役割を果たすことになると考えていますよ」


 その言葉に、奏多ははっとして泳がせていた視線を教授に向けた。

 研究者の中に、そんな風に考えている人がいるとは、思っていもいなかった。工学部では、産業に近い学問を扱う分、社会実装への意識が高いのだろう。


「はい。まだまだ未熟者ですが、先生方のご支援ができるよう、精進していきます」

「頼もしいですね。期待しています」 


 奏多の宣言に、教授が口元に笑みを浮かべた。


 *


「特許出願が、無事に認められました」


 奏多は三度目となる金子教授のラボでの打ち合わせで、声も明るくそう報告した。


「そうですか、よかったです」


 金子教授はほっとしたような表情を浮かべた。


「ありがとうございます」


 西崎陽も嬉しそうな笑顔で礼を言う。


「一時は、特許は諦めるしかないかと思いましたが……彼女の研究に、興味を寄せてくれる企業が、いたんですね」

「はい。特に関心が高かったのは、化学メーカーの日環ケミカルと、環境系のベンチャー企業であるサーキュラーバイオです。特許を出願したら、この二社と協議を進めていくことになると思います」


 奏多がそう説明すると、西崎陽は、ふっと不安そうな表情になった。


「企業との共同研究、ということになるんですか」


 その心もとなげな様子に、奏多は今更ながら、彼女がまだ学部の二年生であることを思い出した。こと研究となると、熱心で強い意志と意見をもっているが……企業との連携となると、やはり不安があるのだろう。


「まだ、どうなるかはわかりませんが、技術の社会実装を目指す上で、企業との連携は避けては通れない思います。もちろんその際には、私のほうでうまく調整をいたします」


 西崎陽は何かを考えるような仕草をしていたが、ふっといたずらっぽい笑みを浮かべた。


「魔の川を渡る仲間集め、ということですね」


 ユーモアのある彼女の表現に、奏多も思わず笑みをもらした。


「言いえて妙ですね。まさにその通りです」


 技術開発の魔の川を渡るのは、容易ではない。研究者だけでは流れに押し流される危険性も高く、信頼できる連携パートナーを見つけるのが、これからのミッションだ。

 特許出願は、そのための第一歩に過ぎない。


「仲間のひとり目をうまく見つけられるよう、今後も全力でご支援いたします」


 奏多が生真面目な顔でそう言うと、西崎陽がきょとんとした顔をした。


「あれ、ひとり目はもう見つかっていますよ」

「え?」


 何のことかと聞き返すと、西崎陽が奏多の目をまっすぐに見て、にこっと笑った。


「だって、永瀬さんが、ひとり目の仲間ですよね」

「あっ……そうか」


 自分のことなど念頭になかった奏多は、がりがりと頭をかいた。

 仲間、などと言われると、どうにも照れくさくてソワソワする。


「頼りにしています。よろしくお願いしますね」


 西崎陽が、すっと片手を差し出した。その眼差しは、強い光を宿している。いつか、ネット記事の中で見たのと、寸分変わらない光だ。

 奏多はしばらくためらった後、ふっと笑みを浮かべ、彼女と視線を合わせて手を握り返した。


「はい、よろしくお願いします」

 

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