第25話 暑苦しく、戦争の話
昨日、日本の若者が、ロシア軍兵士として参戦し、ウクライナで戦死していたというニュースを見ました。それを見て、なぜ、と、一瞬、思考停止になりました。なぜ、この戦争のない日本から、わざわざ戦場に行ったのだろうと。しばらくして、私はこう思いました。ああ、きっと合法的に人殺しがしたかったのだなと。申し訳ないけれど、同情する気にはなれませんでした。
チャップリンは映画『殺人狂時代』で、「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる」と、戦争を強烈に皮肉ったわけですが、確かに幾ら人を殺しても戦場では罪にならないわけで、これって、かなりおぞましい話ですよね。
私は常々、戦争とは、一部の権力者のゆがんだ欲望のために、多くの善良な市民が、家や家族や財産を奪われ、人殺しをさせられることだと思っています。しかも、市民が戦場で苦しんでいるとき、権力者達は、自分は安全な場所で命令だけして、ぬくぬくしているのです。腹の立つ話ではないですか。
私にとって、ここ数年でショックだったのは、ロシアのウクライナ侵攻もそうですが、なんと言っても、イスラエルの言語道断な戦争の仕方が、一番ショックでした。第二次世界大戦で、ホロコーストという人類史上最悪の被害に遭った人たちが、戦争に反対するのではなく、敵を一網打尽にしようとするなんて、思いもよらなかったのです。
けれど、落ち着いて考えてみれば、二度とあんな思いはしたくないという強い恐怖は、敵が一人もいない世の中を望む、つまり敵を一網打尽にする、となるのは、そんなに不思議なことでは、ないのかもしれません。やりきれない事実ですが、人間とは、そう言う弱く醜いところがあると、自身に照らし合わせても思います。
しかし、一方で、ロシアにもイスラエルにも、戦争に反対している人はいて、中には命がけで反戦を訴えている人たちもいる。反戦を願う人は、世界中にたくさんいるはずなのに、世の中はどんどん焦臭い方向に動いて行っている気がして、とても嫌です。
これは、対岸の火事ではない。なぜなら、今、日本国憲法第九条が、崖っぷちにいると思うからです。戦争放棄は、日本が世界に誇れる素晴らしい憲法だというのに、今の政府は、これを変えようとしている。私にはそれが許せません。日本に、戦争に参加する国になって欲しくありません。
最近、沈黙は決して金ではないと思うようになりました。黙っていると、権力者達に都合良く利用されてしまうと、気がついたからです。だから、私は言うことにしました。私は、戦争に反対です。憲法第九条は、決して変えてはいけない、日本の憲法だと思っています。
毎日、暑い日が続いているのに、暑っ苦しくてすみません。
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