第12話 山本さん
小学校四年の時、クラスに山本さんという女の子がいました。
なぜかいつも眉間に縦皺を寄せていて、学級委員でも班長でもないのに、厳しい口調でクラスの誰かを叱責するので、みんなから恐れられ、嫌われていました。
当初、私は、生活班も違うし、座席も遠かったので、山本さんの恐ろしさは、話に聞くだけでしたが、ある日、彼女の叱責を直接浴びることになってしまいました。
それは確か、掃除を終えて、掃除用具をしまっている時でした。当番のみんなが、ブラシやモップを片付けた最後に、私がちりとりを片付けようとしたその時、なぜか当番でもない山本さんがつかつかやって来ると、
「何、もたもたしてんの!」
と、いきなりトップギアのテンションで怒鳴ってきたのです。
「え?」
何で怒鳴られたのか、分らなかった私は、一瞬、ぽかんとしてしまいました。山本さんは、アホみたいに突っ立っている私にさらに苛立ったのか、
「もう、いい。私がやるから」
と、私からちりとりを奪い取ると、乱暴に片付け、最後に音を立てて掃除用具入れを閉めました。そして、私をひと睨みすると、鼻息も荒く教室を出て行ったのです。
私は、何も言い返すことが出来ないまま、呆然と山本さんを見送りました。混乱とショックで、その時の私は、もう少しで泣くところでした。
噂でしか聞いたことのない山本さんの叱責は、実際に浴びてみると、想像以上の鋭さと迫力があり、私はそのまましばらく動けませんでした。しかし、時間が経ち、自分を取り戻すにつれ、理不尽な叱責に対する屈辱と怒りで、顔が紅潮するのが分りました。
以来、私も山本さんが大嫌いになり、みんなと一緒になって彼女の悪口を言うようになりました。悪口を言っている最中に、本人が教室に入ってきても、私は平気でした。むしろ聞こえるように言っていたくらい。
自分の悪口には慣れているのか、いつもの怒りを宿した額に厳しい眼差しで、自分を悪く言うクラスメートを黙って睨むと、そのままつんと自分の席に座る山本さん。その頑なな後ろ姿をみても、少しも同情する気持ちには、なれませんでした。
そんなある日のことです。
その日は授業参観があって、五時間目の教室の後ろには、多くの母親が立っていて、静かに我が子の様子を眺めていました。まだ留守番するには幼い下の兄弟も、教室にはちらほらいて、時折、あどけない声が、静かな教室に響くことがありました。
私は、山本さんが、今にも後ろを振り返って、あの怖い顔で子供を叱りつけるのではいかと、内心ヒヤヒヤしましたが、彼女は、いつもの少し険のある顔で、ただ静かに授業を受けているだけでした。
さて、五時間目の授業が終わり、先生が職員室に行ってしまうと、何人かが後ろに立っていた母親のところに話しかけに行ったり、母親が子供の机の中を覗きに行ったりと、教室の中は、いつもとは違う、ざわざわと、落ち着かない感じになりました。
その中で、母親の手にぶら下がるようにして甘えていた小さな女の子が、ふいにその手を離れると、とことこと机の間を歩いて、なんと山本さんの席へ行ったのです。山本さんは、その小さな女の子に気がつくと、椅子を少し後ろに下げて、慣れた手つきで彼女を膝に抱き上げました。見たこともない優しい笑みを浮かべて。
山本さんには妹が二人いると聞いたことがありました。一つ下の妹もきつい性格だとか、真偽のほどは分りませんが、そんな風に言われていて、この小さな女の子は、きっと下の妹なのでしょう。
女の子は、山本さんに甘えるように顔をすりつけていて、その妹のぴかぴかした髪の毛を、山本さんは優しくなでました。そして、嬉しくて思わずきゃっきゃっと声を上げてしまった妹に、「だめ」と、ちょっと頑張って怒って見せ、その後また、微笑んで、妹の頬をなでました。
まさに慈愛に満ちた、としか言いようのない山本さんの姿に、私は言葉もなく、ただただ驚いていました。私がよく知る、あのおっかない山本さんと同一人物とは、にわかに信じられません。けれども、今も山本さんの膝の上には、可愛らしい女の子が座っていて、あんなに甘えている。その姿を見て、きっと、家でも、あんな風に山本さんに甘えているのだろうと、私は思いました。
あの山本さんに、誰かを慈しむ心がすでにあることに、私は驚きました。だって私たちはまだ小学四年生でしたし、そもそも末っ子で甘ったれの私には、あんな風に、誰かを慈しんだことなど、一度もなかったから。そんな私には、山本さんが、何だかとてもすごい人に思えたのです。
以来、私は、前ほど山本さんが、嫌いではなくなってしまいました。山本さんは相変わらず眉間にしわを寄せて、隙あらばクラスメートを叱責していましたし、もちろん、私もその中に入っていたのですが、私は山本さんに怒られても、何だか前ほど腹が立たなくなってしまったのです。
それくらい、妹を膝にのせていた山本さんの姿は、私に強い印象を残したのでした。
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