海、灯り(Sea and Forest)

りょうすけ@九十九海のさざめき

第1章 海は青く、人は儚く

 K大学法学部の面々

 深沢陸人ふかざわりくと……K大学法学部准教授・物権法専攻

 今井孝造いまいこうぞう……K大学法学部教授・知的財産法専攻

 呉葉介くれようすけ……K大学法学部教授・家族法専攻

 斎藤慎也さいとうしんや……K大学法学部4年・深沢ゼミ所属

 津岡朱音つおかあかね……〃

 古賀慧こがさとし……〃

 猪俣藍子いのまたあいこ……〃

 大橋竜之助おおはしりゅうのすけ……〃


 嶋田晃太しまだこうた……K大学法学部3年・深沢ゼミ所属

 五十風空いそかぜそら……〃

 香月美緒かつきみお……〃

 森川扇人もりかわあおと……〃

 九十九海つくもうみ……〃


 青島菜々子あおしまななこ……K大学経済学部准教授

 湖山琥太郎こやまこたろう……K大学経済学部3年・青島ゼミ所属

 秋野琴葉あきのことは……〃


 森川しおり……K大学法科大学院・今井研究室M2

 関橙佳せきとうか……〃

 鹿沼結しかぬまゆい……K大学法科大学院・今井研究室M1

 松田佑亮まつだゆうすけ……〃


 その他の人物

 柊俊樹ひいらぎとしき……警備員

 リ・スビン……留学生・道玄酒場アルバイト

 リ・スア……留学生・服飾専門学校

 比嘉元成ひがもとなり……S大学商学部4年


 碑文谷警察署の面々

 潮見しおみ……碑文谷警察署・警部

 溝端みぞばた……碑文谷警察署・刑事

 太田おおた……碑文谷警察署・刑事


                  

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  斎藤慎也さいとうしんやがK大学で七限の授業を終えたのは、夜の二十一時十分だった。

 七限の講義というのは気怠いものである。だいいち、二十一時に終わる講義というのはいただけない。常人が眠気を覚える時間だからだ。斎藤も例外ではなかった。あるいは生活習慣の崩れた大学生であれば、まだまだ活動時間に猶予があるのかもしれない。

 天気が悪く、空の色も淀んでいる。ちょうど疲れ切った精神に拍車をかける天候だった。

 それに、今にも雨が降り出しそうな夜だった。

 

 右肩にかけたトートバックからイヤホンを取りだすと、それを耳につけて、音楽アプリから歌を再生した。『SEKAI NO OWARI』の『スターライトパレード』が両の耳から流れている。正門から一番遠い七号館からだらだらとK大学の正門に向かって歩いた(実際は第一研究棟であるが、講義をする建物なのかは、入ったことが無いので不明である)。北門(最寄り駅の方面まで直線でショートカット出来る道であり、十四時から十九時まで退校路に使える)が通れれば早いのだが、こんな正気じゃない時間には当然空いておらず、普段から機嫌が悪い警備員も既に退勤している。したがって、やたらと遠回りな正門から帰らなくてはならない。


 正門付近の図書館を過ぎたあたりで、斎藤のスマートフォンが右のポケットで震えた。送信者を確認すると、友人の古賀慧こがさとしからのメッセージだった。

「今大学だよね?オリンピック公園来られる?」という文面である。彼も正気じゃない大学生の一部なのかもしれない。

 斎藤はそれを了承することにして、「OK」と返信を送った。


 大学に隣接したオリンピック公園は、東京都の中で八番目に大きい規模らしい。確かに、一周するだけでも一時間くらいかかるだろうと推察された。しかしそれを実行したことはない。正門を出ると、駅とは反対の左側に向かって歩き出した。空の黒い雲は、斎藤の歩く方角に向かって、のっそりと進んでいた。

 古賀とは、大学一年生の時にドイツ語の授業で知り合った。第二言語の講義である。古賀は斎藤と比べると内気で、一人で居ることが多い。


 大学二年生になったある日には、オリンピック公園の中央広場で弁当を食べ、ギターの練習をしたりもした。鴨が泳いでいる水場のベンチが、いつもの場所だった。別に決めた訳ではないが、いつの間にかそういう風習になっていた。軽音サークルの後に、決まってそうしていただけだ。帰っても、予定がないだけだったという理由もある。

 宗教や常識なども、大体がいつの間にか、の法則が適用される。それは、人間社会には不可避である。


 斎藤と古賀は、今日こんにちに至るまでに、K大の軽音サークルに所属している。しかし、斎藤自身ははあまり指先が器用ではないため、同じタイミングで入ったメンバーに比べると、上手には弾けない。何度か、買ったギターが部屋のオブジェと化したこともあったが、今も惰性で練習をしている。どうして始めたのかも、どうして辞めないのかも、よく分からなかった。少し歩くと、鴨が泳ぐ中央広場に出た。中央広場には、犬の散歩をしている老人がいるだけだった。ひっそりとしている。奥には、陸上競技場が見えた。その老人は、斎藤が歩いてきた方向に向かって歩き出した。否、柴犬がリードを引っ張って先走っているため、老人が散歩をさせられているのかもしれない。暗闇に消える柴犬は、斎藤に桃太郎の犬を思わせた。

 周囲を見回して、スマートフォンを取り出した。陸上競技場が見えるその左隣に、補助競技場があった。

 トークを開き、「どこ」と送信する。スマートフォンを仕舞って、ベンチに腰掛けた。四月にしては、いささか寒すぎるように思う日だった。風が冷たい。斎藤は電子タバコをバッグから取り出すと、スティックを挿して電源ボタンを押した。指先でバイブレーションを感じる。今の時代、公園はすべて禁煙であるが、ここからだと喫煙所まで歩いて七分はかかる。残念ながら、そこまでの元気は残っていなかった。目の前の水場でのろのろと泳いでいる鴨を見つめる。ぴちゃぴちゃと、無くなりかけの缶ビールみたいな音がしていた。

 イヤホンからは、『SEKAI NO OWARI』の『RPG』が聞こえる。耳が心地よかった。煙草のカプセルを割ると、深呼吸の要領で深々と吸い込んだ。メンソールが喉を刺激するのが分かる。ニコチンが神経を落ち着かせた。ふと、スマホの画面が光る。返事が来ていた。

「今向かってるから、第一駐車場の方まで歩いてきてくれない?」と書かれている。

 第一駐車場というのは、陸上競技場の奥にあり、こちらから正面にある。したがって、東口の方向にある。歩くと十分はかかるだろう。斎藤はすぐには立ち上がらず、せっかく付けた煙草を余すことなく楽しんだ。


 時計の秒針が三周した。

 斎藤は最後の一口を残念な気持ちで吸い込み、スティックを携帯灰皿に押し込んだ。もう一本は後で吸おう。そう心に宣言すると、勢いよく立ち上がり、第一駐車場に向かって歩きだした。広場とは違い、街灯と街灯の幅が広いのか、とても暗く、前がよく見えなかった。おまけに、月も出ていなかった。老人の姿はもうない。

 少し歩くと、やがて雨が降り始めた。しかし、傘をさすにはまだ早い雨である。実際の所、出すのが面倒なだけであった。気圧も低いようだ。事実、斎藤は今朝から少し片頭痛を感じていた。流れている音楽は、『眠り姫』だ。どうしてこうも『SEKAI NO OWARI』ばかり流れるのだろう?と思ったが、音楽サブスクアプリを開いて合点がてんした。アーティストから再生していたようだ。シャッフル再生に変更すると、今度は『SEKAI NO OWARI』ではないバンドの音楽が耳に流れてきた。

 陸上競技場まで来ると、第一駐車場の看板が見えた。辺りは暗い。街灯の機能がまるで果たされていなかった。ランニングをしている人が何人か居た。斎藤が立っているピロティの近くには誰も居ない。スマートフォンを取り出したが、連絡はなかった。斎藤は小さく舌打ちをすると、電子タバコを取り出して電源を付けた。近くには、自転車が何台か止められていた。雨に濡れないコンクリートの屋根の下に行き、暗闇をうろついた。

 五分待って見ても、連絡が無い。電話をするのも面倒だったので、そのまま煙草を吸った。

 その時、背後に影が動いた。

 イヤホンを外そうとバッグに手をかけようとした時、首元に強い力を感じた。

 一瞬、意識が遠くなる。

 斎藤は腕でその力を振り解こうとする。しかし、力が強く、振り解けない。

 次第に意識が遠くなるのを感じた。

 手から電子タバコが落ちる。

 そのままよろめくと、

 壁に頭をぶつけた。

 倒れた反動で、

 イヤホンが耳から外れる。

 音楽が止まった。

 静寂。

 抵抗を試みる。

 誰だ?

 後ろを見ようとするが、

 体に力が入らない。

 音もよく聞こえなかった。

 焦燥。

 ライブ会場で二時間もかけて買ったトートバッグは、

 地面に落ちて汚れていた。

 ああ、昨日洗ったのに。

 またもや意識が遠くなる。

 死ぬのか?

 古賀ではないことは分かった。

 体格が違う。

 真っ暗だ。

 やはり何も見えない。

 死を悟った。

 視界が暗転。

 僕は、まともなのだろうか?

 僕は、正常なのだろうか?

 やはりあれは間違いだった。

 一雫の雨がぽつり。

 涙か……?

 涙。

 悲しい。

 遂には目が見えなくなった。

 最後の力を振り絞って、肘で後ろにいる人間の腹を突いた。

 「うっ」と微かに声が聞こえた。

 それは、斎藤が知る人間の声だった。



                  2


 太田おおたが公園に着いたとき、まだ朝日は出ていなかった。

 深夜の三時半、少し雨が降っていて、どんよりとしている。じめじめともしていた。オリンピック公園の陸上競技場ピロティで人が倒れている、と通信指令室に通報があったのは、今から十五分程前である。等々力で一つ下の後輩の溝端みぞばたと参考人に会っていた。一週間前に等々力のバーで起きた傷害事件の参考人に連絡を取ったところ、太田の連絡に対して、「バーが営業している時間だから……、深夜の三時頃に来てくれ」と言った。したがって、担当の太田と溝端が、珍しく深夜に駆り出されたわけである。太田は、その榎本えのもとという人物への聴取をすぐに終わらせ、署に戻る途中だった。そして今、通報を受け、現場に駆り出されたというわけだ。温厚な太田も、今は苛立ちを隠せないでいた。

 

 発見者したのは、六五歳の専業主婦で、朝のラジオ体操に行こうと歩いていたところ、オリンピック公園の陸上競技場に人が倒れていたという。何もこんな時間にラジオ体操をする必要があるのか、と太田は思ったが、それが健康に繋がるのであればいいのかもしれない。第一、太田にとっては、健康のことなど、微塵も気にしたことが無かった。隣を歩く溝端は、ポケットに手を突っ込んで歩いている。

「殺しかなあ・・・・・・」太田は溝端に訊いた。

「自殺ではないでしょうね。公園ですよ」溝端は澄ました顔で言う。

「いいよそんな正論は……。はあ、今日は帰れなさそうだな」二人は並んで、暗闇を歩いた。

「予定があったんですか?」溝端は真面目な顔で訊いた。

「帰るのが予定だよ、今は」

 

 オリンピック公園を少し歩いて進むと、陸上競技場の北側ピロティにあるベンチで女性がうずくまって座っていた。無線で聞いていた場所である。女性がいる場所まで歩いていくと、「あの」と驚かせないように小さく声をかけ、目線に合わせてしゃがんだ。

「通報された方ですか」

 女性は何も言わない。きっと、通報した時も余程取り乱していたのだろう。

「警察です」胸元にある手帳を弄び、いつでも取り出せるようにした。溝端は後ろで手を組んで、あちこち歩き回っていた。太田は諦めて、溝端がいる場所まで歩く。

「これですね」そこには、紫色の跡が首についた、男性が横たわっていた。太い紐で締められたらしい。顔を横にして、仰向けに倒れている。死後五、六時間程度、といった所か。若しくは、もっと前。死後硬直が始まっている。顔も紫色に近かった。この暗闇では、確かによく探さないと見えないかもしれない。

「男性が……」女性は、か細い声で言う。後から聞いた話だが、女性の名は御厨理子みくりやさとこと言うらしい。

「あちらに座って待っていていただけますか?」太田は御厨に促す。まだ、焦点が定まっていないようだ。

「ええ」それだけ言って、そそくさと歩いて行った。

「どうだい」

「物取りじゃないですね」

「そう」

 バッグを見ると、財布が入っていた。太田は手袋を付けると、遺体の状態を確認した。暴行された形跡はない。辺りを見渡したが、砂が多少乱れている程度で、激しく争った痕跡もなかった。雨が降っているため、判別も難しい。

 二メートル先には、イヤホンとトートバックの中身の幾つかが散乱していた。

「防犯カメラは?」太田が訊くと、溝端は立ち上がって首を横に振った。

「ここは死角ですね」

「そうだねえ」太田は目を細める。「そこ、何落ちてるの?」太田は落ちているものを手に取った。それは、ストラップが千切れたキーホルダーだった。アニメには明るくない為、何のキャラクターなのかまでは分からないが、太田の趣味ではないことは確かだった。美少女系かもしれない。

「ちょっと、トートバッグみせて」バッグには、一見した所ではキーホルダーの金具の部分は見当たらなかった。

「それ、証拠かもしれませんね」溝端は腰に手を当てて言う。

「一応、持っておこう」太田は御厨が座っている場所まで戻ると、「ひとまず、ご自宅までお送りします」と言った。

「あの、私は何も……」御厨は言う。大丈夫ですよ、あなたの力と身長で首は絞められません、と思ったが我慢した。

 

 後から来た捜査員に引き継いで、本部に戻ったのは、朝の四時五十分だった。少し目が覚めたようにも思えた。御厨に発見時の状況を聞き、自宅まで送った。碑文谷警察署ひもんやけいさつしょは、どこか不気味な雰囲気に包まれている。捜査員による調べでは、亡くなったのは、オリンピック公園の隣のK大学に通う学生で、斎藤慎也、二十二歳である。大学四年生だ。法学部の学生らしい。昨日は七限、すなわち二十一時十分まで授業があったようで、その後に、オリンピック公園に来たそうだ。携帯のトーク履歴には、亡くなった時間に会う約束をしていた人物が居た。古賀慧という学生で、彼も法学部の、尚且つ深沢陸人ふかざわりくと准教授という人物のゼミで斎藤慎也と同じらしい。太田は古賀に連絡を取り、話を聞くことにした。

 大学は全て休講らしい。

 古賀が居る第二研究棟の四階に着いたのは、午前の十一時だった。太田は質素な部屋に入ると、「お聞きしたいことがあります」と太田は切り出した。


「はい、約束はしてました。でも、慎也、途中から返信無くて、帰っちゃったのかなと思ったんですけど、車から降りて公園に行ったんです」

「えっと、車って言うのは?」

「僕の親の車です。最近免許を取ったので、ドライブしてました。あ、免許証見ますか」

「いや、大丈夫」太田は右手をパーにして横に振った。古賀から話を聞くまでは、事件の事は伏せていた。こういったタイプの男性は、気が動転して会話にならないことが多い。

「続けて」

「あ、はい。それで行こうとしたんですけど、お腹が痛くなっちゃって。近くのコンビニでトイレを借りたんです。その時、スマホをすっかり車に忘れちゃって」

「近くのって、向かいにあるやつ?」

「そうです」古賀は心配そうな顔で言う。とても男性とは思えない、弱々しい表情だった。

 少々趣味が入り組んでいる女性にはモテそうだなと推察する。

 もちろん、口には出さない。

「なんで車で行かなかったの?」

「歩いたほうが早いと思って……」

「それで、どうしたの」太田は話題を変えた。

「二十分後くらいに、車に戻ったんですけど、やっぱり返事が無くて。電話もしましたよ。一応近くは見たんですけど居ませんでした。雨が降っていたし。だから、ああ、帰っちゃったんだと思って、僕も帰りました。それにお腹も痛くて。あの、刑事さん。何があったんですか」

「その前にもう少し聞かせてもらえる?」太田は古賀の目をじっと見つめる。

「は、はい。分かりました」

「なんでもっと、周りを確認しなかったの?」

「え、いや、雨も降ってきて、さすがに帰ったと思ったんです。明日謝ろうって」

「あそう」

「はい」

「その時、君は何のお話をしようとしたの?スマートフォンでトークをしたり、次の日に学校で話すのじゃ駄目だったの?」

「それは、言いたくありません」古賀は口をつぐんで上を向いた。

「言いたくない、か。つまり、個人的な事なんだね?」

「そんな感じです」

「分かった。それは聞かないことにしよう。じゃあ違う質問だ。ゼミに入っているね?その四年生はどんな関係性だ?」

「関係性ですか。仲はいいと思います。でも……」

「でも?何か思い当たることがあるのかな」

「なんだか最近はみんなぎくしゃくしているような気がして。まあ大学院に進学する人も、就職する人もいるので、そのせいかもしれませんが」

 古賀は額の汗をネルシャツの袖で拭った。

 背中には、生ぬるい汗がじっとりとかいている。

「それは誰?」太田は足を組んで古賀の目を見据える。

津岡つおかとか、ですかね」津岡というのは、古賀や斎藤と同じく深沢ゼミの生徒である。本名は津岡朱音あかね。他には、大橋竜之助おおはしりゅうのすけと、猪俣藍子いのまたあいこという、合計5名の生徒が、深沢ゼミのメンバーだと太田は聞いていた。今年は、三年生の希望者が五人いたらしい。すなわち、殺害された斎藤を除いた九名が、今年度の生徒数だそうだ。

「じゃあ次、このキーホルダー、知ってる?」

「なんですか、これ」

「知らないって事?」

「はい」

「誰の物かもわからない?」

「わかりません」

「そうか……、君なら分かると思ったんだけど」

「どういうことですか?」

「いや、何でもないよ。ただ、これがに落ちていてね、君なら知っているかと思ったんだ」

「現場?」

「何でもない。次の質問だ。どこで待ち合わせしようとしたの?」

「第一駐車場近くです。雨も降ってましたし、戸塚とつかまで送ろうと思ったんですよ。斎藤が住んでいるところまで」古賀は言う。

「どこか行ってたの?」

「ただのドライブです」

「それで、大学の近くを通ったんだ」

「君が住んでるのは、宮崎台みやざきだい?」

「そうです」

「そこから来たんだ」

「はい」古賀は怪訝な顔をした。

「どこかに寄った?」

「特には……」

「じゃあ、公園で斎藤君を乗せて、車で話そうと、そういう事?」

「ええ、彼、傘差さないし、ついでに送ろうと思って」

「傘差さないって?」

「いや、ただの癖でしょう」

「なるほどね」

「最近斎藤くんと会った?」

 古賀は上を向いて「うーん」と言った。「今日、火曜ですか?」

「そうだね」

「じゃあ、先週の火曜に、ゼミで会ってます。一週間前ですね」

 太田は古賀を見て、頷いた。

「何か変わったことや、変だなと思ったことはない?」

「うーん、言動、とかですか?」

「態度でもいいよ。怯えてたとか、しきりに時間を気にしてたとか」

「いいえ、特にはないです」

「そうか」

 太田は思考する。

「誰かとトラブルがあったとかは?」

「いいえ、ないと思います。彼、そういう人じゃないと思いますけど……」

「そういう人じゃない、ねえ」じゃあどうして殺されたんでしょう?とは言わなかった。

「誰かに斎藤くんと会うことは話した?」太田は話題を変える。

「いいえ、話してません」

「じゃあ、君たちしか知らなかったってことだね?」

「はい」古賀は貧乏ゆすりをしている。「刑事さん。ほんとに何なんですか」苛立ったような表情で訊いた。

「ああ、ごめんね。色々聞いてしまって」太田はテーブルの日本茶に手を伸ばす。

「亡くなってたんだよね。斎藤慎也くん」

 

 太田はそれからしばらくして、関係者に連絡を取り事情を訊いた。誰もが、同じような反応を示し、誰もが人を殺すような危険な人物には見えなかった。否、あからさまな怪しい人物など普通は居ないのだが……。

 その証言を手帳にまとめると、以下のような事実が判明した。


 大橋の証言

「亡くなってたって、え?病気とか、じゃないですよね。警察はそんなことしないか……。え?昨日ですか?昨日はバイトしてました。渋谷の道玄酒場です。キッチンで働いてます。誰かと?えーっと、同じゼミの森川扇人もりかわあおとと、経済学部の湖山琥太郎こやまこたろうが居ましたよ。二人とも二十三時くらいまで。俺もそのくらいまで居たかなあ。その後って?帰りましたよ。まあ、ゼミでしか大学に行く用事は無いし、火曜くらいちゃんと寝てから行こうと思ってましてね。え?ゼミ?火曜の三限です。はい。トラブルかあ、思いつかないですね。別に普通のやつだったし、嫌われたりもしてないんじゃないですか?俺も面白いやつだと思ってましたよ。様子もいつもと変わらず、ですよ。至って普通って感じで。ええ、こんなこと訊く事情って……?あ、質問はダメなんですか?分かりました。まだ質問があるんですか?え?恋人?さあねえ、分かりません。あでも、これオフレコにしてくださいよ。実はね、猪俣さんのことが好きだったみたいなんですよ。ああそうです。猪俣藍子さん。でも、猪俣さんは古賀と付き合ってるでしょ?だから、古賀とはなんかあってもおかしくないでしょうねえ。別に怪しんでるわけじゃないですけどね。それに、会おうとしてたんでしょ?そんな中、事件を起こすなんて、間抜けすぎですよね。はあ、なんか、怖いです」


 猪俣の証言

「本当に亡くなったんですか?怖いです……。昨日ですね。K大学の学食で、津岡朱音さんと勉強をしてました。二人とも教職の課程を取ってるので、教採の試験勉強です。十九時くらいから、二十一時くらいまでですね。二人で帰りました。でも方向は別なので、K大学駅で別れましたけど。津岡さんは埼京線ですから、渋谷方面です。東十条、だったかなあ。私は中山です。横浜の。斎藤くんを最後に見た日?うーん、いつだろう?最後に会ったのは……確か先週の金曜日ですね。私、図書館で本を読んでたんですけど、五階のホールに居たので、声を掛けました。様子ですか?いつも通りでしたよ。機嫌も良さそうで、普通でした。トラブル?私には分かりません。何もないと思います。津岡さんなら、何か知ってませんか?私より仲がいいと思いますよ。斎藤くんと。もう大丈夫ですか?ええ、まあ、出来ることなら協力しますけど。お力になれたなら、良かったです」


 津岡の証言

「いや、え??そんなことって、少し前まで元気でしたよ。信じられません。その、他殺ってことですか?ああ、言えないんですね。分かりました。協力ならしますよ。もちろん。昨日ですね、藍子と勉強をしてました。どこで?学食の、喫煙所側です。いやあ、私が吸うもんで、藍子が合わせてくれたんですよ。喫煙所は第一研究棟の方にあります。図書館の三階にもありますけど、ほら、図書館って、あんまり会話できないじゃないですか。だから学食です。十九時に注文も終わるので、人も少ないじゃないですか。まあ、勉強してたのはほとんど藍子だけで、私は彼女の邪魔ばかりしてましたけど、えへへ……。トラブルですか?大学院進学で、今井いまい教授の推薦を狙ってるのが私と古賀と斎藤なんです。ほら、深沢先生って、今井孝造こうぞう教授と仲いいじゃないですか。ほら、知的財産法の先生です。深沢先生は物権法とか、法社会システムの専攻なんですけど、今井教授はもともと民法の博士で、深沢先生が今井教授の弟子なんですよ。教え子って言うんですかね。いやあ、研究者なんて、教授に好かれるところからですから。いくら頭が良くても、教授の推薦が無ければ、ポストには付けません。だから必死なんですよ。K大学院の今井教授の研究室は、これまでに五人もの研究者を出している名門なんですよ。それに一番近いのが、深沢准教授のゼミなんです。色々とコネがありますから。ええ。つまり、私と古賀なら、斎藤に恨みを抱く可能性はありますね。どうしてそんな話をするのかって?決まってますよ。古賀が一番頭が良いんです。だから、私たちは半ば諦めモードというか、だから、斎藤が狙われる理由ではないかもしれませんね」


 深沢の証言

「そうですか。いやあ、そりゃ居たいたたまれませんけど、協力できることなら協力しますよ。専門ですか。大きく言うと、民法です。うーん、詳しくって、論文を読んだら分かるんじゃないですか。まあ、物権だったり、総則を扱ってますよ。でも、民法の学者は、とにかく専門が多いんですよ。会社法だったり、家族法だったり、色々な分野です。斎藤くんねえ、別に親しいわけじゃないし、プライベートも知りません。でも、勤勉な子だったとは思いますけど。印象はそのくらいです。最後もゼミですね。変わった様子?そんなの分かりませんよ。その、自分で、という訳ではないんですね?ああ、言えないと。まあ、こんな質問するくらいですからね、分かります。ただ、詳しいことは知りませんし、介入もしないつもりです。ゼミを続けるかって?そりゃ、上の判断でしょう?私の判断じゃありません。月曜なら、有楽町に居ましたね。

二十二時頃?うーん、自宅に戻る途中ですね。等々力に住んでるので、永田町から二子玉川に、それから大井町線です。大学は寄ってません。午前中は居ましたよ。出勤のログを見れば分かるでしょう。なんだか、いい気はしませんね」


 太田が昼食の弁当にありついたのは、聴取を始めてから五時間も過ぎた頃だった。斎藤の大学関係者に聴取をした部屋で、一人黙々と食べていた。夕方の一六時。日はまだ高い。各々の事情はおおよそ把握したが、これといって有用な情報はなかった。唯一、津岡の証言だけは何らかの手掛かりになるかとも思ったが、進学などの理由で殺人を犯すというのは、いくら考えても、妥当とは思えなかった。首を捻り、指をぽきぽきと鳴らす。少しだけ頭痛がした。


 溝端が居る四階まで上がると、各教官や大学幹部が集まって簡単な報告会をしていた。それ以外の捜査員は、不審物の捜索や監視カメラの確認、大学のシステムを重点的に調べている。学生の出席登録に関しても、大学のサーバーに接続して確認した。主にゼミのメンバー、軽音サークルのメンバーである。しかし、現代の出席登録というのは、スマートフォンの操作一つでほとんどの場合がどこからでも申請できるらしく、たとえパスコードが設けられていたとしても、時間制限があったとしても、友人を持つ人であれば容易に出席が登録できるらしく、あまり期待できるセンではなかった。もっとも、出席登録云々は、捜査としては形式的な、役所として必要な儀式にとどまり、証拠としての役割を果たすとは到底思えなかった。


 オリンピック公園の陸上競技場付近の監視カメラには、ピロティまで歩いて向かう斎藤の姿があった。それ以外にも、中央広場、大学側入口、ランニングコース付近の監視カメラにも映っている。だが、殺害場所は控えの選手が座るために設けられた空間であり、試合で人がごった返している時は、両側に設けられたコンクリートの壁を上手く利用して、更衣室の代わりのするのだという。無論、男子だけだ。そんなわけで、防犯カメラには映っていなかった。その通路も同様である。関係者用の搬入口やフォークリフトを入れる入り口も反対の駐車場側に設けられており、これといって重要なスペースではなかった。正方形の囲まれた空間、とでも言い換えよう。

まさに死角である。そんなわけでその場所に出入りをする人影は一日を通しても極端に少なく、貧乏な大学生が駐輪場代をケチるために自転車を停めるか、宿使と言った場合しか人は立ち入らない。身長が一六七センチもあればたちまち衆人環視になるのだから、特別隠れスペースという訳でもない。


 斎藤の死亡推定時刻前後に通りかかった人物は二人居た。一人目は、ランニングの休憩中とみられる人物がである。ピロティから大学側に向かって走り去ったグレーのフーディーにサイドラインパンツを履いた人物で、体格から見て女性ではないか、というのが、上司の潮見しおみの見解だ。休憩でピロティに立ち寄ったとみられるが、その後に犯行を行ったのであれば、およそ五分の間に犯行に及び、走り去った(ランニングなのだから走り去った、というのも不自然であるが)と考えることが出来る。もう一人は、全身がまっ黒の、いかにも動きやすそうな格好をしたシルエットだった。ランニングをしない太田にとっては、グレーのフーディーを被った人物と色以外に事実上の差はない。性別は、映像だけでは分からなかった。つまり、平均的な体格である。二人目は、大学側ではなく、駅に向かって走り出している。一人目とは真反対だ。滞在していた時間はグレーのフーディーを被った人物と比較すると、五分も長い。十分間、座っていたか、ストレッチでもしていたのだろう。これもまた、憶測の域を出ない。


  なぜこれほどにも監視カメラに映っていないのかという話が、一日の間に十二回ほど為された。両者においても、公園から出る姿が確認できなかった。それも無理はない。暗闇では、街灯の灯りのみで洋服の色や体格を判別するのは困難だ。それに、どちらとも変凡な服装のため、外周を走っている人々と混在してしまうと、全く分からなくなってしまった。もしや正規のルートではない出口から出たのではないか、若しくは、大学に直通したルートがあるのではないか、という意見もあったので、大学側に頼んで防犯カメラの提供を願い出た。しかし、これでもダメだった。全身黒の人物は東急線K大学駅の近くで発見できた。顔が見えないという条件付きで……。しかし、グレーのフーディーの人物は、K大や東急線の防犯カメラにも映っていない。視野を広げ、監視カメラの確認を急げと潮見からの指示が出たのは、言うまでもないことだった。

 挙句の果てには、幽霊じゃないか、というふざけた意見も散見されたので、太田はそこで「じゃあ、うらめしやですね」と言ったが、誰も笑わなかった。四階からエレベーターで降りて、第一研究棟の前まで行くと、ポケットからマルボロを取り出して火を付けた。不気味な事件であり、憶測ばかりで思うように進まない。気が滅入る太田であった。

心なしか、その煙草はいつもより苦いような気がした。


                  3


 事情聴取から解放された古賀は、K大学近くのファミリーレストランに向かった。朝から呼び出されたというのに、もう夕方である。しかも、六時間も滞在したうちの五時間が待機時間だった。ディズニーランドよりも酷いのでは、と考える。三軒茶屋方面にあるファミリーレストランは、国道二四六号線に面した古い建物である。昔からあるらしいが、チェーン店の為、ありがたみは皆無だった。階段を上がって中に入ると、ウェイトレスが「一名様ですか?」と質問した。

「いえ、待ち合わせで……」というと、「どうぞ」と左手を店内に向けて伸ばし、笑顔で厨房に戻っていった。目的の人物を探すと、窓側の一番奥のテーブルに居るのを見つけた。紺のポロシャツを着ている。古賀よりも背が高く、大学三年生とは思えない程幼稚な外見をしている。カラオケボックスにブレザーを着せて連れて行ったら、高校生の料金で入れそうである。しかし、実行したことはない。

 火曜日というのは、ゼミの日だ。本来は十三時から十四時半の時間割で行うのだが、ゼミは疎か、大学自体が全学休講になったので、彼はここに居る。本来であれば大学帰りのはずである。

席に着くと、「よう」と古賀は言った。

 店内に人はそれほど多くはなく、近くのテーブルでは、家族連れや、老夫婦が静かに食事をしている。

 森川扇人もりかわあおととは、軽音サークルで知り合った。古賀の一つ後輩であり、ゼミも同じである。何度か楽器をセッションしたことはあるが、ポカンとか、カチン、とか、どうしたらそんな音が出るのか分からない、ちんけな演奏ばかりだったので、進学のためという口実でやめてしまった。正式にやめたのではなく、幽霊ゆうれいである。斎藤慎也も、あまり軽音サークルに来なかったため、森川と直接顔を合わせたのは、とうとう二回ほどだった。古賀はコーヒーを注文し、それが届くまで森川と世間話をした。やがて笑顔で迎えてくれたウェイトレスがコーヒーを運んでくると、カップを持って森川を一瞥した。

古賀は今日あった出来事を、コーヒーを飲みながらかいつまんで森川に話した。森川はその話を聞いている間、一度も口を挟まなかった。

「それは大変でしたね」森川はウーロン茶を飲みながら言った。味が薄そうな色をしている。

「大変なんてもんじゃないよ。もうさ、容疑者扱い。怖いよね、警察って」

「そうですよね。古賀さん、アリバイあるんですか?」森川から発せられた言葉に、古賀は少し面食らった。

「アリバイって、そんなのドラマじゃなきゃ聞かないなぁ。あるよ」

「でも本当に、残念でした」斎藤の事か、アリバイがあることかを聞きたかったが、前者であるようだ。

「誰か思い当たりますか?」森川は刑事よろしく質問を続ける。

「いないよ。そんなの。お前、ドラマの見過ぎだ」

「はは、そうですよね。すいません」森川は舌を出す。

「誰がやったんだろう?不審者じゃあないよね」古賀が言った。

「ふむふむ」森川は納得したように言う。

「ふむふむ?」

「これからどうするんですかね?ゼミは」

「どうもこうも、深沢先生はこのまま続けるみたいだよ。まあ、九人居れば充分にゼミは成り立つしね」

「そうですね」

「うん」

「俺、斎藤さんとほとんど話したこと無いんですよ。どんな人だったんですか?」森川は手を付けていないパフェをスプーンで掬って食べた。

「そうだなぁ、ちょっと変わったやつだったよ。内気な人だったな。あ、セカオワが好きだったみたいだ」

「セカオワ?」

「ああ」

「日本の音楽、あんまり聞かなんですよね」

「大丈夫だ、俺もよく知らない」古賀は興味がないのか、窓の外を見つめていた。

「警察はなんて?」森川はティッシュを取り出して鼻をかむ。手の甲で口を拭って身を乗り出した。古賀は太田やゼミの関係者が知りうる情報の一切を森川に伝えた。昔から説明するのは得意なのだ。

「まあ、あんまり詳しいことは教えてもらえなかった。でも多分、ゼミの人たちはみんな聞かれてるんじゃないかなあ」言い終わるまで、今度も森川は口を挟まない。

「俺も、俺の友人も聞かれてないみたいです。この話、してもいいですか」

「うん。いいよ」古賀はコーヒーを再び手に持ち、口に運んだ。少し味が薄い。

「友人って、ゼミの人?」古賀は訊く。

「そうです」

「へえ、一人も知らないや。先週行ってないし」前回が、新年度一度目の講義だった。

「僕を合わせて五人は居ますね」

「全員に話すの?」

「いや」

「違うんだ。今年はどんな人が入ってきたのか、楽しみだよ」

「いやあ、とにかく変な奴が居るんですよ。でも、何というか、言葉では表しにくい人物でね。静かに佇んでるだけで、絵になるようなやつです。森とか川とかも、あるだけで綺麗でしょう?」

「言いたいことが伝わらないんだけど……」

「だから、それ一つじゃあままならないんですよ。地球一面に海があって、他に何もなかったら、絵になりますか?昭和レトロな風景、とかもありますけど、日本のどこでもあれなら、誰も珍しがらないでしょ?そういう事です。森があるなら、空があって雲が伸びて、ちょっと渓流なんかも流れて、それで景色が映えるんです」

「それで?」

「彼が居て、僕が居て、嶋田しまだが居ると、それからそらとか美緒みおとかが居ると、それが完成系なんですよ。ゴレンジャーみたいな……」

「それで?」

「僕は、灯台の役割です」

「東大?」

「そうです」

「どういうこと?」

 森川は身を乗り出す。内緒話の要領だ。そしてこう切り出した。

「勉強は出来ないのに、頭は良いみたいな人、出会った事ありますか?」森川の質問の意味を理解するのに、古賀は一五秒ほど時間を要した。

「どういうこと?」

                  4

 関燈佳せきとうかには、悩みがあった。修士論文の出来がイマイチな事だ。担当教授に論文を提出する期限が近くなる一方、文章の出来は次第に悪くなっている気がする。まるで、聞き取れなかった英語のリスニングの様に、支離滅裂な文章が、長々と連なっていた。それを見ていると、気持ちが沈んでいくのが分かった。

「これじゃあ論文は通らないね。今井いまい先生も渋い顔をすると思うよ」森川しおりは澄ました顔で言う。彼女は、大学一年生からの友人であり、K大学院に入ってもなお、交友関係を続けている。二人は、今井研究室のメンバーだ。彼女は男勝りな性格で、洞察力と直観力に優れていた。彼女はK大学の学部生に弟がおり、森川扇人という。

「そんなこと言われても、難しいよ」関は椅子の背にもたれて言う。耳の上にシャープペンシルをかけていた。

「なんでこんな難しい内容にしたの?地方自治法も関係してくる判例じゃん」

 しおりは関のほうに顔を向け、少し笑った。

「だって……」好きな人が地方自治法を勉強しているからです、とは言えなかった。

「まぁいいよ。手伝うから」しおりは関の持っている資料を一瞥すると、マックを起動して何かを調べ始めた。

「行政法と行政救済法ってやった?」森川しおりは冷たい目線だ。

「う、うん……」

「やってないんだね」まばたきを一つ。四月には似つかない冷たい目だった。

「なんで分かるの」

「顔に書いてあるもの。ほんとに分かりやすい」

 関は褒めてくれてありがとう、と皮肉を込めて言うと、「全く褒めてない」としおりに一蹴された。

「私の顔、そんなにたくさん文字が書けるの?」

「さあね」

 それからは、森川しおりに散々な言われようだった。本当に、何につけても適わない人物だ。

 少しばかり論文に手を付けると、休憩にしようか、としおりが言った。関はコーヒーを二杯作ると、しおりに前に置き、それを二人で黙って飲んだ。ドアのノックが聞こえたのは、それからすぐの事だった。


 「どうも。碑文谷警察署の太田です」太田は手ぶらにスーツといういで立ちだ。

「えっと、警察?」関はオレンジのカーディガンを羽織ると、扉の前まで歩いた。

「ええ、少し聞きたいことがありまして。今お時間宜しいですか」断れるはずもなく、太田を研究室に招き入れた。

「奇麗な部屋ですね。いやぁ、大学院なんて行くほどの知能が無かったもので、緊張します」

「それで、要件は」森川しおりは腕を組んで言う。片手にはコーヒーのマグカップを持っていた。

 ああと太田が言うと、ポケットから一枚の写真を取り出して二人に見せた。

「この方に見覚えはありませんか」証明写真らしきものには、若い男性の顔が映っている。その顔に、見覚えはなかった。それを伝えると、太田はいくつかの名前が載ったくしゃくしゃの紙を机に置き、これは?と訊いた。最初に口を開いたのは、関だった。

「これ、深沢先生のゼミの名簿ですか?津岡さんは知ってますよ」

「へぇ、差し支えなければご関係を教えていただけますか」

「大学院に推薦している方です。院進をしたいらしくて、私が今井教授に伝えたんですよ。大学院は推薦で入るようなものですからね」太田はにやりと笑うと、それで?と言う。しおりは名簿をもう一度見ると、指をさしながら「斎藤君って、GPAが足りないとかなんとか言ってた人?」と関に言う。

 太田は二人の話を興味深そうに聞いた。「今井教授というのは?」

「私たちの指導教官です。深沢先生の指導者でもあります」

「ふうん」

「それで、さっきの話、詳しく教えてください」その言葉に対して話し始めたのは、しおりである。

「ああ、元々は斎藤君を推薦する予定だったんですよ。二人が入ってるゼミの指導教官である深沢准教授は、大学院でも指導者としてお仕事してますからね。でも、二ヵ月前くらいかな、突然津岡さんから連絡があったんですよ。それで斎藤君より学力もあるみたいだし、深沢先生も津岡さんの方がいいと言ってましたよ。本当の所は分からないけど」

 太田はへえ、という顔をしてから、首を上下に動かした。

「斎藤さんと津岡さんの関係性はどうでしたか」

「関係性は分かりません。でも、斎藤君にとっては、推薦枠を取られたことに怒ってるかもしれませんね」関が言った。

 太田は面白そうな顔をすると、考え込む仕草をした。

「他に、深沢ゼミで知っている方はいますか」

「うーん、古賀さんも猪俣さんも知らないし、大橋さんって、あの学際の運営やってる人?」しおりは関に訊く。

「そうだね。話したことはないけど、名前くらいは聞いたことがある」

「つまり、津岡さんと斎藤さんはあまり仲が良かった訳ではないんですね。三年生の方はどうですか」

 森川しおりは顔をしかめる。

「これが、今年入った三年生?」

「ええ」太田は頷く。

「なんか、胃もたれしそうなメンバーですね」

「森川扇人というのは、もしかして弟さん?」

「ええ、一応」

「一応?」

「残念ながら」

「消極的ですね」

「ええ、前向きな事実ではありません」

 太田は缶コーヒーをごくりと飲む。

「胃もたれしそうなメンバー、というのも、気になります」

「ああ、そのうち四人は知っている人なんです。兎に角、癖が強くて、とっつきにくい人たちですよ。特にその一番下の子なんか……」

「なんか?」

「いいえ、何でも」

「は?」

「空ちゃんは、かわいい子ですよ」関が言った。

五十風いそかぜさん?」

「そうです。前に一度ゼミに顔を出したら、会ったんです。ああ、お人形さんみたいな子だったなあ」

「お人形さんね……」太田が言う。

「燈佳は、ウルトラマンの怪獣かなんかだもんね」森川しおりが言う。

「は?」関は頬を膨らまして呟く。

「あの、他に何かありませんか?今井先生のこととか、深沢先生とか……」

「ありませんね。その一番下に書かれた名前の子に訊いてみてください。多分、役に立つでしょう」

「あ、ああ。一番下の子って?これ、なんて読むんですか?」

「つくも、だと思いますよ」

「つくもか、なるほどねえ」

「弟の友達なんです。親しいってわけじゃあないですけど、つくもくんが二年生のとき、私が課題と試験の面倒を見たんですよ」

「へえ、博識なんですね」

「それほどでも」森川しおりが少し照れながら言う。

「あ、照れてるね?しおり」

「うるっさい」

「はーい」

 扉が開いた。男が、ポケットに手を入れて現れる。

「ああ、鹿沼しかぬまくん。おかえり」関が言った。

「お客さんですか?」鹿沼は片方の眉毛を動かして言う。

「うん。刑事さん」森川しおりは澄まして言う。私は刑事さんと話すから、鹿沼くんはこのちんちくりんに地方自治法、教えたげて……」

「ちんちくりんって、随分な言われようだなあ」関は感嘆する。

「まあ、いいですよ」鹿沼は関の方に向き直って言った。

「ってか警察って……、何したんですか、燈佳さん?」


                   4


 太田が警察署に戻ると、溝端がバタバタと歩き回っていた。

「おい、帰ったぞ」太田は椅子に腰かけると、静かにため息をついた。

「あ、太田さん。メール見ました?」溝端が紙の束を雑に置いた。

「みてない」

「まず絞殺で使用した紐なんですけど、コットンの紐ですね。生地屋で売ってるトートバックの紐みたいなやつです。購入歴も調べてますが、まだ見つかってません。持ち去っても、どこでも捨てられますからねえ。それから指紋ですけど、手袋をしてるみたいで何も出ませんでした。防犯カメラの映像ですけど、やっぱりグレーの人物は見つかりません。ですが、K大の向かいの飲食店が協力してくれるみたいで、探させてます」

「つまり何も分かってないってことだな?」

「強いて言うならそうです」

「強いてない」

「グレーじゃなくてブルーだな」太田はぽつりと言う。

「いや、グレーだと思いますけど……、あれ、紺色でしたっけ?」

「違う違う。続けて」

「現場にこれが落ちてたそうです。五メートルくらい離れたところですね……。アスファルトの」溝端はポケットからジップロックに入ったボタンを取り出した。

「なんだこれ?」

「ボタン、ですね。女性ものの。そこにブランドと洋服の写真があります」

「それなんだが、ちょっと厄介なことになったかもしれん」奥の応接間から出てきたのは、潮見警部だった。潮見はふちが無い眼鏡を外すと、机の上にぶっきらぼうに座った。

「厄介な事、ですか」太田が訊く。ポケットから手を出して姿勢を正した。

「ああ、亡くなった斎藤だが、猪俣藍子という人物に好意を示していたらしい。そのボタンも、猪俣藍子の自宅にあるブラウスの取れたボタンと一致したんだ。しかし、その日、猪俣はそのブラウスを着ていなかった。家に置いていたんだ。それは母親に事情聴取をした捜査員によってウラが取れたから間違いない」

「えっと、つまり事件当日に着ていなかった洋服のボタンが現場から見つかった、という事ですか?」太田は苦いものでも食べたような顔をする。

「ああ、そうだ。この事実から導き出せる結論は三つ。一つ目に猪俣が斎藤に渡した可能性だ。しかし、私が五十八年間生きていて、少なくとも、誰かに自分のボタンをプレゼントしたくなったことはない。卒業式なんかなら分かるんだが、大学四年生の四月にそんなイベントはないだろ?それとも、今はあるのか?二つ目に、何の拍子に落ちたボタンを斎藤が所持していた可能性だ。つい先日その洋服を着ていたそうだから、もしそうであれば、なぜその時に渡さなかったのか、渡さないとしても、連絡の一つもしないのは何故か、それは分からない。三つ目に、斎藤が故意に奪った場合だな。これが一番穏やかじゃない理由だ。猪俣に近づいて刃物か何かで切り取り、窃盗よろしく持って帰ったって寸法だ。もしそうだった場、二つ目の場合においても同様に説明が付く。今の見解はこんなもんだ」

「もう一つありますよ」太田は潮見警部を見据える。

「なんだ?」

「猪俣藍子が、故意に落とした場合です。つまり、何らかの可能性で事件に関わっている、若しくは罪をなすりつけられている、と考える事ができますね。それに、現場の近くに居合わせた古賀と交際しているようですし、古賀が斎藤に何らかの恨みを抱いている可能性だって否定できません」

 潮見はうなる。「だとしたら、大学内部の人間か?」

「ええ、それも考えられますね」

「参ったなあ」

「でも、古賀と斎藤が会う事を知っていた人物じゃないと、不可能では?」

「古賀が犯人な可能性もありますよ。まあ、犯行時間に第一駐車場に居たので、今のところ非現実的ですが」溝端が言う。

「だとしたら、杜撰ずさんな犯行だね」太田は首を傾げた。

「まあとにかく、太田、溝端は引き続きゼミの関係者に当たってくれ」

「はい」二人は声を揃えて言った。

 

 猪俣は、図書館にいた。声をかけ、図書館の関係者用応接室に入った。溝端が簡潔に事情を話すと、猪俣は表情を曇らせた。またか、という顔である。その表情は、ホラー映画を見ている時のそれだった。

「あなたのブラウスのボタンが、現場から見つかってますが、何か心当たりはありますか?」

「そういえば、ボタンが無いと母から聞きました。でも、心当たりなんてありません」

「じゃあなんで現場に落ちてたんでしょうね。本当に分かりませんか」溝端が語尾を強めて言った。

「だから、知りません。何なんですか?」

「まあ、少し待ってくださいよ。斎藤さんについては、どのような印象がありましたか」

「印象、自分で言うのはあれですけど、彼から好意を感じてはいました。でも、私は古賀君と付き合っていますし、好意に応えることは出来ませんでした」

「それもそうですね。うんうん。どうもすみません」溝端と太田はその後いくつかの質問を投げかけたのち、礼を言ってその場を後にした。その後は、古賀にも同様の質問を投げかけたが、最初の時と同じ供述に飽き飽きし、ついには大学をも後にした。

 二人はカフェに入り、コーヒーを飲んでいると、潮見から電話がかかってきた。ため息をつくと、太田はしぶしぶ電話に出た。

「どうだった?」潮見が言う。

「いやあ、特には」

「ああ、そうか。とりあえず戻ってこい。会議だ」

 電話を切ると、という最悪な言葉を反芻した。言葉の苦みが強いせいか、コーヒーから苦みは感じなかった。警察署に戻る途中、静かに空を見上げた。昨日とは違い、雲一つない美しい青空が広大に広がっていた。事件の真相の様に、終わりのない予感を、太田は感じていた。

                 


 古賀と別れると、大学院まで歩いた。二四六号線を直線で進むので、あまり長くは感じない。 

 K大学の事務棟の向かいに、K大学院はある。特に用事もなかったが、姉に事件のことを話してみようと思ったのだ。姉のしおりはとても厳しい。機嫌が悪いときはもちろん、機嫌のいい時でさえ、少しでも失礼なことを言おうものなら……。という訳だ。しかし、その友人、関燈佳はとてもいい人だったように記憶している。本当にの姉が関のような人だったら良かったのにと思った。大学院に着くと、広いホールを進んでエレベーターで九階まで昇った。角にある部屋が、今井いまい研究室だ。すなわち、姉と、関が勉強をしている場所である。適当にノックをすると、姉の「はい」という声が聞こえた。ドアが開く。姉が顔を見せた。

「げっ、扇人じゃん。どうしたの?」しおりは言う。

「別に、暇だから寄っただけ」

「はあ?ここフードコートじゃないんだけど……」

「嘘だよ。面白い話がある」

「なに?」

「あれー?扇人くん?久しぶりじゃん」関がから立ち上がって言った。

「関さん、久しぶりです」森川は言った。

「とりあえず入って」しおりは研究室に招き入れる。研究室には、簡単なデスクが六つあった。それぞれが三つずつ、向かい合っていた。そのうち、扉から近い左側のデスクがしおりのデスクである。その隣が関だ。奥に男性が座っていた。その男性を見て驚いた。扇人の友人に容姿が酷似しているからだ。背格好も似ており、慧眼な目も面影がある。

「誰ですか?」その男はしおりに質問した。

「ああ、私の弟。法学部の学部生よ」

「そうなんですか。よく似てますね」

「似てないわ」

「そうなんですか?」

「うん。それで扇人、面白い話ってのは?前みたいに、カブトムシがどうとかいうくだらない話なら出て行って貰うわよ」

「しないよ。カマキリと戦わせたら飛んで逃げた話でしょ?あれは見ものだったなあ」

「してる」

「んん、そうだった。K大の事件の話しなんだけど」

「えっ」突然、男が立ち上がる。「お前、事件のこと知ってんの?」

「え?ええ、知ってますよ」

「教えてくれ!俺は鹿沼だ。鹿沼結ゆいだよ」

「もちろんです。それよりも、僕の友人に似ていてびっくりしました。ゼミの友達なんですけど、その、イケメンって事です……」

「ゼミって、深沢さん?」

「そうです」

「じゃあ、今度顔出すよ。俺も深沢ゼミだったし」

森川はおどけた。

「もしかして皆さん……」

「燈佳だけは違う。燈佳は今井ゼミだった」しおりが言う。

「そうなんだ」

「なんて人だ?」鹿沼が訊いた。

「きゅうじゅうきゅうと書いて九十九つくも、下の名前は海です」

「つくもうみ?」

「はい」

「分かった、探してみよう。ぜひともイケメンを拝みたいものだ」鹿沼は自信を持って言った。

「それ、自分で言うの……」関が気怠く言った。

「話をすすめますね」扇人は言う。

「深沢ゼミの四年生、斎藤慎也さんが昨日の二十一時頃に殺害されました」

「えっ」しおりが言う。

「質問は後!殺害場所は、オリンピック公園の陸上競技場に隣接したピロティです。首を絞められて殺害されていました。荒らされた形跡はなし、顔見知りの犯行だろう、というのが警察の見解だそうです。これは古賀さんから聞きました。まだ、ニュースにはなっていないでしょう?名前もでませんからね……、とにかく、ゼミも授業も全部休学になったんです。犯人は誰でしょう?」

「なに?そのクイズみたいな言い方は」しおりが言う。

「てへ」

「他に何か聞いてないか?」鹿沼が言う。

「いや、僕は直接警察と会ったわけではないので、特には……」

「他殺なんだね?例えばほら、スロープとかはりにロープを括りつけて自殺したとかではないと?」

「それは間違いないと思います。凶器は現場に無かったそうですから」

「よし、現場見に行こう」

「え?」関が驚いた。「今から?」

「明日じゃあ、現場が荒らされてしまいますよ。今なら夕方だから人も減りますし、まだ明るいです」

「そうだけど、まだ警察が居るんじゃない?」

「さすがに居ないでしょう。まあ、善は急げ。行きましょう」

「え、ええ」

「いぇーい」扇人が言う。

四人は研究室を出ると、オリンピック公園に向かって歩いた。四月十七日、まだ風は涼しい。時間は十七時を少し過ぎた頃である。

公園に到着すると、鹿沼はぐるりと辺りを見回し、散歩に勤しむ犬のようにバタバタと散策した。白色のカーディガンを着ており、仕事帰りのサラリーマンのようだった。手ぶらで公園を歩き回っているというのもなんだか不気味であった。

「ここだね?殺害現場は」鹿沼は言う。

「そうだと思います。自転車が置いていある場所の近くです」扇人が返した。関としおりはベンチに腰かけている。

「うーん、随分と見晴らしの悪い場所だね。しゃがんだら何も見えないじゃないか。しかし扇人くん、どうしてこんなところに居たのか訊いてなかったね?」

「そうでした。古賀さんが、斎藤さんを呼びだしたそうなんです。理由は聞いていません。第一駐車場に車を停めて、あっち(陸上競技場の奥を指さした)で待っていたそうです。でも、腹痛を覚えて近くのコンビニに徒歩で向かったと言っています」

「待った」鹿沼が言う。「それは、事件が起こるどのくらい前だい?」

「えっと、事件が起こったのが二十二時前後ですから、十五分前くらいの二十一時四十五分から、二十二時十五分くらいまでの三十分間、コンビニに滞在していますね。その後も、第一駐車場から遠くには出ていません。その後斎藤さんにもう一度連絡していますが、当然返事が無く、雨も降っていたそうなので帰ったそうです。第一駐車場の閉場も二十二時三十分ですから、帰るのは当然でしょう?」

「うん、まあそうだね。なるほど……」

「容疑者は?」

「現段階ではいません。斎藤さんに恨みを抱いていた人物も見つかってないみたいですよ。まあ、周りに居ない可能性もありますけど……」

「ありがとう。帰ろうか」

「もういいんですか?」

「うん。現場を見ておこうと思っただけだからね」

「そうですか」

「でも、一つ分かったよ」

「なんですか?」扇人は訊いた。

「現段階じゃあ、何も分からない」


                    5


 古賀がゼミの講義室に入ると、津岡、猪俣、大橋の三人が先に着いていた。事件以来初めてのゼミであり、代講として一週間後の月曜日に行うと、深沢准教授からメールがあったのだ。したがって、二週間ぶりのゼミだった。実際は、三回目になるはずだった。再来週からは、ゴールデンウィークである。

「おはよう」ドアを閉めながら津岡は言う。

「やあ」津岡は教科書を読みながら言った。

「お前ら、聞いたか?事件の事」古賀が言う。

「少しは。何があったんだ?」と大橋。

「うん……」猪俣はスマホをいじっている。今日も、ロングスカートにTシャツをインしていた。女性らしい格好だ。ブラウスは湯葉ゆばのように薄くて白かった。

「変な事件だな」古賀は奥の席を見つけると、そこに座った。少し、汗をかいている。

「うん」猪俣はどうでも良さそうに呟いた。

「俺なんて、容疑者扱いだよ。もう最悪」と古賀。困った視線を、猪俣に向けた。


 津岡はゼミのメンバーの顔をぐるりと見た。古賀と猪俣が会話をしている。ゼミにカップルがいると困ったもんだな、と思った。津岡は、恋人を作ったことが無い。きっと、人生で出来ることもないのだろうと、心で思ったが、あまりにも悲観的なので考えるのを辞めた。四人はいつもの席に座っている。ドアが開いた。男性が三人と、女性が二人入ってくる。そのうちの一人は、初めて見る顔だった。

 つまり、初回授業を休んだことになる。なかなかの度胸ものだ。森川扇人が奥の席に座ると、隣に嶋田晃太こうたが座った。その隣が、知らない人物だ。女性は、五十風空と、香月かつき美緒である。

「お前、風邪治ったの?」嶋田は隣の男性に訊く。

「ああ、うん」男はつまらなそうに言った。

「よく風邪ひくよな」森川が抹茶ラテを飲みながら言う。

「別に、望んでなってるわけじゃないし」

「ほんとに、煙草なんか吸ってるからよ」口を開いたのは、五十風空だった。我々四年生にとっては、まだ誰が誰だか分からない。それに、依然としてその人物に見覚えはなかった。

「はいはい、悪かったよ。それより嶋田、昨日飲みに行った?」男性は眠そうな顔で言う。

「行ったけど、お前に言ったっけ」

「煙草の匂いがした。あと、目の下にクマがあるのに顔は浮腫んでるじゃないか。それに、嶋田はいつもヨーグルトなんて飲まない。もっと言うと、顔に似合わない」男は淡々と言った。古賀と猪俣は、目を丸くして聞いていた。

「その推理癖、やめてくれないか」嶋田が言うと、森川は「いいじゃん、良いところだよ」と言った。

「やだ」

「空も酔うとよく海の話してるよね」美緒が言う。ネイルを気にしているようだ。

 海?オーシャンのことか?

「してません」空がきっぱり言った。

「え?付き合ってるの?」森川が言った。

 人物か。彼が、海と言うのか?

「そんな分かりきったこと訊くなよ」嶋田はにやにやしながら言う。

「森川、課題やったの?昨日嶋田と飲みに行ったんなら、やる時間なさそうだけど」

 男は、わざとらしく話題を変えた。

「あ……」たちまち森川の顔が青白くなった。

「あなたたち、面白いね」津岡は三年生の話に割って入った。

「光栄です」男は真顔で津岡に語りかける。

「君、名前は?」古賀が首を傾げて訊いた。興味深そうな顔をしている。

「そんな、名乗るほどの者じゃありません」オーシャンと呼ばれた男が言う。

「ははは、やっぱ面白いね君」大橋が笑う。彼が笑うことは、真冬の半袖くらい稀有な事だった。森川曰く、アルバイトでは、大橋は謎なキャラクターと、機嫌が悪いキャラクターの二つがあるらしい。しかし、その両方で全員から嫌われているそうだ。

「それに、変わった名前なんです。ほんと、つくづく実感しますよ」

「そうなの?」津岡は質問した。

「ええ、まだマイケルとかの方がいいです」男は答える。

「マイケル?」津岡は大きな声で笑った。

「こいつ、変わってるんですよ。ほんとすいません」嶋田は顔の前で手を合わせる。

「それより、一人見えませんが」男は全員の顔を見据える。少しばかりの沈黙が流れた。静かな時間は、やたらと長く感じられた。

「休んでるんじゃない?」静寂を裂いたのは古賀だ。

「オリンピック公園で起きた事件に関係していますね?」男が言う。「そのくらい分かりますよ。何というか、空気が違いますね。重く苦しいのです。鉛に似ていますね。どうでしょう?どなたか教えてくださいませんか?」

四人が目配せをした。

「うん、いいけど、面白い話じゃないわよ?いいの?」津岡が言った。

「ゼミでは面白い話をするのですか?」

「しないわ。変わった子ね。後で相手したげる」

 深沢が入ってきたのは、それからすぐだった。

「ごめんね、遅れて。始めようか」教材を机に置くと、男を見て「お……」と一言放った。

「どうも、風邪をひいてしまって休んでいました。すみません」男は舌を出して深沢准教授に言った。どうやら、いくつかの人格があるらしい。一見すると、アイドルのような見た目をしていて、澄ました表情は女性ウケが良さそうに思えた。事実、津岡もその男に惹かれている事を自覚した。しかし、たまに強い眼差しで訴えかけるときがある。そのギャップは、カメレオンの様に見えた。

「良かったよ、治って。みんなに自己紹介した?今準備してるから、良いよ」

「そうですか。分かりました」男は言葉を切ると、深呼吸をして立ち上がった。

「初めまして、九十九海つくもうみです」


 ゼミが終わった後、津岡は九十九海含む三年生と一緒に食堂に行った。他の四年生は誰も来てない。端っこの六人掛けのテーブルに座ると、「さて」と言って太田が話した簡単な事件の話を始めた。途中、海が三度ほど質問をしてきたが、それ以外は誰も口を挟まなかった。

「どう?分かった?」津岡は言葉を切って、五人の三年生の顔をぐるりと見つめた。

「斎藤さんを恨んでいた人物は?」海が訊いた。

「特にいないと思う。大学院入試が控えてたから、私と古賀くんと斎藤君はライバルってことになるけど、私の学力じゃあ、勝てないし……」

「恋人は居ました?」

「いないんじゃない?」

「津岡さんから見て、斎藤さんはどんな人でしたか?」海はまた質問する。

「うーん、不思議な子だったよね。なんか、何考えているのか分からないっていうか、とっつきずらいような性格だからね」

 海はただ黙って頷いた。

「じゃあ、殺害されたことに対して心当たりはないと?」

「うん、無いかな」

「不思議な事件ですね」

「うん。ほんとにそう。サークルのほうで何かあったかもしれないよ」

「サークル?」

「うん。軽音サークルに入ってるの。だから、そこで何かあったんじゃないかって」

「でも、軽音サークルって二百人くらいいますよ。僕も所属してます。それで、その中から、容疑者を探すんですか?」

「そうよねえ。うーん」

「三角関係とかは、ありますかね?」嶋田が小さな声で呟く。

「夏の?」海は質問した。

「星座じゃなくてさ……」

「つまり、女性関係?」津岡は頷く。

「そういうことです。ありえない話じゃないですよね?だって、絞殺なんて余程の恨みでしょう」

 嶋田は言い終わると、席を立ち、自動販売機のあるスペースまで歩いた。

「女性関係ね。後は?」

「闇金とか、落とし前とか」森川が言う。

「あの日の決着とか?」空も言う。

「なんか、お前らふざけてない?」嶋田が睨んで言う。

「でも、あまりに関係者が少ないうえ、公園という衆人環視の場所での殺害です。もしかしたら、公園でトラブルでもあったのかも」海は急に興味を失くしたように言った。「まあ、外部の殺人でしょうね」

「でもさあ、だとしたら、古賀くんがたまたま呼んだところに、気まぐれな殺人鬼が現れて、たまたま殺されたって言いたいの?なんか、変じゃない?」

「うーん、何か、釈然としませんね」嶋田は缶コーヒーを飲んで、分からない、というジェスチャをする。

「警察から話が聞ければなあ」空が言った。「うちのブレーンが解決してくれるのに」

「そのブレーンって、僕じゃないよね?」

「海くん」

「はあ」

「それから、斎藤さんの周りの人物の、情報収集だね」森川が得意そうに言った。

 津岡はくすくすと笑っている。「探偵さんみたい」

「探偵?」海は質問する。「もしも探偵なら、今頃人を集めて推理を披露している事でしょうね」

 その後、嶋田はいつもの五人、すなわち、九十九海、森川扇人、五十風空、香月美緒と一緒にオリンピック公園に居た。子供が走り回って遊んでいる。一度、ぶつかりそうになった。

「ここでいいのかな」嶋田は陸上競技場をの前で上を向きながら言う。辺りを見回してみたが、警察官は居なかった。

「うん、ここだと思う。ピロティでしょ?」森川がフラペチーノを飲みながら呟いた。

「なんか、でかいね」空は陸上競技場を嶋田と見上げる。「これ、何人入るの?」

「さあ……」と、嶋田。

「こっちだよ。亡くなった場所は」海は小走りで競技場の下まで行った。しゃがみ込むと、そのまま辺りをぐるりと見回す。

「奥まった場所だね。防犯カメラは?」空が言った。

「警察みたい」美緒がにやりと笑って言う。

「いや、死角になっているだろうね。それに、人の目にも映りにくいんじゃないかな。絞殺って言った?森川」

 森川は海の隣まで歩く。「え?うん、確かそう言ってたと思うよ」

「絞殺痕はどこに付いたんだろう?」

「え?」また、森川である。三人も視線を海に向けた。

「人に見つかりずらいって言っても、一応公園だろう?公共の場だよ。だから、リスクは大いにある」

「お前、相変わらずだな」嶋田が煙草に火を付ける。

「ちょっと、禁煙だよここ」空が嶋田に注意した。

「ああ、悪い悪い」

 海はその場所に佇み、首をゆっくりと傾げた。

「やっぱり、釈然としないね。まあ、情報不足。でも、なんでこんなところで?変だなあ」

 嶋田は少し時間を置いてから、「それ、ひとりごと?」と質問した。

「ちがう」海は唸る。「古賀さんの犯行に見せかけるなら、駐車場で殺害すればいいのに。なんでこんな離れた場所なんだろう」

「例えば、急いでたとか?」森川が発言した。「とにかく急いで殺さないといけない、みたいな状況」

「そんな状況ある?」空が言った。

「じゃあ、何かを見られたとか?」森川が言った。

「何を見られたの?」海が言う。

「取引とか、密売とか、告白とか?」

「そんなの、ここでやらないでしょ」

「でも、コナンでは遊園地で取引してたじゃん」森川が怒った顔をした。

「それとこれとは別」

「じゃあ何さ」

「分からない」

「もう」

 嶋田が時計を見る。セイコーの時計が、太くてがっしりとした腕に巻き付いていた。

「そろそろ帰ろうぜ。趣味が悪いなこんなの」

「そうだね。帰ろう!なんか食べてく?」森川が訊く。

「ああ、良いね、名案だ」海はにっこりと微笑んで返事をした。


 事件から三週間が経った。昼は長くなり、気温はだいぶ上がっている。

 津岡は、次に使う教科書をゼミ室の机の中に置いたままにしたことを思い出し、第二研究棟の五階まで走った。

 一九時三十四分。

 外は暗い。

 次の授業までは、あと六分しかないため、走らざるを得ない状況だった。

 遅刻には厳しい教授なのだ。エレベーターの扉が開くのを待たずに、隙間からすり抜ける。こんなテレビ番組が昔あったような、少し考えたが、思い出せなかった。

 研究室に入ると、手探りで電気を探して付けた。部屋には埃っぽい空気が停滞している。換気をしていないらしい。壁には、薬物防止のポスターが大々的に張られている。その喚起はするのか、と少し面白くなった。

 ふと、エレベーターが到着した音が聞こえる。静寂な五階に響く音の中で、それが津岡の耳に入る唯一で最良の音だった。五階には、他に誰も居ないようだ。

 自分の机の中を覗くと、探していた教科書が入っていた。肩を撫でおろし、第二研究棟から五分かかる八号館までの最短ルートを頭で考える。入り口まで歩き、電気を消すと、辺りは真っ暗になった。エレベーターホールと非常口の明かり以外、何も見えない。エレベータの前まで来ると、下に降りるためにボタンを押した。

 その時、背後に人がいる事がわかった。津岡は、一瞬動けなかった。それに、暗がりであるために、相手の顔は見えない。振り向こうとした途端、突然、頭部に激しい衝撃を感じる。思わず壁に手を当てると、ひどい痛みと共に、意識が朦朧している事がわかった。血が出ているらしい。目を開けているのが、やっとだった。やがて倒れ込むと、スマホを取り出して緊急通報をしようと試みる。だが、血で手が滑ってうまく操作できなかった。意識が遠のく。黒いフードを被った人物は、津岡のスマートフォンを蹴り飛ばすと、フードを取り、しゃがみこんだ。顔までは見えない。誰だ?

 ほのかの、香水の匂いがする。これは、お花の匂いだろうか?津岡にとって、その匂いに覚えはなかった。

 痛みはやがて、遠い存在へと変わった。

 見えない……、

 聞こえない……、

 分からない……、

 誰なのだ……。

 私は……、

 何か……、

 考えても……、何も思いつかなかった。

「だれ?」津岡はなけなしの声で言う。

「だれなの?」また言う。

 どうして私が……。

 どうして……。

 その人物は立ち上がると、もう一度鈍器を振り下ろした。意識が無くなったのは、それからすぐの事だった。

 

 事件の通報があったことを知らせる電話が太田の部屋に鳴り響いたのは、妻の橙子とうこが作った唐揚げを口に頬張った時だった。

「はい、はい、はい?津岡が?」橙子は怪訝な顔をしている。太田は嫌になって、ビールをごくりと飲みながら潮見の話を聞いた。

「とにかく、今から来られるか」

「いや、えっと、酒飲んでるんですけど大丈夫ですか」

「じゃあ明日の朝一で現場に行ってくれ。K大学の第二研究棟だ。溝端は今から現場に向かわせた。聞き込みから始めてくれるか」

「はい」そう言って電話を切ると、橙子に笑顔を向けた。大丈夫?と訊いてきたので、もちろんだよと一言だけ言うと、テーブルの上の唐揚げをゆっくりと堪能した。妻と食べる唐揚げは、何にも代えがたい幸福を感じさせてくれる。太田は、その時間のために生きているも同然だった。

「また事件?」

「この世なんて事件だらけさ」太田は二本目のビールのプルタブを上げる。

「あんまり無理しないでよ。心配」

「そうだね、ありがとう。愛しているよ」太田は橙子の頬にキスをすると、ビールと唐揚げをもう一度楽しみ始めた。素敵な夜を台無しにしたくない、という感情が渦巻いた。

 事件など、無ければいい。しかし、それに反して脳は考えたいと言わんばかりに時間の事をしきりに彷彿とさせる。太田は諦めて、頭の中で事件の事を考えた。


 殺害されたのは津岡朱音。同じく深沢ゼミのメンバーだ。三週間前に斎藤慎也が殺害された事件に続き二件目、おそらく本部としては連続殺人事件に切り替えて捜査する方針になるだろう。面倒なことになった、とベッドの上で考えた。それに、殺害されていた第二研究棟の五階には、ある人物が居たことが確認されている。これも、書き込みをした捜査員によって判明した。その人物は、ゼミ室の隣の部屋に、一人で居たと供述しているのだ。同じく深沢ゼミに所属する、森川扇人だった。今、森川扇人は、警察署で聴取をしているが、何も見ていない、の一点張りだった。今後は、深沢准教授やその周辺、学部三年生と大学院生にも視野を広げて捜査することになる。太田の推測はこうだ。少なくとも、ゼミの関係者、若しくは大学院進学の際にトラブルがあったと考えるのが妥当だろう。しかし、そのは未だに見つかっていない。現在の有力な容疑者は、森川扇人になるだろう。しかし、それでは斎藤を殺害する動機が見つからない。若しくは、何かもっと大きな事情が……。

「ねえ、事件の事知りたい」橙子がベッドに寝ころんで言った。

「ダメだ。それは出来ない」

「そうよね、でも、大変なことになっているんでしょ?」

「ああ、そうだね。明日も朝一で現場に行く」

「体に気をつけてね。落ち着いたら、また出かけましょ。ね?」

「そうだな。落ち着くまでに寿命が来なければ、の話だが」

「もう」


 さて、以上が、九十九海が大学三年生だった時に、K大学の周辺で起きた事件だ。斎藤慎也、津岡朱音と、深沢ゼミの二人が相次いで殺害された。ニュースでは、大学生が相次いで殺害される、といった乏しい内容のニュースが申し訳程度に放送されただけで、これといって話題になったわけではなく、誰しもが事件を忘れ去ろうとしていた。否、それが、正常な判断なのかもしれない。現段階で容疑者の目星は付いていない(若しくは、その全員が犯行不可能という状況に陥っている、という事だ)。したがって、捜査も思うように進まなかった。僕は警察ではない。査の仕方も、手順も、常識も持ち合わせていないのだ。つまり、太田刑事から見聞きした話や憶測を順序立てして、それを話にする他に方法はなかった。つまり、僕の記憶と、他人から聞いた話をまとめて、それを一つの文章にしたものであるが、ご容赦いただきたい。また、これらには相応の結末はあるわけだが、全ての人間にとって納得のいく結末か、と言われると、もしかしたらそうではないかものしれない。そもそも、誰もが納得する結末など、あるのだろうか?誰かの幸福や希望は、誰かの不満の上に成り立っている。そうして、殺人や対立や戦争や政治のシステムは作られているのだ。

 不満……。

 しかしながらそれが正常である。法律は、誰かの納得と不満で、裁判が成立し、判例が作られ、学説の提起、対立に繋がる。人の対立は、新しい発見と不満を呼ぶことになる。この事件も、きっと例外ではない。僕には、この事件が不満だった。いいや、絶望を感じたと言えるかもしれない。

 絶望……。

 思慕……。

 死亡……。

 辛抱……。

 人は死で、一瞬にして消え去る。夢や、愛や、情の全てが消え去る。それが奇麗と感じる異端な人格を持った人物が、残念ながらこの世に、少なからず存在する。では、僕は違うのだろうか?例えば、秘密を隠していたら。それを、人に知られてはいけないと思っていたら。人を殺してしまうのか?その時になって、それは初めて分かることだ。今はまだ、分からない。命の尊さなど、失って初めて分かることだ。しかし、それでは矛盾が発生する。人を失い、尊さを知った。その人物は、恨みを持つだろう。やがて恨みの心は、殺意へ変容する。また一つ、命が失われる。悲しみは、常に連鎖する。ついにその連鎖は止まらない。命は、儚いのだ。

 幻影。

 そしてさようなら。



 津岡が殺害された日の翌日も、大学の授業はすべて休講になった。加えて、深沢ゼミのメンバーとその関係者、第二研究棟の事務員が呼ばれ、少数人数で詳しく話をした。大学を封鎖しての事情聴取はニュースでも報道され、少しばかり、話題となった。もちろん、その場に海や嶋田、女性陣も居合わせた。しかし、森川だけはその場に居なかった。どうやら、重要な参考人物(若しくは被疑者)という事になっているらしい。そのために、いつもの五人から森川を除いた四名が揃って行動をしていた。海は何とかその場から抜け出すと、会議室として使っている本棟の六階、六〇二教場の前まで行き、息を殺して会議の内容を盗み聞きした。そのため、ある程度の知識を得ることは出来た。どうやら、同一犯による犯行とみているようだ。それに、当日の朝に本棟一階に掲示された部外秘の日程表に会議室の場所名があったため、古い友人に頼んで高性能ボイスレコーダーを置いて、後日それを聞いた。その内容は、海が予想した内容そのものだった。

  

 津岡が殺害された事件については、まだ不確定要素が多く、なんとも言えないらしい。これは、溝端という刑事が会議で言っていた。あらゆる面で、こういった能力には長けている。一つだけ分かっているのは、凶器に使われたものがオリンピック公園の直径二十センチほどの石だったという事だ。したがって、突発的な犯行と考えることもできる。それに、額には僅かながら、土が付いていたらしい。朝から捜査員が公園を血眼になって歩き回っている理由が、この時ようやくわかった。それ以外は、まだ何も分かっていない。森川は、夜になって海たちの元にやってきた。解散になったのが十九時だったので、それから四人で少しばかりの間ファミリーレストランに居た。

 森川の容疑が完全に晴れた訳ではないが、今日の所は帰っていいと言われたらしい。

 さて、話をそろそろ話を再開しよう。もしかしたら、退屈をさせてしまったかもしれない。

 これもまた、皮肉なものだ。これから奇しくも全く退屈しない日々が続くというのに。

「何書いてんだ?それ」

「ああ、追憶だよ、それとも追悼かな。忘れてはならないんだ」

「は?」




 

                  

 

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