『チ。』が最高だったという話
『チ。―地球の運動について―』
情報が溢れかえり、玉石が2:8くらいの割合になってしまったこの世界に突如として誕生した名作である。史実として存在する天動説と地動説の言論的闘争を踏襲しつつ、フィクションとしての味付けも完璧だ。もはや国の名前以外全て史実なのではないかと思えてくる。
この作品の根幹にあるテーマは「託す」事であると私は思う。章が進むごとに主人公が変わり、次章の主人公は前章の人間の意思や書物など「何か」を受け取って世界を前進させるのだ。
何より重要なのは、彼らがその「何か」を託すとき、それが確実に届く保証など一切ないということだ
これは公式の対談本でも語られている(筆者要約)。作者の魚豊さんはこの「託す」という行動を「後の世に繋がるかは分からなくとも、ただ信じて想いを残す事」と描いているそうだ。
保証も報酬もない。ただ自分の身にある感動を、未来へ向けてそっと置いていく。ただ願うのはそれが誰かに受け継がれ、未来へと進むことだけ。人間の持つ淡く、しかし確かな人間の知性への信頼がこれほど鮮やかに描かれた作品が今まであっただろうか。人とはかくも美しく、それは体制や規範などで押さえつけることなどできない人間の本質なのだ。チ。万歳。魚豊先生万歳。
役者として、またこうしてエッセイを書く創作者として(そう見てくれる人はあまりいないが)活動をしているとしばしば聞かれることがある。
「なぜあなたは役者(創作)をしてるんですか?」
私はそれを聞かれるたびに回答に窮する。別に今まで考えてこなかったわけではない。ただ今も核心に触れ切れていない。
役者をやる理由としてよく挙げられるのは「目立つため(承認欲求)」、「良い作品を作るため(自己実現欲求・美的欲求)、「自分と別の人間として人前に立つため(変身欲求)」あたりだろう。
もちろん私も以上3つの欲求は全て持っているし、一般の人よりも強いという自覚もある。しかし、これを「核」であると断言するのは少々違和感がある。これだ、と言い切ることができたならもっとお芝居や創作に対して真っ直ぐに向き合うことも出来たのだろう。そう考える度、明快に答えられる人を羨ましくも思う。
ただ『チ。』を読んで、あるいはと考えた。「託す」ことが私が創作をする目的なのかもしれない。
作品を作ること。自分が外から貰い受けた感動を作品を通して誰かに伝えること。ただ作品を道端に置いて、誰かが読むことを期待する。そしてあわよくばその読者の次の行動に寄与することを願う。細やかで傲慢な目的である。
役者としてならば、キャラクターや脚本の持つテーマ、思いを観客に伝えられるように。エッセイを書くならば、日常から得た感動や疑問、考え方を読み手に伝えられるように。そしてそれを受け取った人の――例えそれが本当に少ない人でも――明日の彩りが増えるように。
思えば私が講師として働いている理由もそうだ。過去から受け継がれてきたものを自分が受け取り、子供たちの未来へ渡す。私が教えたことをくだらないと一蹴してくれても結構で、ただ1人か2人くらいの人生の起点になれば十分である。
この世の中はかくも素晴らしく、知らないことに満ち溢れていて、そしてそれがどれだけ幸せなことであるか。自分の知識や感動が後世の人間の感動に繋がれば、これほど嬉しい事はない。
私はただ一匹の人間で世界の全てを知ることなど到底不可能だとしても、両手を広げたくらいの、この2mに足らない領域にある感動は大切にしていたい。そう思えば、遥か彼方の星を見上げることも、目の前にある葉の一枚に感じ入ることも、あるいは戦乱の世を憂いた句に思いはせることも、この手の内にあるものだと思える。手の内にあれば、置いておける。ただ置いておくくらいがちょうどいいのだ。
『チ。』のOP曲、サカナクションの『怪獣』には『この世界は好都合に未完成、だから知りたいんだ』とある。我々はこの輝かしい未知の中に放り込まれた知識の怪獣なのだ。どんな兵器を打たれようが、強大な敵が現れようがこの世界の知識を食らい尽くさんとする悪食の怪獣だ。
しかしどれほど知識を食らおうと、この世界のすべての未知を明かすことはできない。そこには世界への悔いや恨みがあるだろう。そして同時に未知を追う快感やその輝きを知るだろう。だからその全てを抱えて叫ぶのだ。
誰に届くかも分からないとしても、ただこの思いを何光年も遠くへ、遠くへと叫ぶ。
そうして、ふとその叫びを聞いた誰かが、次の怪獣になるのだ。
私の叫びは誰かを怪獣にしているのだろうか。しているといいな。
これを読んだあなたの未来が少しでも輝かしくなることを願っている。
徒然魚(つれづれうお) 石魚 @sakanakanadayo
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