第2話 噂

2.1

 

 いつものストリートピアノに、あの高校生がいる。

 茶髪にピアス、着崩された制服、でも人は見た目じゃない。


 誰よりも綺麗で、楽しそうに音を奏でる彼を桜冬おとは知っていた。


桜冬おと、また隠れて聴いてるの?」


 この頃の桜冬は、よく後ろから幼馴染の冴子さえこに声をかけられ飛び上がるほど驚き、その驚き様を冴子は、面白がっているようだった。


「あの制服、五十鈴附属高校じゃん。あんなに上手かったら音楽科専攻でしょ」

 ポツリと冴子が言う。


 ピアノを弾く彼の制服は、この辺では有名な高校で、桜冬おとの憧れだった。


「私もあの制服着たかったなぁ・・・」


桜冬おと、今年の編入試験受けるんでしょ? まだ着れるチャンスあるじゃないの」

 冴子は、ニコッと笑い、両手で小さめのガッツポーズを作る。


「うん、そのためにレッスン受けてるからね」

 冴子の言葉とガッツポーズに、桜冬おとは力なく微笑むことしかできなかった。諦めが悪いよね。


 そんな会話を冴子としてから少し経って、桜冬おとは、ストリートピアノの彼が現れなくなっていたことに気が付きだした。


 けれども、桜冬おとは編入試験が近づいていて、あのストリートピアノの前を通ることが減っていたし、もしかしたら、自分の知らないところで彼が弾いているのかもしれない、とぼんやりと考えていた。


 それに、憧れの五十鈴附属高校の編入試験に向けて、桜冬おとは、緊張が高まり過ぎていて記憶が曖昧だった。


 どうやって試験を乗り切ったのか、桜冬おと自身がはっきりと思い出せなくて、己の記憶力の弱さを、ほんの一瞬だけ呪った。


 唯一、桜冬おとが思い出せることといえば、合格発表の日、ふたりとも高校2年生になるというのに、嬉しさのあまり、くしゃくしゃになりながら泣き、そんな桜冬おとを見て、冴子も「おめでとう」と言い続けながら号泣していたこと。


 そんな思い出も五十鈴附属高校の始業式を迎える桜冬おとには、つい最近のことだった。


「冴子、遂に私、入学したよ」


 気合を入れるために小さく呟く桜冬おとは、生徒として初めての一歩を踏み入れることとなった。


 校舎には満開の桜、新学期でにぎわう生徒、初めての場所への戸惑いと期待で桜冬おとは、確実に弛んでいた。


 目の前を、ストリートピアノのご本人が通り過ぎたことに気がついた桜冬おとは、咄嗟に思いっきり彼を引っ張り、引き留めてしまっていた。



 冴子、ご報告します。

 私、たちばな 桜冬おとは、初日から不審者確定です。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る