第38話 爆竹

 それはまさに、濁流と言う他なかった。

 校舎の二階から飛び降り、その大群を目の前にしてなお、一切の対処法が思い浮かばない程に。

「どうする……? この量を、学校を守りながら捌けるか?」

 自分に語り掛けてみるが、答えを思いつくはずもない。

 先のドローンの迎撃で見せた熱線は、照射時間が短く、とてもこの量の動物を一掃できない。少し前の獅子堂会と如月組の同盟、その襲撃で見せた炎の壁も、炎の形を維持できるだけの支柱がないと形成できない。


 ひとまず、かなりの速度で突っ込んできたイノシシを殴り飛ばし、気絶させる。

「オラッ! ……って、やっぱ再生してんな」

 予想通り、殴って変形したイノシシの頭が醜くうねって元通りになった。

 意識は失ったままだ。どうやら、頭を狙ったのは正解だったらしい。

「一番は全部気絶させることか……いや、無理だろ」

 イノシシ一匹を気絶させたところで、その濁流は止まることを知らない。

 迫ってくる一匹一匹を殴り飛ばして気絶させるが、これではいつまでたってもこの群れは潰せない。

 教師が正面玄関の扉を閉めているが、今のイノシシの力を鑑みるに、この濁流はどんな素材の扉だろうと容易く砕いて突破するだろう。あてにはできない。


 逡巡していると、濁流の中に何かが投げ込まれた。

 一瞬だったが、火花を伴っているように見えたそれは、大群の中で鳴き声を上書きするほどの破裂音を立てた。

「爆竹? 今のは誰が?」

 振り返ると、さきほど話していた日南さんのクラスの担任の先生が、ライターを片手に大量の爆竹を振りかぶっていた。

「何やってんですか! 危ないですよ!」

「このまま放っておいても死ぬだけなんで、できるだけの抵抗はしますよ!」

 その教師に迫る動物を叩き潰しながら、すぐに校舎に戻るように伝えるが、戻らない。

 覚悟、が決まっているという感じではない。教師は明らかにパニックの状態にあり、自暴自棄に近い状態になっている。

「なんだそれ……それにその爆竹はどっから?」

「いつもチンピラが来るので、その撃退用を!」

「この校舎の様相はそういうことか……」

 個人的に、一般人が積極的に前に出てくるのは止してほしいと思っていた。この濁流は、とてもただの人に止められるものではない。

 だが、自暴自棄になった教師のおかげで、この大群を止める算段がついた。

「……一瞬、爆竹の方に動物の意識が向いた。ただ、重要なのはそこじゃない」

 確かに、生徒の声が届かなくなるくらいの音を響かせればこの濁流の先をコントロールできる。

 しかし、コントロールするだけだ。止める術は、また別で用意しなければならなくなる。安易に使える策ではない。

 注目したのは、爆竹をすぐ近くで食らった動物が混乱したことだ。

「爆竹! 全部貸してください!」

「はい!」

「めっちゃ素直……」

 箱ごと渡された爆竹は、思っていたよりも重たい。おそらく数キロほど入っている。

 群れの規模と爆竹の数を見比べ、思わず「よし!」という言葉が零れる。

「あなたは校舎に戻っててくれますか?」

「分かりました!」

「あ、それと────」

「────なるほど、急ぎます」

 教師は肩を揺らしながら校舎へと入っていった。

 それを確認した俺は、箱を地面に置き、右手のフレームのみを外す。

 左手で爆竹を持ち、右手の炎で爆竹を着火すると同時に、ありったけのROのエネルギーを流し込む。

「成功、してくれよっ!」

 振りかぶった爆竹は、大きく弧を描いて群れの中心に落ち、元の爆竹よりも遥かに大きい破裂音を響かせた。

 何メートルか離れた場所にいる俺でさえ、思わず目をつぶってしまうような音量で、背後の校舎からは生徒がざわめく声が聞こえてくる。

「うるっせぇー……けど、これなら!」

 爆発した爆竹の周囲にいた動物は混乱どころか、倒れて気を失っている。

 音に反応して群れの勢いも弱まっている。やるなら今しかないだろう。

「爆竹便利だな……何個か持っとくか」



    ◇



 動物は残り一匹。

 何匹か校舎をよじ登っていくやつがいたが、今は地面に倒れ伏している。

 予想外に、爆竹が途中でなくなってしまったので、右手のフレームを装着し、殴ってその動物を気絶させる。

「よし────うん、いないな」

 念のため、校舎で影になっている箇所も目を通し、まだ意識を持っている動物がいないことを確認し、ようやく安心する。

 正確な数は分からないが、80~100に迫るほどいた動物は、全て制圧できた。

 だが、まだ油断はできない。あくまで気絶させただけなのだから。

「あ、いたいた。日南さんの担任の人ー!」

「さっきの件なら、確かに伝えました。もうすぐ来られるはずです」

「ありがとうございます……というか、そのパイプがあるんですね」

 教師は何の気なく答えている。まるで、何の問題もないと言っているかのようだ。

「ここ、私立ですから」

「……それ関係あります?」

「大有りですよ」

 二人が話していると、校門の前に黒い大型トラックが停車した。

「お、来た」

 トラックから降りてきたのは二人の男だ。

 一人はサングラスをかけた長身細身の男で、おそらく俺と面識はない。

 もう一人は、この前の依頼を共にした湊だった。

「よっ、悪いんだけど、転がってる動物の回収をお願いしていいか?」

「状況説明をして欲しいんだが……」

「悪いけどそんな時間はない。こいつら死んでないから、急がないと大変だぞ」

 戸惑いながらも、湊は男と相談して行動し始めた。頼んだ通り、大き目の金属檻をトラックの中に積んでくれていたので、回収作業はその中に動物を放り込むだけで済んだ。

 檻の中で動物の体が重なろうが関係なく、中に放り込んでいく。その過程で数を数えてみたが、全ての動物を回収した後、湊は重苦しい表情で呟いた。

「二百体か……何があったか、説明してくれるんだろうな?」

「依頼を受けた。『娘を襲った危険な動物があたりに出没している。その全てを討伐または捕獲してほしい』ってやつだ」

「はー、なるほど……組合の連中か」

「さぁな。飼い主は現れなかったから、こいつらがどこから来たのかは全く分からん」

 ただ、あれだけの数を用意するのはそれなりに労力を要したはずだ。それと第二波が来てないことを考えると、襲撃はこれで終わりだろう。

「挨拶は……いや、いいか」

「お前はこれからどうする?」

「依頼達成の報告をするから、俺が言う場所まで送ってくれ」

「じゃあ、動物の見張りついでに荷台に乗ってくれ」

「あいよ」

 出発の直前で少し迷ったが、日南さんへの挨拶は必要ないだろう。

 乗り込んだトラックの荷台は、閉め切ると真っ暗になってしまった。

 舗装の雑な道路を走っているせいか、荷台の中を断続的な衝撃が襲っている。動物が起きないか心配だったが、どうやら大丈夫そうだ。

 真っ暗闇に完全に目が慣れた頃、トラックが停止して荷台が開かれる。どうやら績さんの家に着いたようで、荷台の外に夫婦二人が立っていた。

「あ、依頼の達成報告です」

「これは、また……」

 依頼書を渡してサインを貰い、かなり高額な報酬を受け取る。

「さすがにあの規模は予想していませんでした……少し、報酬が少なかったですね」

「いや、十分だと思いますけど……」

 報酬金は紙袋に入れて手渡された。入っていたのは五百万円だ。

 十分だ────そうは言ったが、社会に出たことがないのでこれがどの程度の価値なのかが分からない。だがさすがに、以前の依頼報酬で貰った二億がバカげた高額報酬だということは分かる。

「湊、あとでもう一千万くらいそっちに送っとくから、彼に渡しといてくれないか?」

「こいつ静香の事務所で居候してるので、そっちに送ったら良いですよ」

「そうなんだな。分かった」

「あ、ありがとうございます」

 自分の仕事を高く買ってもらえるのは、悪い気はしない。

 山田さん夫妻は何度もこちらに頭を下げながら、遠ざかっていくトラックを見送っていた。とても礼儀正しい人たちだったが、ちょっと気になることがあった。

 荷台前方に開いた顔ほどの大きさの穴から、湊に話しかける。

「なぁ、湊」

「なんだ?」

「……もしかして績さんってヤクザ?」

「知らなかったのか!? あの人は一応若頭補佐……まぁつまり、篠原さんと同じ幹部だぞ?」

 もはや、一般人よりもヤクザの方が多いんじゃないかと思ってしまうほど、日常にヤクザが浸透してきていた。

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