第34話 徴募事務所

 徴募事務所の場所は思ったよりも近く、徒歩で三十分も歩けば辿り着くことができた。

 外装は想像していたよりも綺麗で、かなり大きい。博物館や美術館を連想するような大きさだ。だが飾り気はなく、その様相は市役所に近い。

「そんなに怖い場所には見えないが……」

 建物の周囲にはたくさんの人がいるが、一目見ただけでは物乞いを見つけることはできない。空いたスペースに入り浸って駄弁っている人たちはいるものの、想像していたような治安の悪さとは程遠かった。

「てっきり、もっと薄汚れている物かと思ったけど、意外といい場所じゃないか?」

 一つ、こちらを物色するような視線を感じるのと、建物の一部の壁沿いに並んで携帯をいじっている奇妙な女たちを除けば、そこまで異常な場所には思えない。肩の力が抜け、ついため息が出てしまった。


 とはいえ、静香の忠告が嘘とも思えない。言われた通り、あまり周りに関わらず行動するのが良いだろう。

 アタッシュケースの持ち手を強く握って建物に入る。空気が変わり、室内特有のこもった空気がフレームの隙間から入ってくる。

 建物の中も、市役所のような作りになっていた。通路の脇に受付らしきカウンターがいくつも並んでおり、全ての場所に人が立っている。通路は少し先で十字に枝分かれしており、建物の奥にもカウンターが並んでいるだろうことが分かる。

「……ちょっと臭いな。換気しないのか?」

 建物内は濃い人の匂いが漂っている。

 それもそのはず、建物内は外よりも多くの人が跋扈しており、その殆どの人の格好が薄汚く、爽やかさの欠片もなかった。

 さすがにヤクザだらけの場所と比べれば恐ろしさは無いが、それを遥かに超える居心地の悪さがここにはあった。

「はやく用事を済ませるか」

 カウンターは混んでいる場所とがら空きの場所がある。当然、混んでいる場所は可愛げな女性の職員が立っている場所だ。俺はとりあえず手続きを済ませたいと考え、中年のおっさんが立っているカウンターへ向かった。

 ベテランっぽいので、仕事も早そうだ。

「あのー、すみません」

「んぁあ、はいはい」

 ぼーっと座っていたその職員は、声をかけると瞬時に姿勢を正したが、間抜けな声を発した。

 俺はカウンター前の椅子に座り、持ってきた二つの封筒を机に置く。

「証明証作成の申請書類と、督促状です」

「ぶはっ、督促状……? いや、失礼しまし……ひひっ」

 きめぇ笑い方だ。多分、俺は一番のハズレである職員を当ててしまったのだろう。

 職員は封筒を受け取り、カウンターの向こう側にある扉に消えていった。証明証の作成には時間がかかるそうなので少し待っていると、想像していたよりも早くその職員は戻って来た。

「────お待たせしました。こちら、傭兵証明証になります。生体認証式とのことで顔写真はついておりません、ご確認ください」

 職員の言った通り、そのカードには写真が貼られておらず、俺の傭兵名と京極組の住所、そして絶対に俺のものではない生年月日などが記されており、手にするとフレーム越しにも拘らず淡い光を放った。おそらく、生体認証式特有の機能なのだろう。

「続いて……ひひゃっ、督促状ですね。確認いたし、きひっ」

 督促状の封筒を取り、職員は書類を机に広げる。きめぇ笑い方なのに、書類を見る時だけ表情が真剣なことに腹が立つ。


 職員の目が書類を読み進める。その度、彼の瞼がひくついているのが分かる。

 だんだんと瞬きの数が多くなり、癖なのか、首の後ろに手をまわしてかきむしる様な仕草を取る。

 全ての書類を読み終わり、職員は咳払いをして口を開いた。

「……確認しました。では、9千万円分の税金と1千万円分の仲介料をお願い致します」

「はい、どうぞ」

「頂戴いたします」

 職員はカウンターの台に置かれたアタッシュケースを受け取り、右奥の壁際にある機械へと急ぐ。おそらく、その機械はお札の数を確認するための機械だろう。

 機械に全てのお札を通し終えると、職員はアタッシュケースと督促状の封筒を持って奥の扉に消えた。


 一分もせずに戻り、少し疲れた様子を見せながら、職員は言った。

「お待たせいたしました。全ての手続きが完了しました」

「ありがとうございます」

 職員は明らかに緊張している。

 原因はヤクザ関係かと思ったが、傭兵証明証を作った時にはすでに向こうもこちらが獅子堂会の関係者だと分かっていたはずなので、それではないことが分かる。

「なぜそんなに怯えてるんですか?」

「怯えていると言いますか、緊張していると言いますか……後見人が」

 督促状を見ると、保証人の欄に『篠原和彦』と綴られている。彼の緊張の原因はきっとこれだ。

 こんな所でも恐れられていることに、さすがの若頭と感じざるを得ない。

「頼んだのは多分静香だろうし……あいつら意外と仲良いな」

「は、はい?」

「なんでもないです。依頼はどこで受けられますか?」

「あちらの掲示板です」

 指された方を見ると、十字の通路を挟んだ向こう側の壁沿いに、横幅五メートルはありそうな大きさの掲示板があった。依頼書らしき紙もたくさん貼られており、それらを奪い合うように、掲示板の前で争いが勃発している。

「あそこに張られてる紙を受付に持ってくる感じですか?」

「そうです。一応、破損しても依頼の内容が確認できれば受注可能ですので、ご安心ください」

「なんか丁寧ですね」

「気のせいです」

 目の前にいるのはきめぇ笑い方をしていたおっさんなのに、今はデキる社会人にしか見えない。こういう奴を見ると性悪説を感じてしまう。


 静香には何も言ってないが、依頼を一つくらい受けてみるのも良いだろう。

 依頼は受けて、開始したその日に目標を達成しなければならないという決まりがあるらしいが、俺のROの力をもってすれば、大抵の依頼なら軽く終わらせられるはずだ。

 掲示板の前の争いをかき分け、大量の依頼書の前に立つ。大量にありすぎて、紙が重ねて貼られている箇所がいくつもある。

 軽い気持ちで来てしまったが、この中から自分のやりたい依頼を探すのは少し難しそうだ。依頼の内容によって分類してほしいと思う。


 木の伐採、高所の工事の補助、住宅地にある高級車の記録など、想像通り、ぱっと見で興味を引く依頼は少ない。それでもなんとか紙をめくり、漁り、ようやく自分に合いそうな依頼を見つけた。

「野良犬や野良猫の駆除、または捕獲か……」

 犬猫を殺すのはちょっと気が引けるが、まぁ捕獲でも良いらしいので問題ない。

 俺はこの依頼に決め、さきほどの職員がいるカウンターに紙を持っていった。

「こちらの依頼を受注されますか?」

「はい」

「受注要件は強い人、とありますが……プラズマ様が過去に達成している依頼を見るに、それは問題なさそうですね」

「ラズでお願いします」

「……はい?」

「プラズマって呼ばないで下さい」

「……」

 職員が一瞬、眉間にしわを寄せた。「こいつ面倒くせぇ」とでも言いたげな表情だった。

 だが、仕方ない。せめて呼び名は変えてもらわないと、俺の心が持たない。

 職員は「承知しました」とだけ言い、咳払いをして言葉を続ける。

「ラズ……様、こちらの依頼はいつ開始されますか?」

「今日はいけますか?」

「確認いたします」

 固定電話を取って、どこかに連絡し始めた。数回のやり取りで電話は終わり、職員は受話器を置いて言った。

「依頼者に確認したところ、可能だそうです」

「そうですか、ありがとうございます」

「依頼者の住所と完了報告書になります。依頼の達成後は、こちらに依頼者の印鑑を貰ってきてください」

「分かりました」

 きめぇ職員だったが、説明は簡単で分かりやすかったので、どうやら仕事はできるらしい。

 列に並ぶ必要もなさそうで、他の職員と無駄に駄弁ったりもしなさそうだ。笑い方はきめぇが、それを除けばいい仕事をしているベテランといった印象である。

 これからも、依頼を探しに来たときはこの人に受付をしてもらうようにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る