世界の果て
世界の果て Ⅰ
僕、
僕は家族が嫌いだ。喧嘩を止めに入ったらお前には関係ないと怒鳴られた時、父親が仕事をやめて部屋から出てこなくなった時、両親が会話をしなくなった時、夕食の時に酔っぱらった祖父を祖母が焚き付けた時、祖父に殺してやると言いながら庭に放り投げられた時、それを聞きつけた父親が理由も知らずに両頬を殴りつけて玄関の鍵を閉めた時、嫌いになった。
僕は世界が嫌いだ。独りでいたいのに生きていれば何かしらのコミュニティに属していて、どこに居てもロクなことにならないから嫌いになった。
だから僕は世界の果てに憧れた。もしかしたら辿り着けないかもしれないし何もないかもしれないけれど、ここではないどこかという希望は憧憬を抱くには充分だった。6段変速の6以外切り替わらないオンボロ自転車に跨っては果てを探した。普段見かけない高校生のお兄さんやお姉さんたち、お年寄りが出たり入ったりするたびに大きな音楽が聞こえてくるギラギラと光る大きな看板のお店や普段行くことの無い大きなスーパーを通り過ぎ、段々と人の気配が無くなってくる。
―――僕の見つけた果てはそんな場所にあった。
博物館が隣接していて、昔は賑わっていたのだろうが今となっては寂れてしまった大きな公園。自転車から降りて、手で押しながらバリカーの間を通り、立ち入り禁止と書かれた黄色と黒の張り紙が張られた博物館の自動ドアを横目に進んでいくと左にはブランコと山形に地面が盛り上がっただけの簡素な遊具が置かれた広場があって、右には小さな池を囲むようにして遊歩道が敷かれている。そこをまっすぐ進んでいくと今度は大きな池があって周りを木々が囲んでいて、その一角に色褪せたボート貸し出しの看板と廃屋を見つけた。
木製の扉は部分的に腐っていて、ドアノブをひねるとメキメキと音を立てたので慎重にゆっくりと扉を開ける。中は6畳くらいの小さな空間があるだけで床は土埃で汚れている。
「けほっごほっ」
歩くたびに埃が舞って咳が出たので窓に近づく。建付けが悪く錆びついていたが、少しだけ開いた隙間に両手を差し込んで体重をかけると勢いよくスライドして湿気った春風と少し生臭い池のにおいが鼻先を通り抜けていった。
窓の外には緑色に濁った大きな池と対岸に小さなあづまやが見える。人の気配は無く、ここだけ外界から隔離されてしまったかのような静けさを感じた。
ようやく見つけた。誰も知らない、僕だけの場所。扉一枚隔てただけの自分の部屋とは違う、広くて一人だけの場所。ここならきっと、何かに干渉されることも誰かの顔色を窺うことも無い。ここをキャンプ地とする。
確か家の物置に父親が使っていた椅子があったような。机も探せば見つかるかもしれない。僕だけの場所なら、居心地のいい空間にしないと。
そうこうしていると、もはや形骸化してしまった門限の時間が近づいていた。遅れたところで誰が心配する訳でもないが、こんなに何もないのでは居たところで仕方がないので家に帰ることにする。何度も引っ掛かりながら窓をスライドして、心配になる音を立てる扉を慎重に閉める。施錠のしようもないのでそのまま立てかけたボロ自転車に跨って家路についた。
次の日から小学校が終わるたび毎日のように廃屋に通って、何もない空間を僕の居場所にするために色んなものを探し回った。まずは椅子、父親が捨てるのに困って物置に放置したゲーミングチェアを分解して少しずつ運んだ。ひじ掛けやキャスターの部品は辛うじてリュックに入ったので良かったのだが、背もたれと座椅子の部分だけは分解することができず、結局自転車のサドルに縛り付けるようにして座って運んだ。人とすれ違うたびに変な目で見られて恥ずかしかったが、他のパーツを運んだ後だったので我慢するしかなかった。机は近くのマンションのごみ捨て場に脚を折りたためる簡易的な物があったのでそれを拝借した。家から持ってきた油を窓にさしたり、布をカーテンの代わりに張り付けたり……。
一か月も経った頃には立派な部屋が出来上がっていた。誰かの要らなくなったものたちの継ぎ接ぎだったが、だからこそ愛着も沸いた。近くのスーパーで50円で買った見たこともないブランドの500mlのコーラ缶をカシュッと開けてちびちび飲みながら、お気に入りの本を読む。ここにいる時間は移動を除いてほんの2時間くらいだったが、心安らぐ貴重なひと時だ。今読んでいる本が終わったら何を読もうかな。ミステリー小説なんていいかもしれない。
そうして栞が後ろに進んであと少しというところで、僕は未知と遭遇した。
その日もいつものように廃屋に行く前に50円の缶ジュースを買い、公園に向かう道すがら相変わらず人のいない遊歩道を歩きながら段々と緑の増えてきた景色を眺めていた。春とは言えないが夏というには中途半端なこの季節はなんと呼ぶんだろう。梅雨の時期ではあるが雨が降る気配も無く、特徴と呼べるものは緑が増えてきたという過去との比較でしかアイデンティティが計れない。20いくつかの季節の名前もあったような気がするが、そんなものを覚えているのは物好きか天気予報士くらいなものだろう。
益体もないことを考えながら転がしてきた自転車を目立たないように茂みの方に立てかけて、家から勝手に持ち出した菓子類を入れた袋をかごから取る。そうしていつものようにガタガタのドアノブを捻ろうとして違和感に気づいた。扉が少しだけ開いている。いや、閉め切れていないといった方が正しいか。昨日来た時にちゃんと閉め忘れたのか?とも考えたが、いつ壊れてもおかしくないくらいガタが来ている扉だ。開け閉めの時はいつも慎重にならざるを得ないため、こんな中途半端な状態にするとは考えづらいのだが……。隙間を覗こうとしたが中を確認できるほどの空間は無く、それなら窓からと思ったが、カーテン代わりに垂らした布が邪魔をする。
鼓動が早鐘を打つ様にドクドクと音を立てて、じっとりとした嫌な汗が頬を伝う。意識し始めると芽生えた不安は少しずつ肥大化していって、一歩、また一歩と後ずさりしていた。
勝手に廃屋を私物化しているのがバレた?いや、この場所を見つけた時の状態から推察するに廃屋になってから数か月じゃ効かないくらいの時間放置されていたはずだし、少なくともここ一か月の間で大人を見かけたのは博物館に出入りしている人だけだったのでそれは考えづらい。それよりは僕みたいな人間が私的な理由でこの場所を見つけた可能性の方が高い。この辺で見かける高校生だろうか?やんきーと呼ばれる人たちは廃墟などを根城にしているとどこかで聞いたことがあるし、この廃屋はそれにうってつけの場所かもしれない。人が来ることが滅多にない上、僕が集めたある程度生活できるくらいの雑貨までそろっている。
今日はこのまま家に帰ってしまおうか。もし仮に誰かがこの場所を占拠してたとしても、どうせすぐ飽きてどこかに行くかもしれないし、そうならなかったとしても僕がまた別の場所を探せばいいだけじゃないか。そもそもこの廃屋自体僕が勝手に私物化していただけなんだから。もしかしたら全部僕の勘違いで、昨日ちゃんと閉め忘れただけかもしれないし……。でも本当にそれでいいのだろうか?この廃屋は今まさにシュレディンガー状態だ。確認しなければ中にいるのが大人か、やんきーか、はたまた無人なのか分からないし、最悪を観測するより無知の方が気は楽だが、そんなのはただ結果を先送りにしているだけだ。
やっと見つけたのだ。何ヵ月もかけて。
誰にも奪われたくない。ここは紛れもなく僕の居場所だ。
呼吸を整えて、ドアノブをしっかりと握る。
ゆっくりと、確実に扉が開いていく。
部屋の真ん中に鎮座したゲーミングチェア、その背もたれを目一杯倒して白い生き物が占拠していた。歳は僕と同じくらいだろうか、肩くらいまで伸ばした黒髪を寝息と共に揺らしながら膝下まである白いワンピースのスカートをぎゅうと握りしめていて、うなされているのかうんうんと唸っている。
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