第18話。伊織と果断
復讐をする人間の気持ちなんて理解出来ない。
それが例え、血の繋がった家族の代わりに行われる復讐だとしても。自分を犠牲にしてまでやるべきことではなかったはずた。
「痛っ……」
まだ背中が酷く痛む。数日前にバットで思いっきり殴られたことが原因だとわかっているが、なかなか痛みが消えなかった。
家に居る間はあまり動かなくても済むが、仕事に行くとなれば一苦労だ。それでも、もうしばらくは会社を休むことは出来そうだったが。
「ごめんなさい」
余計なことを口にしたせいで、隣に座っている
あのまま意識を失っている小林を瑠夏が殴っていたら、死んでいた可能性もある。あの時、瑠夏は感情的になり、人の命を奪うことすら恐れていなかった。
「あれは、お前のせいじゃ……」
あの後、小林は警察に連れて行かれてしまった。
しかし、何故、自分は小林を庇ったのか。
もし、理由があるとすれば、それは瑠夏には誰も傷つけてほしくなかったからだ。これ以上、瑠夏が何かを背負う必要なんてない。
兼島も無事とは言い難いが命に別状はない。今は治療の為に入院しているが、小林の件で面会は断っているそうだ。
「はぁ……」
大きな問題が解決した。だが、それで気を抜くことが出来ないのは、まだ瑠夏の問題が残っているからだった。
実家の元に戻ったはずの瑠夏は今も父親の望まない格好をしている。それはつまり、家庭の問題が解決出来なかったということだろう。
「瑠夏は俺のこと恨んでるんじゃないのか?」
「どうして、ボクがおじさんのことを恨むんですか?」
「俺はお前の父親が言ってることが正しいと思ってしまった。だから、あの日、お前のことを引き止めようとはしなかったんだ」
もう二度と瑠夏には会うことがないと考えていた。なのに、今もこうして自分の家に瑠夏が居るのは、何か考えがあるからだと思った。
「気にしてない。と言ったら嘘になりますね」
やはり瑠夏は傷ついていたのか。
「父の言ってることはボクも正しいと思っています。でも、ボクには父の言葉をひっくり返せるだけの勇気がありません」
子供が親に逆らう恐怖なら知っている。
しかし、反抗心がまったく無かったと言えば嘘になるのだろう。その心すら失ってしまえば、人は人で無くなる。
もし、瑠夏がそんな状態だったとしたら、既に救うことすら諦めていたかもしれない。一度折れた人間が立ち直るには長い時間が必要だからだ。
「おじさん。父と会ってもらった、あの日。ボクは助けてほしかったわけじゃありません。ただ、おじさんには一緒に悩んでほしかっただけなんです」
「それは……
「きっと、千冬はボクの味方をしてくれます。千冬が父の言葉に従っていたのも、ボクの為になるからと本気で信じていたからです」
千冬を巻き込めばもっと被害が広がる可能性はあった。千冬が瑠夏の相談に乗るだけではなく、一緒になって反抗するようになれば、家庭が完全に崩壊する危険すらある。
家族を一つ壊すだけの価値。
それを示すことが出来るのは瑠夏だけだ。
「俺は自分の意見を変えるつもりはない。瑠夏の父親が言ったことが間違っているとは今でも思っていない」
そうでなければ、瑠夏を見捨てたのは愚かな選択であったと認めるようなものだ。
「だが、瑠夏を失ったことで、本当に大切なものが何か気づくことが出来た」
瑠夏の手に自分の手を重ねた。
「俺は自分の生に執着がない。何かに熱中することが出来ず、休日に遊びに行くような友人もいない。仕事だけが自分に残されたものだった」
きっと、いつも兼島が自分のことを気にかけてくれてたのは。いつ死んでもおかしくない顔をしていたからだろう。
未練も無ければ、目指すべき未来も無い。何も無い自分の目の前に現れたのが、今という時間を必死に生きようとしている瑠夏だった。
「けれど、小林に殺されかけた時に頭の中に浮かんだことがあった。兼島先輩を失う恐怖と瑠夏に謝れなかったことの二つだ」
瑠夏に頭を下げたのはちゃんと謝罪をしたかったからだ。瑠夏に助けられたことは感謝している。ただ、それ以上に瑠夏に対して罪悪感が残っていた。
「ボクは謝ってほしくありません」
「しかし、俺は……」
今、瑠夏の為に何をするべきなのか。
頭を上げ、瑠夏の顔を確かめる。瑠夏が不安そうな表情をしているのは自分のせいなのか。そう考えた時、自然と体が動き、瑠夏の体を抱きしめていた。
血の繋がりなんて関係ない。目の前で不安になってる人間を見て、何もしないなんて。他人から何度も助けられた人間がやるべきことじゃない。
「おじさん……」
力を入れたら潰れそうな瑠夏の体。鼻に届く瑠夏の匂い。服の上からでも伝わる確かな熱。瑠夏の存在を形作る一つ一つが感覚として脳に焼き付いていく。
「瑠夏。もう一度、俺と一緒に暮らさないか」
それが本当の願いだったのか。わからない。
瑠夏に伝えるべき言葉ではない気がした。
「……部屋、随分と散らかってますね」
瑠夏の言葉を聞いて、部屋に目を向ける。
兼島に言われて少し片付けたが、またゴミが溜まり始めていた。瑠夏が居てくれた頃は、床にゴミが落ちてることなんてなかった。
「……ちゃんと、ご飯は食べてますか」
以前と同じようにコンビニで弁当を買って済ませる食事をしていた。きっと、瑠夏に話したら叱られるだろうと思った。瑠夏の作ってくれた料理の味を思い出すたびに、自分の中にある後悔が大きくなっていた。
「ボクはおじさんの為なら、家事でも何でもやります。それがボクを拾ってくれた、おじさんに出来る恩返しですから」
瑠夏の手が背中に伸びてくる。
「だから、それ以上望むのはわがままですよね」
よく考えるべきだと思った。
以前の暮らしに戻ったところで、瑠夏の抱えている悩みは解決しない。瑠夏が望んでいる言葉を導き出して、口にする必要があった。
自分と瑠夏の関係は血の繋がった親戚同士。そこから関係が変わるとしたら、親子関係か。だが、瑠夏は親子関係で既に酷い目を見ている。今さらもう一度、形だけの親子関係なんて望むだろうか。
最初に出逢った日のことを思い出す。
そうだ。瑠夏と再会した時からずっと答えはあったはずだ。瑠夏の格好を思い返せば、そんな関係でもおかしくはないのではないか。
「俺は……」
気持ちを伝える。
それ以外の選択肢はない。
「瑠夏のことが好きだ」
もう後戻りは出来ない。瑠夏の気持ちとズレがあれば、これは一方的な感情の押し付けだ。そんなことを考えた時、自分の中で不安が生まれてしまう。
「ボクもおじさんのことが好きですよ」
その言葉だけでは瑠夏の本心はわからなかった。
間違って伝わってしまったのか。そんな焦りを抱き始めた時、瑠夏の方から離れた。急速に熱が冷めるような感覚があり、それは自分の心を表していたのか。
「……
瑠夏に初めて名前を呼ばれた。
「ボクは伊織さんに迷惑をかけたくないです」
「俺は迷惑だなんて思ってない」
瑠夏の指先が胸の辺りに触れてくる。
「ボクは……誰かの傷になりたくありません……」
今にも泣き出しそうな瑠夏の顔。それはこれまで瑠夏が背負ってきたものが、溢れ出そうとしているのだろう。
瑠夏が過ごしたのは、自分には想像も出来ないような日々だったのだろう。誰からも理解を得られず、誰からも受け入れらない。
そんな世界で瑠夏は一人で生きてきた。
瑠夏の生きる残酷な世界に自分は足を踏み入れようとしている。覚悟が無ければ、生きている時間のすべてが苦痛に変わるだろう。
「俺は瑠夏のことを幸せにする」
瑠夏に自分の顔を近づける。
「だから、一緒に背負っていこう」
例え、向かい風が吹いても。瑠夏と一緒なら歩いて行ける。ようやく、覚悟が決まった。後は瑠夏に覚悟の証明をするだけだ。
顔を動かして瑠夏の唇に自分の唇を触れさせた。
これが
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