ウィカナ・フライングダッチ―Ⅵ

 全校集会開始一時間前。

 コルト・ノーワード個人工房、二階。研究室。


「何これ、気持ち悪いんだけど……どいつもこいつもウィカナ・フライングダッチの顔。背格好まで同じ……これも、魔法なの?」

「……コルト様」


 イルミナとウェンリィ、レイーシャと四人で夜中ずっと駆け回って、何とか確保した四人のウィカナ・フライングダッチ擬き。

 それらを全員検査、解析するのに寝ずの作業をしていたコルトは、もう何杯目になるかわからないブラックコーヒーを胃に流し込み、頭痛を感じる眉間を押さえながら立ち上がった。


 立ち上がった勢いが強過ぎて立ち眩みを起こしたのか、フラつくコルトを慌ててレイーシャが押さえ、ベッドへと促そうとしたが、コルトは苦しい笑顔を浮かべて首を振り、寝る事は絶対にしなかった。

 だがレイーシャに誘われてソファに座り、レイーシャの魔法で作った氷を入れた氷枕を額に当てる。


(これからお嬢様も縁深くなってくると思いますよ)

「どういう意味よ」

(簡単に言うと、変身薬です。対象の血統因子を元に魔法で作る物で、飲めば対象と同じ姿に変身出来るものの、飲んだら一生解毒出来ない。ただし魔力も指紋も何もかもが一緒なので、本人かどうかバレる心配もない)

「そんなの、何の意味があるのよ」

「イルミナ様……これはその、王族や貴族のために使われるのです。その……身代わりとして」

(暗殺等で要人が殺されないようにするため、身代わりがこの薬を飲んで殺されたと偽装するんですよ。魔王侵攻の際も、この薬のお陰で命からがら逃げ出せた血筋がいた事は確かです)

「つまりこいつらは、フライングダッチの血統因子入りの身代わり薬を飲んで、この女の姿になってるって訳? 罪をなすり付けるために?」

(そのために利用された……と、考えるべきでしょうね)


 イルミナも貴族の、それも高位の貴族の令嬢だ。関係ない話とは言い難い。

 いつか自分もこの薬と、身代わりになってくれる人達の犠牲のお陰で生き延びる時が来るのかもしれない。


 けれど、これは許せない。

 使ったらもう、二度と姿は取り戻せない。それを知ってて使ったのかどうかは知らないけれど、もしも知らされずに使わされていてたら、彼らの人生はこれからどうなる。

 彼かも彼女かもわからない彼らの人生は、一生ウィカナ・フライングダッチの身代わりという役目しか与えられない。


 ふざけるな。

 人の人生を。他人ひとの命を何だと思っているんだ。


 成人の中でも若輩者の二十歳。そして、貴族という世界からは離れて生きて来たイルミナには、まだ理解するには難しい。

 だから憤慨した。この薬の存在に。こんな物を使ってまでフライングダッチを貶めてやろうとしている奴らの非道さに。


 怒るしかなかった。


 この時イルミナは苛立ちから壁を殴ったが、コルトを含めて誰も責めはしなかった。


(フライングダッチ家を貶めるためなのか、それとも高位貴族である彼女の血統因子入りの薬が偶然手に入っただけなのか……いずれにせよ、もう少しです。ウィカナさんの潔白を証明するためには、もう少し時間が必要です。レイーシャさん、時間は)

「あと一時間を切りました」

(間に合えばいいのですが……いや、間に合わせないと)


 と、自らを急かすコルトの両肩を持ったウェンリィが自分の方へ寄り掛からせる。

 背丈の関係で丁度頭の上に彼女の胸が乗っかって来て、不意の出来事にコルトは思わず赤面し、硬直してしまった。


 そのまま硬直する体をソファに寝かせ、頭を撫でながら鼻歌を歌ってやると今までの疲労が深い眠りへといざない、抗い切れなかったコルトを眠らせた。


「後は私とレイーシャ様で出来ます。ゆっくりお休みください、御師様」

「あ、あんた、そういう事するタイプだったっけ……?」

「御師様が辛そうでしたので。それより、ここから先は私達でも出来る分野ですよ。さぁ、ウィカナ様の潔白の証拠を探しましょう」

「……あんた、そんな事出来るタイプだったっけ……?」

「まぁ、剣ばかりの馬鹿でございますが、これでも魔法使いの端くれですので。ここまでお膳立てされていれば、時間こそ掛かるものの、私達にも最後まで出来ますよ。始めましょう、レイーシャ様」

「は、はい……!」


 そうして彼らの体液から取り出す事に成功した、溶け切る事無く残っていた薬の欠片。

 ウィカナ・フライングダッチの血統因子。


 これの魔力を解析し、錠剤の状態でもわずかに感じられる魔力を感知出来る様にするのに、かれこれ一時間以上掛かってしまったが、何とか間に合わせられたのだった。


 そして、現在に至る。


 アルマ・シーザのポケットから感じられた微々たる魔力。

 彼のポケットの中に手を突っ込み、証拠を掴み取ったコルトは薬が入った袋をアンドロメダへと投げ渡した。


(貴族、王族の間で使われる変身薬です。そこまでしてフライングダッチ家を貶めたかったのか。それとも誰かに買収されてやったのか。色々と話して貰いましょう)

「っ……また……またっ……またてめぇか! コルト・ノーワード! 何でいつも俺の邪魔をする! 何でいつもおまえが立ちはだかる! 何故おまえが立ち塞がる! 二学期になってからずっとてめぇが目障りだった! ずっとてめぇが鬱陶しかった! もう少しで、もう少しでおまえを殺す力を手に入れられるはずだったのによぉっ!!!」


 今の台詞だけで、大体の状況は想像出来た。

 いや、そもそも生徒である彼が犯人とわかった時点で、彼一人でこれだけの事が出来るとは思っていない。誰かのバックアップがあった事を察していた。


 ただ想像していなかったのは、筋違いも甚だしい彼の怨み。

 彼がずっと胸の内に秘め、燃え上がらせていた恩讐の炎。

 嫌われているだろうなとは思っていたけれど、まさかそこまで彼の怨み、怒りを買っていたとは思ってもいなかった。


 だから突如としてレイーシャの防御結界による束縛を破壊し、体を変貌させていったアルマが何をされていたかなど、何も想像出来なかった。

 体が黒く染まりながら硬くなり、衣服を破って膨れ上がった体が鎧のように硬くなった皮膚の装甲に覆われていく。

 丸まった背中から伸びた肉塊が捻じれ、紫の膜と共に翼を広げたかと思えば、彼の額に第三の目が開かれた。


 生徒達は変貌を遂げたアルマから逃げ、教師らも彼から距離を取らせる。

 コルトとアンドロメダの二人がアルマ・シーザの前に立ちはだかり、五年ぶりに肌を撫でて来た魔力の濁りに反応した体が二人を自然と臨戦態勢へと持っていった。


「殺す……殺す……殺してやる……コルト・ノーワードぉぉぉっ……!」

(ミス・アンドロメダ。これは……)

「間違いないでしょう。ただ、彼は普通の人間だったはず……ですがこの魔力は間違いなく……!」

「ぶっ殺してやる……ぶっ殺してやるぞぉっ!!!」


 一直線に突っ込んで来るアルマ。

 腕から生えて来た角で貫かんとしてきたアルマを躱し、頭上を取ったコルトの肘から魔力が噴き出し、推進力を利用して加速した拳がアルマを床に叩き付けた。


(悪魔との戦いですか……五年ぶり、ですね)

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