ウェンリィ・アダマスーⅥ

 負けた。


 目覚めたウェンリィが真っ先に理解したのはそれだった。

 体に重く圧し掛かる敗北の重圧。悔しさが全身を駆け巡って、痛みに変わる。鈍痛と激痛とで体を起こせず、目元に腕を乗せて涙が出そうになるのを頑張って耐えた。


(目が覚めましたか)


 コルトの微笑が見つめて来る。

 込み上げて来る感情を必死に抑えるウェンリィは反応出来ず、言葉も返せなかった。


 そんな彼女の心情を察して、コルトは得意のシナモンティーを差し出した。


(どうぞ)

「……ありがとう、ございます」


 気を失っていたものの、戦いの後はさすがに頭が冴えるらしい。

 戦う前までの眠気たっぷりな彼女の姿は無く、緩慢だった動きも機敏、とまではいかないが、常人並みにスムーズに動けていた。

 眠気が強い時と弱い時とで、どうやらムラがあるらしい。

 そのムラの、延いては眠気の深い時に、彼女の夢遊病は発症するようだ。


「甘くて、とても、美味しい……」

(お気に召して頂けた様で何よりです)

「……私の敗因は、何だと思いますか?」


 唐突な質問。

 だがコルトの中で、既に回答は出ていた。


(経験値不足、ですかね。ただおそらく、あなたはと思いますよ)

「どういう事でしょうか」

(不眠症の状態のあなたは、起きている間に蓄えた経験値をも駆使して戦っていたと思われます。ただ、先程の戦いを見る限り、あなたにそこまでの経験があるようには見受けられませんでした。そしてあなたの、眠っている間の出来事は憶えていないという発言で、何となく察する事が出来ました)


(――あなたは、起きている間の経験値を蓄えられても、眠っている間の経験値は蓄えられないのでしょう。だからあなたは常人の倍以上戦っていても、経験値は常人とほとんど変わらない。そんなあなたが、元軍人のお嬢様と戦ったらどうなるか。互いにメインは魔法ではなく接近戦。ならば何処かで、戦士としての経験値の差が生じて来る。それが、今回のあなたの敗因)

「……私、強くなりたいです」

(それはどうして?)

「世界魔法使い序列、第四位。グラディス・クラウディウス。世界最強の魔導騎士と呼ばれたあの方と、一騎討するのが、私の夢なんです」

(勝ちたい、とかではなく?)

「とにかく、剣を交えたい。あの人の事を知りたい。剣士と騎士は、剣を交えるだけでその人となりがわかるんです。憧れているんです」

(……そうですか。それは、いい目標ですね)


 その夜、深夜。


(そんな訳で、今年もあなたを目標にコールズ・マナの門を叩いた生徒がいたみたいですよ、グラディスさん)


 西の大陸の最端。

 海に囲まれた王国の王宮護衛騎士として、彼は勤務していた。


 世界魔法使い序列四位。グラディス・クラウディウス。

 魔法と剣技を合わせて使い、魔導騎士の称号を得た唯一の男。

 世界中の剣士の憧れであり、彼らの目標である、世界最強の剣士である。


「夢遊病の剣士については、俺も話は聞いていた。まさかノーワードが先に接触するとは思わなかったが、これは将来手強い強敵になりそうだな」

(そんな。僕は剣技については明るくないですし……)

「謙遜だな。双子のエティア姉妹を世界六位にまで押し上げ、魔王戦で最前線に並べるまで育てたコルト・ノーワードの手に掛かれば、剣士だろうと何だろうと、化けるだろうよ」

(買い被り過ぎですよ。それに彼女が、今後僕のところに来るとは思えませんし……)


 なんて言っていた翌朝。


 外に出ると、ウェンリィが工房の壁にもたれかかる形で眠っていた。

 また夢遊病を発症したのかと思ったが、今回は血の気を感じない。血の臭いを感じられない。

 夢遊病ではなく、寝ぼけて歩いて来た訳でもなく、ただ普通に深夜に工房までやって来て、そこで眠っているだけだった。


 まだ残暑が厳しいとはいえ、夏が終わった夜も冷える。

 肩を揺すって起こすと、彼女はまた寝ぼけ眼を擦りながら大きく欠伸して、コルトへと微笑んだ。


「おはようございます、御師様」

(御師様?)

「はい。今日から、コルト様には私の御師様になって頂こうと思いまして。実力ある方に御指南頂くのが、強くなるための第一歩ですから」

(でも僕は剣士ではありませんし……)

「ご謙遜を。昨日の私の剣、全て見切られていたうえでアドバイスして下さったでしょう? だから、大丈夫だと思えたんです。よろしくお願いしますね、御師様」


 イルミナ・ノイシュテッターだけでも手こずらされているのに、夢遊病の辻斬りだなんてまた癖の強い――だが彼女をこのまま放置しておくのも、確実に学校の風紀を乱す要因になるだろうから、大問題なのだろうが。


 もしかしたらこれも、アンドロメダ理事長の密かな頼み事なのかもしれない。

 理事長室の方を見上げると、何だかアンドロメダが申し訳なさそうな顔でお願いしますと頭を下げている姿が空に映って、コルトは溜息を漏らさずにはいられなかった。


(ノイシュテッター公爵から、イルミナお嬢様の事を任されています。その合間合間で良ければ……少しは御助力致しますが)

「ありがとうございます、御師様」


 こうして夢遊病の辻斬りことウェンリィ・アダマスが、コルト派閥に仲間入りした。

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