4. 朧月
ノアの部屋を後にし、ギルベルトが向かった先は、
「よぉ、調子はどうだ? ソフィア」
ソフィアのいる、隠し部屋だった。入ってきた人物がギルベルトだとわかった途端、ソフィアは彼をギッと睨む。
「……相変わらずで何よりだ」
ニヤニヤと笑いながら、ギルベルトはソフィアの隣に座る。突如、何の躊躇いもなく、失った腕の部分に腰を下ろされたソフィアはギョッとした。配慮の欠片もない彼の行動に、彼女は、内心舌打ちをする。
「早く復帰しないと、お前の太陽、消えるぞ」
それが、「失踪する」という意味ではないことは、ソフィアにはすぐにわかった。
『何が起きている?』
カミーユがくれたペンとメモ帳で、ギルベルトとの会話を試みる。すると、流石は偵察部隊と言ったところか、ギルベルトはソフィアの行動にすぐに気がつくと、
「へぇ? 本当に話せなかったんだな」
報告書に書かれていた『会話は困難』の真実を知り、興味深そうに笑った。その一方で、
『質問に答えて』
ソフィアは、そう書いた紙をギルベルトに押しつけながら、怒りを露わにする。
「……はぁ。お前、自分のことになると本当に急に馬鹿になるよな」
ギルベルトは大きなため息をつくと、さっきの出来事を話した。
「ノアが使い物にならなくなったんだ。お前がいないから、自分は何もできないー、ってよ。飯も食わねぇ、睡眠もとらねぇ、鍛錬にも手がつけられねぇ。……さっきも発狂して、暴れたくらい重症だ」
「そんなはずない」と疑うソフィアだが、彼の瞳が真実だと語る。目を逸らすソフィアに
「……お前は確かに正しい。だが、お前の自己評価だけは常に間違っている。一体、いつまで過去に囚われているつもりだ? 俺は、お前に正しい“ソフィアの価値”を与えたはずだが?」
ギルベルトは、呆れたようにそう言った。少し間が開いた後、ソフィアは再び、何かを書く。
『戦争は終わった。私に生きる理由はない』
それを見た瞬間、ギルベルトはソフィアの首を掴み、
「……本当に馬鹿になったな。拷問で頭を強く打たれたか。それとも、もう一度、戦争をしてみるか? そしたらお前の頭は治るだろうか。なぁ」
怪我人が相手でもお構いなしに、ゆっくりと、力を入れていく。……苦しみに喘ぐソフィアを見たところで、ギルベルトの心は揺るがない。
「あまり俺を怒らせるなよ? 俺は、いつでも戦争を起こせる。情報は全てここにある。嘘も真も全てだ。賢いお前なら、わかるだろう?」
……本気の目をしていた。ソフィアは、あからさまな脅しに身を震わす。と、手を離され、勢いよくベッドに落ちた。彼女は、ヒューヒューと咳を漏らしながら、体を丸める。
「お前を死んだことにしろ? ふざけるなよ。お前が死んだことになれば、戦争は再開する。相手が滅ぶまで、俺たちは戦争を続けるぞ。……『月と太陽』は英雄になった。我が国の希望。それが現状だ」
首を押さえ、ソフィアは涙目でギルベルトを見上げる。それでも、容赦なくギルベルトは言い放つ。
「お前の価値を自覚しろ。お前が死んで世界が救われるほど、この世界は美しくない」
ギルベルトなりの、愛の言葉だった。しかし、その想いが届くことはなく、ソフィアはぽつりと涙を溢す。……全てが終わったと思っていた。しかし、始めから終わりなんてなかった。その事実が、彼女を絶望の海に落とした。
「俺に拾われた時から、お前には自殺する権利なんてない。お前は月だ。消えてもらっては我々が困る」
月がなくなればどうなるのか。ソフィアが知らないはずがない。しかし、
『それでも』
ソフィアには、表に出られない理由があった。
『こんな姿でノアには会えない』
『もう、彼に私は必要ない』
『拒絶されたくない。怖い』
弱っているからだろうか。命令されたことだけを遂行していたソフィアが、初めて自分の心を曝け出した。その事実に驚いたのは勿論だが、
「え、お前ら付き合ってんの?」
衝撃の事実に、ギルベルトは呆気に取られる。手が触れただけで互いに赤面していた二人が、いつの間に恋人に?
『私の片想いです。彼には想い人がいるようで、私など眼中にないでしょう』
ソフィアのメモを見て言葉を失う。気づかないものなのか? 俺が異常なのか? ソフィアが鈍感なのか? ……どちらにしろ、くだらないことで悩んでいたことに変わりはない。
『せめて、隣にいたかった』
『相棒として、結婚式くらいには呼ばれたいと思っていた』
『こんな姿じゃ……』
泣きながら文字を綴るソフィアからペンを奪うと、ギルベルトは引き攣った笑顔で
「そうか、そうか。わかった。お前は、ノアの言葉があれば安心できるんだな?」
そう言い残すと、バタンと音を大きく立てて、部屋を後にした。
突然のギルベルトの行動に、ポカンと小さな口を開けるソフィア。
残された部屋で孤独を感じている自分に気がつくと、惨めさが込み上げてくる。ソフィアは涙をぽろぽろと流しながら天井を見上げると、小さく、己に冷笑した。
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