3. 荒れ狂う太陽

 「ノアさん、そろそろ昼食にしませんか?」


黙々と、資料を探しては書類にまとめてを繰り返す上司に、ルークは声をかける。が、かなり集中しているのだろう。返事はない。


「……体、壊しますよ」


何を言われても、ノアは作業をやめなかった。


「いい加減、休んだらどうです? 酷い顔していますよ。まったく、がこんな……」


言い終わる前にガバッと押し倒され、ルークはノアに首を絞められる。ギリギリと爪が首筋に食い込み、ルークは「う゛っ」と、苦しそうに喘ぎ声を上げた。


 ソフィアを失ったあの日から、ノアにとって『英雄』というワードは暴走の引き金になっていた。味方からも、そして、敵からも使われていたノアの代名詞。主に、皮肉として使われてきた、その代名詞。……ソフィアがいた時は、その単語を聞いたとて、何も思わなかった。が、彼女を失ってからは、その単語を聞くたびに、脳には敵の姿が映し出され、“憎悪”が湧き上がってきた。


 怒りに呑まれ、ノアは加減ができていない。正気を失い、相手がルークだと、理解できていないのだろうか。完全に、本気で殺そうとしている。ルークは苦しみに喘ぎながらも、状況を変えるため、ノアの腕にぐっと爪を立てた。


「あ」


ルークの抵抗により正気に戻ったノアが、ふと彼の首から手を離す。急に気道が開放されたことで、咳き込みながら、ルークは倒れ込む。


「ちがっ……、こ、れは……」


それを見て、自分のしたことを理解した。床に伏せ、呼吸を乱している部下を見て、思わず、後退りをする。


「ノア、さ……?」


体を横にしたまま、自分に手を伸ばすルーク。その姿が死んでいった仲間と重なる。


 目の前に飛び散る赤。消えることのない血の臭い。響き渡る悲鳴。


 「あ゛あああああああああぁぁぁぁぁ!!」


突然、発狂し始めるノアに、ルークはギョッとした。しかし、ノアを止められるほど、ルークには力がない。首を絞められ、未だ朦朧とした意識の中にある今なら、尚更だ。

 幸い、ノアはトラウマに苦しんでいるだけで暴れることはなかった。ルークは、近くに人が通ることを祈りながら、そっと扉を開く。

 すると、少し遠くから、バタバタッとこちらに向かって走ってくるような、誰かの足音が、聞こえてきた。


「良い判断だ、ルーク」


聞き馴染みのある低い声と共に、男性が部屋に入り、扉を閉める。ルークは男性を見るなり、キラキラと目を輝かせ、彼の名前を口にした。


「ギルベルト教官……!」


ギルベルトは、やや乱暴にも、ノアの口をその大きな手で塞ぎ、


わめくな。状況をよく見ろ」


冷たい視線をノアに向けた。


「ギ、ルベルト隊長……?」

「勝手に階級を落とすな。団長だ」

「あ」


ギルベルトとのやり取りを経て、やっと状況が整理できたのか、恥ずかしそうに辺りを見渡す。これに対し、ギルベルトは大きなため息をつきながら、彼に言った。


「部下を守ることが、お前の仕事だろう。殺しかけてどうする」


ルークの首に残された失態の跡を見て、ノアは青ざめる。ノアは何度か口をぱくぱくとさせた後、ゆっくりと口を閉ざし、心を落ち着かせてから


「ごめん……」


そう謝罪の言葉を口にした。深々と頭を下げるノアに、ルークは首を振る。


「いや、俺が余計なことを言いました。こちらこそ、すみません」


どんよりと表情を曇らせる二人に、ギルベルトは呆れてまた深いため息をつく。


「……お前がそんな様子だから、ソフィアは、お前に会いに来ないんじゃねぇのか?」


ギルベルトの言葉に、ノアは俯く。


「おかしいな。俺の知る『ノア』は、優しくて勇敢な騎士だった。お前は誰だ?」


返す言葉もない。ノアも自覚していた。昔の、国に忠誠を誓っていた時代の自分は、あの戦争で死んだらしい。ソフィアを失ってから、全てを失ったかのようだ。英雄の面影はない。完全に腑抜けていた。


「相方を失って、切ない気持ちはわかる。だが為すべき事は為せ。ソフィアが帰ってきた時、お前がだらしなかったら? あいつは何を思うだろうな? 相方を変えたいと思うかもな」


ハッと顔を上げれば、ギルベルトは冷ややかな視線をノアに向けていた。まるで、心から軽蔑するように。ルークは、久しぶりに見た教官の怒りにぶるりと震えた。


「わかったら、とっとと飯食って寝ろ。そして鍛錬に励め。だらしないぞ」


ノアの頭をがしがしと撫でると、ギルベルトは部屋を出て行こうとする。


「あ、でもノアさん、書類が……」


ルークはノアの机をチラッと見ると、現状報告をする。「これでは鍛錬の時間が取れない」と言おうとして、それをギルベルトは


「そんなもの、お前がやればいいだろう。無理ならこちらに回せ。はぁ。まったく……お前ら攻撃部隊は人を頼るのが下手くそで困るな」


言葉を遮るようにして、食い気味かつ、呆れたように吐き捨てると、彼はさっさと部屋を出て行ってしまった。


 ルークはノアに手を差し伸べると、そのまま食堂へとノアの手を引く。


 誰もいなくなった部屋には、あたたかい風がしきりに吹いていた。

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