第3話
目無し地蔵
私の子供の頃、近所に源さんという話の好きなおじさんがいて、子供たちによく昔話を聞かせていました。
「むかしむかしのことじゃった」これが源さんの決まり文句でしたが、しかし、源さんの言う昔というのは、平安時代、鎌倉時代といった本当の大昔ではなくて、源さんの子供の頃のことがほとんどでした。
そのとき源さんは、いつになく神妙な顔をして、
「わしはこれまでこの話は誰にもしなかったのじゃが、それはわしの長い人生の中で、心の傷としてずっと残っていたからじゃ。まあわしぐらいの齢になれば誰でもそういうものが一つや二つあるものでな、そしてそういうものは、なかなか人に言えないものじゃ。しかし、あれからもう何十年もたっている。犯罪というほどではないが、時効はとっくに切れている。あの子もきっと忘れているにちがいないのじゃ。だからわしは、罪滅ぼしのつもりでみんなに語ろうと思う」
そう言って、源さんは次のような話をぼくたちにしました。
「わしの故郷は前にも言ったが、県北のど田舎で、家の近くに小山がある。その山の頂上に小さな神社があって、わしは子供のころ、よくその境内に上がったものじゃが、それはその境内からの眺めが素晴らしく、憂鬱なときも、いっぺんに心が晴れたからじゃ。
ある晴れた日、わしは一人で境内に上がって遊んでおったのじゃが、この神社の社は小さいが、境内はけっこう広く、隅のほうに柿の大木もあり、おりしも秋の暮れ、いや冬になっていたかもしれんが、柿の実がたわわに実っていた。そのほとんどがずくずくの熟柿となっておったのじゃ。
そのときわしは、しゃがんで地面に絵を描いていた。何の絵を描いていたかは覚えておらんが、木の枝で一心不乱に絵を描いていると、ふと目の前に誰かがいる気配がしたのじゃ。顔を上げて前を見ると、そこに小さな子供が立っておった。見たこともない子供で、時代劇に出るような膝小僧が見える短い木綿の着物を着ておったが、足は裸足じゃった。
真ん丸い顔で、いかにも子供らしい愛くるしい顔立ちをしているのじゃが、残念なことに目が無いのじゃ。目があるところが少しくぼんで黒ずんでいた。そのためわしは、最初子供が目をつぶっているのではないかと思ったのじゃ。しかし、やがて目そのものが無いことに気づいたわしが、どんなに驚き、かつ怖かったか、みんなも想像がつくやろ。わしは一目散に境内から逃げたのじゃ。そのときわしは、普段は使わない小径を下ったのじゃが、というのも、その小径は角度が急でなかつ途中に崖があり、用心しないと麓に真っ逆さまに落ちてしまう恐れがあったからじゃ。しかしそのときは、そんなことを気にしている場合ではない。一刻も早く境内から離れたい気持ちが強く、その急な小径を選んだのじゃ。そして途中の崖で、わしはあるものを見たのじゃが、それは小さな地蔵様じゃ。高さは三十センチほどで、子供の顔をしておったが、なんと、その地蔵様には目が無いのじゃ。まるでさっきの子供のような感じじゃった。──わしは今までこの地蔵様の存在に気づかなかったが、それは、めったに通らない小径であったことと、崖の上という恐怖心で、その小さな地蔵様まで注意が届かなかったからじゃ。今回、恐怖心が分散しておったから、思わぬところが見えたのじゃろう。
さて、家に戻ったわしは、さっそく母にそのことを話した。目の無い子供ではないぞ、目無し地蔵のことじゃ。すると母は、次のような話をしてくれた。むかし、この辺のどこかの家に目の無い子供が生まれたのじゃ。その頃は、どこも貧しくて、障害を持った子供は口減らしのために生まれた時点で始末をするのが普通じゃった。が、その母は高齢で初めての子であったことで隠れて育てることにしたのじゃ。隠れて育てるというのは、つまり家から一歩も外に出さないということじゃ。しかしそんなことができるはずもなく、何年かすると世間にばれてしまった。そうなると、近所の子供たちの恰好の標的にされて、やじられ、家に小石を投げられる日々が続いたのじゃ。生涯この苦しみが続くことを母は憂い、幼い子供と一緒に旅立つことを決意したのも無理もないことじゃった。旅立つというのは、あの世へ行くことじゃ。そして母は、ある月の出た夜、子供を抱いてあの崖から飛び降りたのじゃ。それを知った村人たちは、その親子を気の毒に思い、また村の子供たちが、目の無い子供の夢をよく見るようになり、これは何か不吉な前兆にちがいないと、みんなで話し合い、供養の意味で、あの崖の上に目の無い地蔵さんを祀ったのじゃ。
わしはこの話を聞いて、境内に現れた子供は、その目の無い子供の霊にちがいない。そして、わしの前に現れた理由は、このわしと一緒に遊びたかったからじゃ、と結論をつけた。なぜなら、あの子は誰とも遊んだことがなかったはずじゃ。このわしも近くに遊び相手がいない環境じゃったから、あの子の気持ちがよく分かるのじゃ。そうなると、わしは急にあの子が不憫になり、もう一度会いたいと思うようになったのじゃ。
で、次の休みの日、わしは勇気を出して、あの境内へ行ったのじゃよ。
この前と同じように地面に絵を描いておった。すると、やがて生暖かい風がすうっと吹いてきた。異変を感じたわしは、顔を上げて前を見ると、そこにあの子が立っておったのじゃ。
わしはもう驚かなかった。逃げもしなかった。
落ち着いて、わしはこう言ったのじゃ。
「お前はおいらの前ばかり現れるが、それはおいらと遊びたいからか」
すると子供は、こくりとうなずいた。
「ようし、じゃあおいらと鬼ごっこをしよう」
わしは、なぜそのようなことを言ったのか今も後悔するのじゃが、神社の境内で遊ぶとなると、鬼ごっこぐらいしか思いつかなかったのじゃ。
子供は、やはりこくりとうなずいた。
でわしは、「じゃあ、お前が鬼だぞ、ここで数を百かぞえたらおいらを探しに来い。おいらはこの境内のどこかに隠れているから」
そう言って、すぐに隠れるところを探したのじゃ。社の縁の下に隠れるのは簡単だが、定番過ぎて面白くない。それよりもどこか高いところから、子供の様子を見学するほうがわしは面白いと思った。いわゆる高みの見物じゃ。それでわしは境内の隅にある柿の大木によじのぼることにしたのじゃ。わしは二メートルほどの高さの枝に跨って、そうして、子供の動きを観察したのじゃ。子供は数をかぞえ終えて、わしを探し始めたところじゃった。両手をこう前に伸ばして、小走りで前進するのじゃが、それがまるでおもちゃのような動きで、わしは思わず声を出して笑うところじゃった。心の中でげらげら笑ったのじゃ。とくに子供がわしのいる真下を通ったときには、もう手で口をおさえたほどじゃ。以降、子供は境内をあっちこっち探し回るのじゃが、どうも永遠にわしを見つけることはできそうになかった。ところが、何度目かにわしのいる真下を通ったときに、子供は急に立ち止まったのじゃ。わしはドキッとした。空気が一瞬凍り付いたように感じた。と、子供は、ゆっくりとわしのほうを見上げて、にやりと笑ったのじゃ。それはまるでわしのいる場所など、最初から知っておったと言わんばかりなのじゃ。それでわしはついカッとなって、思わずそばにあった熟柿を引きちぎると、子供の顔めがけて投げつけたのじゃ。運悪く熟柿は子供の顔に命中した。ぶよぶよの熟柿じゃったからケガはしなかったと思うが、柿の汁で子供の顔はべちょべちょになってしもうたのじゃ。すると子供は、わんわん泣き始めた。
「この恨みは晴らそうぞ、晴らそうぞ」
甲高い声でそう叫ぶと、向こうのほうへ姿を消したのじゃ。
わしは後悔した。こんなことをするつもりは、さらさらなかったのじゃ。わしはあの子を楽しまそうと思っていただけなのじゃ。あの一瞬だけ、わしの心に悪魔が舞い降りたとしか思えん。あの子がわしのほうを見上げなければ、そしてにやりと笑わなければ、わしは木から降りて、別の遊びをするつもりでいたのじゃ。
その日以来、わしはその境内に上がることができなかった。あの子が言った、この恨みは晴らそうぞ、という言葉が、わしの頭に残って、怖かったからじゃ。あの子は普通の子ではないから、どんな仕返しをしてくるのか、想像もつかなかったのじゃ。
しかしもうあの子も忘れておるやろ。わしも齢やから、死ぬまでにもう一度あの境内に上がってみたいと最近思うようになってな。もしもあの子がわしのところにやってきたら、わしは素直にあのときのことを謝るつもりじゃ」
源さんの話をぼくは兄にしました。すると兄は、それは面白い、今度の休みの日に、俺の車に源さんとお前を乗せて、その神社へ行こう、と言うのでした。車を持っていない源さんはその提案を承諾しました。じつに十年ぶりの里帰りだと言います。
冬の初め、こんもりとした山の頂上の境内に、ぼくたちは上がりました。
境内の隅に源さんの言った柿の木があり、季節柄、柿の実がたわわに実っていました。熟れすぎて地面にもたくさん落ちていました。
源さんは、柿の木の真下に立ち、「この木じゃ、これがわしの話した柿の木じゃ」と言って、上のほうを指さしました。
「わしはあの枝のところで」
顔を上げたときのことでした。
「あのときの恨みを受けるがいい」
甲高い声がして、つぎの瞬間、源さんの顔が熟柿によって、べちょべちょになったのです。
見ると、木の枝に一人の子供が立っていました。丸い顔をした目の無い子供です。
源さんは、手で顔をぬぐいながら、「これでいいのや」と言って、再び木を見上げましたが、たちまち子供は、満足そうな笑顔で、すうっと消えていきました。
源さんも、このときじつに幸せそうな表情をしたのでした。
明るい日本のホラー教室 有笛亭 @yuutekitei
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