第3幕 第1場 灯台にて
四月の最終日。
夕方のファーストフード店は、どこの店舗も例外なく、部活帰りの少し汗臭い高校生の集団で溢れ返っている。中でも大手飲食チェーン店のハンバーガー屋は「制服販売の会場」と揶揄されるほど、市内のあらゆる高校生たちの溜まり場になっている。
レジの列に並んで商品の注文を終えると、やっぱりここはいつも混んでるねー、と言いながら、千歳が店内の奥のスペースに向かって歩き出した。レジに近い入口側の席はどこも埋まっている。
「そもそもこの町には、高校生が遊べる場所が少ないからな」
吾妻が千歳の後に続いた。
「自分はこぴあに来るの、中学生ぶりです」
後ろから、白鷹が弾んだ声で言った。部活帰りに、笹野と一緒に来られて嬉しいのだろう。学校を出たときからずっと浮かれっぱなしだ。
「ここは、こぴあの外だけどな」
吾妻がサッと顔だけ振り向いた。
「細かいことを言わないでくださいよ! こぴあの敷地内にありますし、なんて言ったって店名が『坂田こぴあコープ店』なんですから、こぴあってことでいいじゃないですかー」
白鷹が情けない声を出した。
奥に着くと、道路に面している窓際の四人席に座っていた女子高生たちが空になったトレーを手に立ち上がった。空いたテーブルをすかさず千歳が確保する。運の良いことに隣の二人席も空いており、テーブルを移動してくっつける。
「オレはマックよりもガスト派だな」
僕も白鷹と同じで、この店に来るのはずいぶん久しぶりだ。クラスメイトの北沢や京田と遊ぶときは、ドリンクバーが置いてあるファミレスを利用することの方が圧倒的に多い。今日はいつもより早めに部活を切り上げてきたものの、笹野と舞鶴さんがいる手前、遅くならない方がいいだろうということでマックになった。
「山盛りポテトとドリンクバーのコンビは鉄板だよね」
千歳がテーブルにトレーを置きながら僕の意見に同意した。
「それだけで何時間も居座られたら、お店側はさぞ迷惑でしょうね」
笹野が呆れたように呟いた。
「ファミレスに集まるの、最高に高校生っぽいですね!」
最後尾を歩いていた舞鶴さんが甲高い声で言った。
窓際のソファ席側に女子二人と千歳を座らせ、全員が席に着いたところで、
「それでは、舞鶴さんの入部を歓迎して! 乾杯!」
僕の掛け声に合わせ、僕たちは高校生らしくグラスではなく紙コップをぶつけ合った。僕たちの乾杯の挨拶は、おそらくテニス部であろう隣の集団から沸き上がった一層甲高い笑い声であっという間に掻き消された。
「ありがとうございます」
千歳と笹野の間に座っている舞鶴さんが、嬉しそうにはにかみながらお礼を言った。
笹野と舞鶴さんの女子組が飲み物とSサイズのポテトだけを注文しているのに対し、白鷹のトレーにはレギュラーセットのチーズバーガーとポテトの他に、単品のハンバーガーまでのっている。どうやらここで晩飯を済ませる算段らしい。千歳は家に晩飯が用意されているとのことで、おやつ代わりとして照り焼きバーガーを一つ頼んでいた。吾妻も家で晩飯を別に食べるとのことで、単品のチーズバーガーが一つだ。かくいう僕は、白鷹に負けず劣らず、レギュラーセットのフィッシュバーガーとポテトを注文していた。漏れなく僕も家に晩飯が用意されているが、成長期の男子高校生は目の前に食べ物を差し出されればいくらでも食べられる生き物なのだ。
「マイちゃんは、どうして演劇部に入部してくれたの?」
僕に吾妻、それから白鷹が、一心不乱に目の前にあるバーガーにかぶりつく中、一人包み紙さえ開けていない千歳が、部を代表して舞鶴さんに訊ねた。舞鶴さんはポテトに伸ばしていた手を止め、
「それはもちろん! 吾妻さんの演技が素敵だったからです!」
吾妻に向かってハートマークを飛ばした、ように僕の目には映った。実際にはウインクさえしていなかったが。食べている途中だった吾妻は、ごくん、と音が聞こえそうなほど一気に呑み込んでから、
「そりゃあ、どうも」
照れる様子を一切見せず、挨拶にでも応えるようにさらりと言ってのけた。それからまた一口、チーズバーガーに齧りつく。『素敵』という言葉を、現実で初めて耳にする僕にとっては、吾妻の女子から言われ慣れている感じに苛立ちを覚えずにはいられなかった。ついフィッシュバーガーを握る手に力が入る。
「そうなんだ。部活見学の期間に、部室で公演をするのは初めての試みだったんだけど、やってみてよかったね」
千歳が微笑み、彼の向かい側の席に座っている僕と吾妻に相槌を求めた。
「吾妻ってところは気に食わないが、まあ、そうだな……」
千歳の言葉で、フィッシュバーガーに八つ当たりしていた力を緩める。よく見ると、上の方から具材が零れ落ちそうになっていた。
「俺にもっと感謝しろよ」
吾妻が得意げに口端を持ち上げた。それがあまりにも憎たらしい表情だったので、彼の口端にソースが付いていることは指摘しなかった。
「公演は、毎年しているわけではなかったんですね」
舞鶴さんが不思議そうに目を瞬いた。
「演劇部の部室は、他の部の活動場所から離れているだろう。だから、そもそも部室まで足を運んでくれる人が少なくて、公演をする価値が見出せなくてな……」
僕が答えると、
「だから昨年までは、昇降口の前で勧誘のチラシを配りながら、演劇部の活動内容を口頭で説明するだけだったんだ」
すかさず千歳が補足した。
「みなさんは、最初から演劇に興味があって入部されたんですか?」
舞鶴さんが僕たちの顔を見渡しながら訊いた。
「俺はスカウト」
吾妻が一番に答えた。
「僕も当時の部長から声を掛けられて……」
千歳が指先で頬を掻きながら答えると、
「ケイタもそうだよね?」
恥ずかしそうにはにかみながら、僕に話を振った。
「まあな」
「みなさん、スカウトなんてすごいですね……」
舞鶴さんが声を漏らした。
「ケータは俺やヤスと違って、裏方要員としてのスカウトだったんだろうけどな」
吾妻が口を挟んだ。
「オレだって役者としてのスカウトだ! 高館さんから言われたもんな。『葉山はスポーツマンっぽさが滲み出てていい』って!」
「なに真に受けんてんだよ。お世辞に決まってんだろう」
吾妻がふっと鼻で笑った。
千歳が吾妻の口端にソースがついていることに気づき、無言で紙ナプキンを手渡した。吾妻も無言でそれを受け取り、乱暴に口を拭った。
「今年は、スカウトはしなかったんですか?」
舞鶴さんが訊いた。
「去年が不発だったからね」
千歳が肩を竦めながら苦笑いを浮かべた。
「高館さんと違って、ケータにはスカウトの才能はなかったみたいだな」
吾妻が口元を緩ませて言った。
「うるせっ! 勧誘をサボったヤツには、何も言う権利はないだろうが!」
僕は右隣に座っている吾妻の足を軽く蹴った。
「それにしても全員にフラれたわけだろう。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるっていうのにさ」
吾妻がまだ話を続ける。
「ケイタだけの問題じゃないよ。僕だって何人かに声を掛けたけど、一人も入部してもらえなかったし……」
千歳が気まずそうに表情を歪めると、幅の狭い肩を窄めた。
「ヤスの場合は、ケータとは違う理由で入部を渋られたんだと思うぜ。ヤスみたいな顔の整っているヤツから声を掛けられたら、ハードルを高く感じて入部を断念されても仕方ないだろう」
吾妻が頭の後ろで手を組みと、椅子の背もたれに寄りかかった。
「そんなことないよ。その理屈、笹野さんなら当てはまると思うけど……」
千歳が手のひらで笹野を指し示しながら反論した。
「急に話の矛先を私に向けないでよ」
笹野が伏せた目を流した。
「白鷹さんはスカウト……いえ、なんでもないです」
舞鶴さんが全てを察したように口を噤んだ。
「自分は確かにスカウトではないですけど、救世主ですから! 何と言っても、自分が入部していなかったら、演劇部は愛好会になっていたかもしれないですからね!」
白鷹が椅子から立ち上がると、胸を張り、拳を叩いて見せた。
「いや、マイマイが入部してくれたから、タカがいなかったとしても、今年の廃部は回避できたわけだから、なんとも言えないな」
吾妻が意地悪そうに口端を持ち上げた。
「吾妻先輩、ひどいっ!」
白鷹が僕の左腕にしがみ付いてきた。
「自分、救世主ですよね!?」
僕は腕を力任せに揺らしてくる白鷹を無視して、頭の中では別のことを考えて始めていた。揉めに揉めた文化祭公演の配役が決まり、千歳と舞鶴さんが衣装係として動き始めた日のことだ。
『ケイタ、ちょっといいかな。見て欲しいものがあるんだ』
その日の前半の活動が終わり、十分間の休憩に入るなり、千歳が声を掛けてきた。部室に二人きりだというのになぜか小声で話し掛けてきた千歳は、僕に一冊のスケッチブックを差し出した。
千歳以外の部員たちは、飲み物を買いに自動販売機が置いてある体育館の方に行ったり、トイレに行ったりと、各々の理由で部室を出払っていた。千歳の大げさな態度を訝しく思いながら薄汚れた表紙のスケッチブックを開くと、人体のデッサンが何ページにも跨って描かれていた。美術の授業の課題かと思ったが、よく見ると舞台の衣装案であった。
『これ、マイちゃんが描いたんだ。こういうデザインはどうですか、って提案してくれたんだよ』
すっかり興奮しきっている様子の千歳には、一枚、一枚丁寧にページを捲る僕の仕草がもどかしいのか、わきから手を伸ばし手早くページを捲った。
『マイちゃん、中学時代は美術部に所属していたんだって。それにしても、どれもロミジュリの世界観が伝わってくる衣装だよね!』
千歳は先程までの人目を忍ぶ態度を一転させ、声を跳ねさせながら言った。彼の不健康にさえ見える陶器じみた白い肌が、今はすっかり赤みを帯びていた。
『ああ。確かに、これはすごいな……』
千歳の熱にあてられながらも、僕は本心から感嘆の声を漏らした。
舞台で着る衣装は、過去の産物を使い回せる場合は可能な限り使い回すようにしてはいるが、大抵は千歳が一人で製作していた。千歳の家が手芸屋を営んでいることもあり、衣装にかかる布や生地の値段に詳しく、また彼自身裁縫が得意なため、部員が少ないことを言い訳に、彼に任せきりの状態であった。
千歳は映画を参考に衣装を作っていたようだったが、おそらく舞鶴さんが描いたこの衣装案は彼女のオリジナルのアイデアだろう。袖口や襟など、細部まで随分と丁寧に描かれている。まるで機械の設計図のようであった。
苦い香りが鼻先を擽ったかと思うと、
『ずいぶんとレベルが高いですね』
いつの間にか僕の背後に立っていた白鷹が、僕の肩越しからスケッチブックを覗いていた。自販機で買ってきたのだろう、左手には缶コーヒーを持っていた。
『でも、どうしてこんなに絵の描ける子が美術部ではなくて、うちに入部したんですかね?』
白鷹の言葉に、僕と千歳は互いに問題を押し付け合うように顔を見合わせた。
『コージの言うとおりだね……』
白鷹の言葉ですっかり冷静になった様子の千歳が顎に手をあてて呟いた。
『これだけ描ければ、美術部の中でも上位の腕前だと思いますよ』
白鷹がいつ部室に戻ってくるかわからない舞鶴さんを警戒してか、彼にしては珍しく声を潜めて言った。
『何か事情があるんだろう。絵を描くことが得意だからといって、決して好きだとは限らないし……』
僕は千歳にスケッチブックを返した。千歳はまだしつこく考えている様子で、それを黙ったまま受け取った。
つい先日そんなことがあり、舞鶴さんがどうして美術部に入らなかったのか、部員の誰もが気に掛けていた。が、ここにいる誰もが、まだ舞鶴さんと信頼関係を築けていない。それゆえに、彼女にこれ以上立ち入った話を聞くことができずにいた。
だから舞鶴さんが美術部ではなく演劇部に入部したのは、吾妻に一目惚れしたからだとわかり、素直に納得すればよいだけの話なのだが、彼女が吾妻に好感を抱いていたことを知ったのもたった今方だ。正直なところ、妙な違和感を拭えない。僕はこのもやもやとした気持ちを消化できないまま、ポテトを口に運んだ。
話題は、いつの間にか「なぜ演劇部に舞鶴さん以外の新入部員が入らなかったのか」という内容に移っていた。
今年の演劇部は、体験入部期間の一週間、部室で演劇を公演した。日が経つにつれて見学者は増え、最終日には二十人も集まり、部室が窮屈になるほどであった。しかし期待は裏切られ、入部したのは舞鶴さん一人だ。それなりの手応えがあっただけに、僕たちは肩をがっくり落としていた。
「僕は、いいアイデアだと思ったんだけどね」
そう言うと千歳はストローでジュースを啜った。噛み癖があるのか、ストローの先が潰れている。
「脚本が悪かったんじゃないの? 釣り竿でタイムマシーンを釣り上げて、それに乗って江戸時代にタイムスリップした男子高校生が、団子屋の少女に恋をするって、一体どういう物語なのよ。意味不明過ぎるわよ」
笹野が鋭い視線を僕に投げつけてきた。
「それは神室さんが書いた脚本だ。破天荒でなかなか面白いだろう」
僕はすぐさま反論した。
笹野が酷評している演目『団子には花を添えて』は、僕たちが高校二年生のときに、文化祭の舞台で披露した思い出の劇だ。確か笹野は、当時もあろうことか、神室さん本人を前にして脚本にケチを付けていたはずだ。
主演の男子高校生役を吾妻、団子屋の江戸娘役を千歳が演じた。元々は二人芝居用に書かれた脚本だったが、新たに男子高校生の友人役を追加して白鷹も加わった。それに伴い、脚本もコメディ色を強める形に改編した。
「この面白さがわからないなんて、人生損してるぜ」
チーズバーガーでハムスターのように頬を膨らませている吾妻も珍しく僕に加担した。人生損しているはさすがに言い過ぎだったが、神室さんをフォローしたい気持ちは僕も同じだった。神室さんへの尊敬の念は、普段は意見が対立することの多い僕と吾妻にしては珍しく共有できる感情である。
「満衣香が観た『鳥かご傘の少女』は、素敵だと思いましたよ。とくに吾妻さんの切ない表情が最高でした」
今まで黙って話を聞いていた舞鶴さんが、慌てた様子で口を挟んだ。
『鳥かご傘の少女』は、僕が執筆した脚本である。今回の部活紹介用に書き下ろした作品だ。男子高校生が、深さのある傘で顔を隠した女子高校生と雨の日だけ密会する会話劇である。女子高校生を千歳、男子高校生を吾妻と白鷹が交代で演じた。吾妻がアルバイトで都合のつかない日があったため、千歳と白鷹の二人でも対応できるように書いたのである。
「葉山が書いた話にしては、ロマンティックな作品だったわ」と珍しく笹野が褒め言葉を口にした。
僕の計算どおりの反応をする笹野を見て、場所も構わず叫び出したいくらいに嬉しいが、人の目もある手前、今はぐっと堪えることにする。その気持ちを胸に抑え込むために、紙コップの蓋を外して一気にコーラを飲み込んだ。
今までコメディ色が強い脚本ばかり書いてきたが、女子受けを狙い、恋愛要素を詰め込んだだけのことはある。しかし女子生徒たちからの評判が良い一方で、入部希望者を獲得できなかった事実が僕から自信を奪っていた。
「今年は、どの部が人気だったのかな?」
千歳がようやくストローから口を離して言った。
「硬式テニス部とかじゃねえか?」
吾妻が隣の集団をちらりと見ながら言った。
「確かに高校から始める人が多い競技は人気だよな。あとは弓道部とかもだな」
僕が答えると、
「いやいや、やっぱり野球部じゃないですか。うちの運動部で、私立高校相手に一か八かの勝負ができるのは野球部だけですからね」
白鷹が言った。
湊高校の運動部は、どの部も弱小の方に部類される。だからといって文化部が活発的だというわけでもない。我が校は進学校ということもあり、部活動には参加せず、塾を優先している生徒が多い。
「いっそのこと、野球部の補欠から二、三人引張ってくるか?」
吾妻がふざけた調子で言った。笹野が口を開きかけたが、反論するのが面倒になったようで、その小さな口にストローを差し込んだ。
「バスケ部もそこそこ強いよね?」
千歳が僕の顔を見て言った。
「別にそんなことないだろう」
「この間の地区大会、準決勝まで勝ち進んだって話を聞いたけど」
千歳が不思議そうに顔を傾けた。
「まぐれだろう」
僕のそっけない言い方でなにかを悟ったのか、
「マイちゃんの友達は、どこの部活に入ってる人が多いの?」
千歳が体の向きを変えて、舞鶴さんに話を振った。舞鶴さんは少し考えてから、
「満衣香の友達は、美術部と写真部が多いですね」
と、答えた。
美術部は昨年顧問が変わってから活動的になったと話を聞くが、写真部は幽霊部員の宝庫と言われているくらいに非活動的な部である。
「友達のなかに、演劇に興味を持ってる人はいないの?」
千歳が抜け目なく訊いた。
「あまり表に出るのは好きではない子たちばかりなので……」
舞鶴さんも千歳の言葉の真意に勘付いてか、申し訳なさそうに目を伏せた。
「そうなんだ。美術部といえば、マイちゃんも絵が上手だったよね。舞台衣装のデザイン画、すごかったよ!」
千歳が自然な流れで話を持っていった。さすがだ。
「わたし、ファッションが好きなんです。それに、吾妻さんに着てもらえるかもしれないと思ったら、つい頑張っちゃいました」
舞鶴さんが照れくさそうに頬を赤らめた。
「吾妻先輩だけでなくて、笹野先輩や千歳先輩、あと自分の衣装にも力を入れてくれよな」
白鷹が心配そうに言った。
「その点ならご心配なく。ジュリエットの笹野さんの衣装はもちろん、千歳さんの衣装も、吾妻さんの衣装と同じくらいこだわりを詰め込みましたから!」
「おい! 自分の衣装は!?」
白鷹がテーブルに手をついて立ち上がった。
「白鷹さん。創作意欲って、大事なんですよ」
舞鶴さんが冷静にジュースを一口飲んでから答えた。白鷹は彼女の落ち着き払った態度を見て我に返ったのか、空咳をしてから椅子に腰を下ろした。
「それはどういう意味かね」
片眉を引きつらせている白鷹が、猫背を伸ばしてから口を開いた。
「吾妻さんはなんといってもスタイルの良さ! 足が長い! 長いというか体の半分が足! なんなら舞台衣装とは言わず、私服もコーディネートしたいくらいです!」
舞鶴さんが目を輝かせながら声を強くして言った。
「吾妻さんはどんなファッションが好きなんですか? ストリート系ですか? それともモード系ですか?」
舞鶴さんが吾妻の方に身を乗り出した。
「俺はジーンズが好きだな」
「そうなんですね! 吾妻さん、いつも学ランの下にパーカーを着てますけど、パーカーも好きなんですか?」
「ああ。これはワイシャツだとアイロンを掛けるのが面倒だから、パーカーを着ているだけだ。でもまあ、パーカーも嫌いじゃないけどな」
答えながら吾妻は、学生服の襟口から飛び出ているパーカーのフードを整えた。
「葉山さんは、Tシャツのことが多いですよね?」
舞鶴さんが思い出したように僕を見た。興味を持っていただけて何よりと思いながら、
「そうだな。オレは、昼休みに体育館で遊ぶことが多かったからな。Tシャツだと学ランを脱ぐだけで動きやすい格好になれて便利なんだ」
と答えた。
「二人とも考えがあって、そのような格好をしていたんですね」
舞鶴さんが真面目な顔つきで口先を尖らせた。
「どっちも校則違反だけどね」
校則どおりにワイシャツを着ている千歳が苦笑いを浮かべた。
「うちって、意外と校則が緩いですよね。髪も頭髪検査のときに基準を守っていれば、普段はなにも言われないですし」
機嫌を取り戻した様子の白鷹が、自身の前髪の束を摘みながら言った。白鷹は襟足に届くほどの長髪でも、金髪や茶髪でもないが、無造作に伸びている天然パーマは褒められた頭髪ではないだろう。
「そういえば、アルバイトも許可を取ればできるわね」
笹野が吾妻を見ながら言った。
「進学校っていっても市内で二番目だから、そういうところで差を付けてるんだろう。あっちはものすごく校則が厳しいって話だからな。バイトどころか、教室の中でスマホを操作するのも禁止らしいぞ。唯一許可されている場所が下駄箱なんだとさ。だから休み時間になると、生徒は下駄箱に集まるらしい。でもって新入生は、その異様な光景に驚くのが春の風物詩だって聞いたことがあるな」
吾妻がまるで見たことがあるような口調で語った。
「へえ、さすが市内で一番の学校は格が違いますね」
白鷹が頷いた。
「でもそれを理由に、ランクを下げてまでうちを選ぶ生徒もいるくらいだから、この少し緩い校則も価値があるんじゃないかな」
千歳が目にかかった前髪を掻き分けながら言った。
「それよりも一つ気になったんだが、ヤスはいつの間にマイマイのことを『マイちゃん』って呼ぶようになったんだ?」
吾妻が食いついた。
「僕は昨日からだよ。僕とマイちゃんは衣装係仲間だからね。そういうシズオの方こそ『マイマイ』って呼び方、本人に許可を取ったの?」
「許可は取ってないけど、嫌だったか?」
吾妻が舞鶴さんに顔を向けた。
「いえ! 吾妻さんのお好きなように呼んで下さい! 必要とあらば改名しますから!」
舞鶴さんが大袈裟に何度も頷いた。
「あだ名一つで改名しなくていいって」
大げさなヤツだな、と吾妻が肩を揺らしながら笑った。
話が一段落したところで、今日のところは解散することになった。
「はあー満足!」
逸早く席から立ち上がった吾妻が、体を目一杯上に伸ばしながら歩き始めた。
「すっかり遅くなっちゃったわね」と笹野が舞鶴さんに話しかけながら後に続いた。
僕は移動させていた机を元の位置に戻し、椅子に忘れ物がないかを確認してから席を離れた。
「……ケイちゃん!」
声の主がわからないまま反射的に振り返ると、そこには湊高校のジャージを着ている集団が立っていた。全員が揃いのスポーツバックを肩から下げている。黒光りしているスポーツバッグには『MINAKO BASKET BALL TEAM』と書かれていた。
「歩……」
自分より長身の男が、集団から飛び出して近づいてきた。
本当はわかっていた。振り向かなくとも、自分の名を呼んだ相手が誰であるのかを。僕を「ケイちゃん」と呼ぶ人物はこの世にたった一人、飯豊歩しかいないのだから。
「久しぶり。ケイちゃんは今から帰るところ?」
「ああ……」
半ば放心状態で答えた僕は、ここで歩と出会った偶然を呪った。この店に来るのは、今年になってから初めてである。そんな中、歩と出会ってしまった。
歩は山盛りのポテトが載ったトレーを持っていた。僕たちとは入れ違いで、これから席に着くところなのだろう。
「二人は知り合いなのか?」
歩の肩を押しのけ、歩よりもさらに長身の男が目の前に現れた。三年生の新井田隆弘だ。僕と新井田は一年生のときに同じクラスだった。体育の授業では、あらゆるスポーツで勝負をした。バスケに限っては僕の方が圧倒的に勝ったものの、他の競技では結果は五分五分で、なかなかの好敵手であった。が、二年生に進級して新井田とクラスが別れてからは全く関わりがなくなっていた。
「まあな……」
黙っている歩の代わりに、僕は素っ気なく答えた。
「ああ、そうか! 同じ中学校か」
新井田が一人で勝手に納得する。おそらくトレーで手が塞がっていなかったら、手を打っていたことだろう。
「物心がつく前からの幼馴染みです。ケイちゃんのことならなんでも知ってますよ。好きな食べ物はラーメン。一番のお気に入りは花鳥風月のえびワンタンメン。嫌いな食べ物はパクチー。好きな色は緑で、猫よりも犬派。きのこよりもたけのこ派。好きなスポーツメーカーはナイキ」
歩が得意げに胸をのけ反りながら答えた。
歩は僕の家の近所に住んでいる、二つ年下の幼馴染みである。歩の他に、年の近い男友達が近所に住んでいなかったこともあり、幼少期は毎日のように互いの家を行き来していた。
歩が同じ高校に入学したことは、僕の母親経由で話を聞いて知っていたが、高校生になった歩と顔を合わせるのは今日が初めてだ。歩とは中学校を卒業してから一度も顔を合わせていなかったこともあり、実に二年ぶりの再会だ。
会っていなかった間に、歩は身長がずいぶんと伸びたらしい。二年前は僕の方が背が高かったというのに、百八十センチは優に超えているだろう。歩から見下ろされる視線が違和感でしかない。
「キャプテンの方こそ、ケイちゃんと知り合いなんですね」
歩が新井田に言った。
「葉山とは一年のときに同じクラスだったからな。それで、演劇部がどうしてこんなところにいるんだ?」
新井田が歩から僕に顔を向けると、不思議そうに顔を傾げた。
おそらくこの店は、部活後に腹を満たすバスケットボール部御用達の溜まり場なのだろう。そして彼らからしてみれば、文化部である僕たち演劇部が、この店にいることを不自然に感じるのだろう。
「新入部員の歓迎会をしていたんだ」
僕はそう答えると、首の後ろに手を当てた。そこは異様に熱がこもっていた。すぐに手を離す。
「へえ。廃部するっていう噂があるのに、入部してくれたお人好しがいたのか?」
「まあな」
僕は新井田の嫌味に気付いていない振りをして平然と答えた。
廃部の噂が流れていたとは知らなかった。
「そうか。まあ、頑張れよ」
新井田は感情のこもっていない声色で言うと、背後で待機している部員たちを引き連れ、店の奥に位置するボックス席へと移動していった。僕のことを知っているのか、彼の後ろを歩く部員たちが、ちらちらと僕の顔を一瞥して通り過ぎていく。
「またね」
歩もバスケ部の集団の最後尾に続き、慌ただしく去っていった。
「今のは誰ですか?」
いつの間にか背後に立っていた白鷹が訊ねてきた。白鷹もてっきり他のみんなと一緒に、先に店を出たものだと思い込んでいた僕は肩を持ち上げて驚いた。
「ただの幼馴染みだ」
つい口調が乱暴になる。
「それにしては、ずいぶん仲がいいんですね」
おそらく僕が歩からニックネームで呼ばれていたことを言っているのだろう。
「物心がつく前からの付き合いだからな」
僕はそれ以上の詮索は許さぬよう、足早で歩き出した。
「ちょっと! 置いていかないで下さいよ!」
白鷹が慌てて追いかけてくる。
店から出て、駐輪場の方を望む。先に店を後にしていた千歳たちが、自転車の傍に立って待っている姿が見える。吾妻に至っては自転車のペダルに跨り、いつ走り出してもおかしくない状態だ。
「廃部の噂が流れてるって、知ってましたか?」
白鷹が僕の横に並ぶなり口を開いた。彼も僕と同じことが気になったらしい。
「いいや。初めて耳にした」
「ですよね。それもあって、入部を敬遠されたんですかね……」
白鷹が溜め息を吐き出しながら空を仰いだ。春になったとはいえ、空はすっかり暗くなっている。駐輪場の傍に外灯がついていなければ、吾妻や千歳の顔も見えていないだろう。
「さあな」
「舞鶴に訊いて確かめましょうよ。一年生の間で、本当にそんな噂が広まっているのか」
バスケ部の連中の嫌味だったらいいですけど、と白鷹が面白くなさそうにぼそっと呟いた。
あのとき白鷹が傍にいてくれてよかったのかもしれない。彼がいなければ、苛立ちを抑え切れずに、なにかを蹴り飛ばしていた気がする。例えば、机の下に戻されていない椅子とか。
新井田の口から出てきた言葉よりも、昔を思い出させる汗の臭いの方が、ずっと、ずっと僕を不快な気持ちにしていた。
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