第33話 帝国の事情⑤
朧げに炎を纏ったアイネが、ツワブキに向き直る。
「ジジ……ツワブキ元宰相殿。昼間は失礼いたしました」
アイネが謝罪の意を込めて丁寧に頭を下げる。
ジジイと言いかけた部分には皆、目を瞑ることにした。
「帝国内で、軍部と神殿が仲が悪いことは有名な話。神官という立場が知られた場合、危険度が上がると判断し、嘘をつきました」
ツワブキは、深妙な面持ちで話を聞いている。
「ただ、こちらが情報を得る中でツワブキ元宰相殿は軍部と敵対しているご様子。私の予想が正しければ、あなたもそろそろ皇城へ向かう予定だったのでは?」
ツワブキの眉が、僅かにぴくりと反応した。
「どこで得た情報か知りたいところだが、会話はできぬのだったな」
張り詰めた空気が流れる。しかし、実体ではないアイネに、そんな空気を察することができるわけもなく——。
「じゃあ、そういうことで! 消えるわ!」
片手を上げ、一方的に話し終えたアイネは炎の魔力の残穢を輝く白煙のように昇らせ、跡形も無く姿を消した。
残ったものは、ツワブキの猜疑心だけである。
「まあ、良い。また会った時に、情報元を聞けばいいからな」
情報が漏れていたという事実に自負心が傷ついたツワブキだったが、感情を抑えるために奥歯をぎりりと噛んだ。
「にしても、あの女……やはり、どこかで会ったことがあるような気がする」
「お祖父様、ナンパはやめてくださいよ。イリスさんのお母様ですよ?」
「馬鹿たれが! 私にも選ぶ権利があるわ!」
シィロから軽蔑を込めた視線を向けられたツワブキは、怒りを露わに吠えた。
「お前も、もう少し悔しがらんか! シィロ!」
「えぇー……僕一人で守れる範囲なんて、たかが知れてますよ。それに、情報収集に関しては向こうの方が一枚上手だったんだから、仕方ないじゃないですか」
眉を八の字にしたシィロが、弱腰ながら反論する。
「お祖父様の動きでバレてたみたいですし、僕を怒るのはお門違いだと思うんですけど」
「うるっさい! バレていたところで変更はない。あの女の口ぶりだと、予定通り皇城へ向かっても問題ないから、そこを合流場所に指定してきたのだろう」
ツワブキはアイネの話す内容から、ある程度の予測を立てた。
恐らくこちらの行動を知っているのは、あの女とその近くにいる限られた者のみ。軍部には知られていない。だからこそ、娘や神狼族の長にも城へ向かうように話した。
考えをまとめたツワブキは、顔を上げると明瞭な声で告げる。
「明朝、ここを出る」
状況を把握し、先を読み、決断したツワブキの真剣な言葉に異議を唱える者はいなかった。これが最前最良の選択だからだ。
「今を逃せば軍部の監視は、もっと厳しくなるだろう」
長年の経験と勘としか言いようがないが、ツワブキは流れを感じていた。
動くなら今だ——と。
◇
日の出前の薄明け空。
ツワブキ邸から身軽に出てくるツワブキやシィロ、ルカとは違い、レイだけが布に包まれた大きな荷物を担いでいた。
シィロが御者台に座り周囲を確認すると、慣れた手つきで馬を走らせた。
一刻ほど移動した頃。
イリスは、ガタガタと上下に揺れる振動と音を感じて、ゆっくり瞼を開ける。
「目が覚めたか?」
上からレイの声が聞こえ、イリスは膝枕をされていたことに気づいた。
「おかげさまで……ところで、どうやって私はこの馬車まで?」
「俺が担いで連れてきた。ぐっすり眠っていたからな」
イリスは、恥ずかしさで赤面した顔を両手で覆った。
「大事そうに、簀巻きにされて運ばれておったぞ」
大事なのに簀巻きって、どういうこと?
ツワブキの嫌味で意識がしっかりしてきたイリスは、荷台の中を見渡した。
「それにしても昨日の今日で、よくこれだけ準備できましたね?」
数日は過ごせる食糧や生活用品一式、その他諸々が幌を張った荷台の中に詰め込まれていた。人が座れる空間を辛うじて確保してあるが、木箱を置いてそこに座っている状態だった。
「以前から、準備は整えてあったからな。駒さえ揃えば、いつでも乗り込むつもりでいたわ」
駒って……。
ツワブキの傲慢な物言いに、イリスは引き攣った笑顔を返した。
「物騒な言い方ですね」
「戯け! ルカ様を連れて皇城に行くということは、それだけ大事なのだ」
向かいに座っていたツワブキがイリスを見る。
「昨日も言ったが、ルカ様は本来であれば継承権を持つ第一皇子。それを放棄してここにいる。そのルカ様が城に行くということは、謀反と思われかねない危険な行動なのだ。だからこそ、ルカ様を護る駒が必要だった」
「それが私達?」
「小娘は、オマケだがの」
ツワブキの言い方は気に入らなかったが、力では役に立たないことは事実なので、不服ながらも口を噤んだ。
イリスは、幌で覆われた天井を見上げる。
早く皇城に着かないかなぁ。
狭い空間で、神経質なツワブキを含めた男ばかりの馬車。十代の少女にとっては、決して居心地が良いものではなく、やや窮屈な時間だった。
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