第25話 またね
寸前でシヴァの指示に従ったレイとイリスは、闇の竜の攻撃を回避し、一定の距離を取る。
シヴァは闇の竜の死角に移動したかと思えば、神力を込めた爪で一閃を放ち、闇の竜の片目を奪った。
闇の竜のけたたましい咆哮が轟く。苦痛に歪んだ表情で前足をせわしなく動かし、それに合わせて地面が突き上がる。
「ふむ。今の我では、こんなものか……」
視界に隅にのたうち回る闇の竜を捉えつつ、シヴァは自身の爪を冷静に見つめた。
シヴァはそのままの調子で背後にいるイリス達に声をかける。
「娘よ、準備はできたか?」
イリスはしっかりと頷く。
アグニはイリスの中で目を瞑り、神経を研ぎ澄ませていた。
意識の奥底で二人の精神が混じり合うと、イリスの髪は女神と同じ黄金色へと変わる。虹色の瞳の輪郭も鮮明になり、女神の力が完全解放された。
「万物の我が子らよ、今再び我が力となりて闇を討ち払わん!」
周囲にある植物や大地、水、風、火など自然に連なる力がキラキラと砂塵のように輝きを放ちイリスの元へ集う。
母を慕う子のように、無償の温かい光がイリスの手の上に舞い落ちた。
その力を凝縮したものにアグニの神力を注ぎ、神器——"虹色の弓"を創造する。
虹色の光が揺らめくと、半円の弧状を描いた弓の形を創り、そこに唐草模様が浮かぶ。芸術品のような華麗な武器がイリスの手に具現化した。
「シヴァ! 来て!!」
アグニが声を張り上げる。
その一言で全てを悟ったシヴァは、即座に闇の竜を足止めをすべく動いた。
神力で創り出した氷の鎖から足枷が発現し、闇の竜を拘束する。縫うように地面に繋ぎ止められた闇の竜は力任せに引き千切ろうと抵抗をする。しかし鎖を外すことは容易ではない。
シヴァの姿が透き通るように薄れ、朧げになる。
毛先から微粒子を散らし浮遊する。青白く発光するとその神狼は"白銀の矢"と成った。
弓と矢が揃う。
その神器——"七彩の天弓"という名を持つ。
単体では何も討つことは叶わないが、二つが揃った時、初めて弓矢としての真価が発揮される。
イリスは、自分でも驚くほど迷いはなかった。
虹色の瞳には全てが映し出されており、射抜くべき部位は視えていた。
レイの放つ結界から何があっても守るという意志を感じる。言葉はなかったが、大丈夫だと心に寄り添ってくれるようだった。
イリスが闇の竜を静かに見据える。
彩鮮やかな世界の中で、時が止まる。
イリスの指先から音もなく放たれた白銀の矢。その先には暴れ回る闇の竜がいた。
矢が闇の竜の心の臓に届く間際、なぜか大司教だった男——ルバーブが安らかな笑みを浮かべたように見えた。
虹色の光が全てを包み込んだ。全てを洗い流し、赦し、浄化する虹彩は涙が出そうになるほど美しかった。その中に一つの球体が残る。澱みを帯びた黄色い玉。
それをシヴァが咥えた。
「シヴァ……魂は壊さないで」
「こんな人間の魂でも大切か?」
「…………ええ。浄化して、またいつか転生させてあげたい」
アグニは逡巡した後"女神"としては理想的な返答をした。
イリスは女神を自身に降ろしたことにより、アグニの複雑な胸中が伝わっていた。
争う人間を許せないという気持ちがある一方、女神として赦さなければならないという苦悩と葛藤。
「我には理解できぬな」
シヴァの冷たい言葉とは反対に、咥えていた魂を優しく解き放つ。魂はアグニの掌にふわりと乗ると暖色の光を放ち、眠るように静かに消えた。
アグニの『間に合う』というのは、今なら魂だけは救える……ということだった。
「我もそろそろ限界だ。アグニもであろう?」
「ええ、またいつか……」
そう言うと、神狼シヴァは白銀の輝く粒となり見慣れた乳白色の石へと変わった。人型に戻ったレイの手の上へと降りる。
それを見届けたアグニの姿もまた幽微な光となり霧散していく。
「私もシヴァも暫く眠りに着くわ。……二人ともありがとう……」
その言葉を最後に女神の姿は消え、虹色の石だけが残った。
イリスはその石を両手で包むように持つと、優しく握りしめた。
遠く離れた木の上から、気配を殺して眺める男が一人——眼鏡の男が一連の成り行きを傍観していた。
「もう少し使えるかと思ったけど、期待はずれだったな……女神の情報が入っただけでも良しとするか」
男がそれだけ吐き捨てると、風を受けた外套が大きく翻る。
辻風が通り過ぎ、葉の擦れる音も止む。そこに男の姿はもうなかった。
◇
神殿の中央、女神像の近くの石碑にはこう綴られている——。
『闇は近くにある。
しかし忘れてはいけない。それ以上に光があるということを。
負の力に引き摺られそうな時は思い出してほしい。
小さな幸せ、変わらない日常がそこに在るということを。
女神は人々の心に希望という光が芽生えることを願っている』
◇
空の霊雲に、虹が架かる。
その景色を共に眺める後ろ姿があった。木蓮色の髪と銀雪色の髪が、煌めき揺れて重なる。
束の間の休息を穏やかな陽だまりが照らしていた。
〜ユリオプス王国 虹色の石編〜 了
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