三十四話・The son who came back
ご馳走というには質素だった。
豆のスープに何日前に焼いたか分からないパン。それに焼かれた小さな肉片がその晩の食事だった。正直に言えば腹が膨れたとは言えない。
だが老婆、ソニアの顔は先ほどの涙はどこか分からないほど笑顔にあふれていた。その姿を見つめながら俺たちは食事を待った。
「スティーブが帰ってくるなんて、あたしゃは幸せ者だよ」
スープの入った鍋をスプーンで混ぜる時に何度もソニアは嬉しそうに零した。本当に俺の事をスティーブと思っているのだろうか。
俺はその笑顔を引き離すことが出来なかった。昔であれば蹴りの一発でもしていただろう。人を人と思っていなかった時期があった。だがそうも出来なくなってきた辺りから俺は老いを感じてもいた。そうやって蹴ってきた奴らにも人生があると思えば蹴られる側はたまったものじゃないと思うようになっていた。
ふとボスが俺を解雇したことを思い出す。俺がクビになった背景にはこういう誰かのことを考えるようなところが生まれたかもしれない。
「こんな立派な嫁さんまで連れてきて。ソマーズ家は安泰だよ」
つまり俺は、もしこの老婆があっているとするならばスティーブ・ソマーズという名前で母ソニア・ソマーズのもとに生まれたという事になる。
父親の事を聞いてみたが、ソニアは黙って首を横に振るだけだった。もうこの世にはいないらしい。今はこの小さなコンクリートがための窓が一つしかない家で一人暮らしという。恐らくここで一人死ぬまで住み続けるのだろうと想像に難くなかった。
ソニアはずっと多くのことを話した。戦争で俺が傭兵に連れていかれたこと。働き手も息子も失って一人でここまで生きてきたこと。このまま死ぬと思っていた時に俺が帰ってきたこと。それを食事中、ずっと話していた。まるで堰き止められていた川が一気に流れだすように、だ。
俺は黙って話を聞くほかなかった。そもそも俺自身が頭の中でまとまっていない。ソニアが話せば話すほど記憶と符合するのだ。戦争が起きる前は裕福とまではいかないにせよ石畳の道路もあった平和な村だったとか、そこでいつも遊び呆けていたとか、戦争が来て一気に変わったとか。
俺の記憶と一致しすぎて気持ちが悪いほどなのだ。
もしかしたらティアスティラも同じようなもので、やっぱりこの老婆の勘違いだとも思ったが、ここまで一致しすぎると自分を疑いだしてしまう。特にソニアは堂々と話すから余計にだ。俺の方が記憶違いをしているようにすら感じるのだ。もしかしたら俺は本当はスティーブ・ソマーズだったのかもしれない。生きていくうちに便宜上ジョージ・フォスターという名前を使っていただけで、忘れ去られた本当の名前はそうだったのかもしれない。
俺の記憶が正しいのか。ソニアの言葉が正しいのか。俺は決めかねていたのだ。
「ジョージ」
「エルーシャ。どうした」
「顔色が、よくない」
「そんなことないさ。そんなこと」
俺がジョージであることを引き戻してくれる唯一の存在がエルーシャだった。
もし俺が一人で来ていたらどうなっていたか分からない。任務も放り投げていたかもしれない。真実を探求する前にソニアの言葉に従っていた未来も十分想像出来た。
俺は、分からなかったのだ。
真実は、ソニア、いや母の言葉だったのかもしれない。
そう思っている自分がやはりいたのだ。
その夜は俺とソニア、エルーシャの三人で川の字になって寝る事になった。
ずっとソニアが俺の事を抱きしめてくる。先ほどまで「お嫁さんには悪いことをするわねえ」と言いながら、だ。だが息子が帰ってきたとするなら、それくらいしたいと思うのは当然かもしれない。それを想像する術も俺にはなかった。
「ジョージ」
「どうした」
ソニアが寝息を立て始めた頃にエルーシャが小さな声で呼びかけてきた。
「どうする?」
「どうするって」
「村の話、聞きださないと」
「そう、だな。そうだよな」
「ジョージ、大丈夫?」
「大丈夫さ。俺はジョージさ。ジョージ……なんだよな」
俺はジョージ。
この言葉を口にした時胸が高鳴った。俺自身が俺の言葉を否定しているかのようでさっと冷や汗が流れた。俺のどこかが俺の言葉に「嘘をついている!」と強い口調で責められたような気がしたのだ。
俺は、段々と俺が信じられなくなりつつある。俺の今までが間違いだったような気がしてならないのだ。
「そう。貴方はジョージ」
だがやはり引き戻された。
エルーシャの言葉もまたはっきりとしたものだった。そうだ。エルーシャにとっては俺がスティーブであるかどうかは問題じゃないのだ。俺はジョージ。ジョージ・フォスターなのだ。
その言葉がなんとか俺をジョージとして踏みとどまらせていた。
翌日からソニアは俺に村の案内をしてくれた。
そろそろどこかでエリンたちに連絡をしたかったが、情報が少ないから、と自分に言い聞かせていた。
思いもしなかった。今までの旅が俺を思い出すためのものになってしまうと。
言い換えればそれくらい俺の記憶は大したものの上に成り立っていないのだ、と。
必死に生きてきた結果が自分の居場所をあやふやにしてきたのだ。だから目の前に出された、俺の想像にも及ばない、誰かから流されてきた記憶が俺を狂わせるのだ。
俺は、ジョージではないのかもしれない。
戦争がなければ俺はスティーブ・ソマーズとしてこの辺鄙な村の若者として生涯を終えていたのかもしれない。それを戦争の中で生き残る事に必死だった俺は蓋をして、ジョージ・フォスターとして毎日を生きていただけなのかもしれない。
今俺の中で答えは出せない。
俺は、誰なんだ。
「スティーブ。こっちにおいで」
村を一通り回って挨拶もそこそこに終わった後、村の外れにあるはげ山の前に来た。
すると小さな洞窟の前にソニアが立ち、俺に手招きをしてきた。その瞬間俺は目が覚めた。ジョージ・フォスターなのかスティーブ・ソマーズなのかは分からないが戦争で染みついた傭兵の臭いが一瞬にして俺をジョージに戻した。
「どうしたのスティーブ」
「あ、ああ。今行くよ」
「ジョージ……」
「どうしたエルーシャ」
怪訝な顔つきでエルーシャが俺を見てきた。あからさまに怪しい洞窟に警戒している。
「ジョージ……」
「俺は行くよ。多分一番必要なものだろうあれが」
「邪教……」
「そう」
その瞬間俺はやはりジョージ・フォスターなのを実感した。
たとえ俺の中身が本当はスティーブ・ソマーズだったとしても、戦争で肌の奥にまでしみこんだ傭兵の血が「お前はジョージ・フォスターだ」と言ってくるのだ。もしかしたら俺はスティーブだったのかもしれない。それが生きるために捨てた過去だったとしても。
だが、俺が一人でここまで来るまでの間に染みついてきた硝煙と死体からあふれ出す血と糞尿の臭いはもう剥がせないところまで来ていたのだ。
この手が血に染まった瞬間にスティーブ・ソマーズとしての俺は死んだのだ。生き残り、糧を得るためにどこの誰かも知らない奴の喉元に剣を突き立て、死にたくないと泣きわめく相手に容赦せず刃を突っ込んで切っ先を血に染めてきた手斧のジョージ、ジョージ・フォスターなのだ。
俺は……ジョージ・フォスターを捨てる事は出来ないのだ。
「行くぞ。エルーシャ」
「……」
「大丈夫だ。俺はジョージだ。他の誰でもない」
俺の言葉を聞いて不安そうにしていたエルーシャが小さく頷くとゆっくり洞窟に足を運んだ。
たとえ俺が何者であろうが、もう村の若者に戻る事は出来ない。
ならば、この村の真実をきちんと見つめて、一定以上の答えを出せばいいじゃないか。
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