第2章 終わらない冬03

 おかしな冬を巻き起こしている元凶を見つけ出したサフィーだったが、では実際どうすればあの冷たい悪霊を止められるかは見当がつかなかった。何せ相手はずっと空に永遠と浮き続け、地上で足掻く者達を嘲りながら寒風を撒き散らしているのだ。これではサフィーの蹄も角も届かない。


「どうしよう……私は鳥のように空を飛ぶことは出来ないし、彼らは地上に降りてくる気はさらさら無いようだし……」


サフィーは一考の後、ある手段を思いついた。それはかつてアリトンに教えてもらった“閃光を放つ魔法”を使ってみることだった。この魔法自体に何かを破壊する力はないが、唐突に放てば相手を仰天させるのには十分なものだった。


「何もせずに見ているよりは良いわね。……よし、やってみよう!」


サフィーは意識を研ぎ澄ませ、全神経を自身の角先へ集中させる。次第にそこに光の球が形作られていく。彼女は一度深呼吸をした後、それを冬の悪霊が蔓延る空へと投げ飛ばした。光球は舞い上がり、丁度奴らと目線が合う地点で花火のように炸裂した。凄まじい閃光は魔物達の目を眩ませ、その群れはあっという間に散り散りになってしまった。


「や、やったぁ!あの変な者達を追い払えたんだわ!」


自身の魔法が成功したことにサフィーは大層喜び、周囲を飛び跳ねながら二週した。これでおかしな冬も終わりを告げるのだろうと彼女は胸を高鳴らせていた……。


 しかし、そんな簡単に終わる訳が無かった。しばらくすれば悪霊達もすっかり視力を取り戻し、再び渦の陣形を作り出した。そしてあの忌々しい閃光を放った敵を探り始めたのだ。すると自分達のすぐ下に一匹の生き物がいることに気づいた。


――あれは何だろうか?サイではない、それらはもっと南にいる。イッカクだろうか?いや、それらは海の中で泳いでいる。それではあれは何だろうか?


悪霊達は結局サフィーがユニコーンであることを理解出来なかった。が、外敵であることは間違いないと考え、彼女を凍え殺そうと鋭い牙を軋ませた。


「た、大変……怒らせちゃっただけ……?」


サフィーは怒りに歪んだ悪霊達の顔を見て、あの魔法では彼らをただ刺激するだけになってしまったことを直ぐに察した。だが、相手の方からこちらに向かってくるのは彼女にとっても都合が良い。


「あちらから降りてきてくれるのなら、反撃出来る……!」


サフィーは自身の額に伸びる角を悪霊達に向け、自身の弱みを胸にひた隠して勇ましく構えた。生死を賭けた戦いは初めてだが、彼女は一介の騎士以上の勇気を抱いていたのだ。しかし何時まで経っても悪霊達は襲い掛かってこない。ただ皆一様にサフィーを凝視し、唸り声の一つも零さない。まるでその視線で彼女をこの場に縛り付けているかのようだ。


「……何?何で襲ってこないの?」


何故か襲ってこない悪霊達にサフィーは不信感を覚え始める。


「彼らは“何か”を待っている?でも、それは一体……」


無意識に足が一歩二歩と下がっていく。殺意に満ちた眼光でただこちらを見つめてくる状況は、直接危害を加えられるよりも恐ろしいものだ。じわじわと、サフィーの精神が擦り切れていく。だが、彼女もただ黙っているわけにはいかない。


「……何なの、何なのですか貴方達は!何故こんなことをしているのですか⁉むやみやたらに寒さを広められて、人も動物も皆困っているのですよ!!!」


サフィーは額に一滴の汗を流しながら叫ぶ。こんなことを言っては彼らを更に刺激してしまうかもしれない……。そんな懸念は彼女の脳内からすっかりと抜け落ちていた。それ以上にいつまでも空からこちらを見下し、嘲る悪霊達への怒りが沸き上がっていたのだ。ユニコーンとは怒りっぽく、恐れ知らずな幻獣でもある。そこだけは唯一サフィーがユニコーンらしいと言い切れる点であった。


「ねぇ!答えてください!いつまでそうしているつもりですか⁉」


しかしそんな必死の叫びにも悪霊達は答えない。変わらぬ目つきでサフィーを睨み続けている。あまりにも不気味な光景だが、もう彼女が怯むことはない。蹄で地面に打ち鳴らし、再び閃光の魔法を放とうと身構える。


「もう一度、あの光を放ちますよ⁉それが嫌だというのならば、今すぐここから達さり、貴方のあるべき場所へ――」


「我々にそんな場所はない」


静寂を保っていた悪霊達が再び渦を成し、これまで以上の寒風を周囲に放出し始めた。とうとう道すらも完全に凍り付き、一瞬の隙に吹き飛ばされそうになる程だ。


「な、何⁉」


サフィーは止めどない寒風に抗い、ようやっと空を見上げる。するとその寒渦の中心に人影が映っていた。だがそれは決して人ではない。それを遥かに凌駕する恐ろしき存在だ。


――純白の鎧は雪のような煌めきを放ち、その上からは細かい氷塊が全身を覆う。素顔は骸骨の如き仮面に覆われ、その目元からは涙が凍り付いたかのように氷柱が垂れ下がっていた。その姿からは生命の息吹を感じ取れず、“冬の化身”としか評しようのない。


「だ、誰……?」


「……」


サフィーの問いかけにソレは答えず、ただ静かに彼女を指差した。すると悪霊達が待っていたと言わんばかりに一斉に襲い掛かってきた。サフィーは自身の角を振って次々と悪霊を切り裂き、打ち祓っていく。しかし如何せん数が多すぎる。倒せど倒せど次々と代わりが現れるのだ。止めどない悪霊の波はサフィーを凍えさせ、じわじわと、だが着実に彼女の体力を削り取っていく。


「クッ……こ、このままでは――」


その一瞬の隙を突かれてしまった。一匹の悪霊がサフィーの首を掠め、彼女が何よりも大事にしていたペンダントを奪われてしまったのだ。


「あぁ!ダメ!それは私の友達の……!」


それはアリトンから送られた友達の証であり、いつも肌身離さず身に着けていた大切な宝物だった。サフィーは必死に取り返そうとするが、悪霊達がそれを阻む。


「やめて……離して!」


だが悪霊の大波はサフィーの馬力を遥かに上回り、彼女を吹き飛す。宙を舞ったサフィーは勢いよく地面に強く叩きつけられてしまった。


「だめ……返して……」


弱々しい訴えも悪霊達には通じす、月下石のペンダントは奴らの主の元へと届けられていた。サフィーは直ぐに取り返そうとするも、痛みのせいで中々立ち上がれない。


「だめ……だめぇ……!」


重い痛みを堪え、サフィーは漸く立ち上がるも既に手遅れだった。冬の化身は手に持ったペンダントを握りしめると、こちらに背を向け、まるで霞のように消えてしまった。


「あぁ……あああぁ!!!」


言葉にならない叫びが白い世界に響き渡る。しかしそれでもその瞳から涙が流れることはない。


――彼女はユニコーンであり、幻獣である。彼らは生物を逸脱した自然そのものとも言える存在であり、絶大な力と知能を持つ反面、その感受性は極めて希薄であるとされている。故にサフィーはどれだけ慟哭しても、涙を流すことは許されなかったのだ。


 その場に残った悪霊達がサフィーに牙をちらつかせた。まるで悲しみに暮れる彼女を嘲るかのように喉を鳴らしている。


「……ダメ……絶対に取り返さなきゃ!あれはアリトンと私が……ずっと友達でいられる魔法が……」


サフィーは残る気力を振り絞り、抵抗の構えを取る。しかし相手は余りにも数が多過ぎる。今のままでは勝ち目がない。だが半ば自暴自棄気味になったサフィーは闇雲に角を振るい、そしてゆっくりと凍え傷ついていく……。


――突如、上空に火の玉が現れたかと思うと、光の筋を引きながらサフィーの元へと舞い降りた。それは直ぐに輝く翼を広げ、勇ましくも美しい不死鳥がその姿を現した。


「あ、貴方は⁉」


「伏せなさい、今すぐに」


振り返りもせず冷静な指示が飛ぶ。サフィーはかの者が敵ではないと察知し、咄嗟に身体を屈ませる。そうして不死鳥が勢いよく翼をはためかせると、凄まじい熱風がいともたやすく巻き起こった。それに中てられた悪霊達は身を焼く炎に悶え苦しんでいた。


「去れ、忌々しき悪霊ウェンディゴよ。この世界にお前達の居場所はない」


蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行く様を見て、不死鳥は静かにそう吐き捨てた。


「……さて、怪我はありませんか?かの森のユニコーンさん?」


しかし寒さに震え、まるで生まれたての小鹿のように震えていたサフィーに向けた視線と言葉は、鋭いながらも確かな慈愛を帯びていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る