第2章 終わらない冬02
白い銀世界の中を道は大河のように伸び続け、どれだけ走っても終わりが見えなかった。サフィーは周囲の気配に気を配りながら、道を辿って足を進めた。その道中では人はおろか、動物の一匹たりともすれ違うことがなかった。皆寒さから逃れて隠れているのか、それとも……。
嫌な考えが彼女の頭を過った。
「……あぁ!ダメダメ!そんな悲しいこと考えちゃ!きっとみんな、何処か暖かい居場所を見つけてる筈……多分……」
希望的観測でしかないが、サフィーはそう考えて自分を無理矢理納得させた。数多の命が理不尽にも消え失せている現実など、彼女は直視したくなかったのだ。悴む蹄を踏み鳴らし、彼女は走り続けた。
サフィーもしばらく走り続けていれば、凍える大地も、全身を切りつける寒風にもすっかり慣れ切っていた。ただ、何時までも変わらない景色には少し飽き飽きし始めていた。
「……この真っ白い世界は一体いつまで続くのでしょう?」
終わりの見えない雪景色を尻目に、サフィーは道を進み続けた。
森を飛び出してからもう3日程経つ。サフィーは時折道端で座って休みながら、もうかなりの距離を走って来た。北から吹く冷たい風は変わらず身を切るような寒さを届ける。時折空から差し込む日の光が、唯一彼女が温もりを感じられる瞬間だった。
「うぅ……太陽さん、ありがとうございます。貴方の光で、私はまだまだ走り続けることが出来ます……」
優しい日照りは、小刻みに震えるサフィーの身体を奮い立たせた。正面から吹き付ける意地悪な風を切るように、彼女は大地を駆けていった――
そうして彼女はとうとう一つの家を見つけた。自分の森に住まう動物達簡素な穴倉ではない。人間が木を切り倒して加工し、積み上げた立派な建築物だ。だがそれはかなり年期が入っており、屋根の上に山のように積もった雪で今にも潰れてしまいそうだった。その近くでは一人の男が険しい顔を浮かべながら雪かきをしていた。相当長い間続けているのだろうか?耳と鼻は真っ赤で立派な髭は鼻水で凍り付き、口から絶え間なく白い吐息が漏れていた。
「ア、アリトン以外の人間⁉ど、どうしましょう……話しかけるのは危ないかな……?」
流石のサフィーもいきなりアリトン以外の人間の前に姿を晒す気にはなれなかった。彼女は周囲に積もった雪の中へと潜り込み、遠目から彼の様子を観察することにした。幸いなことか、彼女の体も雪のように白かった為、面白い程に綺麗に溶け込んでいた。ただ雪の中は当然冷たく、サフィーはそこへ飛び込んだことを後悔していた。
「あぁ!チクショウ!一体何なんだこの雪は!」
男は沸点に達したのか、怒りで手に追ったスコップを投げ出した。その直後、彼のけたたましいくしゃみが、白い銀世界に木霊した。男は垂れ出た鼻水を啜りながら、渋々スコップを拾い上げる。と、その音に反応したのか、ボロ家の中から今度は女性が顔を覗かせた。恐らくは男の妻だろう。
「あらあなた、そんなに真っ赤になって……一旦お休みになったら?流石にこの量の雪を除けるのは無茶よ」
「……あぁそうは言かねぇよ。この忌々しい雪を除けねぇと俺達が手塩にかけて育ててきた稲が全滅だ!そんなことは絶対にあってたまるか!」
「稲……ね……」
サフィーがふと男が雪をかいた位置を見ると、萎れ色を奪われた稲が倒れていた。男が必死になって雪を除けていたのは、彼らを助ける為だったようだ。だが、サフィーには彼の行動は悲しい悪あがきに映った。何せ稲たちは既に冷たい雪に圧し潰され、枯草と化していることが傍から見てもはっきりと分かるのだから。
「まぁそう焦らないでくださいな。この前領主の使いさんがこの冬の食糧を保証してくれると仰ってくれたじゃないですか?」
「馬鹿言え!お前はドンドルの言葉を信じてるのか⁉アイツは見栄っ張りの無能だ。どうせ直前になって『やっぱり食糧が足りない~』とかほざいて俺達農民にはリンゴの種一つ寄越しやしねぇ。アイツの言葉を真に受けたら絶対に痛い目見るぜ……」
「まぁまぁそう捻くれた考えはせずに……」
「大体この雪は何だってんだ!一週間前まではここは確かに秋だった!俺の可愛い稲たちものびのび育ってここら一体は金色のカーペットだったんだ!だが今はどうだ⁉全く真逆!クソッたれな雪が俺達の稲をみぃ~んな覆いつくし、クソッたれな寒さが俺をかじかませてるんだ!こんな理不尽あってたまるかよ!神は俺達人間を見放したのか⁉」
「貴方……少し落ち着いて。ほら、家に入って焚火で暖まりましょう?」
「だが俺の稲たちが……」
「そんなに鼻も真っ赤で手袋もびしょびしょでは、出来る作業もままなりませんよ?ほら、ほんの少しでもいいから休息を取りましょう?」
「……お前がそこまで言うなら……」
男は渋々妻に連れられ家の中へと入っていった。彼が扉を閉めた所で、サフィーは雪溜まりから飛び出した。
「……ぷはぁ~ふぅ~。ここに隠れるんじゃなかったぁ……。ってそんなことよりも……!やっぱり私の考えは間違っていなかったんだわ!この雪も、この寒さも正しく回って来たものじゃない……誰かが意図的に持ち込んだものなのよ!」
鼻先に残った雪を振り払いながら、彼女は自身の直感が正しかったことを確信していた。となれば、次はこの異常な冬を齎した存在を見つけなければならないが……それは以外と直ぐ傍にいた。
「……ん?あれは……?」
サフィーがふと男が必死になって雪を除けていた稲畑に目をやると、なんと再び雪が積もり始めていたのだ。雪はあっという間に萎れた稲を埋め尽くし、男の苦労はほんの一瞬で水の泡になってしまった。
「えぇ!さっきまでは確かになかった筈なのに……。これは……近くにこの雪を積もらせている犯人がいるようね!」
サフィーはじっと感覚を研ぎ澄ませ、その正体を探ろうと試みた。すると丁度真上、そこから微かな声が彼女の耳に飛び込んできた。それは形容しがたい悪意を伴った笑い声であり、感じ取ったサフィーが思わずふらつく程であった。
「上⁉空に一体何が……」
はっと空を見上げると、そこには何もない。ただ何処までも続く灰色の雲が広がっているだけだ。だがサフィーがじっと目を凝らすと、あの声の主が姿を露呈させた。
――それは頭に氷柱のような角を生やし、生気のない瞳を灯していた。下半身は煙のようで後ろ足が無く、体色は冷たい青であった。さながら“牡鹿の幽霊”と表するのが分かりやすいだろうか。それらは群れとなって渦となり、周囲に冷気を止めどなく送り出していた。
「彼らは……一体……」
このような生物とも言い難い何かを、サフィーは一度たりとも見たことがなかった。ただ、それらがありとあらゆる生物に悪意を持ち、危害を加えようと目論んでいることは一目で分かった――。
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