伝道 V
「あんたのほうがよっぽど悪人面だね!」
「悪人面......ね。大いに結構さ。海の男は,海に生きる為ならたとえ悪事だろうとためらわず実行するものだ」
ルークはささやかな冒険の時間を終えて海から戻ってきた。その時間は一炊の夢,ほんの一瞬の微睡のうちに行われたものだったが,大きな満足と発見を得た点でこれまでの人生の中でも非常に重要な一瞬間だったといえる。
「なんだ!いい顔してるじゃないか!ターミネーター2のターミネーターみたいだよ!」
「?」
ルークはここで自分がデータバンクとの接続を切ったままだったことに気が付いた。再接続してもよかったが――。
(まあ,今日くらいはこのままにしておくか)
「なんかそんな名前の映画があったな。こんど見てみるとしよう」
「映画館いったことあるか!今ターミネーターはスクリーンでは上映してないけど,
「わかったよ,ありがとうヤンヤン。フィドマーンもな」
「ああ,また今度。ルーク......エステス君にもよろしくといっておいてくれ」
「それじゃあ」
「はーい!また来なよ!クルックニャック!」
店を出たルークは既に冷静を取り戻していた。そして,「エステスのやつ,いつの間に......」とつぶやくとまっすぐ歩いて正面の台湾点心専門店の暖簾をくぐった。
保冷バッグに大量の食材,それもamazon.msでは取り扱いが少ない生鮮食品,をつめて帰途に就く婦人は,先ほど会った929の友人の男のことを思い出していた。
(929君の話では彼は料理人らしいけど......手伝ってもらえたりしないかしら)
彼女はこの壮大なる詩篇の最後の
買い物を済ませたルーティはエッシェンハイマ―駅からシェアライド・ポッドをとって乗り込んだ。ポッドには既にカップルと思われる男女が乗り込んでいる。
「ディナーはどこで食べようか。やっぱりEbbelwoi Unserかな?」
「うん!フランクフルトといえばアップルワインだって0076も言ってたんだよ。ソーセージもミートボールもすごくおいしいんだって」
「俺はシュニッツェルが食べたいなぁ,ああ,おなかがすいてきたよ」
「まだ4時半だよ?気が早いなあ。まずはホテルにチェックインしなきゃ」
「わかってるさ」
(観光客ね。STAYERY Frankfurt Sachsenhausenに宿泊しているのかしら)
ルーティは楽しそうにディナーの話をするカップルを見て微笑ましい気持ちになると同時に,懐かしい光景を思い出した。
(息子たちと一緒にいろんなところに旅行したわね,メルボルン,エスファハーン,イスタンブル,サンティアゴ・デ・コンポステーラ,仙台,自然再現区画......楽しかったわ)
そして,それが偽物の記憶であることも自覚していた。独立した娘と息子がいるという設定があるだけで,夫(夫役のアンドロイド)が存在したことは無いし,実際に息子がいたこともない。彼女は息子たちの真の名前さえ知らない。
(35ka, 26j8,私はあなたたちが実在するのかさえしらないけれど――)
「ビーフステーキ,ビーフシュニッツェル,ソースは......きのこかな」
「私はサラダと,うーん,チキンサラダにしようかな」
「チキンをたのんでもいいよ。俺も食べるし」
「そんなに頼んで大丈夫?食べきれる?」
「まあ,なんとかなるさ」
(せっかく新鮮な牛肉とポルチーニが手に入ったのだし,明日はシュニッツェルにしましょう。きっと子供たちも喜ぶでしょう)
レンタルポッドはマイン川を渡り,彼らの共通目的地へと、向かう。巨大なビルディングの並ぶ中心部から離れ,低層アパートメントの並ぶ近郊エリアに入る。すると,今となっては珍しい地上公園が左側の窓いっぱいにひろがった。
「おお,公園だ。フランクフルトには地上公園があるのか。珍しいな」
「広いね。こんなに広かったらきっと子供たちもたのしいだろうね。あ,ほらあの子たち。クリケットで遊んでる」
「アントウェルペンじゃボール遊びは禁止だもんな。うらやましいよ」
「どうせ8145はルールなんて守らないでしょ?」
「いやいや,俺は優等生だから」
「うそつき」
「おれの成績はいつも優だったよ」
「憂?」
「優!」
「備考欄には『協調性がない』とか書かれてなかった?」
「俺って協調性ない?」
「うふふ,冗談だから」
(仲のいい兄弟なら,こんな風にお互いふざけあったり――いけない。どうも今日は感傷的になりすぎるきらいがあるわ。未来のことを考えなくっちゃ。あしたはシュニッツェルと,きのこスープと......)
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