第28話 反抗の咬傷

「間違いねぇ!タムラだ!襲われてやがる!」

馬車から身を乗り出して、前方を見たサベッジがそう叫ぶ。


「いいわ」

「いいわって、おい、スピードおとさねぇのか!?うぉあああっ!」

魔道具馬を操作するガーネットの言葉に、サベッジが悲鳴を上げる。


「おおおおおおおおおおおお!!!!」


同じく、グロークロが馬車から身を乗り出して咆哮する。これは合図だ。

助けに来たぞ。迎えに来たぞ。と、待っているあの子カラントへの。


あと、轢き殺されるなよ。と、先行したタムラへの。


グロークロの雄叫びの意図が通じたのかはわからないが、タムラはなんとか逃げて、ガーネットは暴走馬車で敵を間違いなく一体吹き飛ばした。


「野郎ども!!かかれぇ!」


治癒術師スピネルの勇ましい号令と共に、まだ止まっていない馬車から勢いよく飛び出す二人のオーク。

「どけぇ!!!」

曲刀を振り下ろしていた御者の男を、サベッジがその大剣で両断してみせる。

「おぅ!生きてるか!」

「なんとか」

「なら儲けもんだな!」

タムラのいつもの苦笑に、サベッジが豪快に笑う。

激怒したグロークロは、カラントを掴む男に真っ直ぐ向かう。

「【おいおい】」

一瞬、カラントをどうするか迷った魔神は、カラントを自分が乗ってきた馬車の中に投げ入れた。

この追ってきたオークが娘が不死だと知っているなら、不死の少女は人質として役に立たないだろうと思ったのだ。

「おおおおおっ!」

「【オークかよ】」

オークの剛力をものともせず、男はグロークロの一撃を剣で受ける

カラントを殺して力を得たリーダー格の男の体は、他の男より、丈夫で、尚且つ魔神が操る死体だ。普通の人間よりも遥かに強い。


「【いいな、こっちもちょうど着いたところだ!】」


男が笑う。周囲に死臭が満ち始めたことに気づいた時には遅かった。

「クソが!遺跡方面から来てるぞ!!」

サベッジが、弓を持っていたゾンビを一体切り捨てたところでそう叫んだ。

「【最近来たばっかりの死体だぜぇ!ここまで動かしといて正解だったな!】」

ゲラゲラゲラと笑う男の顔面を、グロークロは殴りつける、が少しのけぞっただけで、すぐに相手は剣を振るい始める。

「死体を操るか、外道め」

グロークロは吐き捨てる。

魔神の遺跡に向かった冒険者たちの死体は、仲間が回収できなかったものも多い。

本来ならそのまま朽ち果てるはずの死体を、魔神はわざわざカラント回収のためだけに乗っ取り、動かしたのだ。

「タムラ!こっち乗って!」

スピネルが馬車にタムラを誘導し、それをラドアグが剣で援護する。

「矢、引っこ抜くよ!そのあとすぐ治癒するから!」

消毒したナイフで鏃を残さぬように抉られ、激痛でうめくタムラ。

治癒魔術師が全力で魔術をかける。本来ならもう少し休ませたいが。

「行ける?行けるわね!往けぇ!!」

鬼のような治癒術師の言葉を背に、タムラも再び戦闘に参加する。

「すぐにカラントさんを乗せたら出れる準備を!リグさんはもう馬車に乗ってください!!」

タムラが混戦の中、あのブロッコリーを掴むと馬車の中に放り込んだ。


「おいグロークロ!目的を忘れんな!」

馬車を狙うゾンビを切り伏せ、ラドアグが叫ぶ。

目的は『カラントの救出』だ。魔神討伐でも、復讐でもない。

怒りのまま、男と剣戟を交わしていたグロークロは、泣いていたカラントの姿を思い出し、悔しいながらも冷静さを取り戻す。

「どけ!!!」

剣での斬り合いが無意味とわかり、グロークロは己の体格を生かし、男が吹っ飛ぶような体当たりをぶちかました。

どんなに頑丈であろうとも、人間の男の体格ではオークの体当たりに耐えられない。

致命傷にはならないが、カラントがいる馬車から引き離せた。

「カラント!!」

馬車の中にいる彼女に声を掛けて、手を伸ばす。

カラントも、縛られたままの腕を伸ばした時だった。

馬車の中で震えていたキャンディが、カラントの足にしがみついた。

体勢を崩し、カラントは無様に馬車の床に体を打ちつける。

「待ってぇ!助けて!私も助けてぇ!!」

魔神の餌になるのは嫌だと、キャンディが手足を縛られたカラントにしがみつく。

「離して!」

縛られたままの手で懸命に、キャンディの頭を押し除けようとするカラント。

カラント!と、叫んだグロークロが馬車に入ろうとした時、別のゾンビが剣を振り上げて向かってくる。

「っおおおおオオオオオ!!」

その剣を振り上げたゾンビにタックルを入れて、そのまま担ぎ持ち上げる。

「邪魔を!するな!!!」

グロークロは力任せに、他のゾンビにその担いだゾンビを叩きつけた。


「【おっと、危ねぇ危ねぇ】」

魔神としては、『殺すと恩恵のある少女』の方が重要だ。

ゾンビどもを、カラントが乗っている馬車に集中攻撃させることにする。

サベッジとラドアグが、ゾンビどもを斬り捨てて、グロークロを援護する。

こちらに魔術を放とうとする魔術師のゾンビに気付き、ガーネットが即座に先手を打つ。

「『焼き射て、火槍』!」

かつては高名な魔術師だっただろうが、枯れ枝のような体を炎の槍が焼き尽くす。

「グロークロ!敵は俺らがやる!嬢ちゃんを早く引っ張り出せ!!!」

「スピネル!補助魔法お願い!」

「もうやってるわ!!タムラ!この馬車にも近づけさせないでよ!」

「わかってます!!」

倒されたゾンビの武器を拾い、近づくゾンビの頭を殴りつけるタムラ。

カラントを保護したらすぐに逃げなければ、そのためにもこの馬車にゾンビどもを近づけるわけにはいかない。


*****


「助けて!お願い!置いていかないでぇ!!!」

どんなに押し除けようとも自分にしがみついてくる黒髪の少女に、カラントは心から軽蔑と嫌悪の感情に満ちる。

「わ、私を、殺しておいて、ふざけるなっ!!」

カラントの怒りに、びくりとキャンディは震えるが、卑屈な笑みを浮かべる。

「だって、貴女、死なないじゃない!それにフリジアが殺せって!そうすれば、強くなれるって!あなたは『チュートリアルキャラ』だって!」

だから悪いのは私じゃなくて、フリジアよ!と叫ぶキャンディ。

それを聞いて、カラントは怒りで体が燃え上がりそうだった。


そうやって、こいつらは、私を、食い潰してきたのか。


「なんで」

キャンディは卑屈な笑顔で泣き続ける。

「なんでそんな顔で私を見るのよぉぉぉぉ!!!!」

軽蔑、侮蔑、嫌悪、憎悪、かつてのカラントが向けることがなかった表情に、キャンディが叫ぶ。

カラントの乳房に爪を立て、接吻でもするような顔の近さでキャンディの顔が近づく。

「いやよ。いやいやいやいや!私だけ死ぬなんて嫌よ!」

キャンディは死んでたまるかと、カラントの体を離さない。

馬車の外では、グロークロたちが魔神相手に戦っていると言うのに。

『私は、私が、こんな奴にもたついているせいで!!!』

自分の無力に苛立ち、カラントは何度もキャンディを押し退けようと暴れる。


「そうだ、転送魔法。伝説の。それを使えるようになれば!ここから逃げられる」

混乱していたキャンディはようやく『カラントの使い方』を思い出し、カラントを殺そうと魔術を放とうとする。


「死んで!ね?私のために死んで!?」


カラントは考える。

魔術はダメだ、ただでさえ少ない自分の魔力は尽きている。

短剣、短刀、遠い、掴めない。カラントが最後に頼ったのは。


己の歯だった。


「!?っ!!」


魔術詠唱を、キャンディの唇に噛み付くことでキャンセルさせる。

柔らかい、その化粧臭い唇に力任せに噛み付くと、口の中で血の味が爆ぜた。

にちりっ、と肉を噛み潰し、全力で噛みちぎれば、キャンディは鶏が締め殺されたような悲鳴を上げる。

「いひゃい!いヒャ、あ、アタヒのくひっ!!!」


思わずのけぞり飛び退いて、血まみれで口を抑える、キャンディ。下唇が噛みちぎられ、皮膚も肉もちぎれた隙間からは歯茎が見えてしまっている。

ブッ、とカラントは口の中の肉片を吐き捨てる。

「カラントォ!!殺しでやるっ!殺じで犯じで股を裂いてやるぅっ!!」

顔半分が血で真っ赤になったキャンディが充血した目で、カラントに再び魔術を行使しようとした時だった。


「っぎゃあああああああ!!」


飛んできた手斧が、キャンディの左脚に命中し、その軟い肉に深々と刺さる。

馬車の出入り口から、グロークロが手斧を投げつけたのだ。

「いだい!いだいいだいいだいぃぃ!!」

床に倒れ、半狂乱で脛に半分以上食い込んだ手斧を抜こうとするキャンディ。

その隙に、グロークロがカラントを馬車から引っ張りだして、抱き抱える。

裸のカラントを見て、グロークロは一瞬だけ戸惑い驚くが、次には怒りに顔を歪める。

渇いた血が幾重にも張り付いた少女の体を強く掴み、抱き寄せる。

「どけぇ!!」

尚も立ち塞がるゾンビども相手に、グロークロは吠えて、敵を蹴り飛ばして進む。


カラントは助け出した。あとはこの場から逃げるだけだ。


「【わぁーこまるぅ】」


ゲラゲラと笑う声がする。今度は、男の死体からではない。

「【そんじゃあ、こっちの人形だ】」

そんな言葉が終わるかどうかのタイミングで、火花が爆ぜる音がした。

焦げるような匂い。


次の瞬間、雷撃が爆ぜ、魔道具馬が破壊された。


「【ギャハハハ!これ、おもしれぇなぁ】」


白い馬が1頭、周囲にばちばちと雷撃を纏わせながら彼らの前に立ち塞がる。


カラントを攫った馬車の馬である。


「ただの馬じゃねぇのかよ!」

なおも自分にまとわりつこうとするゾンビを掴むと、サベッジはその馬に投げつけた。

雷撃纏う馬に命中する前に、雷撃で弾かれてゾンビは黒焦げになる。


グロークロが唸り声を上げる。魔神だろうと知ったことか。


「帰るぞ、カラント」

オークは娘を抱き寄せ、敵を睨め付けるのだった。

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