七章 吸血鬼の城(2)

 ディノンが怪我をした仲間を運んで城内に入ると、門前の広場にたくさんの天幕が張られていた。奥のほうに行くと仮設の施療所があり、そこで怪我人の手当てをしていたメイアと合流した。


「怪我はないか?」


 背負っていた怪我人を地面に敷いた板の上に寝かせてディノンは頷いた。たずねたメイアは微笑を浮かべ、寝かされた怪我人に目を向けた。ディノンと協力して革鎧を外し、左の脇腹に押し当てられた布をはがした。布はべっとりと血が染みつき、その下の切り傷から血が溢れてきた。


 メイアは血で真っ赤になった布をディノンに渡し、背負っていた荷から清潔な布を取り出すと、再び傷口に押し当てた。そうしていると、隣で怪我人を診ていた医術師が、こちらを振り向いた。


「出血は酷いが傷は深くない。内臓も傷ついていないようだ」


 メイアの言葉に頷いて、医術師は怪我人の頭を慎重に触れ、さらに瞼を開いて目の様子を見た。


「落馬か。気を失っているようだが、脳に異常は無さそうだな。ありがとう。あとは私がやろう」

「よろしく頼む」


 ディノンとメイアはその場を離れ、近くで怪我人を診ていたリーヌとタルラとともに天幕から出た。


 ふと、メイアは怪訝そうな表情で耳を押さえた。


「どうした?」

「いや。ここに来てから精霊たちが妙に騒ぎ出してな」

「精霊? 耳飾りに宿ってる?」


 ああ、と頷いた彼女は城内を見回した。


「それに、この城の建物の配置、どこかで見覚えが……」


 不思議そうにしていると別の天幕からシェリアとウリが、カシオたちとともに出てきた。


「いちおう、みんな無事のようだな」


 笑い含みにカシオが言って、ディノンは頷いた。そこに一人の冒険者が声をかけた。ケイロスと行動を共にしていた熟練の冒険者だ。


「ディノン、カシオ。局長が呼んでる」

「イワン軍団長のところか?」

「ああ」


 ディノンは少し考え、仲間をちらっと見てから彼に尋ねた。


「こいつらも連れていってもいいか?」

「構わんと思うぞ。俺の仲間も議場に向かってるから」


 ディノンは頷き、メイアたちに、ついてきてくれ、と言って熟練冒険者のあとに続いた。


 彼が案内したのは正殿の議場。シュベート城の最奥に建てられた正殿は無数の尖塔が集まった派手な造りをしている。中央にそびえる巨大な塔の最上階に荘厳な謁見の間があり、その真下が議場になっていた。


 四角い部屋の周囲に階段状の席を設け、中央は広く空けられ、そこに机が置かれていた。その机を囲って数人の冒険者と兵士が待っていた。ケイロスが手を挙げ、これに応じて彼らのそばに寄った。


「お久しぶりです、イワン軍団長」


 ディノンとカシオは最も壮年の兵士にあいさつした。年頃はケイロスと同じくらい、巌のような身体を重厚な鎧が覆い、威厳に満ちた視線を二人に向けた。ソルリアム軍を統括する軍団長のイワンだ。


 笑みを浮かべたイワンは、二人に頷いた。


「遠路よく来てくれた。礼を言う」


 と、彼は二人を労い、礼を述べた。イワンの人柄にもよるだろうが、これは普通ならありえないことだった。軍団長は一軍の最高司令官で、爵位を持つ貴族だ。一介の冒険者にすぎないディノンとカシオとでは、身分に雲泥の差がある。


 しかし、ディノンとカシオは身分に関係なく厚遇されることがあった。ヴォスキエロの諸侯の一人だった吸血鬼エルザ・シュベートを倒し、彼女の城を陥落に導いた二人は英雄視され、ディノンにいたっては冒険者でありながら用兵家としての才能もあるため、特に兵卒から慕われていた。


 ゆえに軍団長であるイワンは二人を厚く歓迎し、彼の部下たちもこれに倣った。


「――失礼します」


 ちょうどそのとき、数人の兵士を従えて女兵士が入ってきた。白と青の正装に銀の鎧をまとった彼女は、ディノンを認めて青い瞳を軽く見開いた。


「レミルか。よいところにきた。そなたの報告も聞きたい」


 イワンの言葉にレミルは部下とともに敬礼した。机を囲うようにみなが集まると、イワンはそばに控えた兵士――ソルリアム軍の参謀に頷いた。頷き返した彼は、集まった人々を見る。


「まずは、先ほどの戦闘での被害報告からいたします。冒険者の救援が早かったおかげで、我が軍の被害は少なく、まだ確認の途中ですが、死者、重傷者は五十人も出ていないと思われます」


 言って彼はケイロスに視線を移した。


「冒険者の被害も少ない。矢を受けて重傷を負った奴はいるが、死者はいない」


 頷いた参謀は机に視線を落とした。机の上にはシュベート城周辺の地図が広げられていた。


「撤退したヴォスキエロ軍は北西に向かったようです。ケイロス殿がお出しになった追手に続いて、我が軍のほうでも追跡をさせております」

「敵は少しずつ数を増やしていると聞いているが」

「はい。これまでに十回ほど奇襲を受けましたが、五百ずつ兵を増やしております。さらにその背後には五千を超える軍勢もあるようですが、これは確認できた数であって実際はもっと多いと思われます。我々はこれを率いているのは獣魔将だと考えております」


 彼の言葉に、冒険者たちもいっせいに頷いた。


「獣魔将の姿は、まだ確認できていないのか?」

「残念ながら。そもそも敵の本隊の正確な所在すら特定しておりません。千を超える軍勢がバラバラにこちらに向かっているのは確認できましたが、それがどこに集結しているのか判明していないのです」

「地の利はあっちにあるからな。うまく隠れているんだろう」

「いまは、追手の報告を待つしかありません」


 参謀がそう締めくくると、イワンは頷いてレミルに視線を向けた。


「では、レミル。そなたからの報告も頼む。昨日まで妙な一団を追撃していたようだが」


 ディノンは軽く眉を寄せてレミルを見た。頷いた彼女は地図に視線を落とし、シュベート城の南東部を示した。


「半月ほど前です。私はその間、不在だったので、これは部下から聞いたのですが、シュベート城の南東部、大山脈の麓にあるこの鉱山町で不審な一団を目撃したという報告があったようです。五十人ほどの兵が調査に向かうと、近郊の廃坑からその一団と思われる集団を発見したそうです」


 大山脈の麓には大小の魔族の集落が点在している。鉱山開発によって形成された鉱山集落で、いくつもの坑道がある。中には大昔に廃坑になった穴もあり、レミルが示したのはその中でも最も古いものだった。


「私はその直後に調査隊と合流し、接触を試みましたが、相手はこちらを見るなり攻撃してきて、そのまま戦闘になりました。攻撃してきたものの、相手はすぐに逃走し、さらに南にある廃坑町にたてこもっています」


 ディノンはすぐ隣にいたシェリアをちらっと見た。フードを目深にかぶった彼女は軽く頷いた。


「その一団に心当たりがある」


 そう言ったディノンに視線が集まった。ディノンは隣のシェリアを見た。


「その前に、彼女を紹介したい。大山脈で暮らすエルフの長の娘シェリアだ」


 フードを取った彼女の姿を見て、兵士たちは驚いたように瞬いた。ディノンは彼らにエルフの里に向かった経緯と、里で起こった襲撃事件について話した。


「襲撃者の中には、リバルっていう、もと犬人氏族師の将軍をはじめ複数の獣人族もいた。リバルについては、ここにいる鼠人族のウリも確認しているからたしかなはずだ」


 ディノンの隣で緊張した様子のウリが頷いた。ディノンはさらに険しい表情で続けた。


「それと、連中の中に魔族の姿もあった」


 さらに驚愕する一同。参謀がかすれた声でたずねた。


「レヴァロスと魔族が、繋がっていた?」

「それはまだ確認していないが、その可能性は高いだろうな。だが、それよりも悪いことに連中は眈鬼の封印の要だった霊剣を奪っていっちまった」

「眈鬼?」

「はるか昔、神々と巨人族の戦いの最中に現れた怪物で、エルフの森を一瞬で焼き払うほどの力があった正真正銘の化け物だ。大山脈に棲む蛇竜が怪物を封印し、霊剣によって封印が維持され、それをエルフたちが守ってたんだが、レヴァロスによって霊剣が奪われちまった。俺たちは霊剣を取り返すため、レヴァロスを追ってる途中だった」

「封印は大丈夫なのですか?」

「いまのところはな。完全に封印が解けるまで、百年ほどの猶予があるらしい」


 ディノンの言葉に、安堵と不安が入り交じったため息があちこちから漏れた。


 レミルはイワンを見た。


「レヴァロスは廃坑町に立てこもっています。いまから兵を送り込みますか?」


 イワンは険しい表情で地図を眺めながら考え込み、ディノンを見た。


「レヴァロスの規模は?」

「まだ不確かですが、かなり大きいと思われます」

「もし、レヴァロスと魔族に繋がりがあれば、こちらは二つにはさみこまれる形になる」


 ディノンは頷いた。


「かといって双方を同時に叩くのは得策とは言えません。特に接近中のヴォスキエロ軍は、兵を分散して勝てる相手ではありません」


 イワンは頷き、彼の参謀も同意するように頷いた。


「エルフの方々には申し訳ありませんが、いまはヴォスキエロ軍を退けるほうを優先すべきと思われます。敵は獣魔将が率いる大軍です。あれにここを落とされるわけにはまいりません」


 イワンは重い仕草で頷き、シェリアを見た。


「エルフの方々は、それでもよろしいか?」

「はい。廃坑町に立てこもっているレヴァロスは、こちらの兵士が見張っております。なにか動きがあれば報せがあるでしょう。父からもヴォスキエロ軍を優先すべきだと、連絡がありました。彼らがフィオルーナを攻め込むようなことになれば、我が里も戦渦に巻き込まれかねないからと。ついでに援軍も送ってくださるそうです」


 おお、と声が上がった。みなの反応にシェリアは少し焦った様子で言った。


「ですが、出陣に少し時間がかかっているようで、ヴォスキエロ軍との戦闘に間に合うか分からないそうです。それと、我々エルフは実戦に慣れしておりません。あまり期待はしないでください」

「それでも心強い。いまは一人でも多くの助けが必要だ。ヴォスキエロ軍を退けることができたら、霊剣を取り返すため、我々も力を貸すとお約束しよう」

「ありがとうございます」


 シェリアは深く頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る