六章 嵐の前(2)

 広大な大山脈を越えるには最短でも三日はかかる。地形によっては十日以上、山をさまよって越えられないこともある。


 前と同じように璇麒に騎乗したディノンたちはまず、人間界と魔界を繋いだ山道――岳裂き山道からシュベート城へと通じる間道を目指して大山脈を北上した。積雪している山頂付近を避け、魔獣や魔物の襲撃を退けながら山間を抜けていった。


「うーん?」


 エルフの里を発って五日目の昼過ぎ、ディノンは蛇竜から授かった魔剣の刃についた血のりを拭って鞘におさめ、たったいま倒した三体の魔獣を見上げた。大きな爪が両手に一本ずつ生えた熊に似た魔獣で、その体格は人間族の倍近くある。


「どうかされましたか?」


 かすり傷を負ったウリの膝に回復の加護を施していたリーヌが心配そうにたずねた。


「ディノン様も、どこかお怪我を?」

「いや、違う。この魔獣、そこそこ力のある種で、以前は倒すのにけっこう苦労したんだが……」


 リーヌはウリと顔を見合わせ、首をかしげた。ウリは魔獣を見上げた。魔獣の死骸はタルラによって積み上げられていた。


「そのわりには、あっさり倒せました」

「たまたまこいつらが、弱かっただけでは?」


 と、積み上げた魔獣を魔法の炎で燃やしながらメイアが言ったが、ディノンは首を振った。


「いや。むしろ、これまで相手にしてきた奴らより身体もでかいし力もあった」


 メイアはディノンを振り返り、しばらく考え込んだ。


「では、君が以前より強くなっているのだろう」

「やはり、そうなるか?」


 ディノンは左腰に佩びた魔剣の柄を軽く叩いた。


「最初は魔剣のせいかと思ったんだが、どうやら違う。――てかこいつ、魔剣っていうわりにたいした能力ねぇな」


 メイアは苦笑した。


「それはそうだ。その魔剣は〈魔法の剣〉ではなく、〈魔法で鍛えられた剣〉だからな」


 ディノンはウリとともに首をかしげた。


「なにが違うんですか?」

「〈魔法の剣〉というのは、その名の通り魔法など不思議な能力を宿した剣のことを指す。所有者の身体能力を強化したり、魔法使いのように魔法を放ったりできる剣だ。その力は絶大だが、役目を終えると消失する。〈魔法の剣〉に限らず、魔法の能力を持った魔道具類も、そのほとんどが使用すると力は消失、もしくは道具そのものが破壊される」

「フィオルーナの建国者で、史上最古の勇者と称されるエドリエル・フィオルーナ様が所持していた聖剣も〈魔法の剣〉に分類されます」


 リーヌがそう言い添えて、メイアは頷いた。


 かつて聖剣は勇者に絶大な力を与えたが、彼が伝説に残るような偉業を成し遂げると、刃は砕けその力も消失したという。そして、砕けた聖剣はフィオルーナの王宮の奥に保管され国の宝となった。


「いっぽう〈魔法で鍛えられた剣〉は、たいした能力は宿っていないが半永久的に残り続ける。その刃は強靭で鋭く、達人が振るえば岩をも断ち斬れるらしい。おもにドワーフの魔法使いが鍛えた剣がそれに類する」


 へぇ、とディノンは魔剣を見下ろした。


「じゃあ、この魔剣もドワーフの魔法使いが?」

「いや。その形状はドワーフのものとはかなり違うな。人間界のさらに東の地で暮らしていた人間族の一派の手によるものだろう」

「なんでそんなものが蛇竜の棲み処に?」

「さてな。おおかた宝探しが趣味の彼女の妹が拾って持ち帰ったのだろう。――話を戻そう。君の変化についてだが……」


 メイアはディノンをじっと眺めた。


「私が思うに、それは〈終生回帰症〉の影響だろう」


 思わぬ答えにディノンは怪訝そうにメイアの話を聞いた。


「物事を吸収しやすい幼少期と、それらを洗練する青年期を短い間隔で毎日繰り返すうちに、戦闘技術などが日を追うごとに成長しているのだろう。成熟したいまの時間帯は、それが顕著に表れている」

「赤ん坊に戻ったら、前日のことがリセットされるわけじゃねぇんだ」

「ないな。身体的な退化はあるが、それ以外のものは残る。特に戦闘の技術や胆力は、赤ん坊に戻ってからも記憶として残り、それが蓄積されていって、君の戦闘力に大きく影響しているのではないかな」

「ああ、なるほど」


 その説明はとてもしっくり来て、ディノンは深く頷いた。


「たしかに、太刀筋も前に踏み込む勢いも、以前より鋭くなってる気がする」

「とはいえ、いまの君はその能力に大きなばらつきがある。当然だが、幼少期と老年期は身体のほうが劣るから、いくら技と精神が優れていても身体がついていかない」

「そうだな。ガキの時間帯は間合いが遠く感じるし、爺の時間帯は身体を動かすのが億劫だ。特に爺のときはこたえる。無理に身体を動かすと節々が痛むんだ」


 渋く言ったディノンに、メイアたちは軽く笑い声を上げた。


「私は老いた君は好きだがな」


 笑みを浮かべて言ったメイアに、ディノンは奇妙な視線を向けた。


「前から思ってたんだが、お前、もしかしておじいちゃん子か?」

「ああ、そうだが」


 と、メイアはあっけらかんと答えた。


「実は、私も君と一緒で、幼いころに両親を亡くして、魔法使いだった祖父に育てられたんだ。私の魔法の知識は祖父から教わったものだ。祖父は若いころ魔法学校の教師だったようでね、その伝手で王都の魔法学校に通うことができたんだ」


 へぇ、とディノンたちは瞬いた。


「幼いころは、よく祖父に甘えていてね。老いた君と過ごすうちに、それを思い出した。その時間帯は私の姿も幼くなるから、つい君に甘えてしまった」


 メイアは照れくさそうに笑った。最近、夜になるとメイアは老いたディノンの膝の上に頭を乗せて寝そべったり、抱え込まれるように座ったりする。眠るときも、そのまま添い寝されることが増えた。


「気を悪くしたかい?」

「別にいいさ。俺としちゃあ、猫を構ってるみたいで悪い気はしねぇ」

「猫扱いか」


 と、メイアは苦笑した。

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