六章 嵐の前

六章 嵐の前(1)

「ソルリアムに帰る?」


 人間界へと下る道の分岐点で、ディノンはカシオにたずねた。


「僕たちまでエルフの里に行くわけにもいかないだろう」


 そう言ったカシオに、シェリアは複雑な笑みを浮かべた。たとえディノンの戦友とはいえ、必要以上にエルフの里の場所を知られるわけにはいかない。そうでなくても先日のレヴァロスの襲撃でエルフたちは神経質になっている。カシオたちが行けば、さらに不安がる者が出てくるだろう。


「レヴァロスの一件についてもギルドに報告したほうがいいだろうから」

「そうだな」

「ついでに君のことも局長に報告しておくよ」


 ディノンは顔をしかめた。


「俺のことは別にいいだろ」

「だめだ。局長、君が行方不明になって心配してたぞ」


 冒険者を止めた日以降、ディノンは宿舎に帰っていない。引っ越しの準備まで使わせてほしいと言いながら、荷物は宿舎に置いたままだった。


 そうだ、とカシオは思い出したように言った。


「以前、洞窟で倒した怪物がいただろ?」

「俺たちの最後の任務で倒した奴か?」

「ああ。かなり変わった種だったから、あれからちょっと調べてみたんだ。暗螂あんろうという魔物らしい。光のいっさい届かない洞窟の中を迷うことなく移動することができるとかで、専門家たちから〈大山脈の地理学者〉なんて別称をつけられている」

「学者か。たいした魔物もいたもんだな」

「ただ不可解なのは、この魔物は本来、人も寄り付かない地下深くに生息しているはずなのに、今年に入ってから地上付近で多数目撃されている。特にシュベート城近辺の洞窟で多く目撃されているらしい

「シュベート城? なんだ、あんなところに……」

「もっと不可解なのは、目撃された暗螂を観察する者たちがいたというんだ」


 ディノンの目が険しくなった。


「それって、俺が斬った魔族と同じ奴らか?」


 ディノンたちが倒した暗螂は、フードを被った魔族によって追い立てられていたようだった。


「いや。魔族だけじゃない。獣人族や人間族もいたらしい。全員、身を隠す術を持っていたようで、接触しようとするとどこかに消えてしまうんだ。戦闘になったこともあるらしいが、すぐに身を隠していなくなってしまう。仕留められたのは君が斬った魔族のみ」

「どういうことだ? なんで、そんな……。――まさか、レヴァロス?」


 ふと思いついたように呟くと、カシオは頷いた。


「僕も同じことを思った。昨日、君から聞いたレヴァロスの一件と統合すると、その可能性が高い」

「目的はなんだ?」

「分からない。霊剣を奪ったことと、関係があると思うけど……」

「なにか企んでいることはたしかだろうな。それも、局長に報告したほうがいいだろ」


 カシオは深く頷いた。そして、すがるような目をディノンに向けた。


「冒険者に戻るつもりはないか?」


 ディノンは苦笑して首を振った。


「すまん。さすがにこの身体じゃ仕事に支障が出る。以前よりお前らに迷惑をかけちまうだろう」


 そうか、とカシオは肩を落とした。そんなカシオを労うように、ディノンは笑みを浮かべて彼の背中を軽く叩いた。


「まぁでも〈万有の水銀〉なら治せるかもしれねぇって、蛇竜からのお墨付きももらったし、治ったら冒険者に復帰するつもりだ。つっても、先はまだまだ長そうだがな」


 カシオは苦笑を浮かべた。


「君が戻る前に、誰かが魔王を倒してしまうかもしれないぞ」

「それならそれでいい。その誰かがお前なら、ダチとしては誇らしいがな」

「期待に添えるよう頑張るよ」


 おう、と応じてディノンはカシオと拳を打ち合わせた。ダイン、ルーシラ、ジュリとも別れを告げ、彼らが去るのを見送った。


「いいですね」


 ウリがうらやましそうに言った。


「ディノンさんとカシオさんの男の友情、すごく憧れます」

「友情ってほどでもねぇよ。性格はまったく違うし、意見が合わなくてぶつかることもよくあるしな。まぁ、最終的には肩を並べて戦うから、そういう意味じゃあ気が合うか」


 カシオたちが遠くの山間に広がる森の中に消えていくのを見届けて、ディノンたちも璇麒に騎乗して出発した。来た道を戻り、エルフの里を隠している結界の森を抜けた。


 巨大な窪地の中央、屹立した薄青い結晶を見て、ディノンたちは軽い衝撃を受けた。


「前より小さくなってねぇか?」


 ええ、と頷いたシェリアは胸を抑えた。


「間違いなく小さくなってる……」


 それは極わずかな違いだが、毎日のように見ているシェリアにとっては歴然だった。


 一行は先を急いだ。崖を駆け下り里の正門へと向かった。門の見張り場でディノンたちを認めた門衛が門を開きディノンたちを迎え入れた。騎乗した兵士に先導され大通りを駆け抜け神殿に向かうと、出入口の前で複数の従者とともにレンデインが待っていた。


「戻ったか。よかった」


 そう言って笑った彼は、しかし、疲労感に少しだけやつれた様子だった。シェリアは抱えていた包みをレンデインに渡した。


「中に氷の精霊の涙が入っています。これを石にかければ、封印を補強することができるそうです」


 頷いたレンデインは、神殿の奥へ急いだ。ディノンたちもそれに続き奥の広間へ向かった。


「なんだ、これ……」


 神殿に入ったとたん、奥のほうから威圧するような気配が感じられた。


「君たちが里を発った翌日からこうなのだ」

「まさか、眈鬼の気配か?」

「間違いなく。気配は岩から発している。封印が弱まっているのだろう」


 奥の広間に入ると、その気配は顕著に感じられた。あまりにも巨大な気配に、ディノンたちは腹の底から震え上がった。同じ感覚をつい最近経験していた。蛇竜とはじめて会ったときの感覚とよく似ていた。


 レンデインは岩の前まで駆け寄り包みを開いた。瓶の蓋を外し、中に入っていた薄青い液体を岩のてっぺんに、ゆっくりとかけた。


 水は岩にかかったとたん、煙に変わって周囲に広がった。それはまるで霜のようで、実際、煙が広がるたびに広間の中の冷気が増した。


 瓶の液体がすべて岩にかけられたが、これといって変化は見られない。しかし、岩から発せられていた威圧するような気配が完全に消えた。


 レンデインや従者たちは安堵の息をついた。ディノンたちも顔を見合わせて笑った。


 振り返ったレンデインは娘の肩を叩いた。


「よくやった」


 そして、ディノンたちを振り向いて深く頭を下げた。従者たちもこれに倣い、丁寧に礼を取った。


「エルフを代表して礼を言う。本当に、ありがとう」


 喜ぶ彼らだが、ディノンたちは浮かない表情で首を振った。シェリアがレンデインに言う。


「まだ安心はできません。蛇竜の話によれば、いまのは封印の力を引き伸ばすもので、確実に再封印を施すには霊剣をもう一度岩に刺す必要があるそうです」


 笑みを消し、表情を改めたレンデインが深く頷いた。


「やはりそうか」

「レヴァロスの捜索について、なにか進展はありましたか?」


 娘の問いに、レンデインは頷いた。この場を従者たちに任せ、レンデインはディノンたちを促した。政殿へと向かい、執務室に入った。机に置かれた小さな巻物を彼らに見せた。


「レヴァロスの捜索に当たっている兵たちからの報告だ」


 シェリアは巻物を開いて読み上げた。


「魔界南東部シュベート城付近にて、レヴァロスと思われる一団と、人間族の兵団が戦闘。レヴァロスは即時撤退し、人間族兵はそれを追跡……」

「シュベート城?」


 ディノンが声を上げ、レンデインは彼を見た。


「知っているのか?」

「ヴォスキエロの諸侯の城だ。二年くらい前に俺が落とした」

「戦闘後、レヴァロスは南へ移動したらしい。現在、人間族の兵のあとに続くように、我が部隊も追跡している」

「霊剣を持ち去った奴は、その中にいなかったか?」

「そこまでは分かっていないが、いる可能性は高いだろう」


 ディノンは仲間に視線を移した。


「俺たちも行ってみるか?」


 そうだな、とメイアが答え、ほかのみなも頷いた。


 レンデインはわびるように頭を下げた。


「重ね重ね、申し訳ない」

「構わねぇさ。眈鬼の封印もレヴァロスも放置するわけにはいかねぇし」

「私も彼らとともに行ってもよろしいですか?」


 そう言った娘にレンデインは深く頷いた。


「ほかならぬ我が一族の大事だ。頼んだぞ」

「はい」

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